榎本武揚。後半。この命に意味があるのなら

昨日、榎本武揚の前半をお話ししました
榎本武揚。前半。日本で最初で最後の大統領
今日はその続き

降伏
新政府側で函館戦争の総指揮を取ったのが黒田清隆
榎本に再三降伏を促すがずっと拒否されていた

いよいよ完全に終わるという前に
黒田清隆の手紙への返信に
本を同封した。

「海律全書」国際海洋法の本
オランダ留学の時から肌身離さず持ち歩いていた

この貴重な本は、必ず新しい世の中で役に立つ

私は力及ばず腹を切るが
黒田さん、あなたにこの本を託したい。

かねてから、榎本の事を高くかっていたが
完全に、男に惚れた。

何としても腹を切らしちゃいかん

頭を丸坊主にし
新政府内の主要人物に懇願して回った。

どうしても榎本の首を取ると言うのなら
分かった、私の首も取ってからにしてくれ。

投獄
結局、命は取らず、投獄ということになった。
元々ないはずの命
投獄生活も、またそれはそれでよし。

気質は化学者なので、読みたい本は山ほどある

吉田松陰のように、投獄生活の中で大量の本を読んで
知識を蓄えつつ、というようなことは偉人話にありがちなんだけど
榎本武揚の場合、他とちょっと違う。

大量の手紙を家族に送っている。
自分が留学期間中に得た知識をベースに
大量の本から得た知識を肉付けしてまとめ
それを家族に伝授。
ジャンルは幅広いんだけど
硫酸の作り方みたいなものまである。

獄中から家族への手紙と言えば
幼い息子は元気にやっているか、的なことを想像するが
全く違う内容

何をしたかったのかというと
家族と共に心配で仕方ないのが
生きる術を失って困り果てているであろう幕臣たちのこと

新しい世の中で生きていける
新しい技術知識を伝授して
世の中に役立つ「仕事」をして欲しい。

榎本の家族は、手紙の内容をもとに
幕臣たちのもとを積極的に訪れ、
技術知識を伝えていく。

最終的にはそれを本にしていくんです。

釈放
2年後、恩赦で釈放されることになります。

その時、黒田清隆は、あの函館戦争の地、北海道の開拓責任者になっていた。

すぐさま、榎本を呼び寄せる。

今、北海道では様々な困難な課題がある
手伝って欲しい。

「元々ないはずの命
この命の使い途がもしあると言うのなら。」

化学者として役立てること
北海道に大量に眠っている鉱物資源の調査
気象観測

でも、黒田清隆は、それだけでは済ませなかった。
日本で最初で最後の大統領だった男です。
政治の表舞台に引っ張り出します。

もちろん、黒田以外は大反対
薩長土肥の世の中にあって、なぜ賊軍を

その時、一番重要課題であったのがロシアとの交渉

ではお聞きしますが
榎本以上にこの問題に適任者がいるというのなら
名前をあげていただきたい。

みんなは、言葉に窮します。
でも、本音で言うと「だから反対」なんです。
薩長土肥以外で優秀な人間は
優秀であるほど困るのです。

結局黒田に押しきられる形で
榎本がロシアとの交渉にあたることになります。

結果は大成功なのですが

複雑な心境なのがいわゆる抵抗勢力の人達。
でも、彼らの「本音」が少しずつ変わっていきます。

榎本にしてみれば
「元々ないはずの命
この命の使い途がもしあると言うのなら。」
としか思っていない。

賊軍の自分はあくまでもピンチヒッター、助っ人に過ぎない。
困難な課題があるならば、
自分を必要だと言ってもらえる範囲で精一杯のことをやり
あとはよろしく
と、さっと引く。

榎本の人間性が見えてきた。
大丈夫、怖くない。

となると、まあ便利にあれもこれも

駐清特命全権大使として北京に赴き、
伊藤博文が内閣総理大臣になると逓信大臣、
その後、農商務大臣、文部大臣、外務大臣

全て、あとはよろしく。

政治以外
そこまで政治で多忙を極めつつ
それ以外でも名を刻みます

今回ウォーキングで出会った二つの碑も、政治以外の分野
ひとつは北辰社牧場跡

飯田橋というから東京のど真ん中
ここに牧場を作ったのが榎本武揚

東京に牧場という話
これだけで面白い話なので
機会がありましたら別で話しますね。

もうひとつは、東京農業大学開校の地
東京農業大学の初代学長は榎本武揚なんです。

牧場を作ったくらいですから
農業にも造詣が深い。
もちろん、農業だけじゃないですけどね。

榎本武揚。前半。日本で最初で最後の大統領

飯田橋から神保町へのウォーキングの途中に
榎本武揚(えのもとたてあき)関連の碑がありました。

ということで、今日は榎本武揚について

榎本武揚
ペリー来航で、開国した日本。
外国の事も色々勉強しないとね

留学メンバーに榎本武揚も選ばれた

さあ、アメリカへ
のつもりだったんだけど

アメリカ側の事態が急変
アメリカ内部で南北戦争が起きちゃった。

それどころじゃなくなったんで他当たってくれる?

