[首相]42 福田赳夫。昭和の黄門様

角三福大鈴中(かくさんぷくだいれいちゅう)のぷくです

福田赳夫(ふくだたけお)

群馬県、現在の高崎市の名家に生まれる
小さい頃からすば抜けて頭が良かったが、あまり偉ぶるところがなく
自然と周りに人が集まった

東京帝国大学に進み
トップの成績で大蔵省の試験に合格
エリート街道を突き進む
3年間イギリスにも赴任
重要な仕事を数々こなしていく

東京大空襲の時、焼夷弾により、2mあまり吹き飛ばされる
背中に火がつき、「カチカチ山のようだった」と回顧している

戦後も大蔵省で順調だったが
昭和電工事件が起きる
芦田均総理も含め、多くの政治家官僚が逮捕される大事件
福田赳夫も逮捕される

その後、無罪の判決が出るまで実に10年もの歳月を費やした

岸信介と会食をしたことがきっかけで、政界を目指し初当選

保守合同で、自由民主党ができると
岸の引き立てもあり、政調会長、副幹事長
第2次岸内閣では、当選4回にして幹事長と
とんとん拍子で出世
いよいよ、農林大臣に抜擢

閑散期と繁忙期があったようで
50年代、60年代、70年代、いずれも前半は閑散期
後半は「出ずっぱり」状態

大蔵省で実績を積んできただけに、経済には絶対の自信
高橋是清の「山高ければ谷深し」論を信奉しており
急激な経済成長は必ず反動が来るので、緩やかな成長の方が良いという考え方
池田勇人や田中角栄のようなイケイケ派とはうまが会わず冷飯を食わされる事もしばしば

常に「次期総理」と言われながらも、何度もチャンスを潰している

佐藤栄作退陣後は、首相確実と言われた
いわゆる「三角大福」三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫が候補者
福田赳夫が大本命と言われながらも
田中角栄にあれよあれよというまに差を詰められ逆転を許す
とはいえ、わずか6票差の2位
田中角栄も過半数に達しなかったので、上位二人の決選投票
どうなるか分からなかったが、知らない間に三木大平が田中に付いて三派連合が出来上がり
蓋を開けてみれば大敗だった

田中退陣後は今度こそ、だったが
挙党体制のため椎名裁定で、三木武夫

ロッキード事件で、自民党はガタガタ
三木武夫も頑張ったが、総選挙で大敗

いよいよ、出番が回って来る
エリートと言われ続けていたのに、ようやく総理の座につけた時は71歳だった

その時、自民党はボロボロで、政権が危ういほどの状態だった

総理として
それまではロッキード事件と三木おろしもあり
諸課題が滞っていた
「成田13年、日中6年、大陸棚5年」
次々と手がけ、1年半で、ほぼ解決させていく
田中角栄が国交を回復させてた日中関係も、その後停滞していたのだが
鄧小平との強い信頼関係を築き、日中平和友好条約を実現させた

経済の福田の本領発揮で経済も上向き、7%の経済成長を実現した

ロッキード事件で、国民の信頼を失った自民党の改革では、派閥解消
自らの派閥を率先して解消
その他の派閥も従わざるを得なかった

本人はその実績に、「昭和の黄門」と胸を張る
長期政権へ動くかと思われた

ただそもそも、福田が総理になったとき、総裁戦が行われた訳ではない
生涯のライバル大平正芳と、「次は大平」との密約が交わされての総理就任
2年の総裁任期が迫ってくると、大平正芳が退陣を迫ってくる

2年とは言っとらん

ここから、大福戦争が激化する

この続きはシリーズの次回ね

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

[岩宿]6 赤土の壁でみつけたもの

[岩宿] 相沢忠洋というひと
[岩宿] 一家団らん
[岩宿]3 少年の孤独
[岩宿]4 戦争とおばさん
[岩宿]5 さよなら
の続きです
考古学の歴史を抜本的に塗り替える大発見をした、相沢忠洋さんの自伝「岩宿の発見」から

行商
戦後、喰っていくために始めた行商は軌道に乗った
うま味があると分かると、仕入値が高くなるとか
売ることを頼んでいた商店主が、自分でやると言い出した
それでも、自分で喰っていくには十分

行商の良いところは仕事場が大自然の中の村々だということ
各地で食料増産等のために掘り起こされたあとがそのままになっていて
石器や土器をはじめ、祖先の残した遺物が散らばっているのによく出会った
驚くほど多くの量だった

