[百人一首]87 むらさめの。の続き。感動のコメント

昨日、村雨の、の記事を書きました。
村雨の 露もまだひぬ 真木の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

すると、以下のようなコメントをいただきました。

「霧たちのぼる秋の夕暮れ」ってあるけど、霧が時間的経過を経ると「白くなる」のかな?
それと「白秋」、たしか五行だったかの秋=白を効かせてるの?

おっしゃっている意味がいまいち理解出来なかった
白秋?
五行?
西行の親戚やろか
ちょっとググッてからコメント返そうとgoogle先生で検索してみました。

白秋
白秋で検索すると
予想通り北原白秋の事ばかり

うーん、そうじゃなくって

「白秋とは」
に変えてみました。

辞典がいくつかヒットして

秋の異称。素秋 (そしゅう) 。
とか
季節の「秋」を示す言葉。転じて、生涯において人間的に落ち着き深みの出てくる年代、主に中年期を指す語として用いられる。

そんな中で
教えてgooの回答の中にこんなのが

東に相当する色が青、季節が春。
南に相当する色が朱、季節が夏。
西に相当する色が白、季節が秋。
北に相当する色が玄、季節が冬。
それぞれの色と季節を合わせて、
青春、朱夏、白秋、玄冬と呼ぶのだとか。

キターーッ

頭の中で全てが繋がりました。

五行やん
大好きな五行に対して
西行の親戚はなかろうに

[巫女さん入門] 五色布って何?
で、色の意味合いを説明しました。

その中で

4というのもおさまりが良い
春夏秋冬
東西南北
朝、昼、夕方、深夜

と言っておきながら

この四つの色が東西南北と結びつきます。
東=青、南=赤、西=白、北=黒
これが発展して、四神になります。
「東=青龍」「南=朱雀」「西=白虎」「北=玄武(亀)」

までで
春夏秋冬に結び付けていなかった。

青春と白秋か
人生の時期にも結び付けて
東から日が昇るから青春で
我々のように「お年寄り」の入口に立っていると
日が沈んでいく西で白秋

青春と白秋の同居
この歳になって
特に私は、波瀾万丈の人生を送って来たということもあって
つくづく実感することがある

この前、久米広がラジオで言っていたけど
昔は、60歳ともなると
茶をすすりながら
婆さんや
とか言っているんじゃないか、って思っていたけど
自分が60歳過ぎてみると
婆さんや、なんて言うわけないやん、って

全く同感

青春真っ只中!

毎日が楽しくて楽しくて

この前、長女が言っていた。
人生ホントに楽しい。
楽しくない時がない。

すごいでしょ、うちの長女

でもね
私もそう

確かに朱夏ではない
怒濤の人生の
仕事ばっかりで
この世の中に私の足跡を残してやるんだ、と息まいていた
あの頃とは違う

夢を持って、とかとは違うんだけど
やっぱり思う
今のこれ、青春でしょ。

一方で白秋も分かるようになった。

仏像だの神社だの百人一首だの
あー、辛気くさっ

自分がそんなものに興味を持つなんて思っても見なかった。

白秋と朱夏って無理だけど
白秋と青春って同居出来る

その思いでもう一度、村雨の、を読んでみる。

村雨の
村雨の 露もまだひぬ 真木の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

村雨って秋に限定した、短期間でどどっと降ってさっとやむにわか雨の事だから
勿論秋なんだけど

その降り方からして、朱夏を象徴しているんじゃないか

露が乾かない訳だから
怒濤の日々も懐かしく
それはそれで誇らしく思っている

そして、出ました
真木、即ち常緑樹の緑
昔は、緑と青は一緒ね。

青春は継続している。

ほんの少しではありますが
この緑に違和感があったんです。

秋の定番紅葉の錦を否定するのは分かる。

例えば、貴乃花に対する若乃花

弟、藤原定家は紅葉の錦
自分はそっちはどうも合わないと出家

でも、自分だって怒濤の朱夏、村雨の、横綱の時期はあった。

ここまでは良いとして
緑じゃなくても、黒だって可能だと思ってたんです。

色とりどりの水彩画の世界に対しては
雪舟の水墨画の白黒の世界

例えば葉が全て落ちきった林を指すならそうなる筈

何で敢えて、それをせず
「緑」に白を重ねたのか

青春と白秋の同居を実感していたんじゃないだろうか

「楽しくない時がない」白秋

どうだ、貴。
どうだ、定家。

霧立ち上る秋の夕暮れ
で、どうだっ

コメント
改めて、コメントって嬉しいな

白秋って視点は全くなかったなあ
若干違和感のあった緑にまで、大きな意味付けができた。

彼の人生として、どうしても緑に白じゃなきゃいけなかったし
私の人生としても、緑に白で、ゴゴーゴー

あんまり感動したから
ご本人に了解を得て
引用させてもらっちゃいました。

色んな人から色んなコメントいただけるたびに
ああ
ブログやってて良かったなあ、って思う

索引はこちら
[百人一首]シリーズはこちら(少し下げてね)

