神楽坂のおさらい。その3。だらだら長者の埋蔵金と、化け猫フェスティバル

神楽坂のおさらい
神楽坂のおさらい。その2
の続きです。

だらだら長者
神楽坂で粋に浸る、の続き
で、筑土八幡神社の話をしました

そのすぐ近くのお屋敷に、「だらだら長者」と呼ばれる独り身の老人が住んでいた。
屋敷にいた、それ以外の人間は、使用人の「お今」ただ一人。

あごの閉まりが悪く、いつもだらだらとよだれを垂らしていた。
本名は、生井屋久太郎

何故か商才に長け、蓄えた財産は莫大なもの。

日本橋元石町の米問屋に生井屋がある
天保の飢饉の時、米の買い占めで膨大な利益を得た生井屋。
町奉行所の与力、鈴木藤吉郎と結託していたと疑われる
鈴木藤吉郎は、取り調べのため、小伝馬町の牢に入れられる
町奉行所としては、大幹部の不祥事で、全容が解明すると大変な事になる

何故か牢の中で病死し、事件はうやむやになるが
毒を盛られたのかも知れない。

鈴木藤吉郎が牢に入ったその日に、だらだら長者は急死する
米問屋の生井屋とだらだら長者の生井屋久太郎は同一人物で
生井屋久太郎も口封じで殺されたんだろうか。
謎が謎を呼ぶ。
使用人、お今も行方が分からなくなった。

おそらく大量の資産があるはず
家財を改めると
二百両の小判と、一枚の書き付けが出てきた。

「大地に埋め置くこの宝 身の為ならず 世の為ならず
大判 枚、小判 枚」

枚数のところは空白だった。

巨額の埋蔵金があるのではないか。

大騒ぎになり、大調査が始まった。
床の間から抜け穴が発見され、その中に、小判1200枚

小判だけってことはなかろうと、
よりみんなが沸き立った。

あちこち調査されたが、それ以上は見つからず、
次第に忘れ去られ、明治維新を迎える

お今
明治18年
筑土八幡神社の近くに田島半兵衛という中年の男がやって来た。

このあたりに、維新前から住んでいる人はいないでしょうか

会津若松に「古奈屋」という小料理屋がある
田島は、小料理屋の常連で女将と親しくなり、やがて世帯を持つ。
女将の名は、お今
過去の事は話したがらなかったが、ぽつぽつ話すに、
江戸の牛込の屋敷で働いていたという

結婚後、小料理屋をやめたのに、
田島の稼ぎを超える生活が何故かできていた。

明治17年に、お今は死ぬのだが
いよいよというときに、だらだら長者の埋蔵金の事を打ち明けた。

長者の埋めた宝の量は3万両だ、5万両だという小額ではない。
一生頑張っても使いきれない量。

お今が肌身離さず持っていた御守りの中に一枚の絵図があった。

二ヶ所に分けて埋められており
一ヶ所は屋敷の中
もう一ヶ所は、秘密の地下道を抜けた町屋の庭の
から井戸の途中に石で塞いだ横穴があって、その中
屋敷の中の方の具体的な場所は、絵図にはなく、お今も知らない。

大捜索が行われました。
でも残念。発見できなかった。

昭和に至るまで、ずっと何かにつけて話題になるのだけど
発見には至っていません。

この辺かなあ

化け猫フェスティバル
神楽坂を歩いていると、

えっ
今、白い虎が歩いてたんじゃない?

その後も、チラチラと
猫的な扮装をしたひとを見かける。

だんだんその数が増えてきた。

ちっちゃな女の子の兄弟が
猫の尻尾と猫の耳をつけて、猫のひげのメーク
あら可愛い。

ようやく分かりました。
神楽坂上の交差点の先で
「化け猫フェスティバル」というイベント
2010年からやっているらしく、知る人ぞ知る神楽坂の名物イベントなんでしょうね
猫を連れてきたり
猫の扮装をしている人がいっぱい

大賛成

誰が考えたんでしょう。
ちっちゃな子供や、若い女の子が猫の扮装をしていると
無茶苦茶可愛いんですけど。

ええもん見たわあ。
おじさん大興奮。
年一回と言わず、毎月やってください。
扮装(コスプレ)って、アニメのじゃなくてこの程度なら一般にも受け入れやすく
本人達が楽しくて全員笑顔っていうのがとても良いです。

