[名僧]空海。ありがちな青春時代のそのあとに。

名僧シリーズ、いよいよ空海です。
「空海の生涯」という本も読んで気合い入っとります。
1回では終わりませんので、分けますね

空海
幼少の時の名前は真魚(まお)
ややこしいので、この記事では、最初から空海と表現します

裕福な家に生まれます
子供の頃から頭が良かったので、嫌がおうにも周囲の期待は高まります。
大学に入って、国の官僚になって。
本人もその気になって、
よし、頑張るぞ!

当時、大学は京都にたったひとつしかありません。

今で言う家庭教師でしょうか
ある先生にみっちり習います。
特に、漢詩や漢語(中国語)
漢語に関しては、読めるというレベルじゃなく
ネイティブな発音でスラスラと
先生も驚きの成長ぶり
色んな書物も読み漁ります。

さあ、受験だ!

ここ、不思議なんですが
何をどう間違ったか
受験の年齢を1歳超えちゃっていました。

うっかりしてた?

でもここは裕福な家
各所に手を回して、無理矢理受験を可能にします。

やったー、合格

ここから、ガツガツ勉強して、
と、なりそうなところ
つまづいちゃいます。

今もよくありますね。
大学に入ったものの受験勉強で燃え尽きちゃって、ブルーになっちゃう

あまりに勉強し過ぎて、大学で習う事は
知ってるなあ、という事ばかり。
特に儒学に違和感を覚えます。
当時の大学では、一番重要な科目は儒学
し、のたまわく、です。

儒学は、人間以外のものは一切否定するんですが
神道のように、あらゆるものに神が宿っている、的な方が、空海にはしっくり来る。
この時点で仏教については、一通り知識として知っているレベルです。

何かが違うと悶々とする日々
そんな中で、ある女性に出会い、恋に落ちます。

ありがちな若者像
青春です。

この女性、正式ではないんですが、仏教に携わっています。
要するに尼さん。
正式ではないので、恋愛結婚は自由です。

この人の影響で仏教に強く惹かれるようになります。

見せてもらったのが、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)という呪法を書いてあるお教
密教です。

釈迦の仏教は、悟りを拓く事を目的とし
現世では実現できるかどうかというほどのとてつもない時間がかかる
密教では、現世で仏になれると説く。
チャレンジしたい。

大学に通っている場合ではない。
仏教のなんたるか、密教のなんたるかを体得するため
山にこもって修行
真言(呪文)を何百万回も唱えよ。
故郷の四国へと向かった。

山にこもっている先人たちに聞いてみても、
ひたすら修行すればおのずと分かると、それしか言わない。
まあ、そうなんだろうけど。

室戸岬にある洞窟の中で座禅をし
ひたすらに真言を唱える日々
見えるのは、空と海のみ
この時に空海という法名を思い付きます。

どんどん神経が研ぎ澄まされていき
山の霊や、草木の霊などを感じられるようになっていく。
そしてある時、明星の光に自分が包まれる神秘体験をする。

これは、とても大きな手応え。
面白いのが、そのまま続けようと思わなかったこと。

この手応えが得られるのであれば
自己流ではなく、もっとちゃんとしたやり方を習得した上で再チャレンジしよう。

急いで京に帰り、虚空蔵求聞持法のもっと詳しい書物を探し回る。

いよいよ見つけたのが、「大日経」(だいにちきょう)

当時、日本に入ってきていた密教は初期の段階のもので
あまり体系だったものではない。
後に、体系だった密教が、空海等によって中国からもたらされるんですが
そちらを純密、当時の密教を雑密と言ったりします。

その後、本場インドで、密教が体系づけられ
大きな二つの流れで完成に向かいます。

ひとつが、金剛頂経(こんごうちょうぎょう)
これは、この時点でまだ日本には伝わっていません。
もうひとつが、大日経
空海が手に入れたものです。

ただ、この大日経、インドのサンスクリット語で書かれたものを中国語(漢語)に翻訳してあるのは
36章のうち、最初の1章のみ
この1章も誤訳だらけで、何を言いたいのかさっぱり分からない

