羽村堰とチューリップ

羽村郷土博物館で分かった。羽村堰は今も一緒。
の続きです。

筏通場(いかだとおしば)
多摩川上流は木材の一大産地
多摩川下流は木材の一大消費地
木材を切り出し、筏として組んで、下流に持っていく。

ところが、羽村で堰が作られちゃった。
行けませーん

飲み水を取るか木材を取るか。それが問題だ。
飲み水に軍配が上がり、筏通行禁止。

でも諦めきれない木材業者
さらに運動を繰り返し
筏が通るときだけ口を開ける筏通場を作ってもらえることになった。
めでたしめでたし。

感激するのは、今も投渡(なげわたし)の横に筏通場が設けられていること。

大堰通(おおぜきどおり)
投渡のもうちょっと手前で、水門へ向けて水を導くのが大堰通
設置されている場所は今も昔も全く一緒なんだけど
これだけは結構考え方が違う。
昔は全面的にせき止めるのではなく、まあまあ透けている


中に、蛇籠(じゃかご)と言われる竹で組んで中に石を詰めたものを置いて流量の調整。

明治になると、蛇籠だけをびっしり敷き詰めて、完全せき止め方式に変わる。

そして今は、コンクリート

高さが低ければ、固定方式で作っていても、台風の時流されることはないし
水かさも増えるので、上を越えていくという考え方。
台風の時はこんな感じ

出し
次は、玉川上水に取り込まれた後になります。
しばらくは多摩川の端っこに土を盛ってその上を上水が流れていきます。
ここは玉川上水の弱点
多摩川が台風とかで増水すれば、間の堤防が決壊して元の木阿弥

何とか、多摩川の流れを堤防から遠ざけようとする設備が「出し」と呼ばれるものです。
あっち行けーって感じ。

さらにその後しばらく、堤防に向かってくる水の勢いを削ぐため、ちょいちょいちょい
鳥が羽を広げているみたいでしょ。
羽衣堰

水番人
水番人の仕事は大変。
常にちょうど良い水の量にするため四苦八苦

ちょこちょこ修理が発生するから
日頃からその材料集めと修理

台風とかでどーんと修理が必要な時には引き受けてくれる人探し。
へえ~と思ったのが、入札制度
それぞれに見積もってもらって一番安い処に発注。

最初は百姓が請け負っていたけど、
だんだん専門業者も出てきて、ノウハウを積み上げていく。

ということで羽村の土地は、特殊な気質が育っていく。
指田茂十郎・下田伊左衛門という先覚者たちが
起業家・教育者としての資質に富み
チャレンジチャレンジ。
幕末、開国して外国に絹が売れるとなると
養蚕の技術を磨きあげる。
全国の養蚕業者を指導する、成進社というコンサルタント会社まで作っちゃう。

青梅鉄道という鉄道まで作っちゃうんだからすごい
今の中央線に繋がっていきます。

すごいぞ羽村

チューリップ
ああ、面白かった。
このあとどうするかな

最初、観光案内所でもらったパンフレットがどうにも気になる
中を広げると一面チューリップ

10分ちょっと歩いて
この辺の筈なんだけど

もちろん今は咲いてないけど
どれくらいの広さなのか、確認しておきたい

やっぱり良く分からないから、あそこのおじさんに聞いてみよう。

すみませーん
この辺りって、一面チューリップが咲くんでしょうか

そうだよ。
向こうの方に電信柱が見えるの分かるかな
あそこからこっちは全部、チューリップ。

ええっ。すごいですね。
だいたいいつ頃に咲くんでしょう。

4月の中旬くらいから、チューリップ祭り
その前は桜祭りなんだけど。

両方見るのは難しいですよね

祭りとしては3日くらいがダブるけど。

そこを狙うのはかなり難しいですよね。
コロナでもやりますかね

祭りをやる前提で植えちゃっているからね。
今年もそうだったんだけど、祭りは中止になっちゃった。
駐車場とか、屋台とか、イベントとかはなくなっちゃったんだけど
花は関係無く咲くからね。
ぜひ来てくださいよ。
良かったら、これパンフレット。
ホームページとかで出ますので。

