[天皇]45 聖武天皇。未曾有の大感染。

天皇シリーズ
出ました、超大物
奈良時代は、聖武天皇の時代と言って良いくらい

二人の天皇が聖武天皇のために中継ぎをしますと正式表明した訳ですから

聖武天皇
724~749年

即位
白い亀がプレゼントされた。
し、白い亀とな。それは素晴らしい。
お祝いの大パーティをいたしましょう。

どうでしょう
せっかくですから、その機会に天皇として即位されては

なるほど、白い亀なんだから、即位してもなんらおかしくないな

訳が分かりませんが
そういう理由で萬を持して聖武天皇の誕生です。
元号は神亀(じんき)となります。

白い亀なんているわけないので
気を効かした誰かが亀を白く塗ったんじゃないかという疑惑は残ります。

元正天皇お疲れ様
あとは、太政天皇として天皇の補佐役に回ります。
元明天皇も藤原不比等もちょっと前に亡くなっているので
元正天皇だけが頼りです。

実は、もう一人頼りになるひとが。
長屋王。
文武天皇や元正天皇の従兄弟です

この時点では、藤原不比等の4人の息子たちはまだ若い
聖武天皇の初期の段階では、長屋王政権と言われるほどで
次々と実質的な政治を具体化していきました。

子供
聖武天皇と奥さん(後の光明皇后)との間に子供が生まれます。
まず女の子(後の孝謙天皇)
そして待望の男の子。

はしゃぎまくる聖武天皇
何と、生後33日にして皇太子に就任します。
全く前代未聞。

実力者長屋王に天皇の座が移ってしまうことを恐れたのかも。
ところが、この子が一歳にならずに死んでしまうのです。
聖武天皇の落ち込みようは尋常じゃなく、後のおかしな行動はこのあたりが遠因かも。

長屋王の変
皇太子の死から5か月後の神亀6年
ある密告がなされます。
長屋王がおかしな術を学んで、政府を転覆しようとしてますよ。

ほんまか

政府の幹部たちがこぞって長屋王の元を訪れ、事情聴取
瞬く間に、有罪が確定します。
長屋王、奥さんの吉備内親王、彼女が生んだ4人の王は全て自害させられます。

冤罪です。

長屋王を陥れたい勢力は
そろそろ成長してきた藤原の4人の息子かも知れませんし
後の光明皇后の取り巻きかも知れません。

長屋王からすれば、皇太子が無事に育ってくれていれば、命までは奪われなかったのかも。

天平
長屋王の変のすぐあと、またも、摩訶不思議な亀が献上されます。
なんと甲羅に「天王貴平知百年」と書いてある
おお、不思議じゃ、こんなめでたいことはない。

信じる方がどうかしてます。

改元じゃ
天と平を取って、天平というのはいかがかな。

この前の白い亀の時はわしが天皇に即位したが
今度は何か良い提案はないか

恐れながら申し上げます。
奥様の藤原安宿媛を皇后とされては、いかがでしょう。

今まで、天皇の正妻である皇后は天皇家からでないと認められなかった。
文武天皇の奥さんで、聖武天皇のお母さん、藤原宮子にしたって皇后とは表現されず
夫人(ぶにん)だった。
一夫多妻制の他の奥さんと同列にしかならない。

最初からの出来レースですね
天平亀もいい迷惑です。

光明皇后の誕生です。
ここからルールが変わったことで、藤原氏の外戚によるほしいがままの世の中が始まる訳です

とはいえ、すんなり藤原氏の世の中にはならなかった。

藤原4兄弟は、少しずつ政治に参加していくようになり
政情はきわめて安定し、税収も豊かな時代になります。
藤原4兄弟もおかしなわがまま政治をしたわけでもない。

ところが、このあと、思いもよらなかったことで
平和が崩れ去ります。

激動の時代へ
最初は地震でした。
天平6年に、大地震がおきます。
畿内に深刻な打撃
数々の救済策がはかられました

遣唐使も呼び戻され、太宰府に。
ひょっとすると、ですがこれが良くなかったかも。

天平7年は凶作。人々が困っているところに追い打ちをかける事態
天然痘が大流行したのです。
瞬く間に感染が広がる

最初、夏に太宰府から始まり、冬には全国的に大流行。
流行は平城京にも及び、政権幹部たちもバタバタと亡くなっていきます。
九月に大将軍新田部親王、十一月には知太政官事舎人親王が。