生活はなんとかなる
でも、それだけで人生足れりというには物足りなかった
心の中にわいてきた夢をより大きく求め、育てていこう

古本屋で、桐生、足利、前橋の地図を買い求めた
黎明期の遺跡地を見つけてはそのたびに、赤丸印をつけていった
増えるたびに、夢も大きく膨らんでいく

赤土の断面
柿の実が赤く色づいている日だった

山と山とのすそが迫っている間の狭い切り通しにさしかかった
両側が2メートルほどの崖になり、赤土の肌があらわれていた

小さな石片が顔を出しているのに気づいた
長さ3cm幅1cmほどの石片はガラスのような透明な肌を見せて黒光りしていた
すすきの葉を切ったようで両側がカミソリの刃のように鋭かった

その時はまだ、それがどれほどのものかは分からなかったが
人間の歴史のもたらす跡を感じとった
3片だけだったが、同様のものを採取
土器片がないか、周辺を見て回ったが見つからなかった

それまでの経験だと、石片があれば土器片がその近くから見つかる
土器片によっておおよその時期が見当ついた

何度も眺める

どうもその石片は今まで採集してきたものと少し違う

ひょっとして「細石器(さいせっき)」と呼ばれるものではないか
細石器の実物を見たことはないが、本などで見て知ってはいた

でもなあ

まだこの時点では、細石器が日本にあるかどうかが明らかにされていなかった
それまで明らかにされてきた「縄文時代」よりさらに前のもの

帰路を急ぐ

持っている本を確認
「日本の石器時代と細石器の問題」

日本の新石器時代文化が大陸のどの部分の文化に連なるかは今のところ全く不明である
この重要な問題の解明に細石器のごときは一つの鍵となるかも知れない

今まで採集してきた石片全てと比較してみる
やはり「違うもの」だ
それが細石器であるかは分からないが
特殊な石片であることは間違い無さそうだ

大発見
お気づきかとは思いますが
これは大発見中の大発見

それまで、日本には縄文時代より前の時代はないとされていたのに
それより前の旧石器時代が存在する事を証明する
文字通り「時代を変える」世紀の大発見

ただ、ここで
「ビッグニュース! 日本に縄文時代より前の時代があった!」
にならなかった

本人自体、これを確信に変えるまでずいぶんの時間がかかったし
あまりに常識破れなので、この時点で発表したところで誰も信じなかったろう

相沢忠洋自身、モヤモヤしつつ、長い長い年月を費やすことになる

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

[足利将軍]10 義稙。明応の政変

[足利将軍]9 義尚。嫌なものは嫌だ
の続きです

義稙(よしたね)
これから、というところだったのに、義尚(よしひさ)は病気でなくなってしまう
次をどうしようとなったが、不思議なことが起きる
義尚のお父さん、義政が病気がちだったはずなのに、復活宣言
当時としては老齢の54歳
ハイ、私やります

みんな目がテン

義政は、天皇(後土御門天皇)に願って「再登板しても問題なし」との勅語を下してもらう
そうなると逆らえません。やってもらいましょう

中風の発作を起こし、右半身が麻痺して公文書に花押を書けなくなってもまだ頑張る
病臥に伏しても頑張り続け、翌年とうとう亡くなってしまう

さあ、どうしようか
義尚には息子がいない
兄弟もすでに亡くなっている
候補は、いとこになった

一人は義稙(よしたね)あの幕府に逆らった義視(よしみ)の息子
普通はダメです
もう一人は清晃(せいこう)という僧侶。
東国鎮撫をその役目とする堀越公方・足利政知(義政の庶兄)の子。
当時、京都の名刹たる天龍寺(同寺の香厳院)で僧侶をしていた。
清晃はまだ幼童であったうえ、京都政界に有力な支援者もいなかった
ライバルがちょっと弱いので、まさかの義視の息子が最有力候補