ということで、この宝物は見向きもされず、倉庫の中に眠っていたんです。

それでも、空海には、これぞ真髄、ってことだけは分かった。
何度も何度も読み返して、ある程度は分かってきたんだけど
結論として、サンスクリット語をちゃんと分からないとどうにもならない

漢語までは自信があるんだけどなあ
日本には、漢語が分かる人はいても
サンスクリット語が分かる人は皆無

方法は一つしかない。
中国(唐)に渡り、サンスクリット語が分かる人から習うしかない。
とは言え、そんなこと全く不可能。

悶々とした日々が続く。

そんなとき、あるニュースが飛び込んできた。

最澄が遣唐使として唐に渡るらしい。

最澄は有名人なので、空海も名前は知っている

羨ましいなあ。

留学生という形なら一緒に行く事が出来ると聞いて
小躍りしながら応募したんだけれど
敢えなく却下

留学生も、僧である必要があり
僧は、僧としての国家試験に受かった者

空海は、大学に通っていない、大学生。
夢の夢

そうこうしているうちに、出発の日になり
最澄は唐に向かう

ああ残念

ところが、ここから運命が急展開するのです。

続きは、シリーズの次回ね

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ソヨゴ

花カレンダー始めました

[名僧]円仁。この人なくして天台宗なし。じっとしていられません。

[名僧]最澄。日本の仏教の半分はこの人
[名僧]最澄。今何をすべきか、先のために何をしておくべきか
の続きになります。

円仁(えんにん)
最澄はとても卓越した人ではありましたが
その素晴らしさは、優秀な弟子を育てた事でさらに花開くことになりました。
円仁です

円仁は最澄の直接の愛弟子。
弟子なので、師匠の言う通り良く勉強して、というのはその通りなんだけど
全くその範疇を超えています。

全くじっとしておられない性格というか、行動の人。実践の人。

中国から帰国したばかりの最澄の弟子になります。
優秀な弟子がいっぱいいる中で一番優秀で
最澄の代わりが出来た人は円仁だけ。

東北回って、天台宗を広めて来てね

はーい。

東北を回る回る
後の中国内も含めれば、歩いた量は伊能忠敬にも匹敵するのでは。

松島の瑞巌寺を始めとして、東北の有名なお寺は、たいがい円仁が開いた、ないしは関わっています。

よしっ。次は本場に行って勉強だ
日本にいても、横に最澄いるわけですから
そんなに苦労しなくっても、と思いますがね

何度かの失敗を経て、唐へ

ところが、最澄が行ったときからすると、急速に事態は悪化しています。
唐自体が崩壊に向かって行っています。

一番の目的の天台山への入山を許可されなかった。

このままで帰れるかっ
遣唐使一行からこそっと別行動

あれ、円仁どこ行った?

違法です。
この時点でお尋ね者

目指したのは五台山
天台山とは並び称せられる、仏教の聖地ではありますが
ものすごい山奥

58日かけて約1270キロメートルを踏破
標高3000mを超す最高峰の北台叶斗峰にも登りました。

よう来なすった。

日本人では二人目です。
一人目は、最澄と一緒に唐に渡った霊仙三蔵
そのまま、五台山で死んじゃってます。

まだまだっ
次に向かったのは長安
無茶苦茶遠いです。

53日間かけて、約1100キロメートルを歩き通します

その間にも色々寄って、主に密教について学びます。
天台宗は、法華経を中心にして、全ての仏教を捉えていこうというものでしたが
空海帰国後、大流行した密教については、理解が弱いというのが弱味でした。

