本仮屋ユイカが帰ってきた

ラジオの話題です。

週末は、カミさんの職場まで車で送っていきます。
その時に車の中で聴くTBSラジオが大好き
以前、今は亡き永六輔の番組や、安住紳一郎の日曜天国とかのお話をしたことがあります。

ONE-J(ワンジェイ)
日曜朝8時は、ずっとプレシャスサンデーといって、TBSの女子アナが数年で入れ替わりながら担当していた。

1年ちょっと前くらいでしたか、大きく様変わり
TBSじゃなくなっちゃった

TBSの参加する全国ネットワークが全国で一斉に同じ番組
テレビでは普通ですが、ラジオは、地方地方で別々の番組
私の知る限りでは、初めての試み。

TBSラジオだと、TBSのアナウンサーはどの番組でもほぼ関係しているんだけど
そういう趣旨なので、TBSのアナウンサーが一コーナーたりとも全く関係していない
画期的です。とても不思議な感覚

メインパーソナリティとして抜擢されたのが本仮屋ユイカ

昔、華奢で無茶苦茶可愛かった印象
今は、素敵な大人の女性

聴くと、へえこんなにうまく喋れるんだ
そういうと、王様のブランチやっていたもんなあ
本人ラジオフェチと言えるほどのラジオ好き
こんな大抜擢に無茶苦茶気合い入っていました。

ところが、ほどなくして、もうひとりのパーソナリティ有村昆が問題を起こして突然降板
えらいこっちゃ

完全に本仮屋ユイカが仕切っていたので、代役で何週か回した後、
ジャングルポケットの斉藤慎二に交替

大丈夫、本仮屋ユイカでもってる番組ですので
下調べもすごいしていて、そんなに気合い入っていて持つのかな、とさえ思っていた
ラジオって、気楽な感じのパーソナリティの方が長寿番組になる

ところが、先月大事件
本仮屋ユイカが体を壊してお休み
2週間お休みした後、事務所がしばらく体調が戻るまで休業と宣言
うわあ、えらいこっちゃ
本仮屋ユイカは大問題
番組が全く変わっちゃう

どうしようどうしよう
私が考えても仕方ないんですが
気が気じゃありません

番組がどうかというのもありますが
ラジオが大好きっていうのがものすごく伝わって
思いきり気合いが入っていた本仮屋ユイカ本人は、どれだけショックだろう

戻ってきた
思いの外早く戻ってきました
昨日、カンバック

ああ、良かった

なんてコメントするか、こっちも気合い入れて聞きました
お詫びのあと、色んな人に一人一人感謝のありがとう、を言っていくんだけど
最後のリスナーへの感謝のことばのところでグッと来ちゃいました。

あと言っていたのが
色んな人から激励のメッセージをもらって
嬉しいとともに考えさせられた、って

共通して「人生は長いですから」って言われた。
自分は、番組作りを短距離走だと考えていた。
気合い入れてバーって走って
でも、人生は長いんだって言葉にとても救われました。

特集は全国のラジオの長寿番組のパーソナリティと繋いで
色んな話を聞く
自分のスタイルが確立する前と後でどう考え方を変えたか
とてもタイムリーな企画

すごく話が面白かったし
楽しそうに聞いている本仮屋ユイカにもまたグッときた

彼女にとって、この休養はとても大きなものになったんじゃないかな

私自身にとっても良いラジオだった
この1年ちょっと
短距離走を何度も何度も走っている
長い人生
長い人生
どう作るか
いっぱい考えていますので

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

[富岡日記] そんな日記を読めて、私は嬉しかったです。

和田英の富岡日記、やっぱり有名なのか
[富岡日記]2 神様お願い
[富岡日記]3 盆踊りが思わぬ方向に。
[富岡日記]4 やはり七粒も八粒もお付けになりましたか
[富岡日記]5 郵便とやらで手紙を出したら
[富岡日記]6 二日目からダウン
[富岡日記]7 頑張る理由。横田家の無念
[富岡日記]8 後ろ指さされないため
の続きです。

