[神社] オオゲツヒメノカミ。食べ物の神様

三種の神器のシリーズの間、日本の神様シリーズは中断していましたが
三種の神器シリーズを終えましたので再開することに致します

オオゲツヒメノカミ

イザナギとイザナミの神産みで誕生した、食物神のオオゲツヒメノカミ。
とても気の毒な女神です

神産みの時、最初に生まれたのが「淡道之穂之狭別島(=淡路島)」で
次が「伊予之二名島(=四国)」だったんだけど、
「伊予之二名島イヨノフタナノシマ(=四国)」はひとつの体に4つの顔があって、
それぞれの顔に名前がついていた。

伊予の国→愛比売(エヒメ)
讃岐の国→飯依比古(イヒヨリヒコ)
阿波の国→大宜都比売(オオゲツヒメ)
土佐の国→建依別(タケヨリワケ)

阿波の国、すなわち徳島県がオオゲツヒメノカミです

オオゲツヒメの名前が二度目に登場するのが、スサノオノミコトとのやり取り
「古事記」によると、
天の岩戸騒動のあとにスサノオノミコトが天上から追放されたとき、
空腹の彼に乞われ、
オオゲツヒメはたくさんのご馳走を提供しました。

ところが、オオゲツヒメの食料提供方法はあまりに独特でした。
鼻、口、尻から食材を取り出し、それを調理するのです。
食物の神ですから、体から食材を出すのは当然といえば当然ですが、
それを見たスサノオは、汚物を供されていると誤解し、
女神を斬り殺してしまいました。

すると、死体の頭から蚕、目から稲、耳から粟、
鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆が発生しました。

これが五穀や養蚕の起源だとされます
(造化三神のうちの1柱カミムスビノカミが、
それらを取って種子としました)。

「日本書紀」では、
よく似たストーリーが、
イザナギの禊から生まれた三貴子の1柱であるツクヨミノミコトと、
食物神ウケモチノカミとの間で展開します。

吐き出された食物を提供されて怒ったツクヨミがウケモチを殺すと、
死体から稲や大豆などが生まれ、
アマテラスオオミカミがそれを喜び、
穀物の種子としたというのです。
じつは、死体から食べ物が生まれるこのような話は、諸外国でも見られます。
インドネシアの神話にちなんで
ハイヌウェレ型神話と呼ばれる食物起源神話です。

オオゲツヒメを祀る神社は、上一宮大栗神社や阿波井神社など、
徳島県に多く存在します。
オオゲツヒメがこの地に栗を広めたとの伝説があります
かつて徳島県の北部は栗の生産地で、旧国名は阿波ということになります

[神様]シリーズはこちら(少し下げてね)

[三種の神器] 本当はどこにあるのか

[三種の神器] えっそうだったの?
[三種の神器] 八咫鏡はアマテラス
[三種の神器] 八咫鏡。どんな形?
[三種の神器] 草薙剣。不思議なことだらけ
[三種の神器] 草薙剣。その姿は
[三種の神器] 八尺瓊勾玉って何の形?
[三種の神器] 八尺瓊勾玉の意味するところ
の続きです

三種の神器シリーズとしては最終回になります

三種
これまで、三種の神器を個別に2回ずつ書いてきましたが
改めて「三種」の意味について考えます

神器は10代崇神(すじん)天皇の時には「鏡」と「剣」の二種だった
三種になったのは、古事記・日本書紀に書かれてから
すなわち、天武天皇が決めた、と言える

もっと前、三種の神宝はあったと思われる
「銅鐸(どうたく)」「銅剣」「銅鏡」

銅鐸は歴史の教科書などで馴染みはあるが
ある時を境に、パタっと消えてなくなる

古事記・日本書紀には銅鐸は一切触れられていないので
その頃には、人々の記憶から、銅鐸は消えていたと思われる

用途は推測に過ぎないが、宗教儀式に関わるものだろう
宗教や文化の大革命が行われたのだろう

銅鐸が無くなることにより、二種になるが
主役は「鏡」になる
勾玉が三種に仲間入りしても、銅鐸に取って変わるというものではなかった

三種の王器、の発想はもともと中国のもの
中身は、全く日本とは異なる

考え方をいただいて、日本でも三種の神器とすべく、天武天皇が決めた
「考え方」の中心になるのは、道教の思想からの陰陽道(おんみょうどう)になる

陰と陽なので、太陽の象徴の鏡だけではバランスが取れず
月の象徴の勾玉を三種の神器に入れたかった

御霊(ごりょう)信仰
日本には古くから信じられた御霊(ごりょう)信仰なる考え方がある
征服した敵は祟り(たたり)をなす
でも、その象徴を手厚く祀る事で、強力な守護神となる