言挙げせじという生き方

神道の「言挙げせじ」について前回書きました
[巫女さん入門]神道の特色

これはおそらく大きく二つに分かれるんじゃないかと思います。

そうだそうだ、という人と
それは、逃げだ、その生き方はおかしいという人と

生き方
このテーマ何度か、視点を変えながら書いてきた気がします。

私の中ではかなり大きなテーマなんです。

私の波瀾万丈の人生を読んでいただいた事のある人なら
実感として分かっていただけるんじゃないかと思うんですが

ずっと、言挙げする生き方で生きてきました。

「正しいか正しくないか」は私の中でかなり大きな判断基準だった。

でも、ダイエット以降だから3年前以降というごく最近から
ガラッと価値観が変わってしまった。

言挙げせじ、に180度変わってしまった。

言いたい事は、
言挙げせじの方が良い、ということではありません。

両方の生き方があるということを認めませんか、ということ。
両方というより、色んなという方が良いかな。

結局のところ、生き方なんで誰にとやかく言われることでもなく
人生を生きてきて、自分で探っていくもの。

少しこんなふうにやってみた、
ああきつい
ここはやっぱり半分くらい元のやり方に戻そう
って感じ。

私は、言挙げする生き方が辛かった。
面白かったから微塵の後悔も無いんだけど
やっぱり言挙げせじの生き方の方が自分には合っているんだって
この歳になって、ようやく分かった。

元々、日本アバウト党の党首をやっていたのは
若いときからだから
テキトーでいい加減な生き方の方が自分には合っている。
自分に甘くて人にも甘い
基本はそういう生き方のはずなのに

自分が人から攻撃された途端、スイッチが入ってしまう。
クンってね

頭の中で理屈が渦巻き
相手を言い負かすための応酬問答が頭の中を席巻してしまう。
ああ嫌だと自分でも思っているんだけど
自分ではそのまましまっているつもりなのに
出ちゃっているらしい。

