渋沢栄一 その6 産業造り、国造り、人造り

渋沢栄一シリーズもいよいよ最終回になります。

渋沢栄一 その1 クーデター計画
渋沢栄一 その2 パリ万博から諸外国へ
渋沢栄一 その3。日本に帰って見たもの。そして何をしたのか
渋沢栄一 その4 明治新政府はあれもこれも
渋沢栄一 その5 渋沢栄一は魔法使い

前回は、第一国立銀行

そして、ありとあらゆる事業造りを進めていきます。

でも全て順風満帆で行くわけありません。
全てが未経験なんですから

製紙会社
いきなりつまづいたのが、製紙会社
王子製紙の前身ですね

第一国立銀行で紙幣を発行しようという事になる
最初はそのための紙を外国から輸入していたんだけど
お札の紙を輸入ってまずいんじゃないって事になった

日本にも紙を作れる会社を根付かせねば。

三井、小野、島田の三財閥から出資をしてもらって
合本組織の始まり始まり
今の株式会社ですね

外国から機械を買うわけだけど
買ったところで、どうにもこうにも動かし方が分からないので
動かせる外国人にも来てもらう。

そこまでは、当然だと思うけど
その人にこんな紙をこれだけ作ってくださいと、任せっきりにしちゃう。
何だかいつまでたっても思ったような品質の紙が出来てこない
言い訳だけは、それっぽいんだけど
改善していく感じがない。

あれえ
この人も良く分かっていないんじゃない
機械自体もちょっと怪しい。

高い金を払っている

それから皆が本気になって
渋沢自身も先頭にたって
汗水垂らして機械を動かせるようにしていく。

企業は人なんだ

一言で言うと、その通りなんだけど
苦労して苦労して身をもって感じることが出来た。
その後の渋沢の全ての原点になった。

何をやるかじゃない
誰にやってもらうかを第一に考え
常に「人」にアンテナを張る

起業
金を作って会社を起こす。
そこで儲けたお金を次に回して、また会社を起こす
再生産です。
なんら違和感のない普通の考え方です。

でも、渋沢栄一は全くその考え方を取らなかった。
今のこのヨチヨチ歩きの日本に必要な産業はなんだ

よし、だったらそれを立ち上げるため
誰と誰に金を出してもらうのか
それが出来る人はどこにいるのか
立ち上がるまでは、自分も率先して動こう

同時並行で、あれもこれも

金儲けがしたいんだったら
不必要なほどの規模

金銭資産は仕事のカスである
カスを出来るだけ多く蓄えようとするものは
いたずらに現世に糞土の垣根を築いているだけである

渋沢が三井高福・岩崎弥太郎・安田善次郎・住友友純・古河市兵衛・大倉喜八郎などといった
他の明治の財閥創始者と大きくことは何ですか
「渋沢財閥」を作らなかったこと

そう言えば「渋沢」って名前がついた会社は思い浮かばない
これは子孫にも徹底する。

まだまだ
もう十分良くこれだけの産業を立ち上げていただけました。

渋沢は、まだまだ

渋沢がやりたいのは産業が今後も継続的に発展していく仕組み造り
証券取引所を作ります。

政治主導ではなく
経済人として
自分達でもっとやれることがある筈
商法会議所を作ります。

明治12年に、アメリカ前大統領、グラント将軍が来日した時
商法会議所あげての歓迎をしています。

でも、結局のところ、商業や工業な訳でしょ

いえいえ
日本の農業の発展のためには何をなすべきか
考え方の転換が必要だ
品質が高く安定した肥料を計画的に作れること
今で言う化学肥料です。

効果は理解できても心情的についていけない農民たち
東京人造肥料は、なかなか立ち上げに苦労します
大赤字に陥り、追い討ちをかけるように
工場が家事で全焼してしまいます。

