[首相]42-2 福田赳夫。大福戦争

[首相]42 福田赳夫。昭和の黄門様
の続きです

福田赳夫

総理就任から2年後、
それなりに順調に諸課題を解決し、自信をつけていた

総裁戦に出馬

おいおい、次は私でしょ

三木おろしのあと、福田赳夫総理を認めたものの
次は大平と密約を得ていた大平正芳
総裁選に出馬表明で全面激突

大福戦争と呼ばれる戦いが始まります

大平正芳のバックにはあの田中角栄がついている

この時の総裁選では予備選挙なるものがあった
そういうとそういうのありましたね
結局今まで3回しか行われませんでしたが
党員党友だけで、本選の国会議員は含まれない選挙

党員党友名簿を持ち出した田中派
個別訪問、電話攻勢

福田派でも対抗すべしとの声にも
大丈夫大丈夫
と余裕の構え

予備選告示のとき
「予備選で鮮やかな結果が出たら従うべき」と発言
いらんこと言いました

予備選の結果は
大平正芳748点
福田赳夫638点

鮮やかな結果

本選を行えば結果は分かりませんでしたが
言っちゃいましたので、本選を辞退
潔い退陣となりました

40日抗争
潔い退陣なんで、そのまま政界の第一線から退くかと思われましたが、そうじゃなかった
激突がさらに続きます

退陣後「清和会」を発足させる
自分が総理の時は派閥解消でしたが
大平正芳は派閥容認なので作らざるを得なかった
出ましたね「清和会」
清和会対宏池会

1年半後、
大平正芳は解散総選挙に打ってでる
でも、前議席を上回る事が出来なかった

意味なかったね
大平さん責任とるべきじゃない

いやいや大敗って訳でもないし続投します

党内の意見がまとまらない

両院議員総会が行われるはずの党ホールがバリケード封鎖される
大平に近い浜田幸一が単身乗り込んでこれを撤去
「もう聞かねえぞ、こうなったら!いいか断っとくけどな、
かわいい子供達の時代のために自民党があるっちゅう事を忘れるな!
お前らの為にだけ自民党があるんじゃないぞ!」

主流派のみが出席する両院議員総会で大平を首相候補と決定

反主流派は「自民党をよくする会」の決定として福田赳夫を首相候補に指名

前代未聞
なんと同じ自民党から首班指名の候補が二人立つ
自民党真っ二つ

40日もかかってようやく首班指名
僅か17票の僅差で大平正芳第二次内閣が発足

そして、1年後
ハプニング解散
あの衝撃の総理殉職へと繋がっていくのです

そのあたりの経緯はまた、シリーズ次回、大平正芳で書いていくことにいたしましょう

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

[足利将軍]11 義澄。二人の将軍

[足利将軍]10 義稙。明応の政変
の続きです

義澄(よしずみ)

