[首相]14-3 加藤高明という生き方。

[首相]14 加藤高明。三菱はおぬしにのっとられてやろう
[首相]14-2 加藤高明。なぜこんなに生きるのが下手なのか
の続きです。

桂内閣
西園寺内閣が倒れたあと、また桂太郎が首相に返り咲いた。
外相への要請があり、すぐに承諾
会談で意気投合しましたので。

ただ、それまでずっと鋭く批判し続けていたのにどういうことだと批判を浴びた。

桂が新党を立ち上げる構想を発表した。
加藤も入党を誘われる。
拒み続けたが、結局は折れる
ところが肝心の桂が病気になってしまった。
立憲同志会という新党。正式な結党大会も行われないまま
総裁には加藤をとの遺言を残して他界。

ずっと政党とは距離を置いてきたのに
入党したと思ったら、党首にまでなってしまった。

なってしまった以上、大衆にもアピールしないといけない
苦手の演説も練習したし、
冗談も言ってみた。

川で船に乗ったとき、対岸の岩を指して
いくつぐらいの岩があるだろうろうね

さあ

54個だよ。ロック54

はあ

大正3年、大隈重信が首相として再登場
加藤に副首相格で入閣の要請

以前の加藤なら断っただろうが
立憲同志会が連立与党になれるということで承諾

政党のことを考えるようになっていた。

第一次世界大戦が勃発
加藤外相は、中国に21ヶ条の要求
これは後々まで問題を残し、決して誉められるものではなかった。

幻の首相
大隈重信が辞任の意向を固めた。
後継に加藤高明を指名

ところが、山県有朋が強固に反対した。

渋々引っ込めた大隈だったが
突然、暴挙に出た

天皇に直接申し出た。

大正天皇になって何年も経っていなかったので
天皇としても判断できず
結局は幻の首相となった。

でも、大隈には考えがあった。
加藤の立憲同志会と中正会、公友倶楽部が合併して、新党結成
それを後押しすることが目的だった。

新しく生まれた憲政会、衆議院だけでも過半数を占める197人という大所帯になった
総裁は加藤

野党でありながら、過半数というのは
与党政友会としては何が何でも潰さないといけない相手となる

徹底的な加藤批判、憲政会攻撃が始まった。
叩きのめした上で、与党の常套手段。解散

元々演説のうまくない加藤
81人落として、119議席
政友会は158議席で第一党

このあと、憲政会は長い長い冬の時代を迎える

自己矛盾
色々あったが、今まで大きな傾向としては上り調子だった
生きるのが下手な加藤ではあったが、
抜きん出た能力があり、環境にも恵まれていた。
一旦失敗すると、誰かが引き上げてくれた。

ところが、下り坂になると、どうにも歯車が狂う。
野党では、大衆的であることが条件
どうにも保守的になってしまう自己矛盾

政策にしても、大きな日本を目指そうとして来た
日英同盟だったり、21ヶ条要求だったり。
違うと分かった。
日本はもっと筋肉質になるべきだ。

ひとつのテーマが持ち上がった
普通選挙

選挙権の大幅な拡大

平民宰相と持ち上げられた原敬首相
ところが普通選挙には反対した。

野党としては、攻めどころ
ただ、どうにも気持ちが乗らない
体に染み込んでいる保守性

自分でも嫌になる自己矛盾

自分に向き合う
自分はどうあるべきなのか
日本はどうあるべきなのか

そして、取り組むべき最重要課題を「普通選挙」と定める。

それでも、一気には改善しない
原敬首相が暗殺され、高橋是清内閣
加藤ははや63歳になっている

毎回次の首相として名前が上がるには上がるが素通り
加藤友三郎内閣
第二次山本権兵衛内閣
清浦奎吾内閣

苦節10年
一旦、関東大震災でそれどころではなくなったが
世の中が、護憲運動で盛り上がりを見せてきた。

元老寄りの超然内閣が続いた事への反発が盛り上った。

憲政会と政友会と革新倶楽部が連立を組んだ
政友会はその前に、分裂し、政友本党として一部が別れている

加藤高明に内閣組閣の勅命が下る

憲政会153議席、政友会105議席、革新倶楽部30議席で絶対多数。

でも悲しいかな、寄り合い所帯
何かにつけて、ぶつかりあう

それでも、粘り強く立ち回った。
そこに別の危惧が加わる。
加藤の衰弱。

だましだまし、公約の実現へ進む
大幅な財政削減

政友会、革新倶楽部が、そこまでしなくとも、とブレーキをかけてきた。
ここは以前の加藤持ち前の剛腕で押しきる

もっと大きな課題が待っていたから

普通選挙

普通選挙は議員達の身分に直接関わる

次第に反加藤一色になっていく。
世論は圧倒的に普通選挙待望

でも、加藤としては、内なる保守性と決別した証としての普通選挙
自分との戦いだった。
そんな「自分」の足を病気が引っ張る

どうしました。しばらく横になってください。

いや、大丈夫だ

普通選挙法の文言を玉虫色に作り替えて、何とか通過させた。
330万人だった有権者が一気に1400万人に増える
女性の参政権はこの時点では実現していないが大きな一歩

その後、治安維持法もあり、連立解消が決定的になった
政友会が革新倶楽部と、さらに中正倶楽部とも合併した。
さらに、分裂したはずの政友本党とも近づき、一気に加藤降ろしを始めた。

決断した
総辞職して、憲政会のみで内閣を作り行けるところまで行く。
本来なら、解散だろうが、選挙を戦う体力が残っていない。

世論やマスコミは、政友会の方を強く非難した。
ずっと人気のない政治家だった加藤が最後の最後に人気ものになった。
反比例して、過半数を割っている憲政会の内閣
何をしようにも全く通らない。

三菱で同僚だった山本達雄が自宅にやって来た。
今は政友本党の最高顧問をやっている。

昔話に花を咲かせたあと

君に借りを返しておかねばならん
よく仕事を手伝ってもらった

そんな事もあったなあ

政友本党は憲政会と提携しようと思う

えっ。それを言うために来てくれたのか

君とは政敵のままでおさらばしたくないんだ

枢密院改革、自作農の大幅減税、義務教育の国庫負担増を通した。

議会で加藤の声がかすれる

聞こえんぞ!
ヤジで騒然となる

咳き込む

さすがに議長が見かね
午後は帰宅して静養してください。

それが議場で見る加藤の最後の姿となった。

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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