[百人一首]98 風そよぐ 定家のライバル

いよいよラスト3

風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
みそぎぞ夏の しるしなりける

そよそよと吹く、ならの小川の夕暮れは、秋のような風情だけど
行われているみそぎが、夏のしるしだよ

従二位家隆
藤原家隆(ふじわらのかりゅう)
いえたかでも良いんだけど、藤原定家(ふじわらのていか)のように、かりゅうと読む方が一般的

定家と同時期の人で、定家と並び称せられる歌人
定家のお父さん、俊成に師事しているから
兄弟弟子とも言える

定家が激情型の性格であるのに比べ
家隆はおっとり型

後鳥羽院にとても気に入られたのは定家と同じだけど
定家が途中で、嫌われちゃったのに対して
家隆は最後まで、気に入られ続けた。

さらに、後鳥羽院が隠岐に流された後
定家が連絡を一切絶ったのに比べ
家隆は頻繁に文のやり取りをしている

気の良いおじさんって感じなんでしょうね

鑑賞
これ、背景を知らないと、勘違いしやすい歌

奈良にある小川だと思いますよね
違うんです。

京都の上賀茂神社

境内で、神域からの流れくる御手洗川(みたらしがわ)と御物忌川(ものいみがわ)が合流し、
楢(なら)の小川となって南方に下っていく

そこで、毎年、六月のみそか(最終日)に行われるのが「御禊(みそぎ)の儀」
六月祓(はらえ)とも言います。
今も続く行事で、今は5月とかにやるようです。

この歌は、屏風歌
藤原道家の女、竴子が後堀河天皇に嫁入りするときの、婚礼道具の屏風

季節ごとに36種類の絵が書いてあり
そこに和歌を書いた色紙が貼られる

六月に書いてあったうちのひとつが「御禊の儀」だったという事です。

あれ?
秋の気配を歌ったんじゃなかったの?
六月って

旧暦ってことです。
「御禊の儀」が行われるのは、新暦に換算すると、
8月の10日過ぎくらいでしょうか
立秋です。
昼はまだまだ暑いですが
夕暮れになると、多少風にヒンヤリ感が出始める
そんな微妙な、季節感を感じとり
目の前の「御禊の儀」を見て
ああ、やっぱり夏だったっけ
という歌

季節感
今年になって、花カレンダーを始め
二十四節気シリーズも始めてみると
季節感ということの本当の意味が分かってきました。

今まで、季節感と言えば、暑い、寒い、涼しい、暖かい
4種類だけ

365枚の自分で撮った植物の写真のためにどれだけ苦労しているか
自分で勝手に始めた事なんですけどね

そうすると季節って何なのかがやっと分かった

いつも通る同じ道でも
本当に、季節によって咲く花は入れ替わる
実がなり、葉が色づき、そして落ちる
去年までもそうだった筈なのに全く気づかなかった

初めて分かったのは、花って突然咲くということ
いつも通る道なのにいつも驚く
えっ
この花、ここに無かったよねえ

やって良かったと思う
豊かになったと思う
豊かな生き方って、お金とは全く関係無かったんだ

配置の妙
例によって、定家の配置の妙
最後から3つめに「季節の小さな移り変わり」の歌を置いた
百人一首には、季節の歌は数あれど「季節の小さな移り変わり」の歌と言えばもうひとつ
2.春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

持統天皇、最初から2番目

春から夏、で始まり、夏から秋、で終わる

もうひとつの配置の意味
家隆、面白い人です。
婚礼道具の屏風歌という大変名誉な歌を作るにあたり
ライバル定家に、批評を仰ぎに行っている

定家は、「名月記」という日記の中で

どれもぱっとしなかった
六月祓だけは、ましだったけど
と書いている

さあ、もうひとつの配置の意味

この場所、ちょっと意外です。
99首は、後鳥羽院
100首は、後鳥羽院の息子の順徳院
この2首は特別の意味があります。

紅白のトリから数えていく感じで
いつも自信満々の定家なら、その次に自分の歌を入れても良さそうなもの

どうもぱっとしない、とか口では言っておきながら
本当は、認めていたんじゃないか

自分にはできないあの生き方が
ひょっとして羨ましかったのかも知れない

後鳥羽院の隣という特別な席は
一切音信を絶った自分が座るべきではない

家隆さん
あなたこそがふさわしいよ

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イヌホオズキ

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