もう、密教も完璧。

ようやく着いた長安ですが
えらいことが起きていました。

武宗皇帝は仏教が大嫌い。
徹底的な仏教弾圧が始まります。

寺院はことごとく焼かれます。
折角集めた何百ものお経
渡してなるものか

目標は生きて帰ることに変わります。
既に入唐してから9年が過ぎています。

今までの苦労は、自分の修行というより
日本で待つみんなに、より深い仏教を伝えるため
こんなところで死ぬわけにはいきません。

百回以上帰国願いを出しますが、全く取り合ってくれません。
そもそもお尋ね者ですし、弾圧の対象の仏教の僧

でも、人柄なんでしょうね。
新羅の商人たちがかくまってくれ
彼らの船に荷物と共に紛れ込む事に成功します。

唐での9年間の苦労を
「入唐求法巡礼行記」全4巻にまとめて出版。

マルコポーロの「東方見聞録」、
玄奘三蔵の「西遊記」とともに、
三大旅行記として世界的に有名らしいです。
「東方見聞録」「西遊記」と同じくらい有名って全然知りませんでした。

最澄は1年、空海は2年ですからね
重みが違います。

空海の密教を東密、円仁等の天台宗の密教を台密、と言ったりもします。

円仁は、第三代天台座主(てんだいざしゅ)となります。
最澄の伝教大師に続き、慈覚大師という大師号ももらいます。

日本に帰ってきてからも精力的に歩き回り、
みんな知っている、日光山、浅草寺、目黒不動なんかを次々と開きます。
もうゆっくりすれば良いのに
じっとしておられない性格なのね

そのあと、天台宗では、円珍というこれまた立派な僧が出て、また唐に行くんですが
帰ってきてから路線対立しちゃうのね

円仁(慈覚大師)の流れをくむ山門派と、
円珍(智証大師)の流れを汲む寺門派に分かれちゃいます。

ここだけちょっと残念

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銘月

花カレンダー始めました

[名僧]最澄。今何をすべきか、先のために何をしておくべきか。

[名僧]最澄。日本の仏教の半分はこの人
の続きです。

最澄
中国の天台宗を中心にしつつ、禅宗や密教等を幅広く学んできた。
よし、日本の天台宗を立ち上げよう。

それまでの南都六宗と言われる六つの宗派は小乗大乗の両方を含み、小乗寄り。
小乗とは、修行をすれば救われるので、修行をしている僧のためのもの
大乗とは、仏教の考え方を理解し従うことができれば、在家でも救われるとするもの
天台宗は大乗の考え方を大きく打ち出しているんです。

喧嘩になりそうですね
でも最澄の一番いいところは少なくとも自分からは喧嘩を仕掛けない。

当時の僧は国家公務員で、国家試験にパスしなければなれない。
受戒っていうんです
最澄自身も東大寺で受戒しています。

この受戒は南都六宗で割当て人数があります。
年にこの宗派は何人ねと
ということは、新しい宗派を立ち上げたよと宣言しても、僧を一人も出せないことになりますね

今までの宗派と喧嘩せず
天台宗でも割当てを年に二人ずつもらうことに成功。
やったぁ最澄
「理想」からすると、そもそも国家試験になっていること自体ナンセンスで
自分自身で受戒できるとも思っているんですが
そんなこと口に出せば喧嘩になりますから。

密教
最澄が帰国した翌年、あの人が中国から帰って来ます。

そうです。空海です。

最澄は、天台宗を中心にいろんなものを総花的に取得してきたのに対し
空海は、仏教の中でも「密教」と言われるものを
最澄の倍の期間をかけてみっちりと学んできています。
密教だけに関して言うと、最澄は半分くらいしか理解できていません。

空海は日本に密教の考え方を伝えるや否や
密教が大ブームになっちゃいます。
密教って、例えば、呪文を唱えて祈祷すると病気が治ったりしちゃいます。

最澄びっくり
天台宗は、法華経(ほけきょう)というお経を中心にしながら仏教をトータルで体系づけようとしています。
元々、その中で、密教も位置付けられていて否定するものではありません。
最澄らしいですね。

みんな食いつくのはそっちだったのか。
こりゃまた意外。

ここからが最澄の偉いところ
7歳年下、僧の位としてもずっと下の空海のところに頭を下げてお願いに行きます。

密教を教えていただけませんか。

空海としても感激ですね
ベストテンのお偉い僧が自分に頭を下げています。

勿体のうございます。どうぞ頭をおあげくだされ。
私にできることがあれば何なりと。

最澄、空海、密月時代です。

日本仏教界のビッグ2が、同時期に生きていて
仲良く交流していたというのは奇跡に近いと思います。

ところが、空海とても大天才。
プライドは山よりも高い。
少しずつ、違うんじゃないかと思い出します。
空海は密教こそ絶対、最澄は全体の中での一部分
密教に対する温度感はやはりかなり違っています。

