[家重]10 上様の耳や目ともなるがいい

[家重]1 まいまいつぶろと呼ばれた将軍
[家重]2 家重様の目と耳になってはならぬ
[家重]3 どんな駒でも、前に進むことができる
[家重]4 お庭をともに歩きとうございます
[家重]5 二人だけの合図
[家重]6 まことでございます
[家重]7 もし口が聞けぬのなら
[家重]8 家重様にお伝えせずにいて、よいはずがございませぬ
[家重]9 将軍に
の続きです

吉宗が将軍を退いて四年が経ち、江戸では町人も武士もそれぞれが、
家重が将軍ということに何も思わなくなっていた。
家重に拝謁する諸侯は驚いた顔もせず、白い眼を向ける者など一人もいない。
一昨年の冬、御城の二之丸が炎上したときには城内に町火消が入って働くことを許されたので、
新しい将軍はさばけた御方だと、むしろ家重の評判は上がっていた

忠光は先達て、三千石の加増を受け、御用取次に任じられた。
忠光は昇進するにつれ、まさに稔る稲穂のごとくに頭を垂れ、誰にもけちのつけようがなかった

家重には、将軍として最も重要だと思われる、人材活用の能力も卓越したものがあり
田沼意次(おきつぐ)の能力を見極め、どんどん抜擢していく

吉宗も68歳になり、75歳になった大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)と語り合う

「儂はな、家重があまりに孤独だろうと思うたのだ。あれは、友を作れぬであろう」
家重は口をきくことができない。筆談すらできずに、人と思いを通じられるはずがない。
「それゆえ将軍に据えるのは不憫でならなかった。将軍職は、友がおらねば務まらぬ」
忠相と吉宗は長い年月のあいだに、同じとき同じことを考えられる間柄になった。
「だが家重は、友を得た。儂にとっての忠相のような相手をな
儂がもっと早く二人の心根を信じてやれば良かった
もう放っておいても良いであろうな。忠光ならば心配はいらぬ」

二人を呼んだ

忠光よ、そなたは上様に仕えて何年になる

はい。27年でございます

よくやってくれた。そなたには、いくら礼を言っても足らぬ

家重よ、忠光のような友を得たことを幸いとせよ

忠光。これからは、口だけでなく、上様の耳や目ともなるがいい

寛延4(1751) 年6月、吉宗が68でみまかった。
家重に将軍を譲ってから五年半が過ぎ、その死とともに新しい世が始まった。
宝暦というその世は、吉宗が享保の改革に突き進んだのと同じ40代を、家重が迎える世である。

忠相もまた、そののちわずか半年で、後を追うように旅立った。

忠光はさらに五千石の加増を受けて若年寄の一人に加えられた。
家重の小姓となって30年が過ぎ、歳は46になっていた

家重のそばだけではなく、忠光が単独で政(まつりごと)に関わることも出てくる
ずっと、自分の意志を持たず、取捨選択もせず
ひたすらに家重の口とだけなってきたが
それだけでは許されない場面も出てきた

尾張藩の西隣、濃尾平野に木曽三川と呼ばれる三筋の暴れ川がある。
海に向かって百を超す川が走る水郷地帯で、この三十年、ほぼ毎年氾濫を繰り返している。
その治水を、次は天下普請として薩摩藩に請け負わせようということになった

薩摩藩にはあまりにも負担が大きかった
それでも、地元民たちが薩摩藩に協力的ならばよかったが
ことごとく反発を受けた

薩摩藩の藩主島津重利が参勤交代で江戸に来たとき
その窮状、担当する平田靫負(ゆきえ)の苦労を忠光に伝えた
ただ、忠光はその事を家重に伝えなかった

平田靫負はその後自殺した

その事を知った家重は、おそらく初めてだと思われるが
すごい剣幕で、忠光に怒鳴り散らす

田沼意次と忠光が二人になったとき
田沼意次が問いかけた

上様はご聡明な御方でございます。
靱負殿の死で、薩摩が彼の地でいかに苦しめられていたか、お気づきあそばしたのでございましょう。
ならばそれを忠光様が知らなかったはずはない。
知っていながら上様にお伝えしなかった、そのことをお怒りになったのでございますね

そなたの申した通り
よもや切腹なさるとは思わなかったのだ
そなたなら、きっと読めたであろうな

どうでございましょう。
ですがそれがしならば、たとえ気づいても上様には申し上げませんでした

そうか。それは何ゆえかの

将軍というものは政に関わるべきではないからでございます
お尋ねしたいのですが、なにゆえ未だに、好きになさらぬのでございましょう。
もう今さら忠光様の足を掬う者もおりませぬ。
ならば、大切な情にひびが入らぬように振る舞われるほうが得策でございましょう

