[徳川名参謀]6 家宣→新井白石。空気を読まない、学者一徹

徳川名参謀シリーズ
今回は、家宣(いえのぶ)に対する新井白石(あらいはくせき)になります。
6代家宣、たった3年
も見てみて下さいね

新井白石
現代風に言うと、政治家や官僚じゃなく学者
小泉政権のときの竹中さんみたいなイメージかな
徳川15代の内でも、極めて特殊。
家宣じゃなければ100%あり得ない人事でしょうね
博識という点では群を抜いている。
一番頭が良いでしょうね

産まれ
産まれた時自体が極めて特殊
あの、江戸中を焼き尽くす明暦の大火の翌日
母の避難先で産まれる
後に火の子と呼ばれます。

3歳にして儒教の書物を丸ごと書写したという天才児だった

お父さん正済がまた、常識破りの人。
上総久留里藩(千葉県君津市)主、土屋利直(としなお)に仕えた。

不遇の時代
土屋利直には良くしてもらったが
利直が亡くなってその後継者の代になった

こいつあかんで
行きたくないなぁ
出社拒否して、追放される。

正済の予想通り土屋家改易
さあ、どうしようか。

白石は 大老、堀田正俊に仕官する
が、不運は続く。
大老、堀田正俊と言えば、そう
甥の若年寄 稲葉正休に、江戸城内で斬り殺されてしまう
このまま堀田家にいても先はなさそう。

白石もまた、自ら牢人となる

そんな親子だったけど
白石は貫いていた事がある

学問。
儒教のみならずありとあらゆる学問を独学で習得していく。

成人した白石
やっぱり誰かについて勉強したい
朱子学者の木下順庵に弟子入りを願う

あのう
誠に申し上げにくいんですけど
入学金ないんですけど・・・

ええよ

非凡な才能を目の当たりにし
木下順庵も自分の全てを白石に注入
もう教えることはない。
就職先を探してやろう。

探してきてくれたのが甲府藩なんです。
藩主の家庭教師役。
しかも、
もうちょっとお願いできませんか
お給料の交渉までしてきてくれた。

出ましたよ甲府藩
家宣との出会いです。

家宣
運命の出会いですね
こんなことあるんですね
家宣じゃなきゃ、絶対無理です。
訳の分からん牢人
甲府藩主、後の将軍の家宣
身分が違いすぎます。

勿論、金を払って家庭教師をやらせている訳ですから
もうちょっと分かりやすく教えられんか
ちゅうもんでしょうけど
家宣は白石を師、自分を生徒と明確に位置付ける。
詳しくは「6代家宣、たった3年」を見てほしいんですけど
冬の寒いときは、師匠にだけ火鉢を使わせ
自分は寒いまま
泣けてきます。

一年二年じゃないです。
何と19年もずっと毎日です

家宣は将軍になるまで随分待たされる事になります
その前の綱吉に跡取りができそうでできなかった
家宣は、綱吉の甥っ子になりますので、綱吉に子供が出来なかったときの保険でしかない。
嫡流じゃないので外に出され、甲府藩の藩主という立場だった訳です。
結局将軍になったのは48歳の時

ようやく将軍
将軍は、人事で自分のカラーを出す
綱吉が館林藩から柳沢吉保を連れてきたように

家宣は、甲府藩から、間部詮房(まなべあきふさ)と新井白石を連れてきた

正直あまりそりの合わなかった綱吉おじさん
でも、良い前例を作ってくれた。
側用人。
これを使えば 連れて来た2人をいかせる

間部詮房は側用人ね

でも、新井白石はあまりにも家柄がなさすぎた
「本丸寄合」と呼ばれる下層の旗本に過ぎない。
本来は、御用部屋に入ることすら許されない。

甲府藩であれば、甲府藩主が、いいと言えばいいんだけども
将軍となるといくら師匠でも、そうはいかないのよね

ただ、家宣としては、頼れる師匠の力を何としても活かしたい
側用人の間部詮房を通じて、白石に諮問してもらう
形式的にはそういう形式を取った。

早い話がお役人(幕閣)でもない無関係の人が
実質政治のトップ
あとにも先にも新井白石だけ

立場だけみると
お隣の国の何とか言う女性と同じことになる

何をしたか
政治家としての白石の理念は悪弊の除去に集約される
要するに財政悪化を招いた綱吉の政治の否定

おそらく良い意味で
白石は政治家でもなければ役人でもない。
自分が考えに考えて体系付けてきた学問
それを実際の政治の側面で実践していく。
そこにしか興味の対象がない。

