[平将門]8。新皇万歳ーっ

[平将門]1 父の死。頼んだぞ。
[平将門]2 桔梗どのにございましょう。
[平将門]3 合戦が始まる
[平将門]4 京の都で裁判。その結果は
[平将門]5 桔梗、無事でいてくれ
[平将門]6 めでたしめでたし、になるはずが。
[平将門]7 俺はそんな事がしたかったのか
の続きです。

破れかぶれ
明確には意図していなかったが、結果として、朝廷に対して反旗を翻した。
常陸(ひたち)の国(今の茨城県)をのっとってしまった。

家臣たちは狂喜乱舞
平将門は恐怖と不安にまともに向き合えず、酒をあおる毎日。
制圧軍がやって来るのは時間の問題。

12月に入り、興世王始め側近たちが、将門の前に進み出た。

このままでは、問罪の軍を神妙に待っているようなものにございます。

だから何だと言うんだ。

ひとつ方法がございます。
いや、その方法しかござらん。
一国の罪も八州の罪も同じ
力を持つのです。

何が言いたい。

権力を拡大するのです。
関東八州を掌官して、善政をしき、庶民を味方につけるのです。
中央から十万の兵が来ようとも、恐れぬだけの強大な力を持てば
公卿たちも妥協するに違いありません。

叛軍
12月11日
豊田の館を出発し、下野の国府へと出立
相手が変わった。一族間の戦いではなくなった。
今や公然と叛軍の旗をあげたのだ。

下野の国府へ軍勢が着くと、一戦を交えることもなく、
勅司藤原公雅、大中臣定行などが
門を出て、地に伏し、将門を出迎えた。

12月15日、大軍はすでに上野へ向かっていた
ここでもほとんど抵抗はなかった。
介ノ藤原尚範は、国庁の印を、使いを以て、将門の陣へ送り
自分はそそくさと妻と子を連れて、都へ逃げ帰った。

不思議。
将門が何の乱暴をせずとも、国庁の印が捧げられる。
かつて逃げ惑っていた領民たちも、歓迎してくれる。

国司たちで、都へ帰りたいと言うものには、
兵をつけて、家族を守らせ、国境まで見送った。

武蔵や相模の国などは、将門が向かうと同時に、
到着前に、都に逃げ帰り、既に空き家

何の苦労もなく、関東八州を年内に掌握し尽くした。

大宝八幡の大祭典
年が明けた
天慶3(940)年、将門38歳の正月。

大宝八幡で、正月の祝いを兼ねた祝勝の大饗宴が行われた。

舞い踊り、酒を浴びた。

誰が始めたか、森の巫女が担ぎ出される
一斉に、雅楽が鳴り響き
そのあと、
シィーーッ

静寂の中で、森の巫女に神が降りた。

われこそは、八幡大菩薩の御使にて候うぞや。
朕が位を、蔭子将門に授く。
左大臣正二位菅原朝臣の霊魂に托して表せん。
それ、八幡大菩薩は、八万の軍をもって、新皇将門を、助成あらん

不思議な言い様
八幡大菩薩の使いであり、菅原道真である。
将門に「新皇」の位を与えると。

みんなが一斉に叫ぶ

ばんざーい。新皇万歳ーっ!

将門の座を、高御座に擬し、天皇の拝をまねて、叙位除目の奏請
余興であり、悪ふざけではあったが、
日本史上、後にも先にも唯一の「新皇」が誕生した。

日本という国は、世界中で特殊な国だと言える。
ずっと「天皇」がいて
どんなに実質的に国を支配しても、天皇に取って変わろうとはしなかった。

藤原道長、平清盛、源頼朝、足利尊氏、徳川家康
その気になれば、我こそは天皇なり、と宣言できた。
でも、しようとしなかった。

道鏡は唯一、天皇に取って変わろうとしたと言えるが
成功はしなかった。

世界のどの国を見ても、こんなことはあり得ない。
取って変わる事こそが歴史だと言える。

そんな中で、関東のみという限定地域でありながら
「皇」の字を自ら付けた、たった一人の人物である

もし、最初から取って変わりたいと考えていたなら
可能だったと思う。
統治システムを考え、税を徴収し、国庁も自分で作り
国境も自分で引く

でも、何もしなかった。
既にある国司のシステムに、戦功のあるものを当てただけ
全て朝廷の決めた事そのまま

興味がなかったんだと思う。
そもそも、やりたかったわけではなく
一国も八国も問われる罪は一緒という、切羽詰まった動機

ともかく始まった。
経緯はどうあれ
長期に及べば、それなりにプランも出来ていったのでしょうが。

次回、最終回で崩壊します。

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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