それでも
ここで諦めたら
日本の農業に必要な「考え方を変える」という事が出来ないじゃないか

農業までも、渋沢が支えてくれていたんですね。

そして
日本経済の父です。

もういくらなんでも、ここまででしょう

いえいえ
福祉、教育、科学技術

特に女子教育に熱心で、東京女学館、日本女子大学
理科学研究所は、渋沢栄一が作ったんです。

そして、私としてはこれだけは書いておかないと、ということ
徳川慶喜の復権に走り回り
徳川慶喜家という家を起こす事を認められ
公爵となる

何と言っても渋沢は徳川慶喜あっての渋沢栄一ですから。

あまりにもすごいことだらけなので
ひとつくらい、あちゃちゃ、って事も書いておきましょう。

体がいくつあっても足りない超多忙なさなか
浜町に「友人」がいて泊まりに行くことがままあった。
秘書を除き、誰にも住所を伝えていなかった。

どうしてもの緊急の事態が発生し
連絡をとらねばならなくなった。
秘書に頼み込んで、住所を教えてもらった。

戸口で
どうしても、緊急でお伝えしたい事がございます。
何卒よろしくお願いします。

中から
「どなた様かは存じませぬが、こんなところに、渋沢栄一がいるはずないではないか」

まさしく、渋沢の声。

昭和42年
昭和42年に古希を迎えた渋沢は
きれいさっぱり全ての企業の全ての役職を退任する

索引はこちら
[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

神戸震災記念館。大震災でも災害を減らす方法

神戸震災記念館に行ってきました。
神戸震災記念館。復興はどのようになされたのか

重い話を二日も続けちゃいましたね
でーこんらしくありません。
ごめんなさい。

えっまた?
と思われるでしょうね

実は、阪神淡路大震災の事が知りたくて行ったわけで
目的としてはそれで良かったんですが
この施設、人と防災未来センターってそれだけじゃなかったんです。

西館と東館に分かれていて
西館の4階と3階が阪神淡路大震災関連

神戸震災記念館、という別名はこの2フロアという事になります。
私も行ってみて初めて分かったんですけどね。

では、今日は、西館3階が見終わった所からスタートします。

防災・減災体験フロア
えっと、まだあるのか
何々?
防災・減災体験フロア

ひょっとしてあれかな?
部屋がこしらえてあって
はい、今から震度5ですよ
みたいな

一度も経験したことないからやってみたいな

まずいっ
人が一人もいない

パソコンがずらっと並んでいて
教室風

だんだん分かってくるんだけど
小学生とかが授業の一環で防災について学びましょう
という感じに使うんじゃないかと思う。

三人のスタッフさんがいて
一人のおじさんが近づいてきた。

まあいっか

こちらはですね
黒いところが地震の発生したところで赤いところが火山

最初に度肝を抜かれちゃいました。
日本は地震大国とか良く言うから
漠然とした知識は持っていたけど
画像で分かるでしょうか

ちょっと待ってください
日本は真っ黒けじゃないですか

なんと世界の地震の2割は日本で起こるらしい。
こりゃ大変だ


日本のどこで起きるかは次に日本地図があって
活断層がどれとどれでみたいなことを細かく教えてくれる

えっ、これは?
この数字は?

結局全部みたいなもんですね

次にいつ起きるかの資料
歴史からひもといて

良くニュースで大震災が明日どこに起きてもおかしくない状態ですっていうけど

こうやって細かく説明してもらうとホントにそうなんだ、と良く分かる。

こっちもだんだん興奮してきて色々質問するもんだから
おじさんものってきて、色々説明してくれる
何せ貸切り状態。

地震の大きさ

マグニチュードがちょっと違っただけで、地震の力の大きさがかなり違うということが良く分かる
下の左から二つ目が阪神淡路大震災
上のでかい丸が東北大震災
明日来てもおかしくない南海トラフ大震災は、それよりもでかいかも知れないらしい。

液状化現象
液状化現象の仕組みを教えてくれた。
状態だと地盤の中に砂の粒子と水が均等にばらけているけど
地震で揺れると
砂が下に、水が上に分離する

急におじさんがハンドルを回し出した

ちょっと待ってください
動画撮りますから

(あとの、動画にまとめて入れてあります)

