家康9 本能寺の変のあと、天下を取りに行くか、それとも

家康のシリーズ
家康8、逃げろっ。人生最大の危機。
の続きです。

復讐
何とか三河まで逃げ帰り、急いで体勢を整える。

天下を取るとしたら、今が絶好のチャンス

亡き信長殿の無念を晴らす
との旗頭の元、京都へ上り
光秀を討てば良い。
早い者勝ち。

復讐に参るぞ

兵を率いて、京へ

ところが、ちょっと変。
天下取りの大戦にしては、たったの2000
足取りも、ぐずぐずゆっくり。

ここが家康という男の面白いところ。

本当は行きたくない。
でも兵をあげないと、世間的にも家臣からも
何か言われそうだし。

家康の読みはこう。
おそらく次は柴田勝家
ただ、織田勢の跡目争いは、そうすんなり決着しないだろう。
ぐだぐだしながら潰し合って、総倒れ
そのあと、ゆっくり出ていけば良い。

秀吉
一日歩いただけ
尾張の鳴海に着いたとき、羽柴秀吉から飛脚が届いた。

羽柴、はて?
一体何の用事

十三日、山城の山崎において、逆賊の明智光秀を討滅し終えた。

はい?
それはない。
ちょっと前に自分は京都にいたから事情は知っている。
秀吉は毛利攻めで中国にいる筈
信長に援軍を依頼し、先鋒隊として光秀を送り
その光秀がなぜか本能寺へ
その流れなんだから、あり得ない。

あまりに信じられないので
確認のため、酒井忠次を急ぎ遣わす。

戻って来た答は
本当にございます。

してやられた、間に合わなかったか

本来ならそう思うところでしょうが
良かった助かった。
自分が一番だったらどうしようかと思った。

それにしても、羽柴
実は逢ったことがなく
信長からもほとんど情報を聞いたことがなかった。
何だか分からないけど、まあどうせぐちゃぐちゃになるんだろうから
最初が誰だろうが大した問題ではなかろう。
さあ、帰ろ

二国
天下取りなんてことより、気になって仕方ない事があった。

織田徳川連合軍で、甲斐の武田を討ち
自分は駿河をもらい、甲州と信州は信長の直轄地。

信長が死んだということは
持ち主のいない大きな国がすぐ近くに二つも転がっている

捨ててあるんだから拾っても良いんだろうが
慎重な家康のこと
誰からも文句の出ない方法はないものか

出た答は
そうか、各地の地侍達が、自ら申し出るように仕向ければ良いんだ。

この役目を担ったのが、岡部正綱
「いずれ、徳川殿が甲州一円に馬を入れられる」と言って回る

面白くて仕方ない
矢弾を使わず国が取れる。

ただひたすらに人に会い、酒を汲み交わし
相手を誉めながら、家康の良いところを並べ立てれば良い

あまりに酒を飲みすぎて体を壊し
後に血管が切れて死んじゃうんですが。

一人厄介な人物がいた。
河尻与四郎と言う男
織田勢の中では財務に強い事務方なんだけど
信長は何を思ったか、この男を自分の代理として直轄地を管理させた。
信長の威を借り、やりたい放題の、圧政を強いた。
すこぶる評判が悪い。

信長が死んだあとも、一度吸った旨い汁
何とか守らんとやっきになっている。

本多百助という家臣を遣わした。

何をしに参られた。

はあっ
相談役として参りました。

危険を感じた河尻は、何と百助を殺してしまう。

このニュースが甲州一円を駆け巡った。

元々、地侍達全てに嫌われていた河尻

我こそは河尻を射たんと先を争う。
徳川家への新参の功とせん。

百助には可哀想な結果になったが
大きなきっかけとなり
雪崩を打つように、徳川領にまとまっていく。

秀吉
家康が大忙しで、三河、遠江、駿河の三国を五国に増やしていっている最中
一年数ヵ月なんだけど
世の中は、夢のような様変わりをしていた。

秀吉は上方を中心とした、二十四カ国の主になった。

あれ、おかしい
思っていた事と違う。

そして、決定的な事が起きる。
次はこの人だろうと思っていた大番頭、柴田勝家が
賤ヶ岳(しずがたけ)で秀吉に破れたのだ。

決まり

全く予想していなかったが
こうなってしまうと、態度を決めないといけない。

徳川の家臣たちの間では意見が割れた。
と言っても、一人とそれ以外なんだけど。

一人とは、石川数正
明確には言わないが、秀吉の傘下に入らざるを得ないと思っている。

それ以外は、
あんな猿どもは蹴散らしてしまおう。

家康としては、「その日」のために五国を固めた。
秀吉に対抗するには、ひとつだけ方法を持っている。
ただ、あまりに秀吉の動きが早すぎた。
まだ機は熟していない。
どうしたものか。

