[神社] オオモノヌシノミコトは何者?

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オオモノヌシ

オオクニヌシノミコトで、オオクニヌシには色んな名前があると言いました
そのひとつがオオモノヌシ

「古事記」において、オオクニヌシノカミが国造りを行った際
2番目の協力者となったのが、
大和(奈良県)の国津神オオモノヌシノカミです。

「日本書紀」では、オオモノヌシは国造りの最中には出てきません。
最初の協力者スクナビコナに去られたのち、
独力で国造りを完了したオオクニヌシの前に、
海の彼方から、光に包まれた何者かが現れました。

この謎の神オオモノヌシは、
オオクニヌシによって三輪山に祀られるのですが、
彼はオオクニヌシに、「私はあなたの幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)だ」
と告げています。

あなたの魂の一部です。
つまりオオモノヌシは、
オオクニヌシの一面だということになります

神様は二面性を持っています
荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)
人間にも二面性があります
活発な時と、穏やかな時
交感神経が働いているときと、副交感神経が働いているとき

神様の荒魂(あらみたま)は交感神経が働いているときで
和魂(にぎみたま)は副交感神経が働いているとき

神社でも、和魂の横に荒魂も祀られていたりします
勝負ごとに勝ちたい時とか、受験に受かりたい時とかは荒魂にお願いした方が良いですが
平穏無事に暮らせますように、みたいなときは、和魂にお願いした方が良い

さらに、和魂は、幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)に分かれます

幸魂(さきみたま)は分裂拡張していく時で
奇魂(くしみたま)は分裂拡張したものがまとまっていく状態
心臓がドックンドックンする感じでしょうか

このオオモノヌシ
奈良の三輪山をご神体とする大神(おおみわ)神社の祭神
大和(奈良の政権)が出雲を征服したというなら話が分かりやすいのですが
奈良の神様と出雲の神様が実は同じ神様の違う側面だと言っています
奈良は奈良でも元々別の勢力だったのでしょうか

オオクニヌシの時にも推測したように
元々別の勢力だったものが
結婚によって結び付いていって
親戚化したのかも知れません

大神神社や出雲大社にお参りするときは、
「幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまひ さきはえたまえ)」
と唱えます。

モノ
オオモノヌシの「モノ」という言葉に注目してみましょう

モノという言葉には、
「得体のしれない何か」といった意味があります
(たとえば「モノノケ」)。

第7代孝霊天皇の娘ヤマトトトヒモモソヒメは、
オオモノヌシの妻となりましたが、
夫は夜しか通ってこないため、どんな姿なのかわかりません。
懇願されたオオモノヌシは、
「見ても驚かないように」といったうえで、正体を見せます。
それは美しい蛇でした。
ヒメが叫び声をあげると、約束を破られたオオモノヌシは、
三輪山へと飛び去ってしまいました。

疫病を流行らせたうえで、第10代崇神天皇の夢に現れ、
「自分を祀れば疫病が鎮まる」と告げたこともあります。

祟り神としての一面ももつ神だといえるでしょう

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日本の神様シリーズ
超大物の登場です

オオクニヌシノミコト(大国主命)

もともと世界は「天」と「地」に大きく分かれており
「天」を治めていたのがアマテラスオオミカミ(天照大御神)
「地」に降り立ったのがその弟のスサノオノミコト
スサノオノミコトの直系子孫である
オオクニヌシノミコト(大国主命)が「地」を治めていた

アマテラスオオミカミからの使令で地に降り立ったニニギノミコト(瓊瓊杵尊)
天孫降臨(てんそんこうりん)です
交渉の末
了解です。「地」の統治もお譲りしましょう、となったのが国譲り
両方をアマテラスオオミカミが治めることになった

古事記や日本書紀に出てくる神話のざっとしたストーリー

おそらくこの話は何らかの事を象徴している

ヤマト政権が諸族と戦いを繰り返しながら制圧していき統一
その辺の生々しい事を、敗者も傷つけない形の「譲る」という形にしたのでしょう

多くの名前
オオクニヌシノミコトはもともとオオナムチという名前でした
彼はほかにも多くの名前をもちます。

本来は別々の神様たちを表していたのだと思われます
ヤマト政権が神話を作る際、
多くの地方神をひとつに統合し、
そうしてできた神に「オオクニヌシ」という新しい名前をつけたのだと思われます

