[宇宙]もし地球から月まで歩いたら何年かかる?

月まで歩いたら
月まで電車は通っていませんので、アポロに乗れない我々は歩くしかありません。
やってみたいですね
計算しましょう。

よく不動産広告で駅から徒歩何分と書いてあります。
これには決まりがあります。
「不動産の表示に関する規則」
道路距離、80mにつき1分間を要するものとして算出した数値を表示すること

分速80m。時速にすると4.8kmということになります。

この速度で計算しましょう。
月と地球の距離は38万km
休まず歩くのは無理ですね
眠いです。
1日8時間歩くことにしましょう。
8時間労働ですから文句は出ません。

電卓を叩きますと
なんと27年

やったぁ
意外になんとかなるもんです。

10歳から歩き始めて、月にデンして帰ってきて
64歳

伊能忠敬ならやり遂げられそうです。

夜どこで寝るかという問題はありますが。

月への正確な距離
さあ、その月までの距離
正確に図ると毎年2~3cm遠ざかっているそうです。

伊能忠敬が怒ってきますね
せっかくやる気になったのに

かぐやひめも怒ってます。
ええかげんにしてくれ

すごいことです。
地球から月までの距離をそんなに正確に測れるなんて

レーザー光線を使って2点間の距離を測る技術

ただ、この為には、送った光を標的の側から反射させてやる必要があります。

これができるようになったんです。
アポロ11号のお陰です。

1969年7月、人類が月面着陸
その時に月面にリトロリフレクターという光を正確に反射させる鏡を置いてきたんです。

天晴れ!

大きさにして50cm四方のアルミの箱で、直径3.8cmのリトロリフレクターが100個並べてある

すごいですね
そないなものに、地球側から正確にホレってレーザー光線を当てられるんですから。
ジャイアンツの菅野だって無理です

[科学]シリーズはこちら(少し下げてね)

[植物]彼岸花。何年もかけてじっくりと

植物のかしこい生き方。第4章「逆境をしたたかに生きる」から

大きく咲きたいなら あせってはいけない
密やかにじっくりと 時間をかけて力をためる

彼岸花ってとても不思議な植物
過去、2回話題にしました。

お彼岸ですから、ちょっとだけ追加情報

彼岸花

[植物] 彼岸花。どんな葉っぱかなあ
で、
花が咲いている時には、葉っぱがなく
葉っぱがあるときには、花がない
というお話をしました。

そしてその媒介をするのが、球根
正確に言うと、彼岸花は根ではなくて茎なので、鱗茎(りんけい)というのが正しいようです。

どうして増える?
日本にある彼岸花は全て、遺伝子的に同一なんですって。
元は中国からやって来たのですが、たったひとつの彼岸花が
どんどん増えて、日本中に広まっていった。

そして、日本にある彼岸花は遺伝子の特徴として三倍体という特徴を持っています。
通常の生き物は、お父さんとお母さんの遺伝子から、ひとつずつをもらって両方を持っている
これが二倍体
ところが三倍体は三つ持っている

はい
こんなこと言っておりますが
実は、何の事か全く分からず書いております。
あとのひとつは一体どこから来たんだか
これ以上の理解は、理系の人に任せるとします。お手上げです。

中国の彼岸花は二倍体と三倍体の両方があるそうです。
日本の彼岸花は三倍体しかない
二倍体だと種を作ることもできる事もでき、種がどこかに飛んでいって増えることも可能
三倍体は、増える方法は、分球しかありません。
ニンニクみたいなイメージでしょうか

大きな疑問が湧きます

分球したとしましょう。
横にぽこっと別れるだけです。
自ら歩いて別の場所に行けません。
「どんどん増えて日本中に」なんて無理です。
残念でした。お手上げです。
理系の人だって解決できません。

ひとつ考えられるのは、鳥や動物が加えてどこかに運んだ
考えられない訳じゃないでしょうが。

おそらく一番有力なシチュエーションは人間が運んだ。

1.ひとつは土を運ぶときに紛れて、鱗茎も持っていっちゃった

そんなのさすがに気づくでしょうと思いますが
実は、全てがさっきの写真のような大きさではないんです。
ほとんどがもっともっと小さい
数年かかるんです。

小さい間は、冬の間に地上に伸びて葉っぱをつけて養分をつくる
作った養分は鱗茎に貯めてちょっと大きくなる
この年は養分を消費するだけの花は咲かせない。
数年かけて少しずつ大きくなり
よし今年だ!
となってようやく花をつける