ダメなものはダメ
綱吉が作ったことだろうが
もっと前から行われて来たことだろうが
理屈的におかしければ、おかしいですね
うまく折り合いをつけようなんて気は
サラサラない

一部に鬼とすら言われる。

主に経済政策。
朝鮮との外交についてのやり方を簡略化したり
長崎での貿易の規模を縮小をしたり
貨幣については、悪質化した貨幣を元に戻す。

あれもこれも色んな事に手をつける
後に「正徳の治」(しょうとくのち)として称賛される

家宣が
ところがあれもこれもやろうとしていた矢先に
大事件が起きる
家宣が風邪を引いた
お体大切にね
と言っていたら死んじゃった。
たった3年しか将軍でなかった

これからという時期に。

側用人ですらない、白石には
家宣しか寄ってたつものがない。

家継
家宣の子、家継に代が変わった。
「将軍は人事で自分のカラーを出す」大原則からして
白石に未来はない

と思いきや、
ここで数少ない例外が起きる

そのままの体制が続く

なぜか
そうせざるを得なかった。

次の家継はたった5歳でしかなかった。
さらに、家継は病弱でもあった。

良かったね
何とか成果が出るまで

と思いきや

再度の思いきやですね

ここもまた、病弱なまま
4年でこの世を去る。
可哀想すぎます。

ここでとうとう、徳川宗家は血が途絶えた。
その次は?
はい。超有名な吉宗です
さすがに吉宗では無理ですね
派閥が違うんです。
ここまでっ

その後
吉宗には全面否定される。
せっかくの政策は全て白紙に戻され
あれもこれも没収

こんなとき、大体、減封や領地変え、最悪お家取り潰しなんだけど
そこだけは白石は良かったね
元々何にも持っていない。

意気消沈
と思いきや

やった!
これで好きな学問に目一杯取り組める

不遇と幸運が何度も繰り返しやって来る
ジェットコースターのような人生だったけど
もし、本人にそう言ったら

えっ、そう?
ずっと学問やってたから
気づかなかった。

[明治]野球は最初こんなだった

WBC盛り上がってますね
ということで、野球の話題。

明治の野球はこんなだった!

明治の野球
アメリカでメジャーリーグが創設されたのは1871(明治4)年
日本に輸入されたのはいつだろう。
これがなんと、2年後なんです。

開成学校(東京大学の前身のひとつ)に赴任したアメリカ人教師が生徒たちに教えたのが始まり。
さあ、何て言われていたでしょう。

打球鬼ごっこ

うん、可愛い。

瞬く間に全国に広まっていく。
大学野球もほぼ同時期。

さらに5年後には、東京で「新橋アスレチック倶楽部」というチームが結成される。
汽車の製造技術を学ぶために渡米していた、新橋鉄道局の技師、平岡熙(ひろし)がバット1本とボール3個を土産に帰国。
駅員達に
こんな面白いのあるんだけどやらない?

陸蒸気(おかじょうき)ですね。ああ明治っぽい。

同時期に何とあの人も

徳川16代目の徳川家達(いえさと)
徳川慶喜の次。
「徳川ヘラクレス倶楽部」
というチームを結成する
新橋アスレチック倶楽部のライバルになります。

当時、グローブは超高級品なので
ピッチャー、キャッチャー、ファースト以外は素手で守っていた。

でも大丈夫。
強い打球なんて飛びませんので。

ルール
最初の頃はルールだって試行錯誤段階。

今はボール4つでファーボールですけど
当時は9個までで出塁。
ピッチャーは下手無げしかダメ

何をもってボールとするかも
全然違っていた。
バッターが、高めでお願い
と言ったら高めに投げなきゃダメ
違うところにしか行かなかったらボール

こんなイメージしません?