このシリーズの最終回になります

夜学
季節が巡り、夜が長くなってきました。
六工社では、希望者に夜学を始めようと言うことになりました。
読書習字珠算

英は常々習字を習いたいと思っていましたので、喜び勇んで出かけます。
貸し出されたのが「残暑甚敷」という書き出しのお手本

この、残暑、という二文字だけでもなかなか思うように決まらず
4~5晩もかかってしまいます。

困ったのは先生。全く予想外
あまりの不器用さに

横田さん、あなたはお書きくずしになったお手本だから
お骨ばかり折れてそれほど効はありません。
それにお書きになる方はそれでお間に合って居ますから、
それより算盤 の方を遊ばしたら如何です、何事にもいりますから

言葉は丁寧ですが、早い話が落第です。

勢いこんでおりましたのに、大ショック
確かに算盤も必要だと思い直して、算盤の方に変更
先生は同じ先生です。

これがまたなんとも不器用
本業の製糸では抜群なのに不思議なものです。

再度引導を渡す訳にはいきませんから
先生も、とことん付き合おうと覚悟。

一緒に習ったのが10人ちょっと
二一天作の五(算盤での九九の一種だそうです)から始めます。
他の人はスラスラ行くんだけど、英だけはつっかえつっかえ
でも、やりだすと凝る性格なんでしょう。
歩みはカメさんでも、帰ってもひたすらパチパチ
なんとか追い付けるようになっていきます。

九の段まで上りましたところで、八算総まくりをすると達者になると言われ
遅くまで繰り返し繰り返し
でも、お風呂に入ると忘れてしまいます。
こりゃいかんと、2~3日は風呂にも入らず続けざま。

ようよう見一になりました時は初めの10余人が、英を含めて3人
商売割というのが出来るようになったときは、英一人になっていました

それ以来、後々まで何をするにも算盤が役にたち
つくづく続けて良かったなあ、と思えるようになりました。

年末
年末になり、工場は年末年始のお休みに入りました。
すると、大里さんが、家までやって来て、お母さんと面会

年内は色々御心配をかけまして有難う存じます。
お英さんには格別御苦労願いまして、お蔭でどうやらこうやら首尾よく閉業致しました
これは社中一同の志の印まででありますが
お花紙でもお求め下さいますように

包みを差し出されます。

お心遣いありがとうございます。
ただ、利益も出ないうちから、このようなものをいただくわけには参りません
お気持ちだけ有り難くちょうだいいたしますので、
こちらはお持ち帰りくださいませ

そのように仰せられては私が困ります。
これは私が一存で致しましたことではない、一同に代って伺いました
何としても受け取っていただけないと帰るに帰れません。

いえ、受け取る訳には参りません。

と押し問答

奥でやり取りを聞いていた英は
いただけるというものは受け取れば良いのにとやきもき

結局、お母さんが根負けし、一旦預かった形にして、主人に相談するということで決着。

英は、父親が帰ったらどう言うだろうとそわそわ

帰宅し話を聞くと途端に不機嫌になった。
お前はなぜそんなものを受け取ったんだ。

それを聞いていた英は、自分の心を恥じ入ります。
今まで信心深くつとめて来たつもりなのに
神様から何と言われるだろう。何と浅ましい心根だったのだろう。

結局、そのまま返してはかえって失礼に当たるだろうと
相応の物を買って返すこととし
みんなで食べられるよう風呂敷いっぱいの干物を買って返しました。

英は先々まで、この時の心の迷いを忘れないようにし
自分への戒めとしました。

売込み
年が明け、初めて売込みというものをすることになりました。
複数人の買い手がいる横浜の会場に出向き、売り手側も複数。

英も連れだって会場に行ったのですが
その場で愕然とします。

他の売り手は座繰りという手動での糸
良い眉を使っているとみえて真っ白

思わず隠したくなってしまいます。

ところが、手にしている糸を見るなり
外国人が

あっ、これは珍しい糸を持ってきた。
これは蒸気機械の糸ではないか
このような糸ならいくらでも買ってやる
どれだけあるんだ

二梱だけです。

どうしてそれだけなんだ
はしたでは値打ちがないから、今日は650だけ買う事にするが
次はたんと持ってくるように

驚いた周りの業者が
なぜあんな真っ黒な糸を買われるんですか?

