もろともに あはれと思へ 山桜
花よりほかに 知る人もなし
山桜よ、私とともにおたがいを懐かしく思いあってくれ。
お前以外に気持ちをわかってくれる人はいないんだ。
行尊
行尊(ぎょうそん)は
修験道の聖地·大峰山で苦行した孤高の高僧
三条天皇の皇子·小一条院敦明親王(こいちじょういんあつあきらしんのう)
その息子が源基平(みなもとのもとひら)
そしてその息子が行尊。
つまり彼は、三条天皇のひ孫ということ。
父と十歳で死に別れ、十二歳で近江の園城寺に入り、出家する。
十七歳まで寺で修行。
その後修験道(しゅげんどう)を志して諸国を回った。
修験道とは、山中で荒行につぐ荒行を重ね、
体得した呪力によって、加持祈禱(かじきとう)を行なうというもの
仏教伝来以前からある、山岳信仰と、密教、陰陽道が合わさり
最高難度にハードな宗教として形作られた
行尊は、修験道の聖地とされる大峰山で苦行を重ねた。
今でも、大峰山は女人禁制。
後に、白河、鳥羽、崇徳三帝の護持僧(ごじそう=加持祈禱を行う僧)となる
さらに、比叡山延暦寺の座主、大僧正となっている。
鑑賞
行尊が大峰山の苦行の途中に山中にひっそりと咲く、山桜と出会う。
詞書きに「おもひもかけず」とあるので
花をめでるどころではない、研ぎ澄まされた精神状態で
おそらくそれまでも咲いていたであろう桜が
視界に、そして意識の中にズドーンと現れたのだろう。
お前は、ずっとそこで見ていたのか
お前には、家族はいるのか
友はいるのか
愛する人はいるのか
そうか
ならば、私と同じだ。
全てを捨てて、ここにやってきた。
でもやはりこびりついている私の中の全てを
さらに捨てようとしている
お前はどうなんだろう
そこで見ていてくれまいか
何かを与えてくれる必要はない
お前はお前でそこで咲いていればいい
見ていてくれれば良い
花よりほかに、知る人もなし。
≪…もろともに あはれと思え 山桜 花よりほかに 知る人もなし…≫から、
【 もろともに あはれと思え ヒフミヨに △□ 知る人もなし 】
≪…山桜よ、私とともにおたがいを懐かしく思いあってくれ。
お前以外に気持ちをわかってくれる人はいないんだ。…≫を、
『 私(△□)がヒフミヨをあわれと思うように、私(△□)をあわれと思ってくれよヒフミヨ。このような人の世には、ヒフミヨの他に私(△□(点線面))のことを知る人はいないのですから。 』
≪…「おもひもかけず」…≫数の言葉ヒフミヨ(1234)の自然数を普遍語にしてくれている風景を3冊の絵本で・・・
コメントありがとうございます。
もとは行尊ですね