掃除道入門

いかんっ
えらいもんが目に入ってしまった。

本屋で見つけた「掃除道入門」
えっ、何?

恐る恐る中身を立ち読み
あかん。どないしょう。

掃除
私は掃除が大嫌い。
わが家の絶対君主、カミさんの命令で、仕方なく週末の度に掃除をしますが
カミさんは、なんであんなにも掃除が好きなのか全く理解できない。

家事の中で、料理が面白いのはまあ理解はできますが
掃除と洗濯は理解不可能。

ひょっとして、この掃除道入門なる本を読めば
カミさんの気持ちが分かるようになったりするのでしょうか

分かりたい訳ではないのですが。


掃除のテクニックを書いた本ではありません。
書いたのはお寺のお坊さん。

参った。
そんなところから攻められては。

でも、こんな本を買ったことがカミさんに知れたらえらいことになります。
ここぞとばかりに畳み掛けてくるでしょう。

今でも、ところどころ秘密のチェックポイントなるものがあり
真面目にやっていないとすぐにばれてしまいます。
この上ない性格の悪さ。

検索してみましたら、なんと電子書籍でも売っております。
これなら、カミさんには絶対ばれません。

ポチッ

掃除道入門
素晴らしいです、この本。
なんでほとんどのお寺がきれいなのか、良く分かりました。

掃除は、仏教の中で、唯一宗派関係無く統一されている修行だった。
神社でもそうですが、大体お寺って大きな木があります。
当然落ち葉がいっぱい。
でも、確かにお寺で落ち葉はちゃんと掃き片付けてあります。

さあ、読んでいきましょう。

道理はいたってシンプルです。
上から下へ。流れに逆らわず。すべてのものを大切に。
掃除をはじめ、薪割りや草取りなど修行環境を整えるために必要な仕事を「作務(さむ)」というそうです。
修行の入口であり、基本
あの作務衣(さむえ)という上着は、作務をするためのものだったんですね。

人生は日日是修行
丁寧な生き方をすればこころもきれいに整います。

良いこと言います。

著者のいる光明寺では、朝早くに、竹ぼうきを使った落ち葉はきや、
お墓の掃除の修行体験をやっていて、大人気だそうです。
確かに気持ち良さそうです。

そういうと、日本では今もそうなんでしょうか
少なくとも私の時代は、小学校で生徒全員で教室の掃除をする時間がありました。

ホームルームで良く見られた光景

何か意見ある人

はいっ
昨日も、男子はずっとふざけていて掃除をしてくれません。

ホームルームあるあるですね
女の子の定番の攻撃。

どうも、外国では学校の教室は掃除業者さんがやるらしいです。

外国で掃除道の講演もするらしいんですが
必ず出る質問が
お金を出してやっもらったら済む話なのに良く分かりません。

その時に答えるのが
掃除は修行です。単なる作業とは違います。
あなたは、座禅や瞑想を、お金を出して誰かにやってもらいますか、と。

うわあ、参りました。
耳が痛い。

世間で大評判のお掃除ロボット、ルンバとか
何とか、カミさんを説得して買おうと

ねえねえ、すごく良いらしいよ。みんな持ってるって。

絶対いや

なんで?むっちゃきれいになるらしいで。

嫌やて。そんなん買ったら自分で掃除できない。

参りました。カミさんは掃除道が分かっていたのかも知れません。

目的
私は掃除の目的を、きれいにする事だと思っていました。
だから苦痛だったのかも知れません。

落ち葉って掃いても掃いてもまた落ちてくる。
若い僧の全員が通るのがこんな気持ちらしいです。

これ、キリないじゃない
いくら綺麗にしたって、また明日になったら同じ状態
分かりきっている。
綺麗にならない。
そんな無駄なことをやってなんの意味があるのかと。

ホームルームでの男子たちも、
また明日ほこりは貯まるんだし、何の意味があるの?
と言った途端
女子から総攻撃を浴びせられた記憶があります。

結局は、そんな事分かっているけど、ただ掃く。
来る日も来る日もただ掃く。
綺麗になった、気持ち良い。
あくる日みたら、また落ち葉
ああ嬉しい。また、綺麗にする気持ち良さを味わえる。
キリがないのが修行。
ずっと気持ち良い修行。

ルンバさんには気持ちがないから
機械さんなんぞに修行をさせちゃ勿体ない。

すごく分かりやすいですね

ただ、この本の良さはこれで止まらなかった事です。

ここまでだったら
まあそうでしょうね、と
すごぉく言ってる意味は分かるけど
でもやっぱり面倒だしな、で終わっていたかも知れません。
いわゆるきれい事。

逆の事が書いてあって、それも修行なんだと。
ええっ、良いんだ

長くなりましたので
続きはまた書きますね

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栄西。禅その心は?

