ニホンかニッポンか

「東京ふしぎ探検隊」という本を読んでいると、
はいはい、この話題ね、結局どっちだっけ
という話題が出ていたので、箸休めにご紹介します

日本はニホンかニッポンか
東京の日本橋はにほんばし。
大阪の日本橋はにっぽんばし。
どっちやねん

企業名だと
にほんと読むのが61%、にっぽんと読むのが39%、らしい

元々は
もともとヤマトと読まれていた、国の名前。
7世紀半ばの大化の改新のころから「日本」が成立したらしい
じゃあ、その時は?
初めの奈良時代は「にぽん」か「にっぽん」
室町時代に「にふぉん」
江戸時代に「にほん」
と変わっていったらしい
微妙に色んな説があるみたいだけどね

どっちが正解?
公式の議論でいくと
1934年のNHKの決定。これはにっぽん
同年、文部省臨時国語調査会。これもにっぽんと出たのだが、政府で採択されなかったので、正式には決まらなかった。
1970年、佐藤首相がにっぽんでまとめようとしたが、またしても閣議決定に至らず
ついに2009年、麻生内閣の時に閣議決定されました。

結論は
「どっちでもいい」

お騒がせいたしました。
どっちでもいいそうです。

ちなみににっぽん派のよりどころはおさつに NIPPON GINKO と書いてあるというのがありますが、
NHKで日本銀行を発音するときは「原則は、にほんだが、にっぽんでもよい」
日本銀行自体に聞いてみると「にっぽんとはしていますが、にほんでも間違いではありません」

ちなみに国民にアンケートをとると、6対4でにほんの方が良いという結果に。
思ったより接戦です。
3回アンケートをとったけど、少しずつにほん派が増えているそうです。

ちなみに私は
どっちも言うなあ
その時の気分
これまた失礼しました。

日本橋のローマ字表記
続いて書いてあった日本橋のローマ字表記
nihonbashiが正しいか、nihombashiが正しいか
「ん」は、nなのか、mなのか
駅と道路で違うらしい

あっ、これ知ってる。
mに決まっとる

思い出が甦りました。

私が受験の時です。
いちいち、ひとつずつ英語のスペルを書いて覚えるのが嫌だなと思い、
法則性がないもんかと考えたんです。
「ん」はmとも書くし、nとも書く。
どっちなんやろ。
むちゃくちゃいっぱい調べました。
綺麗に法則性があった。
そのつぎに来るアルファベットが、bかmかpだったらm、それ以外はnです。
stampとstandって感じ。
見事にこの法則に則っています。
私が知っている例外はinputだけ
inとputを会わせたからでしょうね

ついでにもうひとつ、qのあとには絶対uがつきます。
quolityみたいに。
唯一の例外は国名のiraq(イラク)
Qが最後に付いてるからでしょうね。

長女に
これを調べあげたのが自慢で仕方ありませんでした。

随分たって、娘が産まれ、娘も受験期に

お父さんエエこと教えたろか
英語のスペルやねんけどな
bとmとpの前だけがmで、それ以外はnやで

うん、そうよ

えっ、知っとんかい

ヘボン式のローマ字もそうだしね

ええっ、お父さん、自分でどんだけ調べた思てんねん
みんな、知ってるって事?

そうなんじゃない?

それから数時間、娘としゃべらなかった。
娘は悪くないんだけど。

これを思い出したのでネタにしてみました。

シルバーウィークと働き者

シルバーウィークは、全部お休みでした。
ウォーキング同好会のイベントの下見に行ったり、久々に家族と買い物や外食をしたり。
それでも、一日余ったので、今日は、近くのイオンモールでゆったり。

がむしゃらに働くこと
高度成長期の何とも言えない活気づいた感じってとても懐かしい。
長期に渡る日本の経済成長の低迷について、専門家の人が色々分析していますね。
その上で、色んな対策を打って、アベノミクスがどうたらこうたら。
でも、そんな分析の中で聞いたことがない、極めて単純な根本原因があるように思います。

日本人が昔ほど働かなくなった。

もっと働くべしと言いたいのではありません。
確実に価値観が変わってきているということ。
そしてその価値観の変化を多くの人が受け入れている。

まあ、そこまで必死で働かなくても。
そんな感じが日本中をまったりとおおっている。

実は私も、今の感じを悪くないと思っています。

国民の休日
増えましたねえ。
国民の休日。
気がつけば、先進国の中で一番多いってテレビで言ってました。
もちろん、欧米のようにバケーションがやたらに長くある訳じゃないからですが。
それにしても休んでます。