動画ではうまく撮れなかったんですが
動画の下の方にある家の模型は
土壌に杭が打ち込んであるので、液状化現象になってもあまり傾かない。

減災
早い話が、大地震は起きます、と
その前提で考えましょうと

地震を起こさないようにするのは全く無理

予測は?
一時期、科学は地震を予測して
予報を出す方向で頑張ったけど
高い金をつぎ込んでも、今だに効果的な方法が見つかっていない

それならば
予報はあきらめて

起きたあとどうするかとか

起きたときにどう被害を少なくするかということを
考え、ノウハウにし、身に付けていきましょうと
それが減災という考え方

家具の倒壊防止
よく市販されている、踏ん張る君、みたいなのを取り付けると
かなり画期的
ただ、天井側がガッチリした構造になっていないとベキッとなっちゃう
そんなときは、中は空っぽでいいので
家具の上の隙間にぴったりの段ボール箱を用意するだけでも随分違う

すみません
これも実験を見せてくれたんですが
動画を撮り忘れました

建物
建物という分野で色々説明を伺った
耐震・免震・制震って三つあるらしい。
三つとも地震で倒壊しにくい建物造り

耐震構造って良く聞くし、そう言われると、免震構造というのも聞くようになってきた。

耐震
柱に筋交いをつけたりすると
グッと強くなる
これも色々進んできて
この右側の留め金だと筋交いの木材がベキッと割れちゃうらしいけど
左側の留め金だと留め金が歪みを吸収してくれて、よりベター
1個700円なんだって

免震
建物の下に衝撃を吸収するものを敷いてその上に建物を建てること
これは実験で見せてくれたんですがかなり良いですね
(動画あります)

制震
耐震の改良版
筋交いに、ダンパーと言われるバイクのサスペンションみたいなのを取り付けて
衝撃を吸収する。

実験も見せてもらいましたがかなり良いですね
(動画あります)

おじさん
色々博物館にいきますが
その博物館の展示物や展示方法の優劣というのはあって
ああ、この博物館、良い博物館だなあと思ったりする

でも、圧倒的に良い博物館、というレベルがある
今までにいくつか経験しています。

おじさんです。

その分野が好きで好きでたまらない人が説明してくれるのにぶち当たると
どんな小さな博物館であれ
圧倒的に良い博物館、のレベルにはねあがります。

良いおじさんだったなあ
いつかまた行きたいと思います。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

神戸震災記念館。復興はどのようになされたのか

昨日、神戸震災記念館の事を書きました。
神戸震災記念館に行ってきました

その続きになります。

復興
15分間の映像は下敷になって、自分は救出されたけど、お姉さんを亡くした少女の目から見た復興
ええから早く逃げて
が最後の言葉

これは一人の目から見た復興

次の部屋でおびただしい量の展示物があり
色々な人の色々な復興が見えてきます。

まずは、地震後の状況を伝える展示物から










仮設住宅、復興住宅
神戸って、兵庫県内の他の地域に住む人間からするとかなり特殊な地域。
大都会です。
そこに住む人は都会っこ

コミュニケーション好きな関西人にあっても
隣は何をする人ぞ的な気質で生活していたと思います。

ところが急に天地がひっくり返った。
仮設住宅では、何もかも助け合わないと生活していけなかった
色んな、証言の映像で分かりました。

出来るんですね
人間って誰だってそういう事がちゃんと出来る

つらいことって、時が解決する
間違いではないけど
復興って、「時が解決する」以上の事をやっていかないと
にっちもさっちも進まなかったんだ。





それを、都会っこ達が
みんなで成し遂げたんだなって思う。

豊か、が当たり前な世の中で
豊か、を全てぶち壊された時
人と人、という要素だけが残るんだな

でも、もうひとつ
ここの展示を見たときに動けなくなったんだけど

花は咲くんだな
どんな状況下でも
花は咲く

阪神大震災図巻

何かというと
ある人(吉井貞俊さん)が、復興を記録にとどめないと、と思った
ロール紙に、町中を歩き回って、全ての建物を克明に絵にした。
そして、5年後
同じ場所を同じように歩き回り
同じように書き留めた。
ただならぬ熱意ですね。