ということで、オランダへ

意気揚々、船に乗り込んだけど、
暴風雨に見舞われて、無人島に流れつく

人生ここまでか

通り掛かった船に何とか助けてもらう

申し訳ないんですけど
オランダまで送っていってもらっていい?

ええよ

となって、留学生活が始まります。

榎本武揚ってスーパーマルチな才能の持ち主で
色んなことやりますが
基本は化学者。

オランダで色んな学問をどんどん吸収していきます。

開陽丸
幕府が、オランダへ発注していた軍艦が出来上がりました。
開陽丸(かいようまる)
ものすごい立派な軍艦です。
このあとも重要な役割をしめますよ

帰りはこれに乗っていってもらっていいよ
助かったあ、帰れる。
本当はもうちょっと勉強したかったけどね。

江戸へ
そんなに長い間じゃないのに
留学期間中に日本は激変しておりました。
将軍は江戸にはいなくて
大阪で大苦戦。

えっ、そんな感じになっちゃってるってかい
べらんめえ
こちとら江戸っ子でいっ
待ってておくんなせいっ
この開陽丸さえあればコテンパン。

開陽丸とともに大阪へ

色々あってとうとう鳥羽伏見の戦いという一大決戦に

よっしゃあ
開陽丸の出番か

でも、戦場は陸地なのよね

そしてここで
歴史上の三大不思議と言われる事態が。

決戦を前に意気上がる幕府の面々を残し
総指令官たる将軍、慶喜がこそっと江戸に逃げ帰っちゃった。

開陽丸に乗ってね。

榎本武揚びっくり

路上駐車していた車が、戻ってみたら、
レッカー移動で忽然と消えていた時の気持ちと一緒でしょう。

あるべきものがない
こ、ここよね

しかも、それがレッカー車の仕業じゃなく
信じきっていた総大将、慶喜の仕業。

この不思議、なぜ逃げ帰ったかの理由は
歴史好きの間で常に議論されるんだけど

この前、ラジオで面白い意見を言う人がいた。

開陽丸に乗ってみたかったんじゃないか

うーん
もちろんそれが全ての理由ではないだろうけど
ひとつの理由かも知れない

元々やんちゃ坊主気質の慶喜
そんなすごいものが目の前にあると乗ってみたくはなるよね。

無血開城
で、ぐぐっと省略して、勝海舟が降参して、江戸城明け渡し。
その約束の中に、幕府所有の軍備は全て譲り渡す。

幕府所有の軍艦は開陽丸を筆頭に大小合わせて12隻
もう、新政府のものですから、引き渡しましょう

べらんめえ
知ったことか

その時海軍総責任者の榎本は拒否。

ところで、このべらんめえ
榎本の口癖です。

オランダでもべらんめえ、べらんめえ言っているので
オランダ人が何を言っているのかと
日本語の辞書を調べたけど出ていなかったというエピソードがあります。

勝海舟は必死で説得

仕方なく、4隻を返したけど
榎本とその仲間が、残りの8隻に分乗して
大脱出作戦
開陽丸は渡せない。

面白いのが、同乗した中に
フランス軍事顧問団の、ジュールブリュネ大尉ら5人
幕府側はフランスから西洋式軍備を習っていたんです。

函館へ
まずは、仙台へ
ところが、またまた暴風雨に会う

8隻中、2隻を失ってしまう。
美賀保丸(みかほまる)と、あの咸臨丸(かんりんまる)

何とか仙台へ着いたけど
仙台はもう新政府に降参していた。

そうこうしているうちにそうそうたるメンバーが聞き付けて追い付いてきた。
新撰組副長土方歳三、歩兵奉行松平太郎、歩兵奉行並大鳥圭介、桑名藩主松平定敬(さだあき)
元老中板倉勝静(かつきよ)と小笠原長行(ながみち)