良いじゃない。
日本人は、よく頑張ったよ。
そろそろ経済成長なんて気にせず、ゆっくりしようよ。

でも、私達「シニア」になりかけの人は
昔は、がむしゃらに働いたなあ
あのときは、それはそれで楽しかったなあ
があるけど
若い人は、世間の風潮がどうあれ、一度はがむしゃらに働いた方がトータルでは楽しい人生になる気がするけど。
違うだろうか。

次なる価値観
私の場合、ずっと仕事人間でした。
ダイエットしてから、急に人格が変わっちゃって、アウトドア大好きになっちゃった。
そんな、ベースがあるので、今日のような話になります。
仕事以外の次なる価値観を見つけることが出来た。
今はとてもハッピー。

結論。
人それぞれですかね。

永六輔その新世界が終る

驚きのニュース
今日、次女から聞かされて、とても驚いた。
永六輔のラジオ終わるって本当?
ええっ?
どどどういうこと。
とうとう「その日」が来てしまうのか。
その場で、次女がiPhoneで検索。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150822-00000110-spnannex-ent

とうとう
24年半続いた「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」は、9月26日で終了。
後番組は、お笑いコンビ「ナイツ」が出演する「土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送」

以前、書いたことがありますが、私はTBSラジオが大好きです。
中でも、別格なのが永六輔さん。
おそらく、10年以上前から聞いているはず。
昔は、ものすごかった。
この人、バケモンなんじゃないかと思った。
知識の量と幅がとんでもなかった。
話していることが、全て新鮮だった。
芸という世界がそこには有った。
テレビでやっているお笑いとは全く違う、芸人の世界。
落語、浄瑠璃、文楽。
関西人にはなじみの薄い「粋」の世界がそこにあった。
日本全国、行ったことのないところはありません、と言われても永さんが言うんだからそうなんだろうと納得した。

発病後
2010年にパーキンソン病を発病。
それから、あの鋭さは、当時のものとは違ってしまった。
ろれつが回らない。何を言っているのかがかなり聴き取りづらい。
ラジオ番組でそれでは致命傷なはず。
ところが。
日本国民の良識に毎週感動させられた。
みんな永さんのことが大好きだから、一生懸命に聞く。
今日は聞きやすかったね。薬が効いてるんだね。今日は具合がいまいち。大丈夫かなあ。

聞き流すのが基本のラジオであんなに真剣に食い入るように聞く番組はなかなかない。
アシスタントの外山恵理、はぶ三太郎、常連のゲストのピーコや北山修や松島トモ子や豊竹咲大夫(文楽)らが、永さんの言ったことを復唱して、リスナーに伝える。
時には、本番中に居眠りをしてしまう。
リスナーからのメッセージはいつも、今日はお元気そうで何よりです、から始まり、起きててくださいね、が付け加わる。
正直、永さんの話の内容に期待していた以前とは違うかもしれないが、気遣いの美しさを、日本人のやさしさをこんなに感じられる番組が他にあるだろうか。
永さん自身、降板を何度も申し入れているだろう。
ラジオパーソナリティとしての、超一流のプロ。何年も連続して、聴取率トップなのだから。
みんな「その日」が近いことが分かっていつつも、
僕達の方で何とか頑張って聞きますから、最悪、寝ててもらってもいいですから、という雰囲気が番組全体にあふれていた。

あと何回か
あと何回かで、一つの日本の文化が終わりを告げる。
大げさではなく、それだけの意味を持った歴史的区切りになると思う。
インターネットですぐに何でも検索してしまえる世の中。
永さん的な「何でも知っている人」にニーズがなくなってしまった。
でも、そこに永さん的「粋」があるだろうか。
あじわいがあるだろうか。
もう二度とあんな番組はできないだろう。

朗報
と思っていると、すごいいい情報が。
「10月改編で、永さんの新番組(タイトル未定)(9月28日スタート、月曜後6・00)が始まる」
ワイド番組ではないけれど、日本はまだ永さんを必要としているのだ。
「永六輔の新番組」なんとも良い響きじゃないですか。
日本国民、まだまだ捨てたもんじゃありません。