横にパソコンが置いてあって、中を全部上下比較しながら見ていけるんだけど
実に良く分かる

5年でここまで変わるのか
人間の力。

今、ひょっとして、ネットで中を見れたりしないかな、と
「阪神大震災図巻」で検索してみました。

すると、全く予想外の場所でヒットしました。
ヤフーオークションです。

ええっ、ヤフオクに出品したの?
2013/02/24 落札
丁度5年前です
入札履歴 1
要は、一人の人しか入札しなかった。
開始価格 3500円
落札価格 3500円

あかん
3500円はあかん

でも、実物が記念館にあると言うことは
後で見つけた記念館の人が、
落札者に連絡つけて売ってもらったということなんだろうか

千田のパン

学校給食や病院給食で、パンを工場で作って納品していた千田のパン
工場が壊滅し、再開への努力をするも断念
それでも、千田のパンへの思い入れを断ち切れず
仮設住宅に出来た市場で、「千田のパン」という屋号でパン屋を始める
作るのは不可能なので、仕入れて売ったんでしょうけど。
その時のレジ袋
工場の壁に描いていた、気球の絵が書かれています。

さらにそのあと、どうなったかまでは分からなかったけど
笑顔のご夫婦なので
今もどこかで元気に暮らしておられる事と思います。

支えられて
ご近所の避難している人を受け入れ
でも、自分の家もガスが来ているわけではないので
熱帯魚用のセラミックヒーターを20本くらい購入して
女性の方のシャンプーをしてあげたという例

ボランティアの人に物心両面で支えられてという例がいっぱいあるんだけど
一つだけ紹介します。
ギターを弾いて、被災地を回った「近幸」さんという方



テレビで芸能人が被災地を回って勇気づけたという話は良く聞く
素晴らしいと思うし、とやかく言うつもりは全くないんだけど
名もない人だって、ギター一本で同じことが出来るんですね。
おそらくギターの演奏ですごいテクニックを持っているということでもないんでしょうから(違っていたらごめんなさい)
そこでの交流にすごく意味があるんでしょう
そのあとの子供たちからの手紙を見ると
いかにそれが意味を持っていたのかが良く分かります。

改めて復興
そのあとの、防災の色んな資料を見ると
いつどこで大地震が起きてもおかしくない。

起きると考えた方が良い。

3.11にしても、熊本地震にしても
マスコミは、まだまだ復興は進んでいるなんて段階ではありませんと言う。
そうだと思います。

ただ、一方で
復興って、「人」が力を出し合い、協力し合えば
出来るんだ

そういう言い方もして良いと思う。
今回、それを感じました。

神戸震災記念館に行ってきました。

昨日、姪っ子の結婚式で神戸に行った話をしましたね。

せっかく、神戸まで来たんです。

一つくらいどこか観光してから帰りたいな
でーこんの考えそうな事でしょ

朝、どこ行こうか考えていた。

開国
まあ、普通に考えると異人館なんだろうけど
でーこん的に考えると、
神戸と言えば開国
幕末から明治維新、文明開花のいろんな遺跡がいっぱいあるのではなかろうか
勝海舟と坂本龍馬の神戸海軍操練所とかね

神戸の開国についての歴史を分かりやすくまとめた博物館みたいなのがあると良いなあ

検索すると、意外にないのね
神戸はそんなネタで観光客呼び込まなくても
一大ブランドですからね

唯一ひょっとしたらこれって期待した、神戸市立博物館
工事中でお休みでした。

異人館巡り
神戸異人館巡り
昨日お話しましたが
これって予想外に降って沸いたような話。
単純にプラスオン

あっ
神戸と言えば
大きなテーマを完璧に忘れていた。

こんな大きなテーマを今更思い出すなんて
関西人としては、完全に失格ですね。

阪神淡路大震災です。

阪神淡路大震災
1995年1月17日
あの時は福島県郡山に住んでいた。

親兄弟は兵庫県

朝起きたら、えらいことが起きましたってテレビでやってて
ええっ
これが神戸?
あの神戸?