分かりました。その時期に伺います。


[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

羽村郷土博物館で分かった。羽村堰は今も一緒。

羽村にも郷土博物館があり、前から行きたいと思っていました。
玉川上水の資料があるでしょう。

羽村郷土博物館
多摩川の手前にあるとずっと勘違いしていたんですが
地図を見ると、多摩川の向こう側
ちょっと遠いかな。橋も結構先。バスとかの方が良いんだろうか

観光案内所があったんで聞いてみました。
郷土博物館って結構かかりますか

いえ、歩いて20ほどです。
ここに橋があるので渡ってもらって。

GoogleMapで点々々とだけなっていたところは、ちゃんと橋でした。

車が通れないので点々々だったのね

天気の良い日の川辺の散歩にはちょうど良い距離でした。

羽村堰(せき)の展示
堰(せき)ってせき止めるの堰だから、今で言うとダム
昔は、こういう感じの堰だったけど、今はこういうダムですと
そんな事だろうと思っていました。

前回も羽村堰は見に来たけど、細かな構造と役割は分かっていませんでした。
今回、分かってみてビックリ

江戸時代の羽村堰と、今の羽村堰
材料は違うが、形も構造もそれぞれの役割も一緒。
最初から完成された形だったという事です。

さあ、一つ一つ見ていきましょう。

水を取水口に導いていく形ですが
昔と今では、ぴったり一緒です。

大堰通(おおせきどおり)という壁的な構造で水を導きます。

そして、水門が、一の水門と、二の水門があるのも一緒。
一の水門で取り込み過ぎた水を二の水門の前に、小吐口(こはきぐち)で多摩川側に戻してやるという考え方も一緒ですし
それぞれの門の場所もピッタリ一緒です。

水門の手前に、投渡(なげわたし)というのがあるのも一緒ですし
その役割と構造も、感動するくらい一緒なんです。

その横に筏通場(いかだとおしば)
さすがに今、筏が通ることは、ありませんが
今も同じ場所に、同じような構造のものが残してあります。

大堰通、一の水門、二の水門、小吐口、投渡が相互にうまく機能しながら
水量が多いとき、少ないときに適切な水量を玉川上水側に送り込む。
台風のように、水量が極端に多いときも、自分たちが壊れてしまわないように考えられている。
見事!としか言いようがありません。

さあ、それでは一つずつ、昔と今を対比させながら見ていきましょう。

水門
出ましたっ。一の水門。
博物館内に、実物大で再現してありました。

板を落としたり外したりで、玉川上水側に入る水を調整。

現在は木ではなく、こんな構造


機械的に開き具合を調整しますが、考え方としては一緒です。
実際の写真

二の水門は取り入れたすぐ後に置かれ
水が入りすぎていればここを閉じ気味にする
そうすると小吐口から水が多摩川側に戻る


実際の二の水門

小吐口

投渡
一の水門の手前で、川をせき止め、一の水門側に水を流し込む壁のような存在ですが
もし、完璧な壁構造なら、玉川上水側に水が入りすぎる。
特に、台風の時には、水圧でバラバラになってしまう。
一番の知恵の絞り処です。

柱は頑丈に作るけれども、壁の方は、そこそこにしか作らない
壁は丸太で組んで中に木の枝をガシャガシャって詰め込んである
台風の時には、水圧で壁だけが壊れる

一の水門の水量調整は人がやるけど
こちらは、そんなことしているうちに人ごと流されちゃうから
台風自身にその仕事をやってもらおうという発想。
だから、投渡(なげわたし)なんです。

そして感動的なことに、
今も柱こそコンクリートになったものの、壁は全く同じ構造だってことです。
丸太で組んで、木の枝をガシャガシャ

今の世の中、柱も壁も強固な構造にし、水圧をコンピュータ制御して
自動的にパカッと開くように出来るんじゃない?って思うけど
台風という災害の時。
コンピュータのようなものに頼ってもしうまく作動しなかったときの
周辺への洪水被害を考えると
原始的なやり方の方が信頼できるという結論なのでしょう。
実際の写真