ここで、義稙の伯母である日野富子が強力に支持を表明
これで勝負あり
晴れて、義稙が将軍となります

ただ、義稙としては政治経験がほぼゼロ
お父さんの義視(よしみ)を頼ります
おおっ、なんと不思議
義視が政権に返り咲き

義視はまさかの復活に大張り切り
強力バックアップをしてくれた日野富子に引退を迫る
日野富子は意外にもあっさり受け入れて引退
これで義視はやりたい放題

だったんですけどね

なんとこれまた、義視も病に倒れ
翌年に亡くなってしまう

義稙ピンチ
日野富子引退で、義視も亡くなる
政治経験ほぼゼロなんですけどぉ

なんとか味方の大名を掌握せねば
ええっと、誰が良いんだっけ

ここで不思議な作戦を思い付く
戦争

戦争って団結するためにはてっとり早い
その発想どうなのかなとは思いますが

ターゲットを近江の六角氏とする
六角氏はえらい迷惑です
義尚にやられて没落したけど、この時期には再起していた

義尚親征の再現です
ただちに諸大名に「参陣せよ」との号令を発した
これをうけて細川政元以下、数多くの大名たちが義稙のもとに参集
義尚の時以上の数が集まる

大挙押し寄せて、圧勝
六角氏はほうほうのていで逃げ出す

義尚の時は、このあとしつこく追いかけたのが良くなかった
ここは学習出来ている
早々と勝ちどきをあげ引き上げる

ここまでは良かったのですが
そのあとがいけなかった
有頂天の義稙は、次なる戦争を仕掛けた
次なるターゲットは河内の畠山基家
畠山政長と家督争いがあり、政長からの要請を受諾
さらに、それが終われば今度は越前に遠征すると同時に発表
こちらは斯波(しば)氏からの要請で、力をつけてきた朝倉氏を討って欲しいとのこと

これらには義稙なりの計算があった
当時の大名で最も力があるのが細川政元
その次に、畠山、斯波

細川政元は頼りにしていたのだが
細川政元だけが強くなりすぎるのは良くない
畠山、斯波も持ち上げてバランスをはかりたい

ここまでは何とか良かったものの
細川一門の阿波細川氏をも味方に引きいれようとした
細川政元はその意図を敏感に感じとる

また諸大名に動員令を出し
大量に集まったものの
諸大名の中では、厭戦気分が広がっていた

またかよ

大軍は畠山基家に圧勝
義稙は戦勝に酔って、危機が間近に迫っていることに気づかなかった

明応の政変
異変が起きる
世に言う、明応の政変

細川政元が兵をあげた
もともと将軍候補だった、清晃(せいこう)という僧侶を将軍として擁立
そして、将軍争いの時、義稙を強力にバックアップした日野富子が清晃支持に回った
これは大きい

義稙は諸大名に馴染みが薄い
諸大名からすると、日野富子は昔からの馴染み
どっち取ると言われれば日野富子

現将軍には逆らえないが
日野富子が、清晃こそが将軍だと言うのなら
現将軍は清晃だという解釈も成り立つ

勝馬にのる

諸大名たちは早々に義稙を見捨て、河内から京都に舞い戻ってしまった
河内出陣を要請した重臣畠山政長だけは残る

京都から迫り来る細川政元軍
圧勝、勝負あり
義稙の元に残った主な直臣はわずかに39名だったという

降参します

義稙は細川政元に捕縛され幽閉
清晃は還俗(げんぞく)し次の将軍、義澄(よしずみ)を名乗る

反乱軍大勝利

ところがこの明応の政変、これで終わりではなかった
このあとに続く大動乱の始まりだった

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[ことば日本史] 陣笠とすっぱぬく

ことば日本史、戦国時代から

戦国時代には、戦場から生まれたことばもありました

陣笠
戦場で、下級武士は兜をかぶることはできない。
雑兵(ぞうひょう)は、目印になるよう主家の紋を入れた大量生産品の笠を貸し出された。
これが陣笠。

江戸時代には、下卒の訓練用に用いられるようになり、
やがて陣笠をかぶっている下級武士自身が、この名で呼ばれるようにもなった。

現代では、新人の国会議員をさして「陣笠議員」と呼んだりします

すっぱぬく
戦国大名に召し抱えられた、野武士や強盗出身の忍者たちが、すっぱ「透波(素破)」、または、らっぱ「乱波」とも呼ばれた。

武田信玄は信州のすっぱを七十人も使ったといい、
北条氏直(うじなお)は二百人のらっぱ「風魔一党」に夜討ちをかけさせたという。

高坂弾正は、美濃・近江のすっぱ二千人のなかから忍の名人「変化ノ六平」と、
早道の一番「竜馬の小六」を選び出して召し抱え、
豊臣秀吉は近江のすっぱで早道忍(はやみちのしのび)の名人「走りノ一平」を扶持した。

こうしたすっぱたちが敵の秘密を探り出すことの連想から、
人の秘密を暴露することを「すっぱぬく」と表現するようになった。

ふいに刃物を抜くことも「すっぱ抜く」といい、
こちらの言葉が先にできてから、忍びのすっぱに連想が働いて、
秘密暴露の意味でもすっぱぬくというようになったものとみられる。

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