13代家定、ガチョウ追っかけてる場合じゃないよ

徳川将軍シリーズもいよいよラスト3

家定といえば何と言っても大河ドラマの篤姫です。
実は大河ドラマってほとんど見たことがなかったんです。

カミさんはまずまず歴史好きなので
新しい大河ドラマが始まる度に、ガイド本みたいなのを買ってきてた。
どれどれって見ようとすると
どうせ、歴史なんて分からないくせに、
私のお金で買ってきたんだから、読まないでくれる?

テレビ見ながら、
この人はどういう人?

もうっ 質問しないで
あっち行って。

はーい。

篤姫
篤姫は、違った。
宮崎あおいちゃん、良かったなあ。
たまたま一回目見て、次も見て
あれっ、面白いんじゃない?

毎週全部みたのは、篤姫が最初。
幕末って面白いなあ。

いくつか本も読んで。

そうこうしているうちに、次の次に龍馬伝が始まった。
これはもう、かじりついて最初から最後まで見ました。

最初から最後まで見たのは、後にも先にもこの2つだけです。

この頃、私の歴史への興味は、完全に幕末オンリーでした。

家定
堺正人さんでしたね。
ガチョウ追いかけてました。
堺正人さんは、あれよあれよという間に国民的大俳優になっちゃいましたね。
半沢直樹が大きかったですね。

では、篤姫の前から参りましょう。

3人目
最初の正室は、有君(任子)(ありぎみただこ)
家定18歳、有君19歳。

有君は綺麗な人で鼓の名手でもあった。
でも、残念ながら、有君26歳の時に病死。

今度は翌年、秀子を正室に。
24歳でありながら、子供ほどの身長しかなかったらしい。

家定は、秀子を気に入っていたが、
翌年、秀子も亡くなってしまう。

家定のショックは大きく、
もう嫌だということになったが
それが許される状況ではなかった。

実は、11代家斉の正室は色々あって薩摩の島津家からもらっている。
その前例から、島津家にまたお願い、ということになって
篤姫に白羽の矢が立った。

1852年、篤姫との婚約が成立。
そして、運命の1853年を迎えることとなる。

ペリー来航
すぐ後に、家慶病死。
家定、将軍に就任。
これらが1853年。

翌1854年に、ペリー再来航。
1855年 安正の大地震。
1856年 篤姫が正式に正室となる
1858年 井伊直弼(いいなおすけ)大老になる
同年   家定、病死。

家定の将軍の期間は5年の短期ということになる。
篤姫との結婚生活は1年と7ヵ月

うつけ
家定というと、うつけということになっています。
脳性麻痺であったろうと。

ガチョウを追いかけたり、豆をひたすら炒ったり。

ただ、いやそうじゃないという人も根強く存在する。
ハリスの証言でも、両面書かれている。

ドラマでは、わざとうつけのふりをしているという設定でした。
そうしないと毒殺されると。

でも、うつけのふりをすると殺されないかというと、どうなんでしょう。
死んだ日がどうにもひっかかります。

料理が好きで、自分で作って食べていました。
カステラも作っていたというからかなりのもんです。

将軍継嗣問題
家定と言えば、将軍継嗣問題
次の将軍に紀州の家茂を推す南紀派と、一橋の慶喜を推す一橋派に真っ二つ。
今までも次期将軍でもめたことは何度も有るけど、一番激しい対立。

でも、おかしいと思いません?
家定は病気持ちのうつけとはいえ、まだ30代。
篤姫も嫁にきて、さあこれから。

将軍に就任そうそう、次の将軍でおおもめにもめるって
失礼過ぎませんか。

そもそもが、篤姫は一橋派の急先鋒薩摩藩から、極秘の指命をうけ
次期将軍は慶喜にと家定に言ってもらうよう説得せよと。

篤姫も何でハイって言うんでしょう。
私がお世継ぎを産んでみせます、と言えば良いのに。

ペリーが来てるわけで、
ここは一致団結してほしかった。

時期が悪すぎた
こんなに難局でなければ、今までも、将軍は政治にほとんど口出ししていない訳だし
多少のうつけであっても、ここまで失礼な扱いは受けなかったんじゃないだろうか。

1,2,3,5,8代以外はほぼ任せっきりでうまくやってきた。
でも、人事権だけは、みんな自分の意思でキッチリ行使してきたと思う。

じゃあ、家定は?
家定もちゃんとやったよ。

井伊直弼を大老にすえ
諸大名を招集して家茂を将軍継嗣にするという意向を伝えた。

南紀派に軍配をあげた。

慶喜は無茶苦茶頭良かったんだけど、
みんなに嫌われすぎましたね。

その後、井伊直弼が、家定の意向として、一橋派の処分を大々的に発表。
それを皮切りに、例の安政の大獄が始まっていく訳です。

なんとその発表の翌日に、
家定は、息を引き取ることになります。

うつけ作戦、結局どうだったんでしょうね。

13代家定、ガチョウ追っかけてる場合じゃないよ」への1件のフィードバック

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