[富岡日記]6 二日目からダウン

和田英の富岡日記、やっぱり有名なのか
[富岡日記]2 神様お願い
[富岡日記]3 盆踊りが思わぬ方向に。
[富岡日記]4 やはり七粒も八粒もお付けになりましたか
[富岡日記]5 郵便とやらで手紙を出したら
の続きです。

ここからは、富岡製糸場ではないので、正確に言うと「富岡後記」にはなるんですが。

六工社
官営の富岡製糸場での経験を元に
民間での製糸場の立ち上げ

いよいよ始まります。

初日、工場を見て回ってから仕事を開始

覚悟していた事とはいえ、あまりにも富岡製糸場とは違う。
銅・鉄・真鍮は木となり、ガラスは針金と変り、煉瓦は土間、
それはそれは夢に夢を見るように感じました

それでも、蒸気で動く機械
これを日本人の手で作ったのかと思うと
どれだけ苦労したんだろうかと

やはり残念なのは材料の繭の品質
こんなにも違うのかというくらい、富岡の時とは違う。
繭に重みがなくて、その糸の口の細きこと、
指にべたべた付きまして実にとり悪きことは
富岡で一度も手がけたことがない

二日目
二日目の昼頃から急に寒気がしてきた。
顔が真っ青になり、みんなが心配
すぐに帰った方が良いと言われたけれど
二日目なのに家に帰る様子を人に見られたら
なんて言われるか分からないと
座敷で休ませてもらった。

すると、全く立てなくなり
体は火が付いたように熱い。

そのまま、家に帰る事も出来ずに
色んな人が看病してくれ
4~5日経って、ようやく少し良くなった時点で家に帰った。

せっかくの開業式にも出れずじまい

40日が過ぎ、少しだけ良くなった。

仕事はしなくて良いから戻ってきてくれないかと矢のような催促

みんなはじめての職場なのに、まとめ役の適任がいないため不満だらけ
何せ、英は工女の中で4人だけの二等工女であり、その中でも筆頭

なんとかフラフラながら、歩いては傍らの石に腰かけて休みながら
ようやく製糸場についた。

待ってましたとばかり、色んな人が不満を言いに来る

経営者は、厳選して家柄の良い娘ばかりを採用した。
女性の多い場所であるので、評判が怖い。
あの製糸場に行っていた女性なら間違いない、と良縁な恵まれる
女性たちの一番重要なことはそれ

うまく評判がたてば、人はどんどん集まるけど
逆なら、全く人が集まらなくなる。

でも何不自由なく育った者ばかりなので、少し気に入らないことがあるとすぐに不満になる

英だってたった18歳なんだけど、
英の言うことは不思議とみんな素直に聞いた

出社すると面白いもので、元気が出てくる
仕事をしたくなるので、全体の調整役は和田初さんに任せて
自分は糸結びや糸とりをと思うんだけど許してくれない。

あなたは、全体に目配りしてくれた方が
うまく行くのでお願い。

出来上がった商品を見て品質を見極め、等級を付けていく仕事がある
英がこうかなと言うと誰一人異を唱えない
すぐその等級になっちゃう。

ちょっとちょっと、意見言ってよ

しーん

そうなってくると責任重大
少しでも間違えた目利きをするわけにいかなくなる

心がけたのが名札を見ないこと
誰が作ったものかの名札がついているんだけど
それを見ちゃうと色眼鏡がかかっちゃう
あの人なら悪いものであるはずないわ。

でもやっぱり日々材料も状態も異なるので、バラツキが出来る

なんとか体ももってやっていけたのは、
ひとつには、可愛い新人さんたちの存在。

12~14歳の幼い女の子たちは、英の事が大好き
朝一番に満面の笑顔で挨拶に来る

英さん、おはようございまーす。

何事にも楽しんで取り組んで、無邪気で元気いっぱい

そんな彼女たちを見ていると、元気をもらえる

もうひとつは、家の家族たち
9日にいっぺん、休日があるんだけど
大急ぎで家に帰る

母の笑顔、弟等の待って居りましたと言わぬばかりの顔、
さては妹等の喜びます顔。
それで私も着汚しの衣類等を一包にして引っかかえ、飛鳥の如くかけ出します

弟共や妹共が、私の留守中の学校の成績より、
魚取りとんぼ釣りの手柄話まで、めいめいの口から語られます、
その嬉しさ楽しさは中々筆にも尽されませぬ。

まだ続きます。
続きはシリーズの次回ね

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

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