[家重]11 もう一度生まれても

家重シリーズ最終回になります。
[家重]1 まいまいつぶろと呼ばれた将軍
[家重]2 家重様の目と耳になってはならぬ
[家重]3 どんな駒でも、前に進むことができる
[家重]4 お庭をともに歩きとうございます
[家重]5 二人だけの合図
[家重]6 まことでございます
[家重]7 もし口が聞けぬのなら
[家重]8 家重様にお伝えせずにいて、よいはずがございませぬ
[家重]9 将軍に
[家重]10 上様の耳や目ともなるがいい

宝暦10年(1760)春、
城で家重の五十賀の宴があった。在府諸侯の総登城、長々と祝いの言上があり、常と同じように忠光がずっとそばに控えていた。

いつかこのときが来ることは幾年も前から覚悟をしてきた。
己が先に旅立つことだけを望んできたが、どうやらそれは叶わない。
忠光がいなければ将軍など務められるはずはない。

昨年の秋の終わりがた、庭に初霜が降りた朝に忠光は家重のすぐそばで昏倒した。

五十賀がこの三月にあるのは半年も前から決まっていた。ならばそのときを己の最後とする。

不思議なものだ。己の心はいつからかずっと静まっている。人と話ができぬという苦は忠光が取り除いてくれた。忠光と存分に話すことができ、己に不足などあるはずがない。

もう私には思い残すことはない。分かるな

今が最後になると存じます。畏れながら、それがしも一つ、宜しゅうございますか

忠光。最後などと言ってくれるな

どうぞもうご退隠なさってくださいませ

それはもはや忠光が旅立つということなのだ。家重でさえ予感があるのに、当の忠光が思わぬはずがない。

それがしがおらぬ後、上様がお一人で苦労なさると思うと堪りませぬ。どうか、それがしの願いをお聞き届けくださいませ

忠光は手をついた。最後まで忠光は、己が我を通すのだという言い方をする

そなたがいてくれたゆえ、私は人が思うほど難儀をしておったわけではない

家重は意次を呼ばせた。
そして忠光の伝える最後の言葉を言った。

四月一日をもって家治に将軍職を譲る。
皆に申し伝えよ

意次が即座に手をついた。

家重は立ち上がった。
もう最後だ、誰にも遠慮は要らない。

大手門を開け
忠光が下城するゆえ、私が大手橋まで送ろう

江戸城の正面からなど、出入りしたことのない忠光
別れの時、家重にできることはこれくらいのものだ

中ノ門も三ノ門もすでに開かれていた。
すべて用意が調い、何一つ手間取ることもなく警固の者たちが控えている。

濠を渡ると大手門が正面に聳えていた

さらばだ、忠光

人に言葉が聞かれぬというのはなかなかに具合が好い。

まいまいつぶろじゃと指をさされ、口がきけずに幸いであった。
そのおかげで、私はそなたと会うことができた

心の底からそう思った。

もう一度生まれても、私はこの身体でよい。
忠光に会えるのならば

家重は忠光の背を軽く押した。

忠光は頭を下げたまま、踵を返した。
両手で顔を覆い、足早に大手橋の向こうへ消えた。

九代家重は四月一日に将軍退隠を宣下し、
同じ月の二十六日に忠光はみまかった
そして明くる年の六月、家重も旅立った

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

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