[外交]7 15年戦争の始まり。満州事変から

外交資料館に行って来ました
[外交]2 条約の改正に頑張る外務大臣たち
[外交]3 日清戦争は朝鮮の内乱?
[外交]4 三国干渉から日露戦争へ
[外交]5 日露戦争から第一次世界大戦へ
[外交]6 第二次世界大戦への背景
の続きです

第二次世界大戦ってその期間だけ戦争をしていたと思いがちですが
十五年戦争といってその前から日本は中国で戦争をしています
その始まり、満州事変から

満州事変
前回、張学良が蒋介石の中国国民政府と手を組んだ話をしました。
そして、日本が手に入れたいくつかの満州における権利を取り戻そうとする
さらに、イギリスとアメリカが、中国国民政府を認めます

追い込まれた日本の関東軍が動き、戦争を仕掛けようとする
そのためには口実が必要
とんでもないことを考える
日本が権益を持っていた南満州鉄道を爆破。
柳条湖事件1931年
中国にやられたと騒ぎ立てるのですが
実は自作自演

戦争を始めます。1931年、満州事変と言います。
さらに、正当化したい関東軍は、
なくなっちゃった清の最後の黄帝、ラストエンペラー溥儀(ふぎ)を立てて
満州国というのを作らせます(1932年)

満州には、中国の漢民族とは違う満州民族というのが住んでいるので
満州民族の自立した国を作るんだと。

もちろん後ろで糸を引いているのは、中国(満洲)にいる日本の陸軍、関東軍です
日本政府はその時、犬養毅首相
犬養毅首相は満洲国のことを認めません

当時色んな権益があったので、日本の景気はかなり良かった
景気が良いと言うのは、国民は政治が良いと勘違いしてしまいます
今から思うと暴走している関東軍ですが
国民は必ずしもそうは思っていない

犬養首相に対しても風当たりが強くなってくる
そして、あの忌まわしい事件
五・十五事件で犬養首相が暗殺されます
1932年5月15日

大きく言うと、明治維新から始まった日本の政治は
薩長、特に長州の藩閥政治で始まり
長い時をかけて、政党政治に変わっていった
憲政の常道と言われる、国会で多数を占めた政党による政治
国民の選挙により担保されたその仕組みを国民が作り上げたと言える
犬養首相は最後の政党政治
このあと、戦後になるまで、政党からの首相は、生まれていません
軍による内閣

犬養首相のあと、いきなり陸軍の首相にはなりませんでした
やはり、陸軍が突っ走っている感はある
陸軍を抑えるとして海軍の穏健派、斎藤実首相になります
でもやっぱり軍は軍
斎藤首相は満州国を認めます

よく、太平洋戦争は陸軍が暴走したために起きた、と言われることがあります
間違ってはいないと思いますが
それだけであの戦争に突入していったわけじゃない
哀しいかな、やはり国民の総意として戦争に向かっていったという気がします
そこに、我々が歴史から学ばなければいけない点があると思う

このあと、さらに情況は悪化し
二・二六事件へと進んでいくのですが
続きはシリーズの次回

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[首相]48 海部俊樹。湾岸戦争と高い支持率

海部さんは爽やかなイメージでしたが、いつの間にか退陣していましたね。

海部俊樹

海部俊樹も前任の宇野宗佑と同様に、
派閥のトップでないにもかかわらず総理の座に就くが、
竹下登の指名だったという点でも共通している。
竹下の影響下にある、いわゆる、竹下支配である。

宇野宗佑辞任のとき、主要メンバーはリクルート事件に関係していた
安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄らニューリーダーは
自民党が定めた「1年間、もしくは次の総選挙まで党の役職を辞退する」という内規の対象となり謹慎中の身。
四大派閥(竹下派・安倍派・宮澤派・旧中曽根派)は
いずれも後釜の総裁候補を出せる状態になかった。

海部が初当選したときは29歳で、第29回衆議院議員総選挙
「29年後に総理になる」と公言したが、少数派閥なので本人としても冗談
なんと本当に29年後に総理になろうとは。

初の昭和生まれの総理である。

海部総理本人が金権とはほど遠い河本敏夫派 (三木派の後身)に属していたため、
若々しいイメージと相まって内閣支持率は最高時63%と高い数字を記録する。
自民党は海部人気を当てこみ、衆議院解散に打って出た。
1990年(平成2)2月の衆議院総選挙の結果、
自民党は286議席を獲得し、衆議院での安定多数を確保する。

同年8月、イラク軍が突如として隣国のクウェートを攻め、
翌年1月、湾岸戦争に発展した。
日本に求められたのは、総額130億ドル(約1兆6900億円)の拠出金だった。
資金的な協力だけでは国際社会からの評価が低い
日本は人的貢献もするべきか、との論が国の内外で起こる。

