[名僧] 叡尊。厳しく戒律を守りつつ貧民救済

鎌倉時代の名僧です。

叡尊(えいぞん)
1201~1290 真言律宗

何とも愛嬌のあるお顔ですね

叡尊(えいぞん)は幼くして母を亡くしたため、出家
奈良興福寺の学僧の慶玄(けいげん)の子です。
ただ、母親が早く亡くなり、兄弟が多かったため、口減らしでしょうか
他家に出されます。

11歳のとき、醍醐寺(だいごじ)の叡賢(えいけん)に引き取られて、仏の道に。
仏教を色々学んでいくうちに一番心引かれたのが弘法大師空海

高野山で修行を重ね、奥義を極めます。

そんな中で、叡尊が最も重要視したことは戒律を守ること
元々弘法大師は厳しく戒律を守っていたし、その弟子もそうだったのに
長いときが経つにつれて、有名無実化していました。

当時の真言宗は、廃れていて、見る影もありません。

この状況になったのは、戒律を守っていないからだ。
戒律を守るところから始めよう。

東大寺で受戒を受けました。
受戒とは、10人ほどのお偉いお坊さんの前で、戒律を守ります、と誓い
一人前の僧として認めてもらうんです。

ただ、その10人を見て
こりゃダメだ。

その場では受戒を受けましたが
自分なりの受戒の制度を勝手に作り、自分がその1号に
「自誓授戒」と言って、
人間の前で誓う訳でなく、仏の前で誓う。
「おてんとう様が見てますよ」の感覚ですね。

当時、どれくらいの時代かというとこんな感じ

親鸞より50年ほどあとの位なので
巷では、一般市民の中で念仏信仰が熱病のように広まっている。

どちらかというと、南無阿弥陀仏さえ唱えれば、あとは何かを厳しく守る必要がないというもの

あまりにも広がっていくのは幕府としては怖くて仕方がない。
法然や親鸞に対する弾圧を繰り返す訳ですが
そんな中で注目したのが、叡尊の存在。

自分達の決めたことを庶民達に守ってほしい幕府としては
守るという方向に舵を切った、叡尊は有難い存在。

西大寺は、東の東大寺、西の西大寺と言われ
一時は興福寺とも並び称せられるほどの大伽藍(だいがらん)だったのですが
今は、荒廃しきっていました。
その再興を、叡尊に任せます。

ここまで見てくると、
自分に厳しい人だったのね
体制に気に入られたのね
まあ、良かったじゃない。
というくらいの印象

叡尊は、ここからが違っていた。

文殊菩薩
叡尊は、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)が大好き。

文殊というのは、姿を変えてその信仰者の前に現れます。
「貧窮」、「孤独」、「苦悩」
そういう人を見たならば文殊の化身なんだから供養しなきゃ、となる

ことごとく救済の手を差し伸べました。
助けてやるぜ、みたいな高飛車な感じじゃなく
文殊菩薩様の供養なんです。

布施屋(ふせや)という、療養所のようなものを多く建てて、
怪我人や病人に薬を与えたり、風呂に入れたりしました。

罪人や、非人や、ハンセン病患者や、極貧の人達

それは、単純な福祉ではなく、布教活動の一環です。
となると、叡尊の信条、戒律というものが強く出てきます。

一番主張したのは
生き物を殺さないこと

叡尊の信者が社会的に弱者を中心的に増えていきました。

平安時代までは、ほぼ貴族のみに広がっていた仏教

鎌倉時代になって、法然や親鸞の出現で
庶民に急激に広まった。
そう思っていました。

もちろん、それは間違いじゃないんだけど
「法然や親鸞」だけではなかったんですね
叡尊というもうひとつの広がり方があった

法然や親鸞は、方法を念仏だけというとても簡単なものにして
誰でもできますよ
念仏さえ唱えれば、死後、極楽浄土(ごくらくじょうど)に行けますよ
と言うことで心の救済を行った。

叡尊は全く違う。
あくまでも現世利益
死後、どうなるかなんて、それどころじゃない人がいっぱいいる
今日明日の事を解決することの方が大切なんじゃないか

でも、ものを与えるだけでは
受けとる事を待っているだけの人間になってしまう。
念仏だけじゃなく、仏教としてもっと必要なこと、を広めなきゃ

私が生まれ変わることができるなら、
極楽浄土というところに生まれたくはありません。
五濁悪世(ごじょくあくせ)に生まれたい。
五濁悪世には今苦しんでいる人がいっぱいいる。

いわゆる福祉活動には資金がいっぱいいる
叡尊にそんなものがあるわけはないので
地域の有力者に積極的に会い
自分の考え方を語って、協力者になってもらう。

幕府等の体制側に気に入られたと言うことも
その延長なのであって
自分の地位や私腹なんてものには全く興味がない。
体制に迎合しないってことは、格好いい事だけど
自分の優先順位と照して、現実的に物事を考える。

元寇(げんこう)
中国の元が日本を攻めますからねと予告
日本は上へ下への大騒ぎ
冷静に考えて、国の規模は段違いなので
コテンパンにやられるでしょう。

幕府は、こんな時こそ頼み時
いつも目をかけている訳だし。

祈祷で追い払っておくれ

よろしおす

いつもの弟子たち総出で石清水八幡宮に繰り出すこと300人
一斉に声を揃えての祈祷は大迫力

八幡神にも仏様にも通じたのでしょう。

奇蹟でしょうか、ちょうど大風がおこり、元軍はほうほうのていで逃げ出します。

やったぁ
叡尊はまさしく救世主だ

一躍時の人になり、超人気者に

でも、今まで通りで、名声におごる事は有りませんでした。
弟子の忍性に引き継がれて行きます。

ちょっとは、資金集めが楽になったかな

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