彼岸花は毒があると話しました。
[秋分] 9/23 彼岸でお墓参り

なぜかというと、こうやって苦労して何年もかけて大きくなっていっているのに
食べられたくないからです。

2.わざわざ、人が彼岸花を増やすために別のところに植えた。

いくつか目的があると思いますが、ひとつめはその毒です。
多いのは、墓場や田んぼの畦道ですが
そういう場合は人が植えたと思われます。
昔の土葬の時に、モグラに食べられることを阻止しようとした。
モグラは肉食なので直接鱗茎を食べることは無いんですが
彼岸花の咲いているところには、餌のミミズがいないという間接的理由です。

田んぼの畦道については、確かにモグラは大敵ですが
ミミズはいてほしい筈なんですが、畦道なら良いって事なんでしょうか

二つ目の理由は意外にも食用です。
鱗茎の毒は水に溶けるので、水にさらせば、毒は消えます。
人間が食べられるんです。

ここまでは調べれば書いてあるんですが
私はもうひとつ理由がある気がします。
観賞用です。
とてもきれいな花ですからね
昔の人も観賞用に増やそうと思ったんじゃないでしょうか。

自分で
今まで、人が増やしたという事を言って来ましたが
彼岸花の気持ちになって考えて
最初からそれだけを狙ってた訳じゃないでしょう、と思う。

人が増やしたかも知れないけどあくまでも結果論

どうも分球の仕方に技を持っている

たまたま、土が運ばれて、小さな分球が他の場所に埋まったとします。
翌年地表近くに茎が伸び、地表近くに鱗茎を作ることができる
上下であれば、自由自在に動けるということです。

大きくなってきました。
そうすると分球します。
それを地表すれすれでやる
すると、地面より上に盛り上がり
小さいのはコロコロ
風で移動することだって出来るでしょう
おむすびコロリン状態

ある人の観察記録によると
ひとつが900個にまで分かれた例があるようです。

[植物]シリーズはこちら(少し下げてね)

[出雲大社] なぜ神様が集まるのか

[出雲大社]現人神である国造
[出雲大社]大国主命。どういう神様なんだろう
[出雲大社]天への架け橋か
[出雲大社]文明王国、出雲国は本当にあったのか
の続きです。

出雲大社のシリーズとしては、一旦最終回と致します。

出雲の不思議
国譲り伝説。
天照大御神から国を譲りなさいと言われて
分かりましたそうします、と大国主命
屈服したわけです。

大和に出雲が負けた。

なのに

どうしても分からない事がある。

神様が集まる場所

神無月(かんなづき)の10月に、神様たちが出雲に集まる
やおよろずの神様たちは、出雲に行っちゃうから、神様たちが不在です。
出雲では、10月は逆に神在月と呼ぶ。

えっ、なんで?
なんで、神様界のトップの天照大御神のいる伊勢に集まらないの?
天照大御神自身が行くかは分からないにしても、大和にいる神様たちは
天照大御神を横目でチラチラ見ながら

すんません
ちょっとだけ言ってきますわ。

出雲だけがそう言っている訳ではなく、月の名前になっている位だから
日本の国全体としてオーソライズされている訳です。

とても日本的ですね。
勝ち負けをはっきりつけて、全部こっちに集中じゃなくて
譲ってくれたんだからありがたいよね。
年に一回は、出雲に集まって、良かった良かったと讃え合おうよ、と

議題
神様サミットの議題はというと、主に縁結び
誰と誰を結婚させるか

はい
播磨の神様やらせてもらってます。よろしくお願いします。
うちに、けいこちゃんというとっても気だての良い娘がおるんじゃが
こんなんでこうこう

はいはいはい
越後の神様やらせてもらってます。
うちの伸の介なんかぴったりじゃなかろうか

では、決定と言うことで。

行事
10月の1ヵ月をかけて、全国の神様は、出雲へ行って、戻ってきます。
全国側も、出雲側も大忙し。

・10月1日:「神送り」出雲に出発
各家庭で、旅立つ神様にお弁当としてお餅やお赤飯を供えます。
・10月10日:「神迎え」出雲に到着
出雲の国・稲佐の浜で神様を迎え、出雲大社へ向かいます。
・10月11日~17日:「神在祭」(かみありさい)
神議(かむはかり)という会議をします。
出雲大社では、会議処である上宮で祭りを執り行います
また、神々の宿泊所となる境内の19社でも連日祭りが行われます。
・10月17日:「神等去出祭」(からさでさい)
出雲大社から出発、出雲の国へ。
・10月26日:「第二神等去出祭」
出雲の国から出発。再び出雲大社でお祭りをします。
・10月末日:「神迎え」帰宅
各家庭でお餅や作物を入れたすいとんなどを供えます。

