[名僧] 隆光。なぜそんなにイメージが悪いのか

名僧シリーズですが、名僧と言って良いかは微妙

隆光
1649~1724年 新義真言宗

イメージ悪いですね。よくこんなふうに言われている
綱吉やそのお母さん桂昌院に取り入って、生類憐れみの令を提案
お世継ぎができないのを解決するためには生き物を大切にしなけりゃいけない
特に綱吉は戌年生まれだから、犬を大切にしましょうと

この根拠になっているのは、江戸時代中期の事情、俗説をまとめた「三王外記」に書いてあったから
ただ、時期的に合わないんです。

隆光の生い立ちは、慶安2(1649)年、大和国に生まれた。
大和唐招提寺で出家
もろもろあって、筑波山知足院の住職になった。
江戸に知足院の別院があり、そこに入った
徳川家の祈祷寺だったので将軍に会う機会ができ
信仰に厚く、勉強熱心な綱吉に気に入られた。

知足院の別院に入ったのは貞享3(1686)年で、それ以前に将軍との接点はない
一方の生類憐れみの令の始まりは貞享元(1684)年だから
隆光が提案したというのは違うんです。

じゃあなぜ隆光が悪者にされちゃったかというと
あまりに急激に出世したから
妬みでしょう

綱吉は四男だったので、舘林藩に養子に出される。
お兄さんの家綱にお世継ぎが出来なかったため、急遽将軍になるわけだけど
言わばよそ者
老中たちに牛耳られないよう、側用人という自分が舘林藩からつれてきたものに権限を与える
柳沢吉保です。
使える者を大抜擢しながら、強力に政治を押し進めていく

隆光のその中の一人という事です。
綱吉は儒学の講義をできるほど博識なので
それに付いていけるほどの見識が必要
隆光はお眼鏡にかなったということです。

そもそも、生類憐れみの令を「天下の悪法」だという方が違っていると思います
詳しいことはこちら

隆光は、数々の寺院を再興していきます。
その功績は大きいのですが
過ぎたるは、というのでしょうか
幕府の財政悪化を招いてしまいます。

隆光がイメージ悪いのはどちらかというとこっちの方かなとも思いますが

僧なんだから、仏教寺院の再興に頑張るというのは
良いことに決まっています。

そのために財政悪化と言われ、隆光のせいにされてもねえ

[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

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