家臣達が呼ばれた。

まず、酒井忠次が意見を求められた。

秀吉を蹴散らすための作戦をとうとうと語る。

石川、お前はどう思う
さすがに、この場で秀吉の家来になりましょう、とは言い難い。

しばらくのご猶予を
考える時間を乞うた

その時間も、酒井忠次は喋り続けている。

数正が口を開いた。

よき思案もございませぬが
賤ヶ岳の大勝について、
祝賀の使いだけでも送っておかれればいかがでござろう
あとはあとのことでござる。

そうかっ
家康ですら、この最も家康的な引き延ばし作戦という方法を考えていなかった。
白か、はたまた、黒か
その間に、自分の一番性にあう答えがあろうとは、思っても見なかった。

一気に家康の顔が明るくなった

石川、上方に上ってくれるか

続きは、シリーズの次回ね

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梅 くれはしだれ

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[大奥]3 家光→春日局

大奥シリーズ
3代将軍家光となると、当然この人、春日局です。
大奥というシステムを作った人でもあります。

春日局
お福(のちの春日局)は、斎藤利光(としみつ)の娘
斎藤利光は明智光秀の甥で重臣、丹波黒井城の城主
即ち、城持ちの殿の娘ということになります。

ところが、光秀が謀反を起こした後、処刑されます。
一転、謀反人の娘に。

母のいとこにあたる稲葉重道の養女となり
重道の娘婿の稲葉正成の後妻に入ります。
稲葉正成の奥さんが死んじゃったからなんですね

4人の男の子をもうけますが
何があったのか離婚。

さあ、このあと、どうしたもんか

そんな時、聞き付けたのが

乳母募集

応募して採用

さあ、気に入らないのがお江(ごう)
伯父の信長を死に追いやった謀反人の娘がよりにもよって

当時の風習として、世継ぎが生まれると、
母親から引き離し、乳母に預けて英才教育。

自分の息子を自分で育てられない訳です。
その反動で、お江は次に生まれた忠長を溺愛します。

ここから、
家光ー春日局ラインと、忠長ーお江ラインのバトルが始まります。

まだ、長男を世継ぎにするというのがはっきり決まっていなかった。
実力本意で行くならば、忠長の方に分がある。
家光は挨拶すらろくにできない。吃音障害があったんです
大人になってからも、癇癪持ちで良く切れる。

だんだん城内の空気も、忠長へと流れていきます。

肝心の2代将軍秀忠が態度をはっきりしないまま、ずるずる

まずいっ

将軍
春日局が取った手段が、駿府にいる家康への直談判。
大したもんです。
度胸です。
普通、一番えらい人に直接話に行くなんて、
思い付いても、膝が震えて出来るもんじゃありません。

長男とちゃんと決めないと、末代に至るまで、兄弟間での争いが絶えなくなりますよね

ごもっとも。

負けちゃった、お江
劣勢を挽回すべく、縁談をまとめてきます。

正室
家光に正室。
摂家の鷹司信房の娘孝子、お公家さんです。

どうだっ、春日局も歯が立つまい。

ところがこの二人、お互いに大嫌い。

三代以降、全て京都のお公家さんから正室をもらい
ただの一人も正室がお世継ぎを産めなかったという残念な結果
それでも、この二人ほど仲が悪いのも珍しい。

早々に、孝子さん、本丸を出て別居しちゃいます。
吹上御所内に中丸御殿というのが作られてそこに住む
「中丸様」と呼ばれます。

家光、ずっと女のバトルを見ているもので、女性はコリゴリと思ったのか
男色趣味に走ります。
お相手は、堀田政盛
愛し合う二人。

大奥に御台所(正室)がいない
さらに、ライバルお江が亡くなります。
もう春日局の独壇場

朝廷へ
おそらく、江戸時代を通じて、実質的に政治に関わった最高は春日局でしょう。
将軍がトップたるべく
「公家衆法度」「禁中並公家諸法度」を定め、
本来、朝廷から賜った征夷大将軍のはずなのに
朝廷は、将軍にお伺いを立てなければ重大なことは何も決めてはいけませんと。

