シドッチ。鎖国を知りつつやって来た日本オタク

江戸検定で間違っちゃった問題。
二度と間違えないように、シリーズにして、記事にしておこうと思います。

【86】 18世紀初頭、キリスト教布教のため日本に密入国したイタリア人宣教師シドッ
チは、捕らえられて江戸に送られました。では、江戸でシドッチを審問し、
その記録として『西洋紀聞」を著わした人物は誰でしょう?

い)新井白石(あらいはくせき)
ろ)桂川甫周(かつらがわほしゅう)
は)志筑忠雄(しづきただお)
に)林子平(はやししへい)

このあと、読み進めていくと答はすぐ分かりますが
一応、答は一番最後でね。

シドッチ
宝永五年(1708)8月、イタリア人宣教師ジョバンニ・バプチスタ・シドッチが鎖国を知りつつ、
日本へやってくるという事件があった。

国禁を犯した者として、長崎で死刑にされるところだったが、家宣はそれをやめさせている。

なぜ、家宣はシドッチに寛大な処置をしたのだろうか。

シドッチはこの年41歳だけど、彼がイタリア北西部のジェノヴァを出発したのは、元禄16年(1703)のこと
屋久島に到着するまで、なんと六年もかかっています。

宣教師なので、日本にキリスト教を布教すべしという指令を受けての事

まずは、マニラに行った。
イタリアよりは日本の情報がある程度あったので、日本の事を勉強。
おそらく、この人の努力は尋常ではないので
自分も日本の事を調べていく過程で、どっぷり日本ファンになっちゃったんだと思う。

マニラでみんなに言われたのが、
悪いこと言わないからやめとき
日本は鎖国しているから
ましてや、キリスト教は禁じられているので
入国しただけで即刻打ち首。

そんなこと言われても、もう日本オタクになっちゃってます。

考えた作戦が
日本人になっちゃおう作戦。

日本語も勉強し、姿形も日本人になりきって入国すれば
誰も気づかないだろう。

彼は頭の月代を剃り、着物を着て、腰には刀を差すという侍の格好で屋久島に上陸しました。

最初に人に出会った。
さあ、ここが正念場。

〇+×÷≦∞

こいつ何言っとるんだ?

訳分からん奴がいると役人に通報された。

せっかく日本語勉強したのにね
見事に全く通じなかったらしい。

シドッチは捕らえられ、長崎に送られたが、報告を受けた幕府は事態を重視した。

取調べの結果、シドッチはローマ教皇クレメンス十一世の命によって、布教のために来日したことがわかった。

今までの例だと、即刻死刑。

でも何だか笑えるくらい熱心。
どうしようか。

そこで、新井白石登場。
将軍家宣に3つの案を提案。

1案 本国送還 これは難しく見えるが、一番易しい。
2案 囚人として幽閉 これは簡単なようで実は難しい。
3案 処刑 これは簡単なようで実際、簡単。

将軍家宣は新井白石に、
あなたはどうしたいですか

新井白石の性格は分かっています。

当然、一番難しい2案ですね。

シドッチは江戸に送られ、切支丹屋敷に入れられた。
場所はここ
切支丹屋敷は以前、不法入国して布教活動したイタリアの宣教師
ジュゼッペ・キアラ、ペトロ・マルクエズら10人を収容するために作られたけど
長い間、使われていなかった。

分かっているね。
布教は絶対ダメだからね。

その条件で、拷問を受けないことはもちろん、
囚人としての扱いを受けることもなく、
二十両五人扶持という破格の待遇で軟禁されていた。

尋問したのは新井白石が直接。
合計、4回行ったんだけど
新井白石もさすがです。

4回目には通訳を通さなくても、イタリア語で会話。

シドッチの情熱に最大限の敬意を払い、外国の事情やら技術やらを教えてもらう。
それをまとめたのが『西洋紀聞』なんです。

屋敷でシドッチの監視役で世話係を任されたのは長助・はるという老夫婦。
彼らはキリシタンの親を持ち、親が処刑されたため、子供のころから切支丹屋敷で生涯をすごしていた。

宣教師は処刑のきっかけを作った憎き敵。
でも、なぜ親は処刑されると知りつつ、キリスト教を信じたのか
一体、キリスト教なるものは何なのか
目の前にいるシドッチさん
お世話をして、少しずつ人柄が分かってくるにつれ
どうしても悪人とは思えない。
本当に親は間違った事をしたんだろうか

シドッチさん、キリスト教とはどのようなものなんでしょう。

ごめんなさい、新井さんとの固い約束がございます。
キリスト教について口に出すことは出来ないのです。

・・・

ある日、2人が木の十字架をつけていることを役人により発見された。
シドッティと2人はともに屋敷内の地下牢に移され、戻ってくることはなかった。

2014年に切支丹屋敷跡地を発掘したところ3体の人骨が発掘された。
国立科学博物館などの調査により、1体はシドッチ、残りの1人は日本人、もう1人は不明
まあ、老夫婦なんでしょうね。
国立科学博物館では発掘された遺骨をもとにシドッティの頭部の復元像を制作し、
2016年11月8日に公開されました。

これがシドッチの顔です。

◆◆◆答◆◆◆
い)新井白石(あらいはくせき)

私は、林子平と回答しちゃいました。
直前に読んでいたテキストで、林子平が書いた日本の記述がうんぬんかんぬんというのがあって
やたらに林子平の名前が頭に残っていましたので。

娘に言うと
お父さん、これ間違えているようではダメ
日本史の受験では定番の問題
そもそも、問題文に「審問」とあるんだから
「審問」できる権限を持っているのは新井白石だけでしょう
日本史の受験をするつもりで、基礎をやった方が良いよ

うーむ
娘の言うことは常に間違いありません。
娘がおすすめの日本史の受験用テキストからやっていこうと思います。

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