[足利将軍]9 義尚。嫌なものは嫌だ
の続きです
義稙(よしたね)
これから、というところだったのに、義尚(よしひさ)は病気でなくなってしまう
次をどうしようとなったが、不思議なことが起きる
義尚のお父さん、義政が病気がちだったはずなのに、復活宣言
当時としては老齢の54歳
ハイ、私やります
みんな目がテン
義政は、天皇(後土御門天皇)に願って「再登板しても問題なし」との勅語を下してもらう
そうなると逆らえません。やってもらいましょう
中風の発作を起こし、右半身が麻痺して公文書に花押を書けなくなってもまだ頑張る
病臥に伏しても頑張り続け、翌年とうとう亡くなってしまう
さあ、どうしようか
義尚には息子がいない
兄弟もすでに亡くなっている
候補は、いとこになった
一人は義稙(よしたね)あの幕府に逆らった義視(よしみ)の息子
普通はダメです
もう一人は清晃(せいこう)という僧侶。
東国鎮撫をその役目とする堀越公方・足利政知(義政の庶兄)の子。
当時、京都の名刹たる天龍寺(同寺の香厳院)で僧侶をしていた。
清晃はまだ幼童であったうえ、京都政界に有力な支援者もいなかった
ライバルがちょっと弱いので、まさかの義視の息子が最有力候補
ここで、義稙の伯母である日野富子が強力に支持を表明
これで勝負あり
晴れて、義稙が将軍となります
ただ、義稙としては政治経験がほぼゼロ
お父さんの義視(よしみ)を頼ります
おおっ、なんと不思議
義視が政権に返り咲き
義視はまさかの復活に大張り切り
強力バックアップをしてくれた日野富子に引退を迫る
日野富子は意外にもあっさり受け入れて引退
これで義視はやりたい放題
だったんですけどね
なんとこれまた、義視も病に倒れ
翌年に亡くなってしまう
義稙ピンチ
日野富子引退で、義視も亡くなる
政治経験ほぼゼロなんですけどぉ
なんとか味方の大名を掌握せねば
ええっと、誰が良いんだっけ
ここで不思議な作戦を思い付く
戦争
戦争って団結するためにはてっとり早い
その発想どうなのかなとは思いますが
ターゲットを近江の六角氏とする
六角氏はえらい迷惑です
義尚にやられて没落したけど、この時期には再起していた
義尚親征の再現です
ただちに諸大名に「参陣せよ」との号令を発した
これをうけて細川政元以下、数多くの大名たちが義稙のもとに参集
義尚の時以上の数が集まる
大挙押し寄せて、圧勝
六角氏はほうほうのていで逃げ出す
義尚の時は、このあとしつこく追いかけたのが良くなかった
ここは学習出来ている
早々と勝ちどきをあげ引き上げる
ここまでは良かったのですが
そのあとがいけなかった
有頂天の義稙は、次なる戦争を仕掛けた
次なるターゲットは河内の畠山基家
畠山政長と家督争いがあり、政長からの要請を受諾
さらに、それが終われば今度は越前に遠征すると同時に発表
こちらは斯波(しば)氏からの要請で、力をつけてきた朝倉氏を討って欲しいとのこと
これらには義稙なりの計算があった
当時の大名で最も力があるのが細川政元
その次に、畠山、斯波
細川政元は頼りにしていたのだが
細川政元だけが強くなりすぎるのは良くない
畠山、斯波も持ち上げてバランスをはかりたい
ここまでは何とか良かったものの
細川一門の阿波細川氏をも味方に引きいれようとした
細川政元はその意図を敏感に感じとる
また諸大名に動員令を出し
大量に集まったものの
諸大名の中では、厭戦気分が広がっていた
またかよ
大軍は畠山基家に圧勝
義稙は戦勝に酔って、危機が間近に迫っていることに気づかなかった
明応の政変
異変が起きる
世に言う、明応の政変
細川政元が兵をあげた
もともと将軍候補だった、清晃(せいこう)という僧侶を将軍として擁立
そして、将軍争いの時、義稙を強力にバックアップした日野富子が清晃支持に回った
これは大きい
義稙は諸大名に馴染みが薄い
諸大名からすると、日野富子は昔からの馴染み
どっち取ると言われれば日野富子
現将軍には逆らえないが
日野富子が、清晃こそが将軍だと言うのなら
現将軍は清晃だという解釈も成り立つ
勝馬にのる
諸大名たちは早々に義稙を見捨て、河内から京都に舞い戻ってしまった
河内出陣を要請した重臣畠山政長だけは残る
京都から迫り来る細川政元軍
圧勝、勝負あり
義稙の元に残った主な直臣はわずかに39名だったという
降参します
義稙は細川政元に捕縛され幽閉
清晃は還俗(げんぞく)し次の将軍、義澄(よしずみ)を名乗る
反乱軍大勝利
ところがこの明応の政変、これで終わりではなかった
このあとに続く大動乱の始まりだった