天平8年には一旦下火に。
ところが、天平9年に、再び猛威を奮います。

朝廷内の貴族たちは推定ですが、三分の一もの人が亡くなった可能性があります。
一般市民は、25%~35%くらいの人が亡くなったかも
諸国の正税帳(財政報告書)というのが残っており、死亡理由で納税が免除された人を計算すると
和泉国で45%、駿河国で30~34%、長門国で14%、豊後国で30~31%
中世ヨーロッパ社会を変えたとされるペスト大流行とほぼ同じくらいの死亡率だと思われます。

奈良時代前半の全国の人口は、450万人と推定されていますが
掛け算すると、100万人~150万人が亡くなったということになります。

そして、藤原4兄弟、全員がこの天然痘で亡くなってしまうのです。

この前、池上彰さんがテレビで言われていました。

今まで人類は、何度も大規模な疫病の流行と戦ってきました。
ひとつ言えることは、人類は全て討ち勝ってきたという事です。

このあと、聖武天皇はどうなっていくのか
シリーズ次回でこの続きへ

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[吉岡宿の奇跡]7 いざ出発

[吉岡宿の奇跡]1 吉岡宿を救いたい
[吉岡宿の奇跡]2 大きな一歩
[吉岡宿の奇跡]3 せがれの気持ち
[吉岡宿の奇跡]4 金のなる木と熊野牛王符
[吉岡宿の奇跡]5 最大の協力者
[吉岡宿の奇跡]6 平八の暴走
の続きです。

願書を作り上げたあと、平八が訪ねてきたところでした。

二十三夜
お願いがごぜえます。
二十三夜の時、みんなの前で読んで聞かせていただけませんでしょうか

この時代、政治集会は開くだけで一揆と見なされるおそれがあった
ただ、二十三夜の時は村の衆が皆が酒を組み合わす事が許されていた。
庶民の識字率が高いとはいえ全員字が読める訳ではない。
政治向きの事で全員に徹底する必要があることは読み聞かせる
そんな習慣があった。

二十三夜の晩は宿場中が異様な雰囲気につつまれた。
縁日の浮かれた雰囲気はなく、真っ暗闇の中をぞろぞろと無言で寺に集まってきて境内は埋め尽くされた

ゆっくりと、読み聞かせが始まった。

一座は静まり返り、咳ひとつ聞こえない
読み聞かせの途中、突然カンカンカンという早鐘の音が聞こえてきた
近くの村で火事が起きたようだ。
ところが誰一人騒いだり立ち上がることなく粛々と聞き続けた。

その日
藩に願書を出すその日
吉岡宿のみんなは手を合わせて祈った
十三郎たちのもとに酒三荷をよこし、大官所への門出を見送ると言って聞かなかった
仙台まで着いて来そうな勢いだったから、それだけはやめてくれと説得した。
みんなはその場で両手を合わせて、神仏の名を唱えた。