顕と幽
そうやって見ていくとやっぱり不思議です。
大和に比べ出雲も強大な勢力を持っていたけど
戦争で負けたわけではなく、とても平和に参加に入った。

出雲大社シリーズをやって来て、その辺りまではイメージできたんですが
メインとサブ
首相と副首相
と考えるには、
サブの側に全国の神様が集まるのが、どうしても引っ掛かる。

メインとサブ
ではなく
表と裏
なんじゃないか

日本人は、これを頂点に、って考え方がそもそも肌に会わなかったのかも知れない

神社シリーズをやって来て、イメージとして持つのは
伊勢神宮って、政治的にはあまり意味を持っておらず
むしろ政治の重大局面で出てくるのは、いつも八幡。その次に天神
庶民の側からはむしろ稲荷

江戸時代にはお伊勢参りが超人気になるけど
御師たちの努力で、という要素が強く
天照大御神が神様のトップだから、という理由には思えない。

おそらく、天照大御神が神様のトップに君臨したのは
明治政府の意図的な政策で、
それまでは、意識の中で天照大御神はトップではなかったんじゃないか

だからといって、大国主命がトップってわけでもなく
大国と音が同じ大黒様が、大国主命と一緒って言い方をされて
そっちの方が一番人気になっちゃう。

早い話がそれほどちゃんと考えていなかったんでしょう。

最初に、出雲は国造(くにのみやつこ)が現人神(あらひとがみ)だという話をしました。
国造という組織が、自然消滅した後も、出雲でだけは現在までずっと世襲で続いている

一方、天皇が現人神だという考え方は、天武天皇と持統天皇はそういう表現の仕方をしたけれども
絶えて久しく、明治維新まで、そういう表現は誰もしなかった。
天皇が伊勢神宮に参拝する事もしていない。

即ち、日本に現人神は江戸時代までは、出雲にしかいなかったことになる
明治になって、世襲制の国造の千家(せんげ)家の千家尊福(せんげたかとみ)が論争をしかける
伊勢派に対して出雲派
天照大御神だけじゃなく、大国主命も重要視すべし

物事には、顕と幽があります。
顕は目に見える世界
天皇陛下や天照大御神が司る
幽は目に見えない世界
司るのは大国主命です

結局負けちゃって、その考え方は退けられるんだけど
かといって、千家尊福は異端児的扱いとか、出雲の田舎もん的扱いを受ける訳じゃありません。
元老院議官、埼玉県知事、静岡県知事、東京府知事、司法大臣、東京鉄道株式会社社長などを歴任

千家尊福が作詞した一月一日は文部省唱歌として採用される

♪年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹たてて 門ごとに
祝う今日こそ 楽しけれ

絶対正月にはテレビで流れますね

良いですね
こういう受け入れる文化

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

彼岸ですから、青山で墓マイラー

青山で、勉強になります
の続きです。

墓マイラー
ウォーキングにはまる前は、ほとんど季節感や年中行事的な事は感じない生活をしていました。

ウォーキングしていると、お彼岸はすぐ分かる
いつもはお寺にほとんど人なんていることないのに
急にお墓参りする人が増える
若い人たちもお墓参りしているから
日本人ってすごいなあ、と思う
私は、お墓参りってしたことありませんので。

今日は雨なのであまり人はいませんでしたが
4連休はどこの寺も大忙しでした。

有名人の墓を巡る人を墓マイラーと呼ぶらしい。
お彼岸ですし
私もこのあと、墓マイラーと行きましょう

長谷寺
曹洞宗の総本山、永平寺の別院です。
さすがです。でかいです。


後でネットを見て大失敗
横の建物を外を見ただけで中を見なかった
こんな巨大な十一面観音があったようです。

墓地も広大
数々の有名人が眠っております。
井上馨、黒田清輝、坂本九、盛田昭夫、阿久悠、榎本健一(エノケン)

頑張ったんですけどね
坂本九はすぐ分かりました

でもそれ以外が、分からない分からない

墓マイラーは随分しましたけど
矢印とか案内板とか付けてくれていると分かるんですが
付けてくれていないと、無茶苦茶大変。
長谷寺は付けてくれていないタイプ

膨大な墓の中から、名字だけを頼りに探すなんて不可能に近い
阿久悠さんなんて、芸名ですからどうしようもありません。

探す手がかりとしては
1.古い人なら、とても古そうな墓を探す。
 江戸時代以前なら、形は長方形でなく、宝篋印塔や五輪塔というタイプの方が多いです。
 大名ならほぼ宝篋印塔
2.明治なら、位が大体入っています。正二位とか従二位とか
3.玉垣で囲われている事も多いです。このお墓は偉い人のだから入っちゃダメですよ、と
4.もちろん大きさも決め手。偉い人は金持ってますから、一般人より大きな墓である事が多い