お前たちもああいう糸を持ってきたらいくらでも買うからな

この時の事が噂になり
評判が評判を呼んで
六工社の糸の糸の品質は右に出るものが無いとまで言われます。

数十年後
数十年後、国元を離れ、別の土地へ
その地での生活においていくら親しくしている人にも
富岡製糸場から六工社への8年間の事を全く話していません。

明治時代を牽引した製糸業は、紛れもなく英が先導していったと思うけど
横田家の無念は、よほど大きく影響しているのでしょう。

どうだ、見たか!
というより、
それが英の無念の晴らし方なのでしょう

でも私は嬉しい。この富岡日記、富岡後記を世に出してくれたこと。
楽しかった8年間は、忘れたくなくて日記を書いた。
人知れず墓に持っていっちゃいかんと思います。

読んでいて楽しくなるんです。
成功者にありがちな、そらどうだ!って内容じゃない。
心底楽しんでいて、ちょっと抜けたところもある
思いきり努力したのも伝わるけど、全て楽しんでいる

そんな日記を読めて、私は嬉しかったです。

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

[富岡日記]8 後ろ指さされないため

和田英の富岡日記、やっぱり有名なのか
[富岡日記]2 神様お願い
[富岡日記]3 盆踊りが思わぬ方向に。
[富岡日記]4 やはり七粒も八粒もお付けになりましたか
[富岡日記]5 郵便とやらで手紙を出したら
[富岡日記]6 二日目からダウン
[富岡日記]7 頑張る理由。横田家の無念
の続きです。

横田家の無念、の続き
英のお母さんのお兄さん、即ち英のおじさんの九郎左衛門
松代藩の国が栄えるようにと、川に舟運の舟が往き来できる港を
私財を投げ売って完成させた。
ようやく開業できたと思ったら幕府から差し止め命令

散々許可を得るための付け届けを受け取っておきながら。

時代は幕末なので、尊皇攘夷の嵐が吹き荒れているとき。
頭に来て、武力による倒幕を考えそうなもんですが
九郎左衛門は違っていた。

学問を身に着けていなかったから
結局は有効な反論が出来なかった。
学問を身につけよう

江戸に出て、林大学のもとで、ひたすら学問
国元の横田家も、主の不在をみんなでカバーしながら
学問を身に付けてよりスケールが大きくなって帰ってくることを期待して待ちます。

そしてようやく卒業の時がやって来ます。

本人も国元の横田家も多いに喜んだ。
江戸で得た人脈も利用しつつ、「新たな次の手」を着手出来るでありましょう。

ところが、なぜ神はこの熱意ある青年を助けてくれないのか
急病に倒れ、そのまま帰らぬ人に
享年28歳

無念はいかばかりであったでしょう。

不思議なことに、協力してくれていた人たちからも
あいつは山師だ
一攫千金を狙っているからバチが当たったんだ、と
おかしな噂が出るようになります。

常に国のため、みんなのためにと頑張ってきたのに
残された、横田家は肩身の狭い思いをすることになります。

英のお母さんは、それ以来、全く神様を信じなくなりました。
元々信心深い英は、母親に隠れて、神社通いすることになります。

元々名家だった横田家、主の九郎左衛門を亡くしたので
妹の英のお母さんに養子を取ることになりました。

条件の良い話がいっぱい持ち込まれるんですが
おじいちゃんが、どうにもどの人も気に入らず、全て断ってしまいます。

そして、おじいちゃん自ら見つけてきたