[名僧] 月照。西郷どんと心中

名僧シリーズも残り少なくなりました。

月照
1813~1858年 法相宗

西郷隆盛を追っていくと、どうにも違和感があるのがこの事件

西郷どんが自殺
なんかイメージ違うなあ

しかも心中
えっ

さらに相手はお坊さんで、男性
はあ?

月照なるお坊さんはどんな人なんでしょう

月照忍岡(げっしょうにんこう)は
大阪の町医者の息子として生まれた

文政10(1835)年、叔父さんが清水寺成就院の住職を勤めていたので
良いなあ、僕も
と出家

天保6(1835)年、23歳にして叔父さんのあとを継ぎ、清水寺成就院の住職となる

ところが、その9年後、せっかくの住職の座を弟に譲ってしまいます。

こんなことしてる場合じゃない。

はい
日本を揺るがす大事件
ペリー来航があったからです。

これ以降、色んな志士が出てきますが
お坊さんの運命も変えてしまうんですね。

元々、尊皇攘夷派の主要な公家と交流があった
天璋院篤姫が養子に入ったあの近衛忠煕(このえただひろ)

近衛家は元々清水寺が祈祷寺で関係がある上
お互いの趣味、和歌を通じて個人的にも友好関係があった。

尊皇攘夷ということなので、朝廷に近い公家に武士がどう近づくかという事がポイント
公家と武士の中間に、僧侶が仲介役として役割を果たしていく。

月照はとても好奇心が旺盛。
短歌をはじめとして、色んなところに顔を出します。
最初は漠然と、近衛家を通じて、島津家の何人かと接していくなかで
仲介役の中心で月照が活躍するようになる

将軍の後継者問題として、紀州の家茂を推す派と、
一橋家の慶喜を推す派に分かれていきますが
月照は島津家に近いので、一橋派

結果として、紀州派が勝利するのだが
一橋派は巻き返しをはかるべく、月照を通じて、近衛忠煕に近づこうとします。

ひとつの成果として、戊午の密勅というのを天皇から出させることに成功します。
本来、幕府に下される筈の攘夷の命令が、素通りして水戸藩に出た。
この戊午の密勅に月照が大きく関わった。

戊午の密勅の存在を知り、怒り心頭の紀州派の井伊直弼
安政の大獄が始まります。

終われる身になった月照
大阪へ、下関へ、そして薩摩へと逃げていきます。

その道中、薩摩から護衛として派遣されたのが西郷だったのです。

そんな最中、西郷が尊敬する、一橋派の中心人物、島津斉彬(なりあきら)が亡くなってしまいます。
どうしていいか分からなくなる。

本来、西郷が護衛役ではありますが
そんな西郷を励ましたのは、やはり仏の道についていた、月照だったのでしょう
二人は次第に何でも話せる間柄になりました。

西郷が、もう生きていても意味がないと、あとを追おうとしたとき

あなたにはあなたにしかできない事がある
殿はそんなことを望んでいると思いますか

でもやっぱり、殿の元に行きたいのです。

あなたがそんなことをするなら、私だって生きてはおれません
お願いです。
私のために生きて欲しい。

思い止まり、一緒に薩摩へ

ところが、待っていたのは冷たい仕打ちでした。

斉彬亡きあと、取り仕切っていたのは、弟の久光。
斉彬べったりだった西郷の事を面白く思っていません。

そして、共にやって来たのが月照
かくまえば、自分の身も危なくなる。

日向送りを言い渡します。
日向送りとは、薩摩から日向の国へ行きなさいとのこと
日向には、安政の大獄を主導している幕臣が待ち構えていますので
即ち死を意味します。

見捨てたということです。

西郷には、一緒に死んでこいと言ったわけではありませんが
久光の態度を見ると、西郷を煙たく思っているのがよくわかります。

絶望した月照
今まで、薩摩を中心とした尊皇攘夷派のために十分働いてきた筈
その薩摩によもや見捨てられようとは。

自ら命を絶とうと考えます。

ちょっと待ってください。
あなたは、この前、私のために生きて欲しいと言った
そのあなたが死ぬというのなら
私はなんのために生きれば良いのですか

二人なら
安らかに死ねましょう。

水の中に身を投げます。
発見されたとき、二人は強く抱き合っていました。

西郷はかろうじて水を吐いて蘇生

月照はそのまま、かえらぬ人となったのです。

[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

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