ちっちゃな子供にお父さんが公園で打つ練習をしてあげる
下手投げでゆっくりしたボールを打ちやすそうな所に

お父さん、今のじゃ高くて打てないよ
ごめんごめん、今度ちゃんと真ん中投げるからね
幸せな親子。

おそらく最初の野球は勝負とかあまりどうでも良くて
楽しきゃいいじゃん。

野球用語
獲者 第一基人 場中 短遮
これは、野球用語の日本語訳

1.それぞれ何でしょう

2.そして、これらはある人が考えた訳なんですけど、さあ誰でしょう。

この人、野球好きで有名なので当たるかも。

実はこの人が訳した用語で今も使われているのがあります。
バッター 打者
ランナー 走者
フライ  飛球
デッドボール 死球
ストレート 直球

文学を通じて野球の普及に貢献した、として
野球殿堂入りも果たしています。

雅号というのも持っているんだけど
幼名の升(のぼる)をもじって「野球(のぼーる)」
ちなみに野球と訳したのはこの人じゃなく、
中馬庚(ちゅうまかのえ)という人です

最後のヒントね

まり投げて 見たき広場や 春の草
 
 
 
 
 
 


1.それぞれは
獲者 キャッチャー
第一基人 ファースト
場中 センター
短遮 ショート

2.正岡子規です

[徳川名参謀]5 綱吉→柳沢吉保

徳川15代闇将軍シリーズです。

あの5代綱吉に対する名参謀になります
マザコンの犬公方、綱吉も読んでね

柳沢吉保
柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が 側用人として登用されたのは 1688年の暮れも押し迫る頃 東山天皇の即位に合わせて元禄と改善されて間もなくの頃でした。

側用人
柳沢吉保を語るにおいては、側用人(そばようにん)とは何かから。

側用人は将軍の側にいて身の回りの世話を見る
その中で重要な役割が将軍と老中の取り次ぎ
通訳みたいなイメージ
将軍には老中たりとも直接話が出来ない。
側用人を介して話をする。

ということなので、本来政治に携わる訳ではない。

ただ、吉宗等の一部の例外を除いて、将軍は政治は完全に任せていた変わりに
人事ではどの将軍も独自性を発揮している。
そこぐらいは自分のカラーを出したい。

例えば、3代家光のとき
本来松平は徳川の親戚(親藩)側なので
老中とかの政治は携わっちゃだめで、譜代大名がやる
ところが、自分の世話を産まれたときからずっと見てくれていた松平信綱を起用。
例外を作っちゃった。

4代家綱は、自分のカラーを出すため、原則に戻した。
まだ11歳の時に将軍になったから、そのまま体制は踏襲せざるを得なかったけど
もうひとり足して、一番上に持っていったのが酒井忠清。

さあ、5代綱吉はどうやってカラーを出す?
そうです。
例外、原則と来たから、また例外。

さらに、5代綱吉には特殊事情があった。
綱吉が将軍になったこと自体例外。

子へ子へとの歴史が途絶えたんです。
4代家綱にとうとう最後まで子供が出来なかった。
家綱の弟、四男だったので外(館林藩)に出されていたのが綱吉。
次男三男が死んでしまっていたので仕方なく、綱吉に回ってきた。

アウェーの江戸でやってかないといけない。
館林の時からの気心の知れた者を連れていき
側用人にした。

老中じゃないんだから良いよね。

とりあえずは、何とか理由をつけて、超実力者、酒井忠清を追い出す。
そして、本来政治に関係無いはずの側用人に、なし崩し的に政治をやらせていく。

老中としては頭に来る存在。
自分の意見が通らなければ
ほんとにあいつはちゃんと伝えてくれているのかなあ。

かといって、喧嘩したら
何も伝えてくれなくなる可能性だってある

老中って、結構やることは専門分野ごとに分かれちゃっているから
総合的に情報を得ているのは、将軍以外には側用人しかいない。

良いのは、仕事が出来るって分かって起用できること。
館林藩主時代の時から、見ていて選りすぐりの人材を持ってきた。
館林藩主時代に家老を務めていた牧野成貞。
そして、柳沢吉保。

ちょっとずるいよね、って気もするけど
側用人って、身分や家柄に恵まれない人を起用できる。
完全なる実力主義。
綱吉って、考え方がしっかりしているから
その事を理解してやったんだと思う。
柳沢吉保が側用人に登用されたのは31歳
複数いる側用人の中で、完璧に実力を発揮したのが柳沢吉保だった。

側用人に就任すると同時に、1万石の大名に取り立てられ、
最後には15万石の大大名になっている。

どれだけすごい実力を持ち、将軍に信頼されていたかは、名前で分かる。
吉保は、当初「保明」だった。
綱吉治世晚期の1701年になって綱吉の偏諱(へんき)を受けて、「吉保」となった。
「吉」使って良いよ。
ありがたきしあわせ。