名僧シリーズ

法然のあと、親鸞、一遍と浄土系の僧を続けて来ましたが
時代で言うと、法然とほぼ近い時期に、栄西がいます。

栄西、そのあと、道元と禅宗系の僧に入っていきましょう。

栄西
永治元年(1141)年、備中(岡山県)に産まれます。
法然よりちょっとだけあとです。

とっても面白いのですが、神職の家です。
普通にしていれば、神主さんになっていたのかも。

幼少の頃から聡明利発で、8歳で色んなお経を読破
11歳で地元のお寺で出家
19歳でいよいよ比叡山へ
出世コースです。

比叡山天台宗ってほんとにすごいですね。
ほとんどの名僧はこのコースを一度は辿ります。

とは言え、最澄の時より大分経っています。
貴族の政争の具として、腐敗堕落をしています。

だから、この時期以降に、ぼこぼこっと新しい宗派が生まれていく訳です。

中国へ
頭の切れる人は、自分の所属している組織が不甲斐ないと
耐えられなくて、何とかしたくなるもんです。

よしっ、本場中国へ行って勉強し直しだ。

遣唐使が廃止されてから
それほど中国との交流はなされなくなり
良く言うと日本独自の路線が進み
悪く言うと、中国の最新の情報からは遅れ気味

中国は宋の時代に入っておりました。
27歳で南宋へ

中国の天台宗を積極的に見て回ります。
天台宗の密教も極めた栄西は、帰国後、「葉上流」というグループを形成し大活躍。
天台宗の復興に大きく貢献します。


とは言え、頭の中にずっと引っ掛かっていることがあります。

中国には、天台宗を習い直しに行ったので、天台宗を中心に情報収集して回った訳ですが
その時、中国で流行りの仏教があった。

禅宗系の各宗派です。

ああ、気になる。
今の日本に必要なのはひょっとして、そっちではあるまいか。

天台宗で確固たる地位を築いている栄西
今更そんなこと考えなくても良いし、要求もされていません。

でもなあ
やっぱり、自分に嘘はつけない

47歳にして、再び南宋へ
今度は、禅です。

新人駆け出しの栄西と申します。
よろしくお願いしまーす。

今までの地位も知識も全部無関係
禅宗系の臨済宗(りんざいしゅう)を訪れ、全くの一からです。

心と体に禅を叩き込み帰国

日本に禅の大革命
といきたいところなんですが
あんまり喧嘩したくタイプの性格

良く言えば気遣い
悪く言えば日和見

目一杯気を使いながらそろりそろり。

でも、天台宗からすると裏切り者
えらい弾圧を受けます。
とうとう、禅宗禁止の宣下が下されます。

せっかくすごい気を使ってたのにね
追われるように博多へ
博多で、聖福寺(しょうふくじ)という日本で初めての禅宗のお寺

手を差しのべてくれたのは北条政子
鎌倉へおいでなさい。

源頼朝が亡くなり、弔うために寿福寺を建立し、そこへ招いたのです。

でも政子さん、禅って説明を受けても良く分かりません。

良いわ。何だか分からないから、密教の呪術で何とかして。

元々、密教の専門家ですからね。
我慢我慢。
はい、お安い御用でございます。

二代将軍、頼家に守られて
いよいよ京都に進出。
建仁寺を立てます。

さあ、京都に禅宗(臨済宗)なんだけど
建仁寺を天台宗、真言宗、禅宗の三宗兼学の寺とします。

痛々しいほどの気の使いよう。

後に他宗から、権力におもねた腰抜け、的言われ方をするんですが
結果的に、そのお陰で、日本に禅宗が広まっていった訳です。


考えてみれば、それまでそんなに禅が広まっていなかった方が不思議に思います。

お釈迦様のイメージって、菩提樹の下で、座禅(瞑想)