その中核となったオオナムチは、
古くから出雲地方で尊ばれていた有名な神で、
各地の「風土記」や、古代の和歌を集めた「万葉集」にも登場します。
当時の出雲に存在した、
ヤマト政権と拮抗するほどの一大勢力を象徴する神です。

各地方の神を取り込んだ「オオクニヌシ」を作り、
これを天上出身のスサノオの子孫として設定することで、
「オオクニヌシの国が天津神に譲られたのは、当然のことだ」
とストーリーだてたのでしょう

ただ、譲るなんてあり得ない、戦のカモフラージュに違いない、
とも言い切れないかなと思っています

地方の有力豪族たちも、できれば武力による解決は避けたいところ
最大勢力のヤマト政権とは良い関係を築いていたいと考えるでしょう
その後の日本の歴史でも多々見られる政略結婚が繰り返されたとしてもおかしくありません
ヤマト政権に次ぐ第二勢力「出雲」もヤマト政権と親戚関係になっていたかも知れません
スサノオの子孫がオオクニヌシノミコトというのもまんざら嘘じゃないかも知れないし
であれば、分家が本家に譲るというのも、
その時点で有力な跡継ぎがいなければあり得ない話ではない

ともあれ記紀神話のオオクニヌシは、
国を豊かに完成させた偉大な功労者といえます

大黒天
大黒天と同一視される
オオクニヌシは、名前の「大国」の音読みから
「だいこくさん」とも呼ばれ、
中世以降、同じ音の名前をもつ大黒天と習合しました。

大黒天は、もとはインドのマハーカーラという神様で、
破壊神シヴァの化身です。
これが仏教に取り込まれ、
中国経由で日本にやってきたのですが、
オオクニヌシと習合する過程で、もとの破壊神の性格を失い、
七福神の1柱となりました。

オオクニヌシは現在、
出雲大社(島根県)、神田明神(東京都)などの祭神です。
6人の妻をもったことから、縁結びの神様としても尊ばれています。

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[神社] オオゲツヒメノカミ。食べ物の神様

三種の神器のシリーズの間、日本の神様シリーズは中断していましたが
三種の神器シリーズを終えましたので再開することに致します

オオゲツヒメノカミ

イザナギとイザナミの神産みで誕生した、食物神のオオゲツヒメノカミ。
とても気の毒な女神です

神産みの時、最初に生まれたのが「淡道之穂之狭別島(=淡路島)」で
次が「伊予之二名島(=四国)」だったんだけど、
「伊予之二名島イヨノフタナノシマ(=四国)」はひとつの体に4つの顔があって、
それぞれの顔に名前がついていた。

伊予の国→愛比売(エヒメ)
讃岐の国→飯依比古(イヒヨリヒコ)
阿波の国→大宜都比売(オオゲツヒメ)
土佐の国→建依別(タケヨリワケ)

阿波の国、すなわち徳島県がオオゲツヒメノカミです

オオゲツヒメの名前が二度目に登場するのが、スサノオノミコトとのやり取り
「古事記」によると、
天の岩戸騒動のあとにスサノオノミコトが天上から追放されたとき、
空腹の彼に乞われ、
オオゲツヒメはたくさんのご馳走を提供しました。

ところが、オオゲツヒメの食料提供方法はあまりに独特でした。
鼻、口、尻から食材を取り出し、それを調理するのです。
食物の神ですから、体から食材を出すのは当然といえば当然ですが、
それを見たスサノオは、汚物を供されていると誤解し、
女神を斬り殺してしまいました。

すると、死体の頭から蚕、目から稲、耳から粟、
鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆が発生しました。

これが五穀や養蚕の起源だとされます
(造化三神のうちの1柱カミムスビノカミが、
それらを取って種子としました)。

「日本書紀」では、
よく似たストーリーが、
イザナギの禊から生まれた三貴子の1柱であるツクヨミノミコトと、
食物神ウケモチノカミとの間で展開します。

吐き出された食物を提供されて怒ったツクヨミがウケモチを殺すと、
死体から稲や大豆などが生まれ、
アマテラスオオミカミがそれを喜び、
穀物の種子としたというのです。
じつは、死体から食べ物が生まれるこのような話は、諸外国でも見られます。
インドネシアの神話にちなんで
ハイヌウェレ型神話と呼ばれる食物起源神話です。

オオゲツヒメを祀る神社は、上一宮大栗神社や阿波井神社など、
徳島県に多く存在します。
オオゲツヒメがこの地に栗を広めたとの伝説があります
かつて徳島県の北部は栗の生産地で、旧国名は阿波ということになります