明治初期の投渡

明治後期で柱がコンクリートになった段階

そして台風の時の写真
昭和60年。まさに丸太が壊れる瞬間

平成25年。丸太が全部壊れた状態。

続きは、明日にします。

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[宇宙]月に住んでみたら。

宇宙の歩き方、というガイド本により、前回は土星を旅行しました。
宇宙観光できるくらいのものですから
随分、宇宙開発が進んでいる前提。

さあ、そんな時、月はどうなっているでしょう。
本に書かれていることに、でーこん的イメージをプラスしてみました。


月は当然人が住んでいます。
住所は、「月一丁目」から始まります。

■月面天文台
月は空気がないので、昼でも空は暗い。
青空って、空気があるから青い訳です。
天体観察はとっても楽。

天気予報とかするわけではありません。
晴れ、曇り、雨、何にもありません。
テレビをつけても、天気予報はありません。
お天気キャスターは商売あがったり。ヤンボーマーボーだっていません。
もし、天気予報やっても毎日、真っ暗マークが続きます。

もう、飽きたわ
と、番組打ち切り。

洗濯物は外に干しません。
干しても良いですが
空気が無いから乾きません。

月面天文台がやっているのは、宇宙観察です。
毎日、朝から晩まで、宇宙観察がしやすいので
どんどん研究が進みます。

交通
重力が、地球の6分の1なのでリニアモーターカーを作りやすい
空気抵抗がないので、摩擦も起きず
ちょこんと、後ろから押してやるだけで。
月福岡までもひとっ飛び
地球と紛らわしいので、月の方は「月東京」「月福岡」のように、前に月がつきます。


空気が無いと暮らせないので
巨大な、月ドームの中に家が立っています。
月ドームには、開発した「月第一不動産」のマークが付いています。

重力が6分の1なので、
スポーツも全く新しい考え方の競技です。
記録なんて出るのが当たり前だから
「面白い」事でポイントアップ
月オリンピックは楽しく、笑顔で溢れています。

植物工場
日照時間を調整して、水耕栽培で野菜を作ります。

取れたてだよ、みずみずしくて美味しいよ

産業
火星とかに比べると、地球から近いので
観光産業が大きく占めています。

昔流行っていた「月を愛でる」に似た感じで
「地球を愛でる」
月から見た地球はとってもきれい。

♪地球がとっても青いから 遠回りして帰ろ

一番の人気観光地は「かぐや姫の旧居跡」

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[昭和歌謡]132 タッチ。タッチタッチここにタッチ

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

タッチ
岩崎良美
作詞・康珍化、作曲・芹澤廣明
1985年

♪呼吸を止めて一秒
 あなた真剣な目をしたから
 そこから何も聞けなくなるの
 星屑ロンリネス

アニメ タッチの主題歌ですね

アニメは見ていなかったんですが
その前の漫画の段階はちょこちょこ見ていました。
あだち充さんの描く女の子はとても可愛いですから。

双子の兄弟、上杉達也・和也と幼馴染の浅倉南のラブストーリー
和也はカッチャン、文武両道を兼ね備えた超人気もので野球部のピッチャーとして甲子園を目指している。
それに比べて達也、タッチャンはダメダメで南に心配ばかりかけている。

なかなか良い設定じゃない
誰の目から見ても、カッチャンと南はお似合いだけど
そんなすんなり行かないんだろうな、と思いつつ読んでいた。

ビックリしました。
連載始まって、それほどたっていなかったと思います。

カッチャンが突然交通事故で死んじゃった

ま、まさか
爽やか三角関係になるんだと思っていたのに
全く予想していなかった展開
主人公じゃない、主人公。
そんな展開にする必要あるの?
少年漫画なのに。

夢でした、チャンチャンにするのかと色々思って
ようやくタイトルの意味が分かった。
もともとカッチャンとタッチャンなのに、なぜタッチなのかなとは思っていた。
バトンタッチのタッチなのか

おおぅ。最初からその前提だったのね
あだち充恐るべし。

それ以降の人気ぶりはご存知の通り
アニメ化され映画化され
アニメの主題歌もヒットして、岩崎良美の代表曲

♪チャチャチャチャ チャチャチャーチャチャチャ
 チャチャチャーチャチャチャ チャチャチャチャン

名シーンをいくつか


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