[神社] 宇賀神。蛇の格好の神様

日本の神様シリーズ

宇賀神(うがじん)

とぐろを巻いた状態の蛇を胴体とし、その上に人間の頭部が載っている姿(人頭蛇身)の神像があります。頭部は男性だったり女性だったりで、年齢は一定していません。
福をもたらす神とされる宇賀神(うがじん)です。
今年、2025年の十二支は巳なので今年注目の神様。

この宇賀神は、どう誕生したのか、よくわかっていません。
名前が近いことから、『古事記』『日本書紀』に登場するウカノミタマノカミと関連があるとする考え方もあります。
ウカノミタマは稲の精が神格化された神で、食物や五穀をつかさどるとされます。

宇賀神の胴体が蛇である理由について、
江戸時代中期の天野信景(1663~1733年)(あまのさだかげ)という国学者は、
「宇賀」が古代インドのサンスクリット語の「ウガヤ」に当たり、白蛇を意味するとしています。ただ、これはいくつかある推測のひとつでしかありません。

白蛇そのものを宇賀神と呼び、神様として祀る例も見られます。蛇はよく田にいて、米を食い荒らす鼠の天敵でもあるため、豊作をもたらす田の神とされることがあります。この蛇が、五穀の神のウカノミタマを経由して、宇賀神と結びついたようです。
宇賀神は、神仏習合の考え方のもとでは、
七福神のうちの1柱である弁財天と同一視されました。

弁財天の像の頭部にある宝冠の中に、
人頭蛇身の宇賀神像が小さく作られていることもあります。
竹生島宝厳寺の宇賀弁財天

このように宇賀神が合体した弁財天は特に、宇賀弁財天と呼ばれます。
弁財天と結びついたことで、宇賀神に対する信仰はさらに広まりました。

私は東京の七福神巡りは随分行きました
感覚的には、弁財天のうち、半分ほどは宇賀弁財天として蛇が絡んでいる
例えば小石川七福神の徳雲寺の宇賀弁財天

上野不忍池の宇賀弁財天

宇賀神はまた、稲荷神とも習合しました。
そのため、多くの稲荷神社にも祀られています。

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[神社] 金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)

古事記や日本書紀に出てこない、その他の神様たち
今回はこんぴら様

江戸時代、一般の人が遠方に旅行することは制限されていました。
数少ない例外のうちのひとつが、神社やお寺への参拝です。

金刀比羅宮
これで人気が出たのが、伊勢神宮へのおかげ参りや、熊野三山への熊野詣ですが、
それらに次ぐほどの人気があったのが金毘羅(こんぴら)参りで、
多くの人々が四国の金刀比羅宮(ことひらぐう)(香川県)をめざしました。

おかげで金刀比羅宮に向かう四方八方の街道が整備され
街道が整備されて便利になると、またこんぴら詣りが人気を博すという好循環

面白いのが、伊勢参りでもあった犬の代参
こんぴら狗は、犬の首に「こんぴら詣」と書いた札を下げて放ち、
金毘羅参りに向かう人々が道中で見つけると、
一緒に連れて行ってくれるというものです。

また、流し樽(舟)は賽銭や初穂をいれた樽や桶を海に流し、
これを拾った漁師や船乗りが代わりに参詣にいったというものです。
代参した者にもご利益があると信じられていたそうです。

この金刀比羅宮に江戸時代まで祀られていた神様を、
金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)といいます。

もともとはインドのクンビーラという神様だったのが、
仏教の守護神として日本にやってきて、
「金毘羅さん」や「金毘羅大権現」と呼ばれるようになりました。

クンビーラはワニが神格化されたもの
川の交通を司る神様でした
日本にはワニがいませんので、ヘビになり
川は海となりました
海上の安全を守り、 大漁をもたらしてくれる神様とされています。

金毘羅大権現
江戸時代までは、神道と仏教などの信仰が混じり合った神仏習合が一般的でした。当時の金刀比羅宮も「象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現」と呼ばれ、
真言宗の松尾寺(まつおでら)というお寺の一部となっていました。

しかし、明治に入ってすぐ、
政府が「神社から仏教的側面を排除し、神社と寺の区別をはっきりさせるように」という
神仏判然令(しんぶつはんぜんれい)を出します。

これを受けて松尾寺と金毘羅大権現が切り離され、
金刀比羅宮(ことひらぐう)という神社ができて、
主祭神はオオモノヌシノカミとされました。

しかし今でも、金刀比羅宮の神様を指す通称として
「金毘羅さん」や「金毘羅大権現」が使われており、
海上安全や大漁成就のご利益があるとみなされることも少なくありません。
特に、漁業者や海運業者、船員などからの信仰を集めています。