すぐに親兄弟に電話かけるけど
誰にも全くかからない

何度も何度もかけて
それでも全くかからなくて

仕事どころじゃないので
すぐに帰ってきて、テレビ見て
そしたら、時間を追うごとに死者の数がどんどん増えていって
とうとう1000人越えちゃったよ、と思ったのに
それどころじゃなくて、2000人とか3000人とか

電話しか出来ることがないから
電話かけ続けるんだけど全くかからなくて

翌日になっても状況は変わらず
火の海の映像が広がるばかり

親と妹は加古川なので、ちょっとは離れているんだけど
姉は、宝塚。
宝塚もニュースでどんどんやっている

公衆電話の方がかかりやすいらしいよって情報があって
十円玉いっぱい持って、公衆電話にいっても全く一緒

これはもう、どうにかなっていると考える方が順当だろう
救出に行くしかない

東京側から向かっても大阪を突っ切れる訳は無さそうなので
岡山まで飛行機で行ってそっち側から戻って来よう
電車で行けるところまで行って
後は何日歩いてでも。

当時携帯電話持っているのは金持ちだけだったので
本部長に頼み込んで携帯電話を借りた。

空港に行った。
岡山行きのチケットを買う前に
公衆電話から、もう一回だけ電話してみよう。

プルルルル

はい、もしもし

生きてたあ

こっちは揺れたけど全然大丈夫
姉ちゃんの所も家具はほぼ全部倒れて壊れちゃったけど全員怪我もなく無事
こっちには来なくても大丈夫だよ
やっぱりこっちからもそっちに全然電話かからなかったねえ

結局行かずに引き返した。

姉ちゃんの所のマンションはヒビも入らなかったから
数日は色々苦労したらしいけど
生活的には何とかなった

大変だったのは姉ちゃんの旦那さんの仕事の方
旦那さんの職場は、神戸市役所ですから。

ちなみに、妹の旦那さんは西宮市役所
こちらも大変だったらしい


震災の事を聞くと
もう今は、市役所の人達も話題にすることがないらしい。
20年経った今は
所員としてあの時を経験していない、若い人の方が過半数になってしまったから

それはそれで、とも思うんだけど

私としては
結局あの時駆けつけなかった

たまに実家に帰っても
神戸にまでは、行くことはなかったので
結局この20年、「あの現場」は
あの時のテレビで見た範囲を越えていない。

私はやっぱり兵庫県民なので
それは許される事ではないと思う。

偉そうに言っても
20年間わすれていたので
不届き者には違いないんですけどね。

神戸震災記念館
正式名称は
人と防災未来センター
地図

最初に7分間の映像
1995年1月17日5時46分に
神戸の各地に起きたことを再現映像にしてある

アクション映画を見ているような錯覚に陥るんだけど
全てが現実に起きたこと

ただただ衝撃で

ごめんなさい
感想の書きようがありません。

どんな言葉で表現しても
嘘の感想を書いている気がして

次の映像を見る場所へ行くまでの間
当時の町が再現してある
ここ、撮影NGだったので、お見せ出来ないのが残念なんですが
すごかったなあ
町ってこんな風になってしまうもんなのか

でも薄暗くって良く見えない
演出なのか
もうちょっと明るくしてもらった方が
と思って、ふと気づいた

ライフラインが全て寸断されている情報で
灯りなんてあるわけがない
真っ暗な中でのまさにこの風景だったんだなって

演出だなんて考えた自分が恥ずかしい

ここにあるものや、映像やらは
ただただ、事実を出来るだけ忠実に再現しようとしただけのもの

復興
次の部屋で15分間の映像を見ます
テーマは復興

その時どうだったのかも、見たかったけど
復興はどうだったのかも見たかった

正直、今の神戸で
当時の事がかいまみれる場所がない
では、復興はどのようになされていったのだろう

これは、映像だけでなく
そのあとの部屋のおびただしい量の展示物で少しずつ感じとれます

長くなりすぎましたね

まだ続きますので
分けさせて下さい。

続きはまた明日。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