三種の神器は崇神天皇の時に祟ったために、宮中から外に出し、伊勢神宮に移した
古事記・日本書紀には、鏡と玉が書かれているが
ヤマトタケルは伊勢神宮で草薙剣を賜っているから
少なくともその時期までには、剣も伊勢神宮に移っていたことになる

祟りをなしたということは、元々征服した敵の象徴たるものだったのだろうか
明確にそう言えるのは、草薙剣だろう

ヤマタノオロチを退治した時に尻尾から出てきたのが、草薙剣(正確には、天叢雲剣)
退治した時に使われた十拳剣(とつかのつるぎ)ではない
ヤマトからすると、征服した相手は出雲だろう

勾玉については、ニギハヤヒの象徴だったと思われる

分からないのが八咫鏡(やたのかがみ)
これはまさしく天照大御神の象徴なので、征服した相手ではないはず
祟りが起こるはずがない
ひょっとすると、天照大御神自体も、征服した相手だったということも考えられなくはない

さらに、謎として残っているのが、祟りをなして、伊勢神宮に移ったはずの勾玉の本体が、宮中にあるということ
八咫鏡の本体は伊勢神宮にあり
草薙剣の本体は熱田神宮にある
宮中にあるのはその分身

なぜ、いつの間にか、勾玉だけが宮中に戻ってきたのか
祟りは大丈夫なのか

剣璽御動座(けんじごどうざ)と言って、天皇が1日以上皇居を離れる時は
剣と玉は一緒に持っていく
鏡は動かない
場所で言っても、鏡は賢所という宮中三殿の真ん中の建物に厳重に管理されている
剣と玉は、天皇の寝室の隣の剣璽(けんじ)の間
どうも、鏡を一番重視しているように思える
勾玉だけは本体なのに、なぜ最重視されないのか

三種の神器の作者、戸矢学さんは、ある推論を展開している

八尺瓊勾玉の本体は、皇居にはなく、伊勢神宮にある
皇居にあるのは、その分身

祟りがあるはずの勾玉の本体が帰ってきたという記述がないのに、本体が皇居にあるという経緯が不明だし、理由もない
本体なんだったら、剣璽御動座で動かすはずがない

なるほど、バランスとしてはそうかもしれない
天皇と言えども、三種の神器は見てはいけないのだから
伊勢神宮の神器が八咫鏡だけだというのは、誰にも分からない

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[三種の神器] 八尺瓊勾玉の意味するところ

[三種の神器] えっそうだったの?
[三種の神器] 八咫鏡はアマテラス
[三種の神器] 八咫鏡。どんな形?
[三種の神器] 草薙剣。不思議なことだらけ
[三種の神器] 草薙剣。その姿は
[三種の神器] 八尺瓊勾玉って何の形?
の続きです

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
勾玉の形をおさらいすると、Cの字の形になっていて、紐を通す穴が空いている
穴のある部分を頭、C字の内側を腹、外側を背と呼ぶ
お馴染みのこの形が「定型」と呼ばれるが
縄文時代には、X字形や、小さな勾玉がくっついている子持ち形、魚形、釣り針形など様々な「不定型」が存在する
時代が下るにつれ、形が定型に統一、洗練されていく
弥生時代にはほぼ統一するが、おそらく、整形の技術の進歩による
どんな素材でも、統一した形に揃えることが可能になった

弥生時代に、勾玉は朝鮮や中国への重要な輸出品となる
特に朝鮮からは、交換により多くの鉄鋌(てつてい)(刀剣用の地金)が輸入されている

出雲の玉造(玉造温泉のところです)が代表的な産地です

日本書紀に、崇神天皇の時期に、出雲大社に納められている神宝を献上させた、という記述がある
その神宝が何かは書かれていないが
天孫降臨の時に、天から地へ渡った三種の神器のひとつの八尺瓊勾玉が
出雲大社の神宝として存在していたのではないか
それを「返却」させたとも取れる