御台所がいながら、大奥総取締役に就任。

次に、いよいよ、将軍の名代として上洛しちゃいます。
将軍の代理ということは、実質ナンバー2ですよという宣言に他なりません。
本来、老中でしょうがお構い無し。

将軍に拝謁するのは昔から一定の位が必要です。
そういう理由で拒否されます。
そうすると、あなた方に拒否する権限なんてないんですよ、とばかり
親戚を辿っていって、その位をクリアする人を見つけ
無理矢理その人の養子になっちゃいます。

これで文句ないですね

朝廷は苦虫を噛み締めつつ、従三位にします。
従三位って北条政子と一緒です。

そして、足利三代将軍義満の乳母を春日局といった先例にならい、
お福に、春日局の称号を与えて謁見を許した
そう、本当はここから春日局なんです。

頭に来た後水尾天皇は、やってられないと譲位してしまいます。

世継ぎ
残りの重大問題はお世継ぎ。
このままじゃ、お世継ぎが産まれず、徳川家のピンチ

家光に女性に目覚めてもらうべく、奮闘します。

祖心尼(そしんに)という春日局の親戚で補佐役の有能なおばあちゃんがいるんですが
その孫娘、お振(ふり)に男装させて、家光に近づけます。

徐々に慣らそう作戦

この奇妙な作戦が効を奏し、お振りは懐妊
女の子を産みます。

よしっ
期待は膨らみます。

でも残念ながら、お振りは病気がちで3年後に亡くなってしまいます。

あっ、あの人

初めて、女性として一目ぼれしたのが、お万の方
尼さんでした。

尼さんかぁ

でももう春日局もなりふり構っていられません。
無理矢理、半ば監禁状態で、還俗させ
髪が伸びるのを待って、寝床へ

さあ、方針は決まった。
お万の方に似て、健康な女性を探し出せ。

お蘭
お玉
お夏
お里佐

これだけ揃えれば大丈夫なんじゃないか

あとの事はくれぐれも頼む、と言い残し
春日局は病により亡くなります。

作戦成功。続々と成果(?)をあげます。

お蘭は4代将軍、家綱
お玉は5代将軍、綱吉
お夏は綱重(6代将軍家宣のお父さん)
お里佐は鶴松(早世)

春日局がいなければ、徳川260年は違った形になっていたでしょうね

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オトメツバキ

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[赤穂浪士]なぜ即日切腹だったのか

赤穂浪士シリーズ
[赤穂浪士]なぜ吉良家は威張っていたのか
に続く、第二弾になります。

刃傷事件
浅野内匠頭は、吉良上野介から数々の嫌がらせを受けて、腹に据えかねて刃傷沙汰
当時の将軍綱吉は、怒り心頭。
即日切腹を言い渡す。

ちょっとおかしいんじゃないの
喧嘩両成敗のはず

と、そういうことになってますね

史実を元にしているとはいえ、基本、忠臣蔵というお芝居ですから
当然、勧善懲悪をはっきりした方が良い。

でも、良く良く見ていくと
浅野内匠頭も、いくらなんでもそれは無いでしょ、ってことをやっています。

高家肝煎り
一つは前回言いましたね
[赤穂浪士]なぜ吉良家は威張っていたのか
上野介は上野介で一生懸命やっていた。
性格は良くないかもしれませんが、
性格が良くない奴はみんな殺せ、とはならないでしょう。

場所
場所が決定的にまずい。
江戸城の中でも、松の廊下の場所って、白書院という、将軍に謁見する場所の横の廊下
最も位の高い人たちが謁見する場所。

将軍に謁見する人達が控える控え室というのは江戸城内で、いくつかあるんだけど
殿席と言って、どの控え室を使えるかで
大名の位の順番が決まっていく。
みんなこれを一番気にしている。

