[神社] 方位の神様

日本の神様シリーズ
古事記日本書紀以外の神様です

方位の神様

古代中国では、天には東西南北の方角ごとに霊獣(めでたい動物)の姿をした神様がいると考えられていました。
北には玄武(げんぶ=亀と蛇が合体した想像上の動物)
東には青龍(せいりゅう=青い龍)
南には朱雀(すざく=赤い鳥)
西には白虎(びゃっこ=白い虎)

合わせて四神(ししん)といいます。

四神は、飛鳥時代にはすでに日本に伝わっていました。
奈良県の明日香村にあるキトラ古墳の石室内の壁には、
四神が極彩色で描かれています。
この絵は、埋葬された人を守護するのが目的だと考えられています。

四神を地上に当てはめた場合、
棲み処に適した地形があるとされます。
この考え方を四神相応(しじんそうおう)といいます。

玄武には丘陵、青龍は流水、白虎は大道、朱雀はくぼ地がふさわしいとされ、
これらの地形に囲まれた土地を都にすると、
その都は四神に守られて繁栄すると信じられました。

奈良の平城京や、京都の平安京も、この四神相応の地に造られたとする見方があります。
たとえば平安京の場合、丘陵は船岡山、流水は鴨川、大道は山陰道、くぼ地はかつてあった湿地の巨椋池(おぐらいけ)とされます。

歳徳神(としとくじん)と金神(こんじん)
歳徳神(としとくじん)と金神(こんじん)も、方位にかかわる神様です。
その起源は、古代中国の世界観をもとに日本で発達した陰陽道(おんみょうどう)という考え方にあります。

歳徳神のいる方位を恵方(えほう)といい、縁起がよいとされます。
ただし、その方位は毎年変わります。
これにちなむのが、節分に恵方に向けて巻き寿司を丸かじりする恵方巻きの慣習です。

一方、金神のいる方位は大凶で、
その方角への引っ越しなどはしてはいけないとされます。
これを犯すと「金神七殺(こんじんしちさつ)」として家族に災いが及ぶと信じられています。
金神がどの方向を向いているかは、干支や季節によって毎年変わるため、
暦の注記や専門家(巫女など)に確認する方法がありました。

恐ろしい凶神として畏れられていましたが、時代とともに、この金神を大地そのものの神と捉え直し、信仰の対象として見直す動きも生まれました。
金光教は、この金神を大地を司る神として再解釈し、篤実な生き方を説く宗教として創唱されたものです。

四神や恵方については、過去にも書いているのでよろしかったらこちらも読んでね
[東京ミステリー] 風水で江戸の都市づくり

[神様仏様]シリーズはこちら(少し下げてね)

[神社] 道祖神。夫婦で仲良し

道祖神(どうそじん)

かつて、悪霊や疫病は、村と村の境、峠、辻などから、
村に入ってくると考えられていました。
それらをはね返すために、道祖神という神様が祀られるようになりました。

「村を守って繁栄させる」という観点から、
道祖神には、五穀豊穣、縁結び、夫婦和合、子孫繁栄などのご利益も期待されるようになりました。
また、交通の要衝になる峠や道の分かれ目にあるため、
旅人が道中の安全を祈って供え物を手向けることも多く、
手向けの神との別名があります。

同様な形態の石造物は地域により、サイノカミ、ドーロクジン、ドーソジンなどとも呼ばれ、
これらを総称して道祖神とされています。

道祖神は、素朴な民間信仰から始まっており、
何をご神体とするかはさまざまです。

最も多く見られる素材は石で、
自然石を道端に置いているだけのことも珍しくありません。
夫婦和合、子孫繁栄のご利益への期待から、
陰陽石(男女の性器に似た形の石)を安置することもあります。

石造道祖神の分布は、主に本州中央部に多く見られ、
この地域では小正月にセートバレーやサギチョウ、ドンドヤキなどと呼ばれる火祭りと
道祖神の祭りとを結びつけようとする傾向が見られます。

サルタビコ
サルタビコと同一視される

男女2体が刻まれた道祖神は、
特に双体道祖神(そうたいどうそじん)と呼ばれ、
多くは『古事記』『日本書紀』にも出てくるサルタビコノカミと、
その妻のアメノウズメノミコトをかたどっています。
サルタビコは、ニニギノミコトが高天原から地上に降りた際に道先案内をしたとされ、道中の安全の神様として信仰を集めているため、
道祖神と同一視されるようになったのです。

道祖神というと、
野ざらしにされているようなイメージがあるかもしれませんが、
全国各地に、道祖神を祀る道祖神社もあります。
そこでもサルタビコとアメノウズメが祭神として祀られています。

道祖神はまた、仏教の地蔵菩薩と習合しました。
お地蔵さんが集落の入り口などに立っているのも、道祖神と同一視されたためです。

[神社] 庚申様。なぜ廃れたのか

日本の神様シリーズのうち、古事記日本書紀以外の神様

庚申(こうしん)様

庚申塔(こうしんとう)については今まで何度か書いています
東京中をウォーキングするようになって驚いたことがいくつかあります
その中でも、富士塚と庚申塔は双璧だと思います
ウォーキングする前は存在だに知らず
イベントで富士塚や庚申塔を教えてもらった