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[三種の神器] 本当はどこにあるのか

[三種の神器] えっそうだったの?
[三種の神器] 八咫鏡はアマテラス
[三種の神器] 八咫鏡。どんな形?
[三種の神器] 草薙剣。不思議なことだらけ
[三種の神器] 草薙剣。その姿は
[三種の神器] 八尺瓊勾玉って何の形?
[三種の神器] 八尺瓊勾玉の意味するところ
の続きです

三種の神器シリーズとしては最終回になります

三種
これまで、三種の神器を個別に2回ずつ書いてきましたが
改めて「三種」の意味について考えます

神器は10代崇神(すじん)天皇の時には「鏡」と「剣」の二種だった
三種になったのは、古事記・日本書紀に書かれてから
すなわち、天武天皇が決めた、と言える

もっと前、三種の神宝はあったと思われる
「銅鐸(どうたく)」「銅剣」「銅鏡」

銅鐸は歴史の教科書などで馴染みはあるが
ある時を境に、パタっと消えてなくなる

古事記・日本書紀には銅鐸は一切触れられていないので
その頃には、人々の記憶から、銅鐸は消えていたと思われる

用途は推測に過ぎないが、宗教儀式に関わるものだろう
宗教や文化の大革命が行われたのだろう

銅鐸が無くなることにより、二種になるが
主役は「鏡」になる
勾玉が三種に仲間入りしても、銅鐸に取って変わるというものではなかった

三種の王器、の発想はもともと中国のもの
中身は、全く日本とは異なる

考え方をいただいて、日本でも三種の神器とすべく、天武天皇が決めた
「考え方」の中心になるのは、道教の思想からの陰陽道(おんみょうどう)になる

陰と陽なので、太陽の象徴の鏡だけではバランスが取れず
月の象徴の勾玉を三種の神器に入れたかった

御霊(ごりょう)信仰
日本には古くから信じられた御霊(ごりょう)信仰なる考え方がある
征服した敵は祟り(たたり)をなす
でも、その象徴を手厚く祀る事で、強力な守護神となる

三種の神器は崇神天皇の時に祟ったために、宮中から外に出し、伊勢神宮に移した
古事記・日本書紀には、鏡と玉が書かれているが
ヤマトタケルは伊勢神宮で草薙剣を賜っているから
少なくともその時期までには、剣も伊勢神宮に移っていたことになる

祟りをなしたということは、元々征服した敵の象徴たるものだったのだろうか
明確にそう言えるのは、草薙剣だろう

ヤマタノオロチを退治した時に尻尾から出てきたのが、草薙剣(正確には、天叢雲剣)
退治した時に使われた十拳剣(とつかのつるぎ)ではない
ヤマトからすると、征服した相手は出雲だろう

勾玉については、ニギハヤヒの象徴だったと思われる

分からないのが八咫鏡(やたのかがみ)
これはまさしく天照大御神の象徴なので、征服した相手ではないはず
祟りが起こるはずがない
ひょっとすると、天照大御神自体も、征服した相手だったということも考えられなくはない

さらに、謎として残っているのが、祟りをなして、伊勢神宮に移ったはずの勾玉の本体が、宮中にあるということ
八咫鏡の本体は伊勢神宮にあり
草薙剣の本体は熱田神宮にある
宮中にあるのはその分身

なぜ、いつの間にか、勾玉だけが宮中に戻ってきたのか
祟りは大丈夫なのか

剣璽御動座(けんじごどうざ)と言って、天皇が1日以上皇居を離れる時は
剣と玉は一緒に持っていく
鏡は動かない
場所で言っても、鏡は賢所という宮中三殿の真ん中の建物に厳重に管理されている
剣と玉は、天皇の寝室の隣の剣璽(けんじ)の間
どうも、鏡を一番重視しているように思える
勾玉だけは本体なのに、なぜ最重視されないのか

三種の神器の作者、戸矢学さんは、ある推論を展開している

八尺瓊勾玉の本体は、皇居にはなく、伊勢神宮にある
皇居にあるのは、その分身

祟りがあるはずの勾玉の本体が帰ってきたという記述がないのに、本体が皇居にあるという経緯が不明だし、理由もない
本体なんだったら、剣璽御動座で動かすはずがない

なるほど、バランスとしてはそうかもしれない
天皇と言えども、三種の神器は見てはいけないのだから
伊勢神宮の神器が八咫鏡だけだというのは、誰にも分からない

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