一番位が高いのが御三家の控える控え室
それは、丁度刃傷沙汰のあった場所の横
こりゃあかん

江戸城内に限らず、公の場は全て
「鯉口三寸抜いたなら、御家は断絶、その身は切腹」なのに
なんでまたそこで。


輪をかけて、刃傷沙汰を起こした時が悪すぎる。
朝廷からの勅使を接待するためのプロジェクトチームな訳だから
接待に関わるとき

その中でいつかなんだけど
一番最終日
今日お帰りになるというその日
全てが台無しになっちゃったわけです。

とても嫌な奴だったも知れないけど、一緒の仕事ももう終わりなんです。
そこでもうちょっとだけ我慢出来ないってどうにも不思議。

そもそも、朝廷からの勅使ってそんなに大事なの?って思いますよね
江戸時代って将軍がやりたい放題

でも、ひとつだけ将軍にはどうにもならないものがあるんです。
官位です。

綱吉って極端なマザコン。

もと八百屋の娘だった、桂昌院(お母さん)が一番欲しかったもの
女性初の、従一位という官位
それは、朝廷から賜るしか方法がない。

勅使への接待に対してどうしても失敗する訳にはいかなかった。
高家肝煎りは良いとして、それ以外のメンバーも無難な選択をしようとした。
一回経験した者なら大丈夫だろう。
高家肝煎り以外は大名が順々に、というルールを曲げて、経験者を選んだ。
浅野内匠頭です。
その浅野が?

どうしても許せなかったと思います。

革命
でも、今まで言ったことは言わば小さな事。
もっと根本的な事があります。

革命の実現のために、即日切腹は必要だった。

徳川は武士
江戸時代は、武士が支配している時代です。
綱吉はそれを変えようとした。

180度の転換。
革命だと言って良い。

武士とは、人を殺すことで評価され、出世できる職業です。
もちろん、家康もそうだった。

天下統一がなって、平和がやって来ると様子が変わってくる。
四代将軍、家綱の時代になると
いわゆる武断政治から、文治政治へと変わっていった。
天守閣が焼け落ちても、再建しないと判断した。

そして、総締めくくり。

どうしてもこれだけは言えない、ということを
綱吉が文にして明確化した

「人を殺してはいけません」

武士が自己否定をした。
国会議員が議員定数を削減するより難しい。

そのあとに続く
「動物もね」
がクローズアップされ過ぎて、変な風になりましたが。

このお陰で、260年も太平の世の中が続くわけです。

その宣言をしたあとに
最悪の時と場所で、殺人未遂

あかんと言いましたよね
聞いてなかったんですか

物語としての忠臣蔵
松の廊下の刃傷事件は、全面的に浅野内匠頭が悪いと思います。
でも、私は忠臣蔵は好きだし、楽しんで良いと思っています。

分かった上で楽しめば良いんじゃないかと。

そして、みんなそんな事は百も承知なんじゃないかと。

討ち入り後、すぐにお芝居になったんだけどほとんど流行らなかった。
流行ったのは、47年も経ったあとの「仮名手本忠臣蔵」になってから

生々しい「事件」が、「物語」になる期間が必要だった。

嫌味な嫌な上司をみんな経験していて
あの野郎、殺してやりたい、と思ったことがある。
でも、綱吉やでーこんに言われずとも
「だからといって、殺しちゃいけない」
のは分かっている。