忠光があまりに己を律しすぎるせいで、家重は怒り、靱負は死んだともいえる

私はな、上様に一日でも長く将軍を務めていただきたいのだ。
あの御方は政に大きな才覚をお持ちゆえ

それがしも左様に存じます。
将軍の政とは、人の才を引き出し、その者に存分の働きをさせることでございます。
全軍を統御なさるがゆえに、眼前の政に関わられてはならぬのでございます

意次は、己ならば靱負殿のことは気づいても言わなかったと申したな。
だが私は本心、気づかなかったのだ
私が聞き知ったことを全てお話ししておれば、上様はお気づきになったであろう。
だが私は分からなかった・・・・・・。
やはり私は、幕閣などに加わってよい者ではない。
上様はまことに将軍に相応しい。
意次とて、末は老中首座も務まるであろう。
だが私は到底そこまでは昇れぬ。
年々、上様が精進なさるにつれ、私では務まらぬことが増えてきた
それゆえ私が半端にお伝えしては、かえって事なのだ。
以前のように、御目と御耳にならぬと決めてかかっておるゆえではない

次第次第に、家重、忠光、田沼意次は、
それぞれの持てるものを活かしつつ
うまく連携を取りながら
難局を乗り切っていくことになる

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

[外交]9 第二次世界大戦から太平洋戦争

外交資料館に行って来ました
[外交]2 条約の改正に頑張る外務大臣たち
[外交]3 日清戦争は朝鮮の内乱?
[外交]4 三国干渉から日露戦争へ
[外交]5 日露戦争から第一次世界大戦へ
[外交]6 第二次世界大戦への背景
[外交]7 15年戦争の始まり。満州事変から
[外交]8 ニ・ニ六事件そして日中戦争
の続きです

アメリカからの圧力
1939年になると色んな事がおきてきます

日本にとって当時アメリカは重要な貿易相手国
中国の味方になったアメリカは日本に圧力をかけてきます

中国への攻撃を止めないと、日米通商航海条約を破棄するぞ

折れる訳には行かないと攻撃は止めない

そんな中、ドイツとロシアの間で、独ソ不可侵条約が締結されます
日本からするととても変
その前に、共産主義(ロシアなど)に対抗しようと日独防共協定を結んだはず

ドイツとしては、イギリスやフランスと戦争を始めるための準備
ロシアに敵に回られると辛い

その直後でした
第二次世界大戦勃発

ドイツがオーストリアを併合、チェコスロバキアに進出
そしてポーランド侵攻

対するイギリスとフランスがドイツに宣戦布告

ドイツはパリを陥落

この時点での内閣、阿部信行内閣や米内光政内閣は
ヨーロッパの戦争に不介入の政策を取ります

アメリカから圧力がかかっているこの状態で、ドイツに味方すると
完全にアメリカを敵に回すことになる

でもやっぱり、1940年
日米通商航海条約が破棄されてしまう

ここでまた近衛文麿内閣になる
日米交渉をしながら、日米開戦になったときも見据えるという両にらみ政策

日本とアメリカの経済力の差は明らか
開戦して勝てるかシミュレーションしてみよ
と命じられた役人達は、負けるとは思いつつもそう言えない
不思議な数字を叩き出した

アジアが日本に味方して一体としての経済圏を作れるので勝てる

東亜新秩序で日本・中国・台湾・満洲が一体化した構想の拡大版
アメリカからの資源がストップし、石油等が輸入できない
アジアの資源をあてにする

そのため北部仏印(ベトナム北部)へ進出
東南アジア全部を準日本と考える都合の良い考え方

アメリカが日中戦争の相手中国へ支援するルートを寸断する狙いもある

さらに南部仏印(ベトナム南部、ラオス、カンボジア)まで進んだことで
完全にアメリカを怒らせてしまった

この時、日独伊三国同盟が結ばれる
それまでは日独伊防共協定でロシアが仮想敵国
でも、ドイツはロシアと不可侵条約を結んでいるから
実質ロシアは仮想敵国ではなくなっている
仮想敵国はアメリカに変わったんです

日本も、ロシアと不可侵条約を結んで置かなければ怖いと
松岡洋右がロシアに行って日ソ中立条約を結んでくる

首相は東條英機に変わる
本来開戦論だった東條英機も
天皇から、あくまでも日米交渉を優先すべしと言われたので
交渉をしようとする

ところがその交渉で、アメリカから最後通牒を突きつけられる
ハル・ノート

満洲事変の前の状態に戻さなければ、開戦だぞ

やられる前に
と先制攻撃
1941年
真珠湾攻撃です

[外交]シリーズはこちら(少し下げてね)