そして函館へ

作ったのが独立国

アメリカを真似て、大統領を直接選挙で決めよう。
参加した全員が、大統領を誰にしたいかの名前を書いた。

藩主だの、老中だの、新撰組だのを抑えて
圧倒的に榎本武揚が票を集めた。
完全な民主主義。

驚きだったのは、すぐに新政府に倒されたイメージだったけど
結局1年半も国として存在していたこと。

ゴタゴタしていたアメリカに発注していた軍艦がようやく新政府に届いた。
開陽丸より遥かに高性能。

熾烈な戦いも新政府の勝利に終わる。

まだまだ続くんですが、長くなりました。
続きは明日ということに致しましょう。
榎本武揚。後半。この命に意味があるのなら

小栗上野介。敗者の美学

小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)は
幕末期の幕臣にあって、一番頭が良く、志も高かったんじゃないかと思う。

アメリカ
1860年、日米修好通商条約批准のため、日本からアメリカに使節団が送られます。
明治維新の6年前です。

その中にいたのが、小栗上野介

ニューヨークで、空前絶後の大歓迎を受けます。
本人たちもびっくりしたでしょう。
黒山の人だかり
ブロードウェイを行進するはめになります。

羽織袴、頭は剃りあげてちょんまげというへんてこなヘアスタイル。
腰には長いナイフを差している。

アンビリーバボー

何故かやたらに誇らしげで目がキラキラしている
詩人のウォルトホイットマンが
「考え深げな黙想と真摯な魂と輝く目」に感動したと記しています。

その中でも一際、堂々としていたのが小栗上野介
本当は、代表は新見正興(しんみまさおき)なんだけど
どこへ行っても小栗上野介だと間違われちゃう。

通貨の交換比率の見直しの交渉をする

日米修好通商条約後、日本経済は大混乱に陥ります。
大きな原因は交換比率問題
小栗は小判と金貨の分析実験をもとに主張の正しさを証明した

結果、改定にはならなかったんですが
理路整然とした資料と説明。
多くのアメリカの新聞が絶賛した記事を掲載する

どんどん
事なかれ主義の幕臣にあって、小栗の存在は際立っていた。

どんどん色んな仕事を任される。
外国奉行、勘定奉行、海軍、陸軍、製鉄所の建設、鉄砲の製造

これやっといてね
こっちもね

小栗自身も、そんなにいっぱい言われても・・、にならず
次々と提案をしていく。

幕府
でも、極端に頭が良いために、先が読めてしまう。

幕府はもう時間の問題。

親が病気で死のうとしている時、もうだめだと思っても看病の限りを尽くしますね
私は同じことをしようとしているだけです。
幕府の運命には限りがあろうとも、日本の運命には限りがない

横須賀に製鉄所を作り
その鉄を使って黒船に匹敵する軍艦の製造を計画

周りの幕臣たちは全員反対
表向きの反対理由は財政
でも、本音で言うと、
どうせそんなことしても、幕府に勝ち目はない。

小栗は横須賀製鉄所を土蔵だと言った。

どうせ持ってかれると言うのなら
その売家に、土蔵を付けて高く売ってやろうじゃないか。

株式会社
小栗は、神戸の開港に当たって、外国貿易のための「兵庫商社」という株式会社を設立する

日本初の株式会社って、坂本龍馬の海援隊、ないしは亀山社中だとされていますね。

これは、経済学者の坂本藤良教授がそう言ったからです。
でも、そのあと、坂本教授が兵庫商社の存在を知り、詳しく調べると
兵庫商社の方がより早く、より株式会社としての仕組みをより明確に持っている。

わちゃー
嘘言うてもうた。
でも、余りにも有名になっちゃったもんで
どうにもこうにも取り消せなかった。

そして、その株式の概念をより発達させて作ったのが
私が歴史に興味を持った全てのきっかけである
あの、築地ホテル。
おおおっ、これも小栗か
ありがとう。

新政府が
無血開城で江戸城が新政府の手に落ちる。

大急ぎで金庫を調べるが
どれもこれもすっからかん。

誰が持ち出した
今すぐ返せ

いえいえ、幕府に金なんて全くございません。

バカなこと言うな
全く無いなんてあり得るか

出せ、無い、出せ、無いの押し問答。

苦し紛れに、
小栗が持ち出して赤城山に埋めた、との根も葉もない目撃証言

小栗をひっつかまえろ!