伝統芸能の舞もやってたんだけど

普通に伝統芸能を踊っていて、
観客の半分が猫
どっちが観客やねん、ってとても面白かった。

おでかけマップ

[昭和歌謡]91 青春時代。

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです

青春時代
森田公一とトップギャラン
作詞・阿久悠 作曲・森田公一
(1976年)

♪卒業までの半年で答えを出すと 言うけれど
二人が暮らした歳月を 何で計れば良いのだろう
青春時代が夢なんて 後からほのぼの思うもの
青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり

森田公一
作曲家先生が自ら歌う歌、の代表曲ですね
あとは、平尾昌晃の、カナダからの手紙くらいしか思い浮かばないけど。

かなりヒットしましたね
くぐもったような、独特の声
良い曲でした。
青春時代という誰でも作りそうなテーマを
そのままのストレートな歌詞でどーんと行ったのが良かったんでしょうね

難しくなくて、歌唱力もそれほどいらないかな。
カラオケの定番として、聞かせる歌じゃなく、みんなで声を合わせて楽しむための歌ですね。

青春
青春時代かぁ
私にとって、いつだったのかなあ

ある女性を好き過ぎて、息もできず大変だった頃
結構、思い込んだら的なところはあるので、そういうことは複数回ある
あの頃は、青春時代と呼べるでしょう

一般的に一番盛り上がるであろう大学の時は、
司法試験の勉強を365日、朝から晩までやっていて
派手に遊び回ったってことは皆無
無茶苦茶頑張った充実感はあるので、そういう意味では青春かも

社会に出てからは波瀾万丈だったからなぁ
パチンコホールチェーン店の経営企画室室長だったとき
宅配専門寿司店の会社を立ち上げて、頑張っていたとき
ノンプログラミングに燃えていたとき
この三つは、一番輝いていた、ピークだなぁ

一番楽しく充実して輝いている時を、青春時代と定義するなら

やっぱり、今です
5年前にブログとウォーキング同好会を初めて今まで。

ああ楽しい
ああ青春!

♪青春時代が 今だって
いつでも つくづく 思うもの
青春時代の 真ん中を
幸せ 噛み締め 突き進め

[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)

[江戸城] 江戸城は天下普請

江戸城の事を少しシリーズ化して書いていきたいと思います。

まずは、基礎的で全体的な事から

日本一
徳川幕府の江戸城は日本一です。
まずはその広さ

どうしても、皇居のイメージで、
あの辺に何か建ってたんでしょ、くらいに思いがちですが、
どっこい、とんでもございません。

市民ランナーが走っているのは内堀でして
大きく周りを外堀が囲っている
例えば、北側の境で言うと、中央線の横にあるのが外堀
市ヶ谷、飯田橋、御茶ノ水を通る中央線より南側は、どどーんと江戸城

2082ヘクタールもあります。

市民ランナーが走っている中側だけだと、内郭(ないかく)と呼びますが
それだけでも、214ヘクタール

内郭の広さだけで比較しても、日本のあらゆるお城の中で断トツ

天下普請(てんかぶしん)
なぜそんなに大きいかというと、逆説的ではありますが、天下統一が実現し
戦(いくさ)をしなくて良くなったから。

お城って戦のための道具の筈です。
ということは、ある戦国大名が、他の大名に勝つため
金をつぎ込んで作るもの。

その大名の資金力の範囲内でしか作れないので、たかが知れている訳です。

江戸城は考え方を変えたんです。
天下普請という考え方。

天下統一がなったのだから、全国の大名が全員で一丸となって
国家プロジェクトとして、お城を作ろう。

君はここのお堀を掘ってね
あなたは、こっちの石垣ね

不思議です。
全員が一丸となるんだったら、誰と戦うんでしょう。

姫路城とかは、大阪冬の陣の前で、籠城戦に耐えられる、完全に戦争するつもりの城ですが
江戸城の場合は、
すげえっ、と威光を示すためのもの。
戦争に役立つ施設が、そんなに真剣に作られていない。
みんなで分担して作るんだから
わざと、この辺押したら石垣崩れるよ、的な仕掛けを作っておけば
反逆出来る訳です。