明応の政変で細川政元がクーデター
10代将軍義稙(よしたね)を逮捕監禁
清晃(せいこう)という僧侶を還俗(げんぞく)させ義澄(よしずみ)として将軍としてたてる

義稙は毒を盛られるが一命をとりとめる
小豆島に送られるだろうとの噂がある中、
隙をみて、脱走した

死んでたまるか

越中(現在の富山県)まで逃げ延びる
北陸の大名たちは
義澄?誰よそれ
わしらの将軍は義稙様
と、義稙に忠誠を誓う

細川政元は大慌て
急いで兵を整え、越中に進軍
ところが敗北してしまいます

「二人の将軍」の始まり
教科書では10代義稙、11代義澄と習いますが、そんな簡単なものじゃない

京都の人たちは恐れおののく
義稙軍が明日にも京都に攻め込んで来るのではないか

でも義稙軍の動きは鈍かった
京都まで進軍するほどの結束には至らない
そこまでは勘弁
次第に膠着状態

隣の越前(えちぜん)の大名朝倉氏に身を寄せる
ただ、朝倉氏もかくまうのはかくまうが、京都進軍までは勘弁

一方の京都の義澄
勝手に将軍に立てられた訳だが、困ったことが起きる
強力な後ろ楯のひとり、日野富子が病死した
細川政元も義稙と和睦を試みるなど足元が定まらない

そうなると各大名たちも義澄のもとに一致団結とはならず
距離を取りつつ様子見
各大名たちは地元の領地経営の方に集中していく
だから、戦国大名化が進んだとも言えます

そんな中、近畿で異変
もともと義稙派だった畠山政長の嫡男畠山尚順(ひさのぶ)が兵をあげた
たちまち畿内の南半分を制圧

おっと、これはチャンス
朝倉さん、今こそ一緒に京都に進軍しません?

坂本(現在の滋賀県大津市)にまで迫る
京都は北と南から挟み撃ち
時間の問題

ところがここで思いがけないことが起きる
近江の大名、六角高頼が挙兵
昔義稙に滅亡寸前まで討たれた時の恨み
近江を通るんならわしが許さん。復讐だ

あれよあれよと義稙軍壊滅
撤退ーーっ
それを知った畠山尚順も撤退

命拾いの義澄

義稙は逃げに逃げ、周防(すおう)現在の山口県まで落ち延びて行った
畠山尚順も大人しくなる

義稙の影に悩まされ続けた義澄にようやく心の平和が訪れる
よっしゃこれからだ

ところが皮肉なものです
敵が明確だったときは一枚岩だった細川政元との間がギクシャクしだす

こういうときは距離を取った方が良いと細川政元が思ったのか
「隠居します」と宣言し地元にこもっちゃった
ここは義澄が出向いてなだめ、隠居解消

ところが今度は義澄が「隠居します」
意味分からん

そんなこんなを繰り返しながらも、なんとかやっていた

ところがまたまた大事件
その肝心の細川政元が暗殺されてしまった
もともと細川政元は変わり者
細川家の家督相続問題でゴタゴタし、内輪もめ

参った義澄

これをチャンスととらえた人物
分かりますね、義稙
しぶといわ。何度復活するのでしょう

周防の超大物、大内義興とともに京都に進軍

まずいっ
義澄は、新たに細川家を率いることになった細川高国に支援を要請
ところが細川高国あろうことか、義稙に味方する
万事休す

義澄は将軍職を放棄し逃げ出す

義稙は、京都に入り、天皇からも征夷大将軍の称号を与えてもらい
正式に将軍として復活です

義澄の人生って何だったんでしょう
僧侶として静かに平和に暮らしていたのに、勝手に将軍にさせられて
ビクビクしながら時を過ごし
せっかく平和が訪れたかに見えたのに

一般的には、10代義稙、11代義澄、12代義晴となっています
めんどくさいのでそういうことにしていますが、正確には違います
10代義稙、11代義澄、12代義稙

さあ、復活将軍の第二次政権はいかに

続きはシリーズの次回ね

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[ことば日本史] 知らぬ顔の半兵衛

ことば日本史、戦国時代から

知らぬ顔の半兵衛
織田信長は、美濃国の領主、斎藤龍興(さいとうたつおき)を攻めるにあたって、
美濃国の有力者である竹中半兵衛の助力を得たいと考えていた。

信長から勘当されていた前田利家は、
よしこれはチャンスかも
半兵衛の娘、千代と恋仲になり
お父さんの半兵衛を抱きこもうとはかる。

だが半兵衛は、一枚上手だった
心をゆるしたふりをして、
信長側に味方してほしいという利家の申し入れを聞きながら、
逆に織田信長の情勢を聞き出して、
その情報を龍興に伝えた。

この故事にちなんで、
人から助けを求められた者が人情をかえりみず動かないことを
「知らぬ顔の半兵衛」と言うようになった。

もっとも、これは事実ではなく、
寛政元年(1789)年に大坂で初演された人形浄瑠璃
『木下蔭狭間合戦』(このしたかげはざまがっせん)で創作された話。

実はもうひとつの説
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が竹中半兵衛勢を含む全軍を伴って出陣
ところが旗色が悪くなった