空襲に関する講演でとても驚いた

空襲に関する講演
今日は、特に予定がなかったので、先日借りた本を図書館に返しに行った。
せっかく、来たので、若干本を読んでから帰ろうと、本を読んでいました。
住んでいる東久留米の東久留米中央図書館。
館内放送が流れました。
「東久留米の空襲と戦争遺跡」という講演をやりますからよろしかったら視聴覚教室へ。
そういうと終戦記念日だな。ちょっとだけ聞いてみるか。
そんな気持ちで覗いてみました。

驚きの内容
軽い気持ちで覗いたことが恥ずかしくなる素晴らしい内容でした。
始めの一言が
「東久留米の空襲はやはり中島飛行機なんですね」
何だろう、その中島飛行機とは。
その後の詳しい話で、いかに自分が戦争について全く無知であったかを思い知らされることになります。

中島飛行機とは、日本の軍需工場の中で名古屋の三菱と並ぶ二大工場。
それがあった場所を聞いて、話にのめり込んでいくことに。

何と、今度のウォーキングイベントのために、先週の土曜日に歩いた武蔵野市の武蔵野中央公園の場所。
さらに、その横の団地の場所。
まさに鮮明に覚えているウォーキングしたばかりの場所。
こんな偶然があるのだろうか。
当然、全く意識せずにウォーキングしていました。

分かったことあれこれ
米軍にとって一番のターゲットである、中島飛行機。
9度の空襲を受けることになります。
当時既に米軍の基地があった中国からでは、B29が届かず、どうしても、中島飛行機を壊滅させるために必要だったのでサイパンを総攻撃して、基地を設けたというほどの重要なもの。
もちろん、中島飛行機だけでなく、東京大空襲もありますが。
米軍の本土空襲は、大きく言うと3つの時期に分かれるそうです。
第一期、中島飛行機等の軍需工場を集中的に攻撃
    対空攻撃を避けるため、高度1万メーターという高い位置から攻撃します。
第二期、3/10の東京大空襲のように、大都市を夜間に低空から集中的に攻撃します。
第三期、地方都市を一回で4都市ずつ集中して攻撃します。
中島飛行機は、第一期にかかわらず、常に攻撃対象になります。

住んでいる東久留米をはじめとして、武蔵野市周辺の地域は、中島飛行機をターゲットにした攻撃で巻沿いをくうようなイメージで攻撃されます。
高度1万メーターからでは、当時の米軍の技術では、4%しか命中せず、かなり離れているはずの東久留米等周辺の地域にまで爆弾が落ちることになります。
なぜ、ずっと中島飛行機がターゲットになりつづけ、9回も空襲を受けるかと言うと、命中しなかったから。
米軍は、攻撃後、再度来て、ダメージ度を調査し、一定の成果に至るまで、やり続けるそうで、最初のころは命中しなかったからだそうです。

そして、3/10の東京大空襲で成果を得たと認識した米軍は、中島飛行機に対する戦法も変更します。
夜間の低空からの攻撃への変更です。
ただ、東京のように広域でない場合は夜間ではまだ技術が確立しておらず、イギリスに支援を頼みます。
しかし、準備が整わないまま、4/2になり、見切り発車で、大空襲をすることになります。
結果として、4/2の大空襲は、中島飛行機ではなく、周辺地域の大空襲になります。
東久留米もその時に大きな被害を受けます。
そのとき、時限爆弾と言って、落ちてすぐ爆発するのではなく、何時間か後に爆発する爆弾が使われます。
理由は、最初にすぐ爆発してしまうと煙が上がって、中島飛行機の場所が特定できないかららしいです。
結果として、防空壕で米軍機が言ってしまうのを待ち、出てきた時点で爆発して大きな被害をあった方が大勢おられるようです。
その4/2に太宰治も空襲を受けており、作家仲間の3人と防空壕に入ったそうです。
幸いにも、被害には合わなかったそうですが。

感想
戦争関係の話と言えば、感情に訴えて、二度と戦争はすまいというものばかりで、それはそれですごく重要で語り継いでいかないといけないものだと思います。
でも、今回のように、事実を淡々といっぱい教えてくれるものも、聞いてみるといかに自分が無知であったかを痛切に知らされることになり、本当にすごい経験をさせていただきました。
質問やディスカッションの時間に、集まっておられる皆さんもすごく興味を持っていろいろ調べておられる方ばかりで、そのことにも驚かされました。
そんな中で言っておられたのが、
どうしても「戦争が人を殺した」的表現をしてしまいがちだが「人が人を殺した」のであって、そのことを忘れてはならない。
心に響きました。