将軍の偏諱を受けるってことは、御三家や有力外様大名家などかなりの家柄でないと無理。
異例中の異例です。

イメージ
あれ? そんなにすごいの?
イメージと違うなあ と思われる方もおられるかも。

柳沢吉保って、どちらかというと、悪いイメージを持たれることの方が多い。

ひとつには、元々嫌われ役の役回りだということ。

越後騒動というお家騒動があるんだけど間に入った吉保
結局、どういう解決をしようが、もめ事である以上、どっちかが損をする
あいつのせいで、になる
さらに柳沢騒動というのもあって、嫌われ度が増していく。

ふたつには、綱吉の悪いイメージのとばっちり

ことあるごとに言っているんだけど、もう一回言わせてください。
生類憐れみの令は、基本理念はこれ以上ないってぐらい素晴らしい。
運用する側とされる側が間違っただけ。

武士の世の中ですよ。
人を何人殺したかで誉められる身分。

なのに、
人は殺しちゃいけません
という令を出す。

自己否定も甚だしい。
国会議員が議員定数削減法案を出すようなもの。

その前に、保科正之が天守閣を再建しないと平和宣言したのを受けての最後のとどめ
そのおかげで、260年という歴史上類を見ない平和な長期政権が続いた。
切り捨て御免も禁止されるから、
それ以降、刀って抜いちゃいけませんから

誰も銃を持っていない、世界にも類を見ない平和な日本は
綱吉のお陰だと思っています。

人を殺しちゃいけません。
動物もね。

罰則があるわけでもなかった。

最後の一文に食いつく人がいた
ええっ?そっち?

やってられるかい、って動物を殺してさらした。
そうなると、取り締まる側も、罰則をもうけざるを得ない

そうすると、あちこちでなんじゃそりゃあと挑発行動
罰則もより広範囲に強化。
繰り返されて、あんなふうになっちゃう。

天下の悪法か
ああ悔しい
基本理念を見て欲しい。
まあ、途中で、綱吉がストップされられたはずで
エスカレートするのをほおっておいた綱吉は悪いでしょ、と言われれば
おっしゃるとおり、なんですけどね。

忠臣蔵
決定的に柳沢吉保を悪役イメージにしたのが忠臣蔵。
お芝居になると勧善懲悪の方が分かりやすいですからね。
もちろんひとつの「悪」は吉良ですけど
基本、忠臣蔵は政府批判だから人気が出た。

喧嘩両成敗なはずなのに、一方だけ切腹はおかしいでしょうって

綱吉にしてみれば、正直、見せしめ的要素が強い。

だからあ
刀抜いちゃダメって言ったよね。

色々ぼやかして、取り締まりを受けないようにお芝居はできている。
まあ、だれのことを言っているかは分かるよね。
直接将軍を悪く書くのはいくらなんでも。
変わりになって悪役が政府の闇将軍。
ああ、柳沢吉保だなって。

あそこまで人気出ちゃうとね
それ以降、あの時代の時代劇は、決まって悪役が柳沢吉保。

六義園
ウォーキング好きの私としては
柳沢吉保大好きってのが、六義園の存在。

ただ、仕事が出来て、悪役も買って出て
だけじゃなく
風流をめでる心の持ち主。

見事な庭園です。


綱吉が亡くなって、家宣にバトンタッチ。

柳沢吉保とすると
「将軍は人事で自分のカラーを出す」大原則をようく分かっている。
自分はそのお陰で家柄もないのに重用されたわけですから。

嫌われているのも知っている。
生類憐れみの令もある

まずいっ
先手を打とう。

早々と全てを捨てて引退しちゃいます。

セーフ

多少の不利益を被っただけで、最悪の事態にはいたらない。

その後、六義園でゆったり、のんびり
お疲れさまでした。

[徳川名参謀]4 家綱→酒井忠清、下馬将軍の汚名返上。

徳川名参謀シリーズです。

前回、家光から家綱にかけて、保科正之をやっちゃいました。
闇将軍の本では実は、保科正之ではない

家綱に対しては、酒井忠清になります。
4代、家綱は偉大なる左様せい様もよろしくね

酒井忠清
なぜ酒井忠清になっているかには、理由があります。

家綱は、少年11歳で将軍になった左様せい様なので
色んな人が支える。

逆に言うと人の使い方がうまかったとも言える。

前半と後半に分かれ
特に前半は実質4人体制で支える

松平信綱、保科正之。この二人はお馴染みです。
あと、阿倍忠秋
そして酒井忠清。

ただ、後半は他の三人が亡くなったり、引退したりで
実質、酒井忠清が一人で切り盛りすることになる

評判
どちらかというと、後半は酒井忠清が独断専行の政治を行ったことになっている
下馬将軍というあだ名で、悪くとらえられる。

本当にそうでしょうか。

経緯
酒井忠清がなぜ老中に、さらにその上の大老になったか
答から言うと、家柄です。
大老を出すのはここからしかだめ、という4つの家
井伊家、酒井家(雅楽頭流酒井家)、土井家、堀田家の内の酒井家だから

