[天皇]33-2 推古天皇。聖徳太子の目線から

天皇シリーズの番外編

推古天皇の摂政
聖徳太子です。

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聖徳太子
幼い頃からとても評判が良い
すば抜けて頭が良かったんでしょう。

推古天皇の甥っ子。お兄さんの用明天皇の息子
推古天皇としても聡明な甥っ子を可愛がっていました。

とは言え、推古天皇は母
自分の息子、竹田皇子に対する愛情は海よりも深い
崇峻天皇が暗殺されるという非常事態のなか
推古天皇の世代が誰もいなくなり

竹田皇子や聖徳太子の世代に時期天皇の候補者が移る

蘇我馬子と聖徳太子は甥と大叔父の関係にもなるので
どう考えても、竹田皇子に勝ち目はない。

前回は、竹田皇子に譲りたいがため
推古天皇が一旦自ら天皇となり
竹田皇子を天皇の息子と位置付けて一歩有利にしようという話をしました。

では、聖徳太子の側からみて、どういう気持ちだったのか。

幼い頃から、竹田皇子と聖徳太子は同年代であったため何かと比較される。

いつも誉められるのは聖徳太子の方。

嫌いな相手なら、へへん、てなもんでしょうが
聖徳太子は竹田皇子ととても仲が良い
推古おばさんが、敏達天皇の皇后として何をしたかも十分知っている。

今は、推古おばさんこそが適任
その後、竹田皇子がどうなるかは分からないが
時間は作れるのではないか

言葉は交わさずとも、お互いに思いが通じて
推古天皇が実現したのではないか。

自分には、やりたいことがある
極めたい。
儒学であり、仏教。

それぞれ、超一流の先生に巡り会えた
人生にはタイミングというものがある
今は、学問の時

ところが
心配していたことが起こってしまった

病弱だった竹田皇子がなくなってしまう。

事情が変わったのだから

蘇我馬子からの要請が強まる。

私が決めることではありませんから

政治に興味がないわけではない。
単なる学者ではない

十七条の憲法
篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり

冠位十二階
大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智

儒学そのもの

仏教や儒学を国家の基本的思想の中に組み込んでいく。

聖徳太子はいなかったという説が一時期話題を呼んだが
聖徳太子なくしてこれらの政策が打ち出せたとは思えない

蘇我馬子の孫、蘇我入鹿を殺した乙巳の変(大化の改新)の首謀者天智天皇(中大兄皇子)の娘の
持統天皇が日本書紀を作ったので
蘇我馬子はことさらに悪者として描かれているが
その辺の意図的なものは意識しつつ読むべきだろう。

少なくとも、推古天皇とはかなり仲が良かったし
推古天皇、蘇我馬子、聖徳太子のトロイカ体制はうまくいっていた。

時に熱く語り合いながら、日本の将来を形作るための具体策を
誰がということではなく、三人で作り上げていったのだろう。

とは言えやはり馬子が、聖徳太子の天皇への就任圧力を強めていったとき
聖徳太子がひとつの答を出した。

斑鳩(いかるが)へのお引っ越し
物理的な距離を置くことで
今までのバランスを保とうとした。

おそらく、推古天皇の方が聖徳太子より先に亡くなっていれば
やはり聖徳太子は天皇への就任を受けたろう

聖徳太子は50歳まで生きたので短命という訳ではなかったが
推古天皇は75歳まで生きた。

譲位という前例がまだなかったので、そのまま行っちゃったんでしょうね。

気遣いの人生だったと思う。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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