でも、物語の中で実現するなら。
スッキリするじゃないですか。

殺せなかったけど、その思いを引き継いだ
47人のメンバーが、1年半かけて実現する。
やったぁ

そうすると切腹だと分かっていても、
ひたすらに立ち向かう。
やっぱり泣けます。

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フクジュソウ

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神田上水物語。春日与右衛門の優しい気遣い

神田上水物語。主人公は3人
神田上水物語。楽しい口喧嘩
の続きです。

春日与右衛門(かすがよえもん)
水道が橋を渡り、市中にやって来て、春日与右衛門にバトンタッチというところでしたね

与右衛門は若いけど、頭も良く経験豊富

よしっ任しとけ、で良いんだけど
ここが与右衛門の良いところ。
腰が低く、各所のプロたちに頼んで歩く。

どうかお助け下さい。

利根川東遷の伊奈忠次にさえも頼み、快く引き受けてもらった。

ここに、素人の試行錯誤が高度な専門家の仕事に取って変わった。
江戸の中をこんな感じの木で作った水道管が張り巡らされることになります。

地図にするとこれくらい

毎日のようにやって来る藤五郎や六次郎が
昨日も説明したけど、という初歩的な質問をしても嫌な顔ひとつせず
実物を見せながら丁寧に説明する。

藤五郎さんが言うにゃ、水は高いところから低いところにしか流れねえ
途中に低いところがあったら、とてつもなく深く掘らなきゃいけねえんじゃないかと

はい、その質問ですね
前もありました。
では、与右衛門に変わって、でーこんが説明することにいたしましょう。

途中に桝(ます)という井戸のようなものを作ります。

そうすると、一旦下がった水位を回復することが出来るから
ずっと深く堀り続けることなく、ノコギリの歯のように下げては上げ、下げては上げることが出来る
結局は、最初の流し初めの水位までは戻ってくれるから
こんなふうに下から上に管を上げることだってできる

枡は、そういう水位を上げる目的
水道管が交差するときのつなぎめ

汚れを沈殿させて、水を浄化させる
という3つの役割を持った優れた仕組みなんです。

実際に、汐留の再開発の時に掘り起こされたのがこちら

地下に潜った水道から水を汲み上げるときは、こんな感じの井戸から汲み上げます。

おう、でーこんとやら、ありがとよ
でも、説明の仕方は、
この前、与右衛門さんに聞いたときの方が分かりやすかったな

こらっ
分かってるんだったら、質問すなっ

開通式
さあ、工事は完了
今までは水の無い状態で工事していました
最初の神田川から分かれるところの蓋を外し
いよいよ今日、水を流してみることに致しましょう。
開通式ですね

理論的には大丈夫な筈ですが、ワクワクドキドキ

功労者、大久保藤五郎と内田六次郎も呼ばれました。

ありがとう、わしたちも呼んでくれるなんて。
感激で感激で。

おいおい、藤五郎さん、泣くのはまだ早いぜよ。

お二人には大事な役目をしていただきます。

ええっ
何かやることがあるのかい

はい
最初に流れてきた水の、味見をしていただきます。

ええっ
そんな大事な役目を?
全てお前さんの手柄なのに。

この日、江戸中大騒ぎ
歴史的瞬間を見ようと大勢の人が集まってきています。
弁当屋まで出て、さながらお祭り気分。

「今、堰が切られました」

ドドドッ
ドドドッ

六次郎の掘った上水を順調に進みます。
カーブしているところでは、ドンっとぶつかるものの何とかクリア
決壊する場所もなく進んでいきます。

そして六次郎の作った水道の橋を渡ります。

よっしゃあ

地下の木製水道管に潜り込みました。

枡へ
枡が満たされ、次の枡へ

三人が待つ水道井戸へ

来たーっ

与右衛門さーん

おーい、また泣きそうになってる
味見だよ、味見

おう

あああ、うまい
こんなうまい水は飲んだことがない

と、そのあと
キャーッ

女性の悲鳴が

見るとあちこちの地面から、噴水が噴き出している。

どうしたどうした。
与右衛門さん
これは一体

そうかぁ
水の勢いが強すぎたんだ。

とりあえず、止めよう。

まさか、強すぎて駄目なんて、考えても見なかった。

大丈夫、与右衛門さんの知恵があれば。
何か方法はありそうかい

そうですね
入り口の関口の堰のところに仕掛けを作るしかないでしょう
その前の神田川は、水の量が多いときもあれば少ないときもある
どんな時でも同じ勢いで水が流れ込むような。
すぐには思い付かないけれども

かなり時間がかかるということだな
わしゃもう年寄りだ。今日の事だけで十分。
良い思い出になったよ。
人生で最良の日だった。

やはり、かなりの時間がかかった。
十余年の日々。
それまで、ただ自然に分岐するだけだった関口の堰は
今で言うダムのような、大がかりな建造物になった。

その後、明治34年まで、300年近くの間、
関口の大洗い堰と名付けられた
水量調節機能の付いた堰は稼働し続ける。

再稼働の日
春日与右衛門と、内田六次郎は静かに手を合わせた。

藤五郎は天の上から見てくれている事だろう。

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センペルセコイヤ

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