十三郎たちは、吉岡宿を管轄する黒川郡の代官所を目指した。

やっとの思いでたどり着く。

八島伝之助
この時の勤番役人
普通の役人だった。
普通の役人は、この手の異例の訴願を疎む

そのほうども

願書にざっと目を通しただけで、無表情に言った。

この一件は、同役の橋本権左衛門殿に差し出せ

こんな願書は受け取りたくない、との露骨な責任回避だった。

すんなり行くとは思っていなかったが
これはとても過酷な指示だった。

橋本権左衛門は遠く離れた中新田の代官所
途中の山坂が険しい。

さらりと言うものよ
悔しいがどうしようもない。

特に菅原屋の馬は今にも倒れそうな弱馬だった。

大丈夫だ。死んでも願書だけは離さん。

でも案の定馬が水溜まりの泥に足を取られ
菅原屋は激しく落馬した

しまった

願書一巻を首からかけていた。
泥まみれ

泥をぬぐって、中を開けてみると全く無事
熊野牛王様の印が押してあるだけのことある

橋本権左衛門
ようやく中新田の代官所にたどり着いた。

橋本権左衛門はすぐに出てきて願書に目を通した。

心中祈り続ける

おもてをあげられよ

三人は一斉に顔をあげた

さてさて、これは、古今聞いたことがない願書じゃ

どっちだ
ダメって事か

これは、私が上へ必ず、よろしく取り計らってもらえるよう申し上げる。

えっ

さらに、あたたかい言葉が続いた。
今夜は一緒に飲もう、とまで言われた。

それは社交辞令ではなく、本当に呼ばれた。
酒に吸い物が出され
三人の志を誉められた。

さらに、翌朝も呼ばれ、その場できっちりとしたためられた「末書」を見せられた。

事は動き出した。
大願成就は近い
吉岡宿は救われる

その筈だったのだけれど

続きは、シリーズの次回

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[明治]岩倉具視。やっぱりちょんまげ切るね

明治シリーズ
三条実美を話しましたので
タッグを組んで頑張った、お公家さん代表、岩倉具視(いわくらともみ)と参りましょう

岩倉具視

出ました。500円札おじさん
2種類あるんですって
B札

C札

私の記憶は圧倒的にC札

岩倉具視は、中級公家の堀河家の出身
岩倉家に養子に入るが岩倉家とてあまり変わりはない
貧乏生活が続く。

関白・鷹司政通へ歌道入門するが、ここから飛躍していく。

大きく浮いたり沈んだりを繰り返すが、公家の中では最も中心になって尊皇、倒幕運動に関わっていく

明治維新
明治維新のありとあらゆる改革に関わっていく。
公家としての格は三条実美に敵わないので、三条実美の上に立つことは最後までなかったけど
実質トップと言って良い

議定、副総裁、輔相、右大臣と色んな名前に変わるが
常に実質トップは変わらない

岩倉使節団
やはり一番大きいのは、岩倉使節団
この写真は何度も見ます

左から、木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通
超大物ばかり

真ん中の岩倉具視だけがちょんまげ姿の異様さは際立っています。

明治4年から明治6年まで。
一番大事な時期にこれほどごそっと中心人物がいなくなるって
よくもまあ大胆な決断をしたもんだなあと思います。

ただ、お陰で留守組は自分達で学制改革、税制改革、徴兵制などを手掛けて
急成長し実力をつけます

留守組トップは三条実美、続いて西郷隆盛、大隈重信、井上馨、そして渋沢栄一

少し前に断髪令が出ています。
ちょんまげを切っても良いよ
切りなさいではなく、義務だったのを解除

岩倉具視は断固拒否
日本人の誇りだ、切ってたまるか

アメリカを皮切りに、ヨーロッパも回るんだけど
外人さんたちは、ちょんまげなんて見たことないので
岩倉具視は一番人気でほくほく

ところが
息子も連れていっていたんだけど
息子が
お父さん、バカにされてるよ

えっ、そうだったのか
慌てて、シカゴの散髪屋さんで切ります。

一番の目的は、不平等条約の交渉
アメリカに渡ってすぐにビックリ仰天

チョコレートやビスケットといった食品までも工場で大量生産しているのをみて
こりゃもう話にならん
早々と交渉は諦めて方針転換

条約の更新ですが
我々、視察させてもらって勉強し、近代化しようと思っておりますので
延期してもらっていいでしょうか

延期を取り付けるのに精一杯

特に岩倉具視は、鉄道に驚き
帰ってから、特に鉄道の立ち上げに尽力することになります。

征韓論
日本に帰ってみると、留守組、西郷隆盛の征韓論で盛り上がっちゃってます

諸国を回って大きくショックを受けた使節団組は
今戦争?とんでもない
全然やるべきことがちがう

岩倉具視と西郷隆盛が大喧嘩
一旦正式に西郷隆盛の方が勝利を納めたのに
三条実美が、二人の喧嘩の板挟みになって、ノイローゼになり、ちょっと休憩
じゃあ私が代理を勤めますと宣言し
天皇に直接かけあって
正式に決まったはずの結論をひっくり返しちゃった

