[名字]4 門跡や院政で

[名字]1 氏姓制度と賜姓
[名字]2 冠位と律令制度
[名字]3 源平藤橘の始まり
の続きです

門跡(もんぜき)
三条源氏が成立してから以降の約半世紀の間、
皇族の臣籍降下が、突然とまった。
天皇家の財政情況が好転したわけではなかった。
摂関政治が最高潮に達していた時期だったから、天皇家の財政情況はむしろ悪化していた。

臣籍降下とは別の方法が編み出された。
皇族を大寺院の門跡(もんぜき)に任じて送り出してしまうという手だった。

皇族が門跡として送り込まれたのは、
円融院・青蓮院・実相院・円満院・仁和寺・妙法院などだった。

この方式は、送り出した天皇家にとっても、
送り出された皇族にとっても都合がよかった。
臣籍降下させるだけだったら、
少なくとも一、二代の間だけでも天皇家は旧皇族を朝廷での官職に任じて、一定の収入があるようにしなければならない
しかし皇族を門跡として送り込んだ寺院には、
それなりに寺領などがあるから旧皇族が困窮する心配はない。
また皇族を門跡として寺院に送り込むということは、
皇族を僧侶にするということである。

僧侶になれば肉食妻帯はしないはずだから子孫が生まれるはずもない。
その皇族一代限りということになる。

院政
後三条天皇が即位した頃から、白河・鳥羽・後白河と、
摂関政治にかわって院政が開始された。
院(もと天皇)たちは、みな財政窮乏の事態の原因を見抜いていた。
荘園整理令を強行する。

色々理由をつけて不備が見つかった荘園を収公して、
また公領に戻した。
藤原摂関家領の荘園が最大のターゲット

また院たちは、荘園を公領に戻そうとしただけではなかった。
院自身が、荘園領主になろうとした。

かくして、臣籍降下による財政改善の必要がなくなり
財政改善の意味での臣籍降下は全く行われなくなる
これ以降の臣籍降下は、また褒賞的意味合いになる

[名字]シリーズはこちら(少し下げてね)

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