ニギハヤヒ
日本書紀に、ニギハヤヒという神が書かれている
神武東征に先立ち、天照大神から十種神宝(とくさのかむだから)を授かり天磐船(あまのいわふね)に乗って河内国(大阪府交野市)の河上哮ケ峯(いかるがみね)の地(現在の磐船神社周辺の一帯地と考えられている)に降臨した
これは瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の天孫降臨とは別の種類の降臨

この十種神宝の内訳は、鏡が2、剣が4、玉が4となる
いずれも行方不明とされている

「三種の神器」の作者戸矢学さんは
この十種神宝の玉4つと、出雲大社からの勾玉4つが合わさって
8種の勾玉が連珠となって八尺瓊勾玉の原形となったのではないかと推測している

「三種の神器」という制度を作ったのは天武天皇
古事記や日本書紀を編纂させ、その中で「三種の神器」を明確化した

八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)については、神話の中で
その意味付けが書かれている

神話の中で、八尺瓊勾玉を三種の神器にふさわしい位置づけを与えるため
ある神を追加した
月読命(ツクヨミノミコト)である
天照大御神(アマテラスオオミカミ)の弟であり、素戔嗚尊(スサノオノミコト)のお兄さん
月の神様

天照大御神が太陽で、その象徴が八咫鏡であるならば
月読命の月を象徴するものが八尺瓊勾玉

前回、八尺瓊勾玉は、胎児の形と言ったが
三種の神器に加わるにおいて、三日月の形という新たな意味付けが加わった
太陽と太陰(月)はセットでこそ意味をもつ

そして「巴(ともえ)」というデザインとなって終結する
陰陽太極図

陽と陰のバランスこそが重要とする風水の象徴的なシンボル
まさしく勾玉そのもの

この巴の形は、様々なバリエーションになり、神紋や家紋として広く採用されるようになる

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[三種の神器] 八尺瓊勾玉って何の形?

[三種の神器] えっそうだったの?
[三種の神器] 八咫鏡はアマテラス
[三種の神器] 八咫鏡。どんな形?
[三種の神器] 草薙剣。不思議なことだらけ
[三種の神器] 草薙剣。その姿は
の続きです

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
三種の神器の3つめは、八尺瓊勾玉です

他の二つは本体は伊勢神宮だったり、熱田神宮にあって、分身が皇居にあるのだけれど
八尺瓊勾玉だけは、本体自身が皇居に存在する

そもそも、勾玉(まがたま)というものは何者なんだろうか
まずは一般論としての勾玉について考えてみたい

勾玉(まがたま)
勾玉(まがたま)とは、名前の通り、曲がった玉
実は古事記と日本書紀で、違う字が使われている
古事記は「勾」で日本書紀は「曲」
意味としてはどちらも、曲がる、なんだけど
「勾」は、卑字凶字
人が曲がって埋葬される
即ち、死体の意味

中国から、はい、これね、と教えられた字の背景的な意味が
古事記の段階では良く分かっていなくて
日本書紀の段階で、あらそういうことなのね、と字を変えた

倭国というのも、卑字凶字なので、その後「日本」に変えたのと同じこと

「三種の神器」の本では曲玉、と表記していますが
一般的には勾玉の方が通りが良いので
当ブログでは「勾玉」と表示したいと思います

それでは、勾玉のあの形はいったい何なんでしょうか

穴に紐を通して、ネックレスのように使っていたんだと思いますが
あの形は日本人が作り出した形で、日本にしかない
一部朝鮮に存在しますが、日本から行ったのだろうと思います

三種の神器に採用されるくらいのものなので、霊的な何かが象徴されるはず

ひとつは魂の形
いわゆる人魂(ひとだま)
お化けが出るとき周りに飛び回っているやつ

もうひとつは、胎児
生命の誕生の形

「三種の神器」の本ではさらに二つの意味がつけ加わったのだろうと推測しているが
それは、次回にお話ししましょう

一旦「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」の意味に進めます

八尺の「尺」は、八咫鏡の「咫」と同じで「アタ」と読む上代での長さの単位
八は八百万の神の「八」と同じで多い、ということ
「瓊」の字は「美しい」とか「赤い」とかいう意味で
特に「瑪瑙(めのう)」を指す

ということは、八尺瓊勾玉は
大きなめのう製の赤い勾玉なんだと思われる

次回、さらに考察を進めていこうと思います

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