[添乗員] 一緒に入ってもらって5人で

月曜から火曜への夜中、トイレで起きて、布団に戻ると、頭がグラングランした
過去に何度かある。疲れているときに起こる
そのうち良くなる
問題は、水曜に添乗の仕事が控えていること
火曜1日はとても気持ちが悪かったもののなんとか乗り切る
祈るような気持ちで、火曜の夜、床についたが、ブアーッと汗が出てきた
眠れない
変な夢を見たから、少しは寝れたんだと思うが、寝れたような寝れていないような情況で朝を迎える

添乗の仕事は、どんな理由であれ、何がなんでも穴を開けられない

5:40に家を出る。良かった。歩けてはいる

うわあ、こんな日に雨とは。
46名参加。100%の満席。今までで最高の人数
受付を始める少し前に雨がやんで、よっしゃ
名簿と、座席表を広げて受付を始めるが
また雨が降り出した
異常な寒さ
順調に集まってきてくれた
忙しくて傘を指す余裕がない

お客様が、
ここで待っていないとまずいですか?

バスがついたら早めに乗っていただいちゃおうと思ってますので

雷が鳴ったと思うと、大量に雹が降り出した
出発時間5分前に全員集まった
よっしゃ
携帯電話で運転手さんを呼び出す
新宿は駐車違反を取られるので、呼出してから来てくれる

「ただいま、電話にでることができません」のメッセージが流れる
青いバスなんですけど〜
お客様もあれかも、と言ってくれるんだけど
行ってみても、全て違っていた
出発時間5分後にバスが到着
天気の急変で、道路状況も大変なことになっていたらしい

みんな凍えてバスを待ってくれた
私は傘をさす余裕がなかったから、お客様が傘を貸してくれたり

座席表はずぶ濡れで文字がしみ、一部は判別不可能
それでもみんなちゃんと乗り込んでくれた

あまりに大変だったので、自分の体調のことなんて、
どこかにすっ飛んでいってしまった

最初のいちご狩り畑では、ほとんどのグループの写真を取ってあげるために
回ることができた
朝の大変さと、この写真撮りのおかげて、
私にかなり親近感を持って接してくれるようになった

そうなると、こっちも体調が悪いなんて言っていられない

全ての工程が順調に、進んでいった
例のカバンに出発時間案内板をつけておくというアイデアは、とても良かった

若いグループが2つ。6人グループと4人グループ、いずれもとてもノリが良く
川場田園プラザでは、6人グループが雪合戦で盛り上がっていた
私が通りかかると、
うわあ、敵が来たぁ
私もノッて「ガオーッ」

3ヶ所でプレゼントというのがある。
それが込みの値段だから、分かっているはずだけど
みんなちゃんとビックリして、うれしいッとか言いながら受け取ってくれる

帰路で、最後のトイレ休憩で三芳PA
乗り込む時、若い4人組が手を出してきた

何でしょう

ここは、プレゼントないんですか?

大爆笑

さすがに最後の方は、バス内で眠気との戦いが大変だったけど、
なんとか乗り切った

新宿でのお別れ
若い4人組が降りてすぐ
写真を撮りたいんですけど

分りました良いですよ。シャッター押しましょう

いえ、一緒に入ってもらって、5人で

私もですか?良いんですか?

心の中では、大号泣
添乗員冥利に尽きる

全てが報われた気がする

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Vitalityでシルバー達成

9/5の事です

住友生命Vitality という契約に入っていて
目標に達すると保険料が安くなります

20000ポイントでシルバーステータス、24000ポイントでゴールドステータス

決められた歩数計で1日8000歩で20ポイント、10000歩で40ポイント、12000歩で60ポイント
健康診断で約10000ポイント入り
スポーツイベントに参加すればまたポイントになったりします

一年での累計ですが
初年度だけは、最初の半年のステータスでもさらに安くなります
9月末までに目指せ、シルバーステータス

毎日、60ポイントを確保すべく
お昼の食事後に、近くを多少歩いたり
帰りに渋谷駅で乗換なのですが、待ち時間があったりすると
ホームやそのひとつ上のフロアを行ったり来たりしています
さらに、ひとつ前の東久留米駅で降りて
黒目川横のウォーキングコースを歩きながら帰ってきたりもしています

リーチがかかった9/5
この日60ポイントなら20000ポイントでシルバーステータス達成

降りたのはいつもの清瀬駅ですが、遠回りしましょう
一年でこの時期だけのお楽しみ
虫の音を聞きながら、緑いっぱいのコースです

リーンリーン
コロコロコロ

虫たちが愛を語りあっています

気持ち良いーー

よっしゃあ
60ポイントで累計20000ポイント

次なる目標はゴールドステータス
3月末までに達成すれば良いのですが
このペースでいくと、年内には達成しそうです

そして今日9/9の累計ポイントは、20680ポイント
歯医者さんで定期検診を受けたから、急に増えています
半年に一度の限定なのですが、歯科定期検診をうけると500ポイント入ります

イケイケ、ゴールドステータス

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