その後の禅を深めた達磨大師(だるまたいし)なんて
あんまりずっと座っていたもんで、手足が腐ってなくなっちゃいました。

オリエンタルな宗教や健康法って大体共通して、ヨガがベースになっていて
呼吸法を伴っている。

仏教って、哲学や科学の要素を含んでいるけど
最も科学的な要素が、禅や呼吸法だと思う。

健康法も随分色々見たけど
自律神経を自分で意識してコントロール出来るのは呼吸だけ

悟りという表現は使うけど
目指しているのは、自分の心と体を自分でコントロールする出来るようにする
そこじゃないかな。

禅宗って、栄西の臨済宗、
次にお話しようと思っている道元の曹洞宗
江戸時代に伝わった黄檗宗(おうばくしゅう)とあります。

道元のところでもう少しお話ししようと思っていますが
臨済宗の特徴は、考える座禅

男とは

飲むことよ

みたいな問答ですね

お茶
あと、栄西で有名なのは、お茶の種を中国から持ち帰って栽培し
日本にお茶を普及させたこと。

栄西がいなければ

おーい、お茶
なんて、言えなかった訳ですね
(言ったことないけど)

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神社ってどうして出来たのか

八幡神と神仏習合、という本を読みました。

ウォーキングしていると気になって仕方ないのが、八幡神社と稲荷神社
多いのなんの

まずは、八幡神から、その歴史を解明しようと思ったのですが
実にすごい。この八幡神なるもの

八幡神社についてシリーズで書いていこうと思っているんですが

この本を読むと、そもそも神社ってどういうふうに出来たかから
詳しく解説してある。

今まで思っていたのと随分違っていて興味深いので
まずそちらから。

神社
神社って、無かった。
今存在するような、建物の神社です。

神は山だった。
ここまでは何となく分かります。
山の頂上付近に、
大きな岩とか、形の変わった岩だとか、滝だとか、湧水だとか、大樹だとか
神秘的に感じるものを
磐座(いわくら)とか磐境(いわさか)って呼んで
神様が降りてくると考える。
山宮と言います。

でもこれだけじゃメリットありません。

麓にも岩や、水や、大樹のような神秘的なものを見つける。
これを里宮と呼びます。

そして、田んぼや畑そのもの
これを、田宮または野宮と言います。

山宮から里宮、里宮から田宮に、神様に移ってもらう。

農作業が始まる春に来てもらい
秋に収穫後、ありがとうございました、とお礼して、山宮に戻ってもらう。

山宮は一つですが、里宮、田宮は複数になります。

ちなみに海岸の町であれば、山は、島に変わってたりします。

要は、神様は自然そのもので、何の装置もない
神様に分かってもらいやすくするため
しめ縄と紙垂は付けるけどそれだけ。
あるのは儀式だけだった。

これが少しずつ変化を遂げます。

早い話が毎年毎年めんどくさい。
近くに常駐してくれていればより便利。

里宮にずっといるってことでどうでしょうか。

とはいえ、まだこの時点では考え方を変えただけで、
形は全く変わらない
今まで通り自然そのもの
ひょっとするとこの時点で、鳥居くらいは付いた可能性がある

ただ、地域全体の山宮一つが中心だった時に比べ
複数の里宮が中心になると
氏族の考え方が追加される。

血縁でつながりの深い一族が
うちらの一族はこの岩ね
おたくらは、そっちの大木だったよね
って感じで
一族の守り神になってくる。

そうなると、自然そのものが神だったのに加えて
自分達の血縁の元になる祖先を辿り
その祖先を神様とする考え方が出てくる。
自然神に祖先神が加わった概念
氏神様の誕生です。

建物という考え方も少しずつは出てくる。
収穫したものを保存しておく倉も少しずつ立派になって来るので
その倉の方に神様に来ていただく。

いずれにしても、それぞれのところで発生しているので
八百万(やおよろず)の神であることは間違いありません。

大きな物を前にして圧倒されると言うような自然な気持ちや
災害や死を恐れる気持ちや
たまたま起きた不思議な出来事に恐れて神の仕業と考えるというような
ごく原始的な、自然発生的信仰心でしかない。
祈りで願いを叶えてもらえるかも

そんなところに外国から仏教がもたらされます。
理論や教義に裏打ちされ
人間の生きるべき道を考えさせられたりします。
紙に文字で書かれたお経まであったりします。

びっくり仰天、ひっくり返ります。
一気にカオス状態に陥ります。
憧れの気持ちと対抗したい気持ち
矛盾する二つの気持ちが交錯する

木造建築の技術は外国の方が優れている。
でもそのまま取り入れては寺そのものになる
ここはやめとこう、というのを決める。

屋根は切り妻で、寄棟にはしない
瓦は使わず、壁は土壁にはしない

神仏習合になっていくとこの原則はかなり崩れていくんですが。

そもそも神道という言葉すら
仏教伝来まで存在しなかった。
ただバラバラに神様がいるだけでしたから。

仏教と区別するために神道が産まれたと言っても良い。

元々、氏族のための守り神だから
全国的な発展というのにはそぐわない。

結局は、仏教の力を借り
神仏習合になりながらの発展になる

その神仏習合を主導して進めていったのが
八幡社ということになります。

天皇シリーズとも呼応しつつ
八幡神社をシリーズにしていきますね。

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士農工商ってほんと?

