青山で、勉強になります

週末です。
4連休のあとなので、またさっと来てくれましたね、って感じ

青山
山の手線内で、グーグルマップへのプロットを見ると、あまり行っていないのが青山地区
行ってみましょう。

善光寺
牛に引かれて善光寺参り、で有名な信州の善光寺の別院
この近くは野菜を背に積んだ馬の往来が多かったので
「青山は 馬に引かれる 善光寺」
と川柳に歌われた。

中には、高野長英の碑もあります。

人力車を発明した和泉要助さんの人力車発明記念碑があるはず
探しても探しても見つからない。
掃除をしているお兄さんに聞いたら、寺務所に聞いてくれとの事
事務所で聞くと
今、入れないんですよね。中庭の中なんです。

覗いてみると、とってもきれいな中庭

この中にあるのね。残念
ネットで検索すると、こういうものらしい

明治初期の経済は、人力車が支えましたからね。
えらいっ

ところで、「牛に引かれて善光寺参り」って聞く言葉ではありますが
善光寺が話題になったときに、必ずついてくるフレーズながら、それ以外に、聞いたことも使った事もない
一体どういう意味なんだろう
調べて見ました。

信濃の国にいる、欲深く信心のない老婆
洗濯物を干していると、牛が角に引っ掛けて持っていっちゃった
こらーっ、牛ーっ

追いかける老婆
逃げる牛
なかなか追い付きません。

気がつくと、善光寺まで来ちゃっていました。

ふと地面を見ると、牛のよだれがポタポタ
字のように見えました。

何々?

「うしとのみ、おもひはなちそ、この道に、なれをみちびく、おのが心を」
(牛だとだけ思って、間違えちゃダメですよ。仏の道に、あなたを導こうとする、私の心を分かって下さいね)

これはっ!

そのまま、善光寺で仏の道に励みました。

その後、訪れた観音堂
観音様の前に自分の洗濯物が。

あの牛は、観音様、あなただったのですね

この逸話から出た、ことわざ

おっと、そもそもこのフレーズがことわざだとは知りませんでした。
ことわざって事は、日常会話で使わねば。

思わぬ他人の誘いで、物事が良い方に向かった時に使いましょう、とある

誘われたけど気乗りしないなあ
でも、牛に引かれて善光寺参りとも言うし、行ってみるか
って感じで使うみたいです。

もし、相手にポカンという顔をされたら
信濃の国に老婆がいましてね
から説明しないといけないというデメリットはありますが。

高野長英終焉の地
つい前に高野長英 大観堂學塾跡に行きました。
高野長英は夢物語という本を出版して幕府批判をしたため捕まります。

江戸時代には、死刑の次に禁固刑はなく、次は遠島とかなので、刑務所ってありません。
今でいう留置所はあって、刑が確定する前の人が入れられている。
小伝馬町にありました。

江戸では頻繁に大火があります。
逃げないと焼け死にますので、未決囚達はどうなるかというと、逃がしてもらえます
条件があります。
火事がおさまったら、自ら帰ってきなさい。
帰ってきたら、ひとつずつ刑のランクを軽減してあげます。
帰ってこなければ、即死刑です。

ほぼ全員自ら戻るというのがすごいなと思いますが
例外が高野長英
そもそも、それを見越して、外部の誰かに何らかの方法で連絡し、放火させたのでは、と言われています。

戻らずに、逃亡生活。

私には、世の中のためにやるべきことがある

江戸やら越後やらで色んな人にかくまってもらいながら、
嗅ぎ付けられそうになるとまた逃亡の繰り返し。
その間にも膨大な量の本を執筆しているからすごいんですが。
そして最後、この場所でかくまってもらっていたんですが
とうとう見つかっちゃって、自決します。
さっきの善光寺に高野長英の碑があったのは、終焉の地に近いからです。

青山
青山ってすごい町ですね
ずううっと、お洒落でかっこいい
歩いているのは若い女性ばっかりで
みんな、
こりゃ素晴らしい。ありがとうございます。おじさん嬉しゅうございます。
って格好をしている。

ビルの前にでっかい玉

このビルも全面こんな感じ

カバンとか置いてあるけど何屋さんなんだろう
プ ラ ダ
なんか聞いたことある

世の中って広いですね。色んな人種がいて勉強になります。
巣鴨でこんなのあったら
二度とばあちゃんたちは、足を運んでくれなくなります。

中村草田男の句碑
港区立青南小学校の敷地内です。
今、小学校って防犯上の理由から、関係者以外は入れなくなっています。
おそらく無理なんだろうなあ。
一応行ってみるか

やっぱり外から覗いても良く分からない。
うろうろして、
あきらめて帰ろうか

あっ、入口のところに守衛さん
こんにちはーっ

あのう。中村草・・

はい、どうぞ

えっ、入って良いんですか?

どうぞ。あそこに見えているのが、句碑です

降る雪や 明治は遠く なりにけり

昭和6年(1931年)大学生だった草田男が
大雪の日にかつて学んだ母校の青南小学校を訪問した
降りしきる雪の中に居ると、時と場所の意識がすっ飛んだ
今はいつ?ここはどこ?
という句

草田男もおそらく、守衛さんに開けてもらったんでしょうね。
草田男ともども、お礼を申し上げます。

ありがとうございます。

斎藤茂吉歌碑

元、青山脳病院の場所
斎藤茂吉の養父が青山脳病院を作り、斎藤茂吉も跡を継いで院長をしつつ文学活動

あかあかと一本の道通りたり霊剋(たまきわ)るわが命なりけり

お父さんが病院経営で苦労している姿を描いたのが
次男、北杜夫の「楡家の人びと」

後で、斎藤茂吉の墓も行きますよ

根津美術館
根津嘉一郎は東武鉄道や富国生命の創始者
美術コレクターとしても有名です。





うわあ、高そう

すみません。おいくらでしょうか

1100円です。

あっ
すみません。また今度にします。

続きは明日ね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

青山で、勉強になります」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 彼岸ですから、青山で墓マイラー | でーこんのあちこちコラム

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