お陰で何度も会社を変えた。

結局、言挙げして議論して
じゃあその「正しい」やり方に変えて、
ってことが一度もないんです。

その時は相手が折れて、
分かったってなるのに
そのあといつまでたってもそうは変わらない。
だから、言ったよね
そうするって言ったよね

イライラする

自分の人生を一生懸命振り替えるんだけど
やっぱりうまく行ったことなんて一度もないんです。

結局人の行動って
正しいか正しくないかなんて
どうでも良くて

感じの悪いあいつの言っていること、か
感じの良いあいつの言っていること、か
どっちかで、
頭じゃなく、体が反応しちゃうんじゃないかな

言挙げする人
周りに言挙げしている人がいたら
自分がそうだったから
すごく気になっちゃう。

キツくないか、辛くないか、って
そればかりが気になる

なんだか辛そうだと
もうちょっと楽に生きれるのになあって

ただ、自分もそうだったけど
他人から指摘されて、生き方変えるなんて、絶対にないから
まあ、ええんちゃうのん
としか言わないんだけどね

そういう人って私の存在ややり方がムカつくらしい
白黒ハッキリさせて、言うべきことは言わないとダメじゃないですか
って

そこでも
まあ、ええんちゃうのん
としか言わないんだけどね

生き方やり方なんて十人十色

よく
あんなことしていると今につまづくよ
とか陰で言うわけだけど
そうかもしらん
そうじゃないかもしらん

その時にどう思うかって
その人にしか分からないし
その人がその時の価値観で決めれば良い。

それが例え自分の子供でもそうだと思っている

強制、指摘、説教、アドバイス
何一つしたことがない超放任主義

図書館から借りた本を返さないという性癖のある長女には
それは返せ、とだけは言ったかな。

もし、万が一子供が何らかの罪を犯したら
被害者の人に私も一緒に一生かけて償おうと
その覚悟は持っているけどね。
そこはやっぱり、超放任主義とはいえ家族ですから

家族ではない他人であれば
全くの不干渉
それでいいんじゃないかと思う。

正岡子規。秋山真之との友情。

前回、正岡子規の話をしました。
正岡子規。いまを平然と生きること

今日は、その続きで親友との友情のお話です。

秋山真之
子規と秋山真之(さねゆき)は松山にいる幼い時から仲が良かった。

相前後して東京に出てきて
東京大学予備門に入学。

ともに文学の道を志そうと誓い合い、東京大学進学を目指す。

でも、真之の家は裕福ではなく
やむ無く、東京大学進学を諦め
学費がかからない、海軍兵学校に進む。

誓い合ったのに

真之は、子規の下宿に置き手紙を残す。

見た子規は、涙を流す。

裏切ったなんて、思う訳ないじゃないか。

その後、子規は脊椎カリエスで床に伏したままになってしまう。

再会
真之が、アメリカ留学を命じられる。

真之は休暇をもらい、子規に会いに行く。

どんな話をしたろう。
おそらく、笑顔の溢れる良い会話だったんじゃないかな

もう、会えるのはこれが最後かもしれない。
お互いにそれを思いつつの会話。

真之がアメリカに旅立つ日
新聞に、送別の句を投稿する。

君を送りて 思ふことあり 蚊帳に泣く

東京根岸にある「子規庵」には
病床で毎日見ていたとされる地球儀が残されている。
その地球儀には、アメリカが青く縁取りされている。

年賀状
2年半後、真之から子規の元に届いた年賀状には
たった一つの句が書いてあった。

おそらく、好奇心旺盛な子規のこと
アメリカに来ている自分を羨ましく思っているだろう。

遠くとて 五十歩百歩 小世界

同じ頃
真之は、子規の身を案じ
一枚の毛布を送っている。

その年の夏、留学を終えた真之と再会を果たす。

良かった。
また、会えたんですね。

その二年後、
子規は息を引き取ります。
臨終の時まで、送られた毛布を肌身離さずに。

正岡子規。いまを平然と生きること。

白駒妃登美さんの「感動する!日本史」から

正岡子規
正岡子規(まさおかしき)は江戸時代末期、松山で武士の子供として生まれる

そのあと、明治維新で武士という制度自体がなくなる

でも、武士に強いこだわりがあり
武士道とはなんぞや、を自問自答しながら成長する

武士道における覚悟とは、いついかなる時でも平然と死ねること。

難病
その後、子規は脊椎カリエスという難病を患い
激痛と闘うことになる

そこで、あることに気づく

覚悟とは、いついかなる時でも平然と死ねること、ではない。

いくら辛くても、「いま」という一瞬一瞬は生かされている。
その生かされている「いま」を平然と生きること

本当の覚悟。

白駒妃登美さん
著者、白駒妃登美さんは
子宮頸癌が肺に転移し、一つ一つ癌が増えていき
主治医の言葉を聞いて
覚悟を決めた時

正岡子規の「覚悟」に出会ったという

不安で眠れない時を過ごし
子供の寝顔を見て涙が止まらなかったのに
ぐっすり眠れるようになった。

妃登美さんは言っている

人生の悩みは
過去への公開や
将来への不安から出来ている。

過去も未来も思いきって手放してしまおう。
「いま」にさえ生きれば
悩みなんて雪のように消え去る。

信じられないことが起きる。

雪のように消えたのは
悩みだけではなかった
あれほどあった癌が
きれいに消えてなくなった。

「子規が命を救ってくれた」

簡単
そんなバカな

でしょうか

以前、快癒力でお話ししましたが
私の考え方生き方の原点です。
過去は変えられる

免疫の勉強も結構しましたから
ぐっすり眠れるようになった?
じゃあ、科学的にも全くあり得る話だなあと思います。

身近でも
うちの父さんは癌が治っちゃいましたし。

もし、過去に起きた何かが、「いま」の自分を苦しめているのなら
そんな過去は、とっとと変えちまえば良い。
病気だろうが、過去の出来事だろうが

昔は、いつも何かに悩んでいた。
そんなタイプの人間だったけど
ここ数年、毎日が幸せでしかたない

周りで細かいことで悩んでいる人を見たら
とても不思議な感覚を持つ。

簡単なんだけどねえ
毎日を幸せに暮らすコツ

ああ、幸せだなあ
と毎日思うこと
それだけで良いんだけど。

アホか
それが出来れば苦労はないんだよ
って言われそうですけど。

今、そう思われた方がおられたら
やってみていただけませんか
心の中で「幸せだなぁ」

出来ると思うけど。
それ、毎日やるだけよ。

なーんもいらん。
タダ。

毎日、「幸せだなぁ」と思っているから、毎日幸せ。
間違ったこと言ってる?

短歌、俳句

くれなゐの 二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる

柿食へば 鐘がなるなり 法隆寺

激しさがない
ゆるやかな優しさ

いまを平然と生きるのちに、にじみ出してくるもの。

子規って、ほととぎすという意味だったんですね。
血を吐くまで鳴き続ける鳥という意味だそうです。

次回は、子規の親友、秋山真之との友情のお話です。