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[神社] 熊野三社権現

神様のシリーズ、古事記日本書紀に登場しない神様です

熊野三社権現

紀伊半島南部の熊野地方は、古くから聖地とされていました
その熊野の熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つを合わせて、
熊野三山といいます。
三山の主祭神は一体視されることが多く、3柱合わせて熊野三神あるいは熊野三所権現と呼ばれます

熊野本宮大社の社伝によると、第10代崇神天皇の時代に、
神々が3つの月の姿で地上に降りてきて、
それが熊野三所権現になったといいます。

熊野本宮大社

熊野本宮大社の主祭神は、ケツミミコノカミです。
その名は「木津御子」とも書かれ、樹木の神を意味すると考えられています。
また、スサノオノミコトの別名であるともされます。

熊野速玉大社


熊野速玉大社の主祭神は、クマノハヤタマオノカミです。
『日本書紀』には神産みの場面で登場します。
なぜ主祭神となったのかは、よくわかっていません。

熊野那智大社


熊野那智大社の主祭神は、クマノフスミノカミといいます。
これもどういった神なのか、よくわかっていません。
熊野那智大社では、イザナミの別名であるとしています。

権現(ごんげん)
「熊野三所権現」の権現とは、「仮の姿」という意味です
熊野三山の主祭神たちも、 神仏習合の時代には、
「神とは、仏が人々を救うためにこの世に現してくれた仮の姿である」
とする本地垂迹思想(ほんちすいじゃくしそう)の対象となりました。
ケツミミコは阿弥陀如来、クマノハヤタマオは薬師如来、クマノフスミは千手観音の化身とされました。

これら3柱を中心とする熊野の神様たち(全部で12柱)は、
全国の熊野神社や十二所神社、 十二社神社などでも祀られています。

熊野古道

2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された熊野古道は、
新宮市の熊野速玉大社、田辺市の熊野本宮大社、
そして那智勝浦町にある熊野那智大社を詣でる道です。

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[神社] 牛頭天王。謎多き神様

神社シリーズ
古事記・日本書紀以外の神様です

牛頭天王(こずてんのう)

祇園祭で名高い京都の八坂神社は、
現在、スサノオノミコトと妻クシナダヒメ、
および彼らの8柱の子どもたちを祭神としています。

しかし、明治以前は祇園社という名で、
牛頭天王(ごずてんのう)という神様と、その后の顔梨采女(はりさいじょ)、
および彼らの子である八王子(はちおうじ)を祀っていました。

釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされました
息子の八王子は地名の八王子の由来です

牛頭天王は、頭に牛の頭がくっついた異形の神です。
その由来ははっきりしていませんが、 疫病と関係する神で、
武塔天神(むとうてんじん)あるいは武塔天王(むとうてんのう)という神様と同一視されます

有名なのは、武塔天神と蘇民将来の説話です。
武塔天神は、結婚相手を探す旅の途中、ある兄弟と出会い、宿を求めました。
裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は断りましたが、
貧しい兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は、武塔天神を快く迎えます。

武塔天神は疫病を流行させ、巨旦将来の一族を滅ぼします。
しかし、蘇民将来の娘には、目印として茅という植物で作った輪をつけさせ、
疫病から守りました。
この物語から、厄除けのための「蘇民将来子孫家門」と書かれた護符や、
茅の輪くぐりの行事(茅でできた大きな輪をくぐる)が生まれたといわれます。

明治
明治初期、「日本古来の神様ではない」とされ、
牛頭天王を祀っていた全国の祇園社や天王社は、
祭神をスサノオに変えられてしまいました。
例えば、以前訪れた千住の素盞嗚(すさのお)神社も、
蘇民将来の話が案内板にあったので、
元は牛頭天王だったんだろうと思われます。
なぜ、牛頭天王がそんなに目の敵にされたのかは謎です。

しかし牛頭天王への信仰は残り、たとえば兵庫県の廣峯神社は、
「牛頭天王総本宮」を名のっています

理由もなく闇雲に牛頭天王を素戔嗚にしなさいと言った訳ではなさそうです
高麗に牛頭山という場所があり、そこでは素戔嗚が祀られている
元々、近しい存在だったのかもしれない

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