ただ、あくまで傾向
とても苦労します。

疲れはてたので、一番見たい墓一本に絞ります。
井上馨(かおる)
よろしければ、こっちも読んでね
[明治]井上馨。首相になれなかった男。

でかくて、位が入っている筈

ようやく見つかった

井上馨が見れれば十分、ってことにしよう
さあ帰ろう

そこに、20人ほどの団体さん
私がいつもやっているウォーキングイベントの同業者に違いない。

ある墓の前で一人ずつ拝んでいる

良いところに出くわしたぞ

行ってみると

エノケンでした。

ラッキー

ということは、この団体さんのあとについていけば、色々見つかるかも
こういうのを、牛に引かれて善光寺参り、というのでしょうか

次は?

坂本九のところに行ったぞ
それは知ってるのよ
その次行ってよ

一般受けしない井上馨に行くとは思えません。
とすると阿久悠か

ここで、同じ事をやっている者のプライドというのでしょうか
余計なものが心の中で邪魔をします。

まあ、いっか
頑張って下さい、と心の中で言って、次へ向かいました。
まだまだ人間が出来てませんなあ。

青山霊園
king of 墓マイラー

雑司ヶ谷霊園や谷中霊園
私も墓マイラーとして、大型霊園を行きましたが
東京で最大の墓マイラーの聖地にまだ行っていなかったとは、お恥ずかしい限り

行きましょう 彼岸ですから 墓参り

とは言え、ただでさえ疲れはてている長谷寺の後
なんと青山霊園も、矢印や案内板が無いタイプ
巨大過ぎて、途方に暮れます。

こんな時の強い味方はネット
青山霊園 有名人 墓 場所
で検索

有名人と墓の番地を対応させてくれています。
ただ、何せ大きすぎるため、有名人が多すぎます。
このネットをまとめてくれた人が興味ある人だけ。
当然です。

ということで
GoogleMap に出ている場所とも組み合わせ
あっちゃこっちゃ見ないといけないので、頭の中がぐっちゃぐちゃ
さらに言うと、墓地側に、番地がひとつずつ特定されて書いてくれていない。
ネットには後藤新平 1種イ 第5号 1側 1番乙 って書いてくれているのに
墓地側は、この通りは、1種イ 第5号 1側 までしか書いていない。
その中のどれよーっ

負けるもんか

◆まずは後藤象二郎
土佐藩のナンバーツー
坂本龍馬から、船中八策を預かり
大政奉還案を作った人
要は、大政奉還を成し遂げた人

ネットには出ておらず、GoogleMap のみ
この辺だけどなあ
これか?

結論的に言うと、おそらく間違えた。
墓の間に向こうの列の墓が写っているけど、おそらくそれ
幸先悪し

本当に興味ある人だけに絞るとしよう

◆後藤新平
色んな大臣になった大物政治家ですが
やっぱり一番印象深いのは、関東大震災後の都市計画をやった、東京市長(今でいう東京都知事)

これを探しあてるまでにどれだけかかったか

◆川路利良(かわじとしよし)
警察を作った人

◆斎藤茂吉
さっき歌碑を見ました
ちっちゃ

◆大久保利通
疲れて来ましたので、今日一番の大物に絞りました。
大体の場所は分かったんですが、どこから入っていけば良いのか迷路のようでした。

さすがです。
やはり扱いが違いました。
随分手前から、鳥居があります

唯一大久保利通だけ、案内板がありました。

大久保利通ファンですから、特別な思いがあります

静かに手を合わせました

◆忠犬ハチ公

ハチ公の骨が埋まっている訳ではありません。
忠犬ハチ公の碑
あるのは、飼い主、東京大学の教授、上野英三郎の墓です

◆乃木希典(のぎまれすけ)
ご存じ、陸軍大将
明治天皇が亡くなって、後を追って殉死しました
門が周りにあって閉まっていましたが
鍵はかかっておらず、中に入ることが出来ました。

◆志賀直哉

もっと色々あったはずですが、ご勘弁

梅窓院


そもそも、なぜ青山という地名かというと、青山家の屋敷があったから。
江戸内では、広さで、新宿での内藤家に次ぐ二番目。

青山家代々の墓

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)