最澄は、私が持ち帰ったお経を
あれも貸してくれこれも貸してくれと持ち帰るが
お経を読めば良いっちゅうもんではない。
それをもとにどう実践するかというのは体をもって私は中国で体験してきている
そこまで一緒に学んでもらえないと意味がない
途中からご自分では来ず、弟子を寄越すだけになったし。

もうこれ以上はお経はお貸しできません。
その前にこの前お貸ししたお経を返して下さい。

さらに決定的になったのが
最澄が可愛がっていた弟子を空海のところに遣わしていたら
空海に惚れ込んじゃって、最澄のところに帰りたくないと言っちゃった。

決裂

残念です。
ジャイアント馬場とアントニオ猪木みたいです。

大乗戒壇設立
華々しい、前半生に比較すると、陰りを否定できない後半生になる
最澄の一番の理解者の桓武天皇が死去

空海との決裂が陰りの大きな一つ

それでも、諦めない。

現実と理想のバランスを取りつつ進めていく方法を取っていると
どうしても矛盾は否めない。
国家試験に受かるためには、そのための試験勉強には、天台宗の大乗の考え方と違う部分がある

先生!
この問4ですが、なぜ「い」が答えなんでしょう
「ろ」にしないと庶民は救われません。

ちょっと良いですか、こちらへ
(こそこそっと違う場所に読んで)
分かってください。一旦試験に受かるために曲げましょう

先生!
残念です。
先生はそんな方だったんですか。
悲しいです。

あるいは、試験勉強の方に感化されて、南都六宗の方に倉換えする者が出たり。

ダメだ
試験自体をやっぱり変えないと

新しく、比叡山で授戒できる制度を作り上げ
それを認めてもらえるよう働きかける
大乗戒壇と言います。

当然、南都六宗の僧たちは大反対
頼みの天皇は、嵯峨天皇に変わっており
嵯峨天皇はというと、そんな事より、空海を気に入っちゃっている。

家に帰って、柱を殴ったりもしたかも知れないけど
喧嘩するのは本意でない。
ひたすら我慢。
少しずつ少しずつ。

とうとう、存命中には、その夢は叶いませんでしたが
死後初七日の日、知らせが入る

大乗戒壇を認める。

仏教界における最澄
最澄と空海だと、空海の方が人気でしょうね
YesはYes、NoはNo。
かっこいいです。
最初からエリートだった最澄よりは、空海の方が日本人好みでもあります。

最澄は家康的な気がします。
自分が死んだずっと先を考えた。
今は何をすべきか
その先のために何をしておくべきか。

結局、平安時代の天台宗、真言宗(空海)を中心にした仏教は
奈良時代の国家のための仏教、を貴族のための仏教、ぐらいにしか広げられず
真に庶民のための仏教に広がるのは鎌倉時代を待つ必要があるんだけど

一気に華開く鎌倉時代の各宗派は、天台宗からの派生です。
総花的と批判されようが、仏教をトータルで体系付けておき
総合大学を作っておくことで、各専門大学が華開いた。

がまんがまん。

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菊丁字咲き

花カレンダー始めました

[名僧]最澄。日本の仏教の半分はこの人

名僧シリーズ

平安時代に入っていきます。

いよいよ、この人です。
平安時代の、というより
日本の仏教の半分はこの人が作ったと言っても良いでしょう。
鎌倉仏教と言われる各宗派も
最澄の天台宗からの派生だと言えますから。