捕らえられた小栗

でも、新政府
どこにあるんだ と聞くこともなく
そのまま斬首刑

これはとてもおかしい。
総じて、新政府は賊軍(幕臣)には寛容で
慶喜だって勝海舟だって榎本武揚だって殺していない。

小栗だけが極端な扱いを受けている。

小栗だけは何としても殺したかった、という意図がありあり

一番怖かったんでしょうね。

後に、大隈重信は
「小栗は殺さざるを得なかった
何故なら明治政府の近代化は、そっくり小栗のそれを模倣したものだから」
と言っている。

という事ですから
徳川埋蔵金はあるんでしょうか、無いんでしょうか

庚申塚ってなんだろか

暦の六十干支の話はしましたね
暦ってそういうカラクリだったのか
干支はここにもあそこにも

その六十の組み合わせのうち、大きなこだわりがあるのが、丙午(ひのえうま)と庚申(かのえさる、こうしん)

五行(木、火、土、金、水)の陽と陰が
十干にも割り当たっていますし
十二支にも割り当たっています

庚はかのえっていうくらいですから、か(金)のえ(陽)
申に割り当たっているのも金の陽なんです。

ちなみに、丙午(ひのえうま)は、両方ともひ(火)のえ(陽)

こういう風に同じのが重なるとその傾向がとても強く出る
良い方に出れば良いんだけど、悪い方に出れば大変、ってことです。

金は、人の心も和合を忘れ、冷酷になりやすから、
庚申の年や日は金の冷徹な面が人に作用しやすいと言われていた。

道教
道教の言い伝えで、こういうのがある。

地上界には監視を受け持つ三神がいる。
これら三神は、通常虫の姿(三尸)で人の頭と腹と足に入り込み、日々の行いを監視している。
しかし、庚申の夜になると寝ているうちに人体を抜け出して天に上り天帝に日頃の悪事を報告するというのである。

ちくる訳ですね。

そのため庚申の夜は虫が抜け出さないように、
一晩中起きているという風習が生まれました。
六十干支は日も順繰りに巡ってくるので
60日、2ヶ月に1回は夜通し起きていましょう、という事です。

面白いですね。
そこは、日頃の行いをちゃんとしようという方向に行かず
チクリ屋を逃さないようにしようという発想になるんです。

今後は、会社で眠くてコクリコクリしちゃって怒られたとき
いやあ、昨日庚申だったもんで、ということにしましょう。

過ごし方
江戸時代くらいまで、かなり多くこの風習は守られていた。

庚申の夜は寝ちゃいけないので
一人じゃどうやっても無理だから
何人かで集まって酒飲んでドンチャン騒ぎしながら夜を明かす。
庚申講と言います。

早い話、何かにかこつけて飲みたいから
口実ですね
こりゃ絶対に守らないと!

それでもって
その夜に、何を間違ったか
何を何したりして
子供を受胎するとえらいことになるらしい
その子供は盗賊になっちゃう

それは、現実にそういう例があったことから言われ出した俗説。
石川五右衛門がそうなんです。

「五右衛門の、親、庚申の、夜を忘れ」という川柳もあります。

庚申塚
ウォーキングをやっていると
あちこちに、庚申塚というのがある

庚申講を3年18回続けた記念
僕たち良く頑張りました賞
塚の上に石塔を建てることから庚申塚という。

辻に立てられ
旅人を守るという役目も兼ねる。

庶民が立てる訳なので、粗末なものも多く、良く良く見ると、っいうのもかなりある
庚申塚のある場所には
庚申の地名が着いているところもかなり多いですね

ほとんどが
下の所に、見ざる聞かざる言わざるが彫られている。

昔から、何でだろうと思っていたんですよ。
庚申信仰で、ようやく分かりました

日本の場合、かのえさるっていうことで
猿ですね、と言うことで
三つの虫は三つの猿とも考える
見ざる聞かざる言わざる、でチクリ屋さん
そこを何とかたのんます、ってことですね

見ざる聞かざる言わざるってもっと高尚な事かと思ってたのに
そういう事だったのね

良い方に
勿論、庚申は、金の性質が強く出ると言うことだから
悪い方ばかりじゃなく
良い方にも強く出る

現実にそういう例があったので
これも言い伝えられる。

豊臣秀吉が庚申の日に産まれている。
大出世ですね。

なんだ、ええんやんか。

そして、夏目漱石も
本名は夏目金之助と言います。
金ちゃんですね

金ってやっぱり、お金のイメージだから
博打打ちには好まれて、よし今日だ!

博打じゃなくても何だか儲かる気がしますよね