それよりは、みんなで作った一体感
みんなで頑張ったよなあ、と、城を見ながら酒を酌み交わせるような
そんな高揚感が、長く平和を続けるためには必要なんじゃないかと。

末代まで
江戸城に行ったら、どこどこの石垣見てね。うちの藩の刻印を掘ってあるからね、みたいな

さらにいうと、武士には、戦で功名をあげる替わりの仕事を与えてやらないといけない。
戦がないと、良く頑張ったで賞をあげられませんのでね。

もちろん、みんなに労働力も費用を持たせることで
徳川は自分で出さなくて言い訳ですから
とっても卑怯な手ではありますが
その割には、みんな嬉々として他の藩に負けてなるものかと頑張ってます。

次回は、天守閣に話を進めていきますね

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

[天皇]27-28 安閑天皇、宣化天皇。本当かな疑惑。

安閑(あんかん)天皇
勾大兄尊(まがりのおおえのみこと) 531~535年

継体天皇の息子です。

継体天皇は二人の奥さんがいます。
安閑天皇は、越前にいるときからの奥さん、目子媛(めこのひめ)との間に産まれた最初の子供です。
イメージ的に言うと、出世前の下積み時代からずっと支えてくれた奥さん

もうひとりの奥さんは、手白香皇女(たしらかのひめみこ)24代仁賢天皇の娘です。
天皇家の血が途絶え、応神天皇の5代孫だとは言っては見たものの、とても弱い。
天皇の娘を嫁にもらえば、その間に産まれた子供は、ちょっと安心
手白香皇女の方が皇后という位置付けになります。

現実に、手白香皇女との間にも子供が産まれ、それが欽明(きんめい)天皇

という事情なので、周りのみんなは、欽明天皇を皇太子とし、次期天皇と位置づけたい。

継体天皇は、大和入りするとき、この「周りのみんな」にずいぶん抵抗された。

彼らに対する意地もある
越前時代から、ずっと安閑天皇は補佐してくれていた。
優秀なのは分かっている。
欽明天皇はまだ若いというのもある。
唯一の安閑天皇の欠点は、もうすでに結構の歳だということ

安閑天皇を皇太子とした
文句は言わせない。
亡くなる時も、覆らないよう、周到に準備をしてから息を引き取る。

そんなだから、安閑天皇は派手さはないものの、安定感抜群。
人事面も、お父さんの路線を全て引き継ぎます。
大伴金村(おおとものかなむら)や物部麁鹿火(もののべのあらかひ)を大連(おおむらじ)とします。
この実力者二人をそのまま重用したので、周りのみんなを押さえることが出来た。
そして、奥さんも、お父さんと同様に、
24代仁賢天皇の娘である、春日山田皇女(かすがのやまだひめみこ)を皇后とする。

ひとつだけ派手に展開したのが、屯倉(みやけ)と呼ばれる大和朝廷の直轄領を思いきり増やした事。

また、安閑2年には、五穀豊穣を祝って
人民に食事を振る舞う、5日間にも渡る大パーティを行っています。

ただ、残念ながら、年齢高めはいかんともしがたく
3年ちょっとで亡くなってしまいます。

宣化(せんか)天皇
檜隈高田(ひのくまのたかた)535~539年 

さあ、欽明天皇の出番かな、と思いますがそうはなりません。
安閑天皇には、越前の頃からの弟がいました。

頑張りましたね
欽明天皇には渡さず、弟に譲ります。

お兄さんの方針を踏襲
人事面では、実力者二人の大連に加え
大臣(おおおみ)に蘇我稲目(そがのいなめ)を起用します。
出ましたね、蘇我氏。
ここから蘇我氏の歴史がスタートです。

屯倉もお兄さんにも増してガンガン増やします。

ところが、弟も結構の歳だったんですね
即位して4年ほどで亡くなっちゃいます。

疑惑
実は、日本書紀ではちょっと変な風に書かれているんです。

本文の他に、注釈的な別紙があって
安閑天皇の即位の年が違う年として書かれている。
さらに、別紙の方には、百済本記(くだらほんき)によった、と言い訳めいた事までかいてある
確かに百済本記を見るとやっぱりずれている。

そして、聖徳太子の伝記として書かれた、一番古い「上宮聖徳法王帝説」では
何と、継体天皇の後、欽明天皇が即位したと書いてある。

ありゃりゃ、何だか怪しいぞ
こうなると、昔の事ですから、学者によって説が分かれます。
継体→安閑→宣化→欽明説と
継体→欽明説

そして、一番面白いと思うのが、両方正解説
どういう事かというと
南北朝時代のように、二朝対立で
安閑→宣化と欽明が同時並行で並び立ったと

うーん、面白い。

結局正解は分からないので、
私のような素人は、面白い説も大歓迎です。

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