6代家宣、たった3年

綱吉の前に、嫡流が途絶え、仕方なく、兄弟へと後継が移ったわけですが
その綱吉にもお世継ぎができなかった。
仕方なく、また兄弟へ、と行きたかったのですが
その兄弟も、今となっては、もうみんな死んじゃってます。
仕方ないのでその子供、甥っ子ですね
順番が回ってきたのが、家宣です

その時すでに、48歳でした。

真っ先に
真っ先に行ったのが、綱吉政治の一掃。
生類憐れみの令の廃止。
側近、柳沢吉保をしりぞけ、新井白石を登用。

これだけで、後に、正徳の治、と讃えられます。
うーむ、どうなんでしょうね。

たった3年
将軍になったのが48歳ということは、
人生50年の時代であれば仕方ないんでしょうが
3年後に風邪ひいたら死んじゃいました。

勉強家
十五代将軍の中でも一二を争う勉強家だったそうです。
新井白石を起用した時点で、勉強するぞって意欲満々な訳ですが
毎日、19年にも渡って絶対に欠かさず教えてもらったらしい。
それだけネタを持っている新井白石も、ものすごいですけどね

すごいなと思うのがその態度。
普通なら、ほれ教えなさい、ってなもんですが
教えてもらうときは、完全に弟子になりきってへり下る。

冬は火鉢を自分では当たらず、先生どうぞお使いください。
夏は暑くても正装である裃(かみしも)をつけ、扇で仰ぐこともしない
蚊も追わなったといいます。

惜しいなあ
こういう人にこそ長くやって貰いたかったですね

6代家宣、たった3年」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: [徳川名参謀]6 家宣→新井白石。空気を読まない、学者一徹 | でーこんのあちこちコラム

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です