西郷隆盛はやっとれんと、下野
西南戦争へと続いていきます。

公家としては、三条実美と岩倉具視だけが特別に能力を備えていた
18年もの長期公家政権も
岩倉具視の死とともに終焉を迎えます。

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[名僧]明治の廃仏毀釈の続き

[名僧]明治の廃仏毀釈で寺が絶滅?
の続きです。

経緯
経緯をまとめていきましょう

慶応4年3月13日、祭政一致の基本方針が宣言されます。
思想的に中心になったのは平田篤胤(あつたね)という国学者
神道が好きで仏教があまり好きじゃない

この人の意見が強く影響し、神祇官(じんぎかん)なる組織ができます。
神祇官は太政官(だじょうかん)という政府組織より上位に位置付けられます。

神社と寺院を分離し、仏教を潰せと言わないまでも
寺院を合併せよとか僧侶に還俗(げんぞく)せよとか
六項目でいやがらせ

強く抵抗したのが、浄土真宗。
西本願寺、東本願寺の働きを受けて
政府は方針転換

神祇官は明治4年に格下げになり、神祇省になり
さらに、教部省の管轄になります。

ただ、平行して、地方では廃仏毀釈の風が吹き荒れるのです。

言わば忖度(そんたく)
廃藩置県なんてことになると大変なので何とか中央のご機嫌を取りたい

廃仏毀釈と呼ばれる動きが最初に起きたのは佐渡
539ある寺を、80にまで減らし
廃止した寺の僧侶やその家族たちは80の寺にぎゅうぎゅう詰め
立ち退きしない寺は、大砲を撃ち込んで焼き討ちにすると噂が流れて大騒ぎ

それ以外にも、説法禁止、寺の新設不可、仏像仏具を金属で作っちゃ駄目、等々7項目のいやがらせ

これが他の地域にも広がっていく事になります。

最も過激だったのが富山藩
維新とともに、藩政改革をしようとし、40歳以上の藩士をクビにし
若い人を登用
31歳で大抜擢された、林太仲(はやしたちゅう)は張り切っちゃった
徹底的に廃仏毀釈
各宗派ひとつだけしか寺を認めず、他は全て廃止するとした。

現場は阿鼻叫喚だったとの文書が残っています。

教部省になると、行き過ぎた廃仏毀釈に歯止めをかける動きになります。
寺院の合併などは、中央で判断するので、地方では推進禁止

本願寺が頑張って、
仏教だって頑張るぞ

教院という教育機関を設けることになりました。
大中小の3つに分け
小教院は、全国の全部の寺院
中教院は、各府県
中央に大教院
最初は京都の金地院に置かれましたが、東京の増上寺に移されました。

教部省から、神道も入れてあげてよ
と言われ
仏教と神道の合同教育機関となり
次第に神道の方が強くなっていきます。

増上寺には、しめ縄が張られ、山門の前に大鳥居も出来ました。

ただ、神道の方の神官の説教は人気が無かった。
教えることに慣れてませんから

ついつい、仏教側の本地垂迹説を喋っちゃったりして
失敗した、間違えた。

右往左往しながらも、大きく言うと、祭政一致というのはあきらめ
信教の自由というのは打ち出します。

廃仏毀釈が5年ほどで収束したのはほっとします。

本願寺の頑張りというのはあるとしても
私としては二つの理由なんじゃないかと思っています。

ひとつとしては、全国の神社が反応しなかった。
それまでは、仏教に従属されられてきたので、せっかくのチャンスと言えるんだけど
私達は宗教じゃないし、と拒否反応を示しちゃった

中央ではそんなことおかまいなしに、国家神道というものを推進していき
最終的には戦争へと突入していく訳です。

おそらくそこにはズレがあり
今までにあった神社は、単に自然や先祖へ感謝だけ
何物も意図しなかった

だから、意図した神社はあとから作られ、元の神様たちじゃなく
明治神宮、乃木神社、東郷神社のように、人間を英雄として祀っていくものになった

もうひとつの理由は、外圧でしょう
黒船で開国を迫ったのは、日本を植民地にしたかった訳ではなく
貿易をしたかったんだと思うけど
もうひとつあるのは、キリスト教の布教

屈した基本が明治維新になったからには、キリスト教を大々的にと期待していたのに
日本の神様で行こうとした。

はあ?
ってところです。
こんなにお世話したげてるのにと。

ただ、キリスト教を強制的に信じなさいと言うわけにもいかなかったんでしょう
信教の自由にしなさいよと。

廃仏毀釈は諦めても
「天皇陛下は神様よ」という国家神道化は
お偉いさんがなんとしても進めようと、このあと色々やっていきます。

また、ちょこちょこ触れていくことにしますね

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