ある意味、産まれながらにして決まっていると言って良い。
松平信綱、保科正之よりも上。

将軍になるのは徳川家
徳川宗家、
尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家(御三家)
田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家(御三卿)
そして、長男じゃないので、分家していって、
徳川を名乗るのが許されなかったのは、みんな松平家
ここまでは親戚で、親藩(しんぱん)

親戚が政治を行うのは良くないという
ある意味まっとうな考え方で、
親藩は老中になれない。

譜代大名という関が原以前からの家来が老中になれる
その中でも格上の4家だけが大老になれる。

松平信綱、保科正之は?
そう、本来、親藩側なので、政治に携わっちゃいけない
でも、家光の特別扱い。
お兄さん代わりの松平信綱。
家光が、死に際に直々に枕元に呼んで
家綱の事を頼む、と託した保科正之

11歳の少年将軍なので、家光の体制をそのまま引き継ぐのは当然。
でも、ちょっとだけ抵抗したかった。
家柄充分で反対が出るはずのない酒井忠清を就任2年目で抜擢
忠清30歳の大抜擢、かつ松平信綱より上位の老中筆頭に据える。
さらにその後、大老へ

ちなみに、保科正之は、将軍の後見役としての役割なのでちょっと違います。

家光の特別扱いより、家柄重視という原則論に戻します

ラッキー
ラッキーな事が二つ

忠清が単に家柄だけでなく、実力も、考え方も素晴らしい
超一流の人物であったこと。

市中を自ら巡察して乞食と出会ったとき

本当の仁政とは乞食に何を施すかではなく、
乞食が生まれないようにすることだ

もうひとつのラッキーは
松平信綱も、保科正之も人格者であったこと
この若造に何ができる、蹴落としてやる、なんて考える訳がない。
二人とも苦労人中の苦労人。
お互いを尊重しつつ、仕事を協力し合って進めていける。

ここまで超一流の人材が集まって、一致団結して政治
将軍はというといらんこと言わない左様せい様

家綱前半期こそ、徳川260年のうちの黄金期なんじゃないだろうか。

後半
そして、後半がやって来ます。

独断専行?

何をおっしゃるうさぎさん。

超一流の人達がいなくなったんですよ。
その人達に、忠清も鍛えてもらったと言って良い
入れ替わりの老中たちも彼らに比べると見劣りする。
俺が一人で何とかすると思うでしょう。
将軍は歳は重ねて、多少頼れるようにはなったようですけど
左様せい様は性格。おそらく良い性格。

下馬将軍
下馬将軍ってあだ名は何?
将軍の前でも下馬しない(馬から降りない)ととらえられがちですけど
いくらなんでも、そんなことある訳ないでしょう。
単に屋敷の前に下馬札(登城の際、ここで馬を降りなさいという札)が立っていただけのこと。

伊達騒動
仙台藩でお家騒動が起きる。
伊達政宗から3代目の綱宗。
これがまあひどかった。遊興放蕩三昧。
困った叔父さんが、忠清に相談。
忠清の裁定で綱宗を無理矢理引退させ、まだ2歳の綱村に跡を継がせる。

はい、一件落着。

にならなかった

綱村がまだ2歳なのを良いことに
われもわれもと、派閥争いが勃発。
どろどろのぐっちゃぐちゃ。

当事者達が、忠清に再び裁定してもらおうと
江戸の忠清邸に集まる。

そこで大事件勃発。
気持ちが高ぶった一方の原田宗輔が
その場で相手を刀で、切り殺しちゃった。
何を思ったか、勢い余って、忠清の家臣にもおそいかかる。

こっち来たー
忠清の家臣は、応戦して、原田宗輔を殺しちゃう

こんな大事件の刃傷沙汰。
江戸の庶民が放っておくはずがありません。
伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)という人形浄瑠璃や歌舞伎の演目になっちゃいます。
より面白くするため、敵役が必要。
性格の悪い、老中が、という設定。

人気演目になっちゃうと当然そのキャラクターで
庶民は信じちゃいます。

忠清、やなやつー

正当な評価をしましょうよ。