これを受けて9月、海部内閣は自衛隊を参加させるための
国連平和維持活動(PKO)協力法案を国会に提出したが、継続審議で終わった。

もうひとつ熱心に取り組んだのが、政治改革。
1991年(平成3)8月からの臨時国会に小選挙区比例代表並立制の法案を提出するものの、
自民党内では廃案に動く。

海部総理は「重大な決意で臨む」と述べて衆議院の解散を目論むが、
海部を支えている最大派閥の竹下派が解散に反対し、
海部続投も支持しないことを通告してきた。

10月5日、海部総理は自民党総裁選への立候補を断念すると表明し、
1月に退陣する。

最初から最後まで支持率は高いままだった。

まだ若かった事もあってその後、新進党を立ち上げるなど積極的に活動した

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[織田信長]3 美濃はそなたに差し上げる

[織田信長]1 まむし殿の娘、濃姫
[織田信長]2 二人だけの時間では
の続きです

斎藤道三
信長が尾張国内の平定や一族内部の叛乱鎮圧に必死の努力を傾けている中に、
隣国美濃では、大きな変化が起っていた
美濃は織田信長の妻、濃姫の父、斎藤道三
すでに、家督を息子の義竜に譲っていたが、以前として実権は握っていた
義竜の母は三芳野、道三の為に国を逐われた土岐頼芸(よりなり)の妾であった女性
月を数え、三芳野の妊娠は、道三の元に来る前だったと知る
道三は、義竜を愛せなかった
時をみて、次男に譲らせようと考えていた

ところが、義竜の評判が良い
苛立つ道三
義竜を廃しようと陰で動いていたのが、義竜に知られてしまった

義竜は出生の秘密を知らない
どうしてなんだ

母のところに行った
ごめんね、ごめんね
と事の真相を知らされる

道三は父じゃなかったのか
むしろ、父を死に追いやった父のかたき

その日から準備を始める
殺るか殺られるか

病気の振りをして十数日寝込む
次男が見舞に来たところを取り囲み、殺してしまう
そのまま、宣言
「自分の父は道三ではない。土岐頼芸。これより、斎藤姓を捨て、土岐姓に戻る
自分は父に代わり、道三を誅する」

道三も激怒し、宣言

家臣たちはどちらに着くか、決しなければならなかったが
それぞれに集まった者の数は、義竜の方が圧倒した

戦上手の道三であるが故に、結果がどうなるか分かった

信長への遺書
「美濃はそなたに差し上げる
この度の合戦に、援軍御無用」
家臣が遺書を持って信長の元へと走る

プライドからの「援軍御無用」ではあったが
信長は駆けつけるだろうとの計算がなかったとは言えない
ただ、援軍によって勝ったとしても、自分に人望がないことを思い知らされたので
この先、美濃を守っていけない
美濃を差し上げる、とは本音

もともと知っているもの同士の合戦は熾烈を極めた
次第に数に勝る義竜勢が有利になる

お屋形

振り返ると、馴染みの顔、小牧源太

お前か

覚悟!

首が落ちた

道三63歳

義竜に「河原にさらしておけ」と言われた首は
小牧源太が盗み取り、密かに弔った

あまりに急だった信長は十分な数の援軍が準備できず
向かったものの、結局は退却せざるを得なかった

お濃、すまなかった。間に合わなかった

いいえ、父に武運が無かったのでございましょう。やむを得ぬ運命でございます

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[家重]2 家重様の目と耳になってはならぬ

[家重]1 まいまいつぶろと呼ばれた将軍
の続きです

忠光
徳川9代将軍となる、家重
障害を持ち、言っている事が誰ひとり聞き取れなかったのだが
唯一、聞き取れる人物が現れた

大岡忠光
大岡越前忠相の遠い親戚です

大岡越前はそれまで会ったことがなかったが、親戚ではあるので身を案ずる

家重の強い希望で、小姓、すなわち身の回りの世話係りに抜擢されるのだが
この先、つらい運命が予想される

家重は将軍となる訳だから、だれひとり言っている事に逆らえない
ただ、今までは誰も聞き取れなかったが故に、言っていないに等しかった
これからは違う
忠光を通じて言葉を発する
もし、忠光の意思が入り込むとすれば
忠光自身に有利な言葉に変えられるとすれば
政治は忠光の意のままになる

忠光が完璧に清廉な人物でなければならない
まず、そこが重要

もし、そうだとして
常に忠光は疑いの目で見られるだろう
恨みや、やっかみの標的になるだろう
一生を通じて、耐えられるだろうか

忠光が自覚して自分の意思を入り込ませないようにするとしよう
忠光が成人して、自分なりの価値観や正義が生まれてくるだろう
それを100%捨てなきゃならない人生
人間として、耐えられるだろうか
それは幸せなのだろうか

大岡越前は忠光を呼び出した

そなたは決して、家重様の目と耳になってはならぬ
家重様は目も耳もお持ちである
そなたはただ、家重様の御口代わりだけを努めねばならぬ

忠光はその言いつけを生涯守り続けた
忠光という人物が素晴らしかったからだが、それだけではなかったろう

家重の人柄がそれを可能にしたんだと思う
忠光は心底家重のためになりたいと思ったし、
家重もその気持ちに答えた

家重はずっと手が震えているから、筆も持てない
できる事は本を読むこと
ページをめくるのも大変だが、苦労しながら本を読んでいた
書き留めることもできないし、再度読み直すことも大変だから
1度読んだ本の内容は全て覚えてしまおうとした
極端な記憶力の良さが身に付く

忠光は、そんな家重に驚き
自分もその知識を吸収していく
楽しくて仕方ない日々
仕事だからということを越えて
心から尊敬できる人に出会え
常に一緒にいることができたのだ

大岡越前の心配は杞憂だったかも知れない

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