伊勢神宮で考えたこと
[伊勢神宮]2 内宮解説
[伊勢神宮]3 内宮解説2
[伊勢神宮]4 おはらい横丁とおかげ横丁
[伊勢神宮]5 式年遷宮
の続きです
私幣禁断(しへいきんだん)
伊勢神宮は、天照大御神に対する天皇の祈りを「祭典」という形で行なうところですので、一般の参拝者が神前にお供え物をすることができませんでした。
私幣禁断(しへいきんだん)と言います
参拝すること自体は大丈夫だったんですけどね
ただ、権威だけでは経済的に苦しくなってくる
平安時代も末期になってくると苦境に陥ります
神宮の禰宜(ねぎ)という神職は当時宮川の西、祓川を渡ってはならないという決まりがあった
それならばと、その次の位の権禰宜(ごんねぎ)という人たちが立ち上がった。
任せてちょーだい
御師(おし)と呼ばれるのですが、全国に散らばって、布教活動を開始した。
「伊勢に来てください。直接伊勢神宮内での祈祷は出来ませんが、私の家にお泊まり頂いて、祈祷をして差し上げます。祈祷の証拠の御札も差し上げますので、全く同じご利益がられますよ」

とても評判が良かったので、御師もどんどん積極的になっていきます。
伊勢神宮でお祓いをした御札をどんどん配っちゃおう

ありがたや、ありがたや
御札を持ってきてくれる御師を心待ちにするようになります。
ああ、私も伊勢神宮に行きたい
でも、そんなお金もないしなあ
どうでしょう。村のみなさんで積み立てて、代表の方に来ていただくというのは。
ご利益は、代表の方に差しあげますので、村全体がご利益で溢れますよ。もちろん、御札は人数分お持ち帰りいただきます。
伊勢講という組織が出来上がっていきます。
さらに、御師は良いこと思いついた。
お客様である農家の人たちにもっと喜ばれること。
農業のノウハウ提供をすれば生産性が上がって、裕福になる。
そうなると、こっちもどんどん儲かる
当時、最も切実な農業の困りごとは、いつ田植えをして、いつ刈り取ってという時期を知ること。
暦(こよみ)です。
太陰太陽暦だったので、1年立つと、太陽の一周と、月の一周✕12
はズレれてしまう
仕方ないので、閏月といって、1年が13ヶ月になったりもする
今年は何月何日に田植えをしたら良いかさっぱり分からない。
実は昔から、太陽暦も併用している。
太陽の一周365日を24で割った二十四節気がそれ
大寒だとか、啓蟄だとか言うやつです。
農業は二十四節気に基づいて行われます。
月の満ち欠けを元にした何月何日はどこからが二十四節気の何なのかという換算表が必要なんです。
その換算表こそが暦(こよみ)
来年は、どういう1年にするかを決めるのは朝廷
その直轄の伊勢神宮にはすぐ情報が来るので、それを元に暦を作り、さらに農業ハンドブック的な要素や六曜と言われる大安仏滅といった占い的要素を組み込む。
「伊勢暦(いせごよみ)」の出来上がり

この伊勢暦を御札とともに配るのですが、超大ヒット。
一度このありがたみを味わうと、伊勢暦がない農業は考えられない。
御師は全国の農家にとって神様のような存在になります。
御師もより良いノウハウを伊勢暦に載せたいので、農家から情報収集するし、品種改良した野菜の種なんかをもらって、他の地域に差し上げたりする。
農家の生産性の全国的底上げは御師がなし遂げたといっても過言ではない。
最初は代表者だけの伊勢参りだったけど、村民いっぱいでツアーを組んでお伊勢参りもできたりする
その時の御師は添乗員
御師も大金持ちになりますので、
でっかい屋敷に招き入れて大サービス
神楽を舞うのを見せたり
絹の布団で寝てもらったり

そんな土産話が地元で持ち切りになるので
お伊勢参りへのあこがれはすごいものになります
全国を行脚した和歌の大家つ、西行の歌
何事の おわしますをば 知らねども
かたじけなさに なみだこぼるる
江戸時代に流行った伊勢音頭
伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい
せめて一生に 一度でも