さあ、気合いを入れて参りましょう

最澄(さいちょう)
767~822。天台宗

奈良時代末の天平神護元(767)年、近江国(現在の滋賀県)の琵琶湖西岸の坂本というところに生まれます。
幼名は広野

父親は三津首百枝(みつのおびとももえ)といい、中国からの渡来人の子孫
やっぱり、この時代、渡来人は優秀なので、その血を引いている最澄もとても優秀。

この坂本という土地は比叡山(ひえいざん)の麓。
幼い頃から、比叡山を見ながら育ちます。

12歳のとき近江の国分寺の行表(ぎょうひょう)という僧侶の元に預けられます。
行表は近江大国師として近江国分寺を総括する高僧だった。

行表は最澄に言いました。
「心を一乗に帰せ」

一乗、すなわち大乗の精神によって一切衆生の救済の道に邁進せよ。
要するに、頑張って、みんなを救ってね。

19歳のときに東大寺で具足戒を受けて正式な僧侶となった。
この時、僧は国家公務員なので、公務員試験に見事合格、ってことです。

このとき、最澄という法名が授けられました。

エリートですね
超エリートです。

さあ、バリバリ仕事をしていただきましょう。

比叡山
ところが、比叡山にこもっちゃいます。

比叡山は山岳修行者たちの溜まり場
山岳修行者は仏教伝来以前からの日本独特の信仰で
仏教を取り入れてはいるものの、仏教界では異端中の異端
当然、国家資格は持っていません。

お母さんに、
あの子たちとは遊んじゃダメ、と言われるような存在です。

36歳までの、実に17年間も独自の修行を続けます。

修行の最初の頃に書いた「願文(がんもん)」では
「心を一乗に帰す」決意宣言

南都六宗と言われる奈良時代の仏教各宗派
もちろん悪くは無いんだけど
全てをマスターした上で
みんなをあまねく救うという唯一の目的のために、それは十分なのか、と自問自答

もし、更なる可能性が他にもあるのなら
やってみる

内供奉十禅師
31歳の時、内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ)に選ばれます。
仏教界の最も偉いお坊さんベストテン

名だたる重鎮たちに31歳の若造が肩を並べたと言うことです。

ちょっと変に思いますよね
36歳まで比叡山にこもった筈

山にこもるって
俗世間から離れ
滝に打たれたりしつつ
髭ぼうぼうで、ガリガリに痩せちゃって
ってイメージを描きますよね。

最澄の一貫した姿勢なんだけど、
貪欲に色んなものを取り入れるんだけど
何かを排斥するということをしない。

山にこもっている間も、既存各宗派に喧嘩をしかけることなく、ちゃんと付き合っていく。
あれもこれも全部

ここが、良く比較される空海と違うところかも知れません。

どんどん仏教界に革命を起こしていくので
勿論風当たりも強いだろうし
実際に後半生はかなり攻撃されるんだけど
それでも自分から何かを潰しに行くということをしない

ひたすらに取り入れるだけ

大先輩方を集めて「法華十講」なる法会を行ったりもしています。
ちゃんと重鎮たちが参加しているから不思議です。

遣唐使
仏教界でほぼ上り詰めた最澄
残っているのは「どんどん取り入れる」総仕上げ

仏教の本場中国です。

特に、最澄が一番教わりたかったのが
天台大師智顗(てんだいだいしちぎ)が大成した天台宗の奥義
「法華経」を中心として、各宗派を融合した純大乗の教え

各宗派を融合した、っていうのが最澄向きです

国に
中国行って勉強して良いですか

勿論!
じゃあ、他にも行きたい人集めて
遣唐使(けんとうし)ってことで。

最澄はリーダー的立場。
還学生(けんがくしょう)と言って、ここまで、と自分で決めていつでも帰ってこれる。

同じ遣唐使に、実は空海も参加していた。
当時無名だった空海は、留学生(るがくしょう)という立場
20年以上はいなきゃいけない。
結局は大幅に短縮するんだけど、その辺のいきさつは空海の時にね。

中国で
あれもこれもっ

徹底的に凝縮した一年間
修善寺座主道邃から天台円教と梵網戒を、
仏隴寺座主行満からは天台円教を授けられ、
そのほか、禅や密教の教えも受けた
すごいですね
漢字がいっぱいです。

当地の僧侶たちの協力を得て多くの経典を書写
密教法具なども収集して帰国した

帰ってからは、シリーズの次回ね

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オタフクナンテン

花カレンダー始めました