最初の頃は
この前あった、富士塚ここにもあったね
庚申塔ここにもあるね
程度だった

回を重ねていくうちに
特に庚申塔はあるわあるわ

珍しいものではなく
そこいらに普通にあるもの、という感覚
ウォーキングしないと絶対に分からない感覚
3200箇所歩くと、「庶民の信仰」というものが見えてくる

見えては来るものの、やっぱり不思議
なんでそこまで庶民に庚申が浸透し
我も我もと庚申塔を建てたのか

まずは、庚申信仰って何かからもう一度

庚申
日って、60日周期
干支(えと)というんだけど
一般的に干支と思われている、年賀状に書く動物は、十二支(じゅうにし)
「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」
さらに十干(甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと))と組合わさり、陰陽を考慮して60通りになる
干支はここにもあそこにも
60日に1回やってくる、庚申の日
道教では体の中に3つの虫がいて、庚申の日に寝ている間に体から抜け出して天に報告に行く
うちのご主人さん、この60日の間にこんなおかしなことしてましたよ

まずい
やましいことのある人は、夜通し寝ないで起きてようということになるんだけど、一人で起きてるのはきついので
仲良しグループで集まって飲み明かそう
それが庚申待(こうしんまち)
必ずしもやましい人ばかりって訳じゃなく、飲み会の口実
3年間18回位続けると、よくやったね
3年間健康で過ごせたね、って事で庚申塔を立てる
庚申塚ってなんだろか

なぜ廃れたのか
庚申の話は過去に何度かしているので、
今回は廃れた方について話したい

そんなに浸透していたなら
今もある程度その習慣が残っていそうなもんだけど
仲良しグループで次の庚申の日にパーティしようぜなんて話は聞いたことないし
町内会で金を出し合って庚申塔を作ろうという話もない

AIさんに聞くと、明治になって急速に廃れたらしい
根拠のない迷信なので、ということなんだけど
根拠がないから迷信なのであって
迷信が残っている例はいくらだってある

ここからは私の推論だけど
明治6年に廃れたんだと思う
明治6年に太陽暦が採用された
それまでは太陰太陽暦
月の満ち欠けは30日だけど、それがすなわち日だった
何月でも15日は満月。三日月なら3日
月さえ見れば何日かすぐ分かる便利なシステム
それが今度は太陽の周りを循環する365日を12で割ることになった
月は月と言えども、月の満ち欠けと関係なくなった

おそらく明治5年までは、60日に1回やってくる庚申の日は分かりやすかったんじゃないだろうか
明治6年に、庚申の日を意識するのが難しくなった

太陰太陽暦はひと月が29.5日、30日か29日かで大の月小の月
太陽暦はひと月が30.4日、31日か30日かで大の月小の月

それだけ見れば大して変わらんじゃないかと思う
違うのは暦(こよみ)の役割と人々が暦(こよみ)に対する意識の違い

太陰太陽暦は太陰暦の後ろに太陽がついているように
月の動きだけで暦を作る訳じゃない
太陽の365日も意識し、年はやっぱり365日
季節は365日ごとにやってくるから
そっちも意識しないと農作業ができない
5月20日に田植えをしたとして、翌年はもうズレていて同じ日に田植えはできない
太陰太陽暦の場合、調整するため、1年が13ヶ月の年もある
実は昔から農作業のため、太陽暦も併用している
365日を24で割ったものがあって、それが二十四節気と呼ばれるもの
夏至とか大寒とか啓蟄とか
月の満ち欠けから割り出した何月何日は二十四節気で何に当たるかという換算表が必要で、それこそが「暦(こよみ)」と呼ばれているもの
今のカレンダーとは全く役割も違うし、人々が暦を重要視する度合いが全く違う

明治5年までは暦は毎日意識している重要なもので
そこに60日周期の干支も書いてあるから、誰でも庚申がいつか分かった
急に明治6年に暦(こよみ)が意味をなくしてしまい
庶民が庚申の日を意識できなくなった

どうだろう、この推論

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[神社] 宇賀神。蛇の格好の神様

日本の神様シリーズ

宇賀神(うがじん)

とぐろを巻いた状態の蛇を胴体とし、その上に人間の頭部が載っている姿(人頭蛇身)の神像があります。頭部は男性だったり女性だったりで、年齢は一定していません。
福をもたらす神とされる宇賀神(うがじん)です。
今年、2025年の十二支は巳なので今年注目の神様。

この宇賀神は、どう誕生したのか、よくわかっていません。
名前が近いことから、『古事記』『日本書紀』に登場するウカノミタマノカミと関連があるとする考え方もあります。
ウカノミタマは稲の精が神格化された神で、食物や五穀をつかさどるとされます。

宇賀神の胴体が蛇である理由について、
江戸時代中期の天野信景(1663~1733年)(あまのさだかげ)という国学者は、
「宇賀」が古代インドのサンスクリット語の「ウガヤ」に当たり、白蛇を意味するとしています。ただ、これはいくつかある推測のひとつでしかありません。

白蛇そのものを宇賀神と呼び、神様として祀る例も見られます。蛇はよく田にいて、米を食い荒らす鼠の天敵でもあるため、豊作をもたらす田の神とされることがあります。この蛇が、五穀の神のウカノミタマを経由して、宇賀神と結びついたようです。
宇賀神は、神仏習合の考え方のもとでは、
七福神のうちの1柱である弁財天と同一視されました。

弁財天の像の頭部にある宝冠の中に、
人頭蛇身の宇賀神像が小さく作られていることもあります。
竹生島宝厳寺の宇賀弁財天

このように宇賀神が合体した弁財天は特に、宇賀弁財天と呼ばれます。
弁財天と結びついたことで、宇賀神に対する信仰はさらに広まりました。

私は東京の七福神巡りは随分行きました
感覚的には、弁財天のうち、半分ほどは宇賀弁財天として蛇が絡んでいる
例えば小石川七福神の徳雲寺の宇賀弁財天

上野不忍池の宇賀弁財天

宇賀神はまた、稲荷神とも習合しました。
そのため、多くの稲荷神社にも祀られています。

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