全軍撤退ーっ

でも、竹中半兵衛は聞こえないフリ
今日耳日曜

こらあっ半兵衛
命令じゃあ、何しちょる

でも残った竹中半兵衛勢が大活躍の逆転勝利

秀吉
おおっ、よくやったよくやった

申し訳ございません

はあ?撤退?
わしそんな事ゆうたっけ

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

[首相]42 福田赳夫。昭和の黄門様

角三福大鈴中(かくさんぷくだいれいちゅう)のぷくです

福田赳夫(ふくだたけお)

群馬県、現在の高崎市の名家に生まれる
小さい頃からすば抜けて頭が良かったが、あまり偉ぶるところがなく
自然と周りに人が集まった

東京帝国大学に進み
トップの成績で大蔵省の試験に合格
エリート街道を突き進む
3年間イギリスにも赴任
重要な仕事を数々こなしていく

東京大空襲の時、焼夷弾により、2mあまり吹き飛ばされる
背中に火がつき、「カチカチ山のようだった」と回顧している

戦後も大蔵省で順調だったが
昭和電工事件が起きる
芦田均総理も含め、多くの政治家官僚が逮捕される大事件
福田赳夫も逮捕される

その後、無罪の判決が出るまで実に10年もの歳月を費やした

岸信介と会食をしたことがきっかけで、政界を目指し初当選

保守合同で、自由民主党ができると
岸の引き立てもあり、政調会長、副幹事長
第2次岸内閣では、当選4回にして幹事長と
とんとん拍子で出世
いよいよ、農林大臣に抜擢

閑散期と繁忙期があったようで
50年代、60年代、70年代、いずれも前半は閑散期
後半は「出ずっぱり」状態

大蔵省で実績を積んできただけに、経済には絶対の自信
高橋是清の「山高ければ谷深し」論を信奉しており
急激な経済成長は必ず反動が来るので、緩やかな成長の方が良いという考え方
池田勇人や田中角栄のようなイケイケ派とはうまが会わず冷飯を食わされる事もしばしば

常に「次期総理」と言われながらも、何度もチャンスを潰している

佐藤栄作退陣後は、首相確実と言われた
いわゆる「三角大福」三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫が候補者
福田赳夫が大本命と言われながらも
田中角栄にあれよあれよというまに差を詰められ逆転を許す
とはいえ、わずか6票差の2位
田中角栄も過半数に達しなかったので、上位二人の決選投票
どうなるか分からなかったが、知らない間に三木大平が田中に付いて三派連合が出来上がり
蓋を開けてみれば大敗だった

田中退陣後は今度こそ、だったが
挙党体制のため椎名裁定で、三木武夫

ロッキード事件で、自民党はガタガタ
三木武夫も頑張ったが、総選挙で大敗

いよいよ、出番が回って来る
エリートと言われ続けていたのに、ようやく総理の座につけた時は71歳だった

その時、自民党はボロボロで、政権が危ういほどの状態だった

総理として
それまではロッキード事件と三木おろしもあり
諸課題が滞っていた
「成田13年、日中6年、大陸棚5年」
次々と手がけ、1年半で、ほぼ解決させていく
田中角栄が国交を回復させてた日中関係も、その後停滞していたのだが
鄧小平との強い信頼関係を築き、日中平和友好条約を実現させた

経済の福田の本領発揮で経済も上向き、7%の経済成長を実現した

ロッキード事件で、国民の信頼を失った自民党の改革では、派閥解消
自らの派閥を率先して解消
その他の派閥も従わざるを得なかった

本人はその実績に、「昭和の黄門」と胸を張る
長期政権へ動くかと思われた

ただそもそも、福田が総理になったとき、総裁戦が行われた訳ではない
生涯のライバル大平正芳と、「次は大平」との密約が交わされての総理就任
2年の総裁任期が迫ってくると、大平正芳が退陣を迫ってくる

2年とは言っとらん

ここから、大福戦争が激化する

この続きはシリーズの次回ね

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)