福の神、貧乏神、という本を読みました。

七福神ファンですから。

七福神巡りは何度もやっていますが、
お寺に祀られていたり、神社に祀られていたり様々

一つの答えは、神仏習合で、神道も仏教もいっしょくただから。
この辺の話は、いつか数回に分けてじっくり話したいと思っています。

もうひとつは、神道だの仏教だのにとらわれない、民間信仰だから。

草の根的な自然に沸き起こってくる信仰。

名僧シリーズでやっているような、えらい人は誰一人からまない。
とても不思議。
庚申塔や富士塚や小さなお地蔵さんや。
ウォーキングをやっていると気になることだらけ。

この本を読み進めていくと、とても興味深いことが書いてある。

七福神の広まり
七福神が広まった一つの要因は、広めた人がいるから

大黒さん、恵比寿さん、毘沙門天あたりで顕著なんだけど
例えば、大黒さんなら大黒舞みたいなのがあって大黒さんの格好をしたり
恵比寿さんの人形を持ったりして
めでたい口上を言って家々を回る。
正月だと、門付けといって、
獅子舞みたいな感じで、家々を回ると
いくばくかのお金をもらえる。

ただ、それが成り立つのは、正月のようなごく限られた日だけ
また来たってことになるから
地方を回って、それで広がっていくということになる。

とはいえ、それだけで生計がたつとも考えがたく
おそらく本業が別にある

どういう人達かなんだけど
この本によると、いわゆる被差別層の人達。

信仰や宗教って、穢れ(けがれ)と実は表裏一体。
穢れの代表格は死
でも、葬式は仏教寺院の主要な収入源になっている。

死体を片付けるというような、誰もが忌み嫌うような仕事は
被差別層の人達が担当しているけど
実は、信仰的な事と、極めて近い距離にいたことになり
そのままの自然な流れで、民間信仰の中心的な役割を担うようになっていったのだと。

驚きました。
ただ、理不尽な扱いを受け続けていたと思っていたのに
ありがたや、と手を合わせてもらえる対象の一役も担っていたことになる。

頭の中が大混乱です。

改めて疑問が沸いて来ます。
士農工商って何だろう

士農工商
江戸時代が好きで、ずいぶん本も読んだけど
読めば読むほど一つの疑問が沸いて来ます。

士農工商ってほんと?

教科書で習った江戸時代の、基本中の基本のキーワード
士農工商という身分制度があったと習いました。

でも、どの本を読んでも、士農工商について書いていない。

こんなに出てこないのはやっぱりおかしい。
士農工商って身分制度は、本当はなかったんじゃないのか。

考えてみれば、士農工商は矛盾がありすぎる。

漁業や林業はどれよ
朝廷や、お公家さんたちはどうなるの?
大人気の相撲取りや歌舞伎役者や落語家等の
江戸を象徴する人達は、商、なの?工、なの?

一番の疑問は
江戸の中で15%の敷地面積を占めていた、神社仏閣
僧侶や神職が入っていないのは、おかしすぎる。

出家というのは、俗人ではなくなるという意味だから
枠組みのどこにも入らないって事かも知れません。
天海をはじめとして、かなり社会の根幹的なところを担いましたので
やっぱり納得がいきません。

昨日書いた一遍の時衆たち
かなり、被差別層の人達の割合が大きい。

一遍自身だって、乞食僧だから、アウトロー

七福神でいうと、私が一番好きな、布袋さんは、乞食僧です。

そういう人が神様になっちゃう。

例えば、仙台で超有名な福の神、仙台四郎って知恵遅れです。

恵比寿さんだって、元々は立てない未熟児の蛭子命(ひるこのみこと)が元になっているし
そもそも、夷(えびす)や戎(えびす)って外国人を見下した差別用語です。

結局、「関係ない」んじゃないだろうか

庶民の文化を見ていくにつれ
武士たちを支配者、自分達は被支配者なんて感覚はどうにも見てとれない
ほぼ対等にとらえているし、
ともすれば、小馬鹿にしていたりする。

頼りにしているのは、武士達や立派なおエライさんじゃなく
弱いものの立場に立ってくれる人を神としてあがめ
そんな、身近な神様を
たのんまっせ、と頼りにしている。

これこそが、日本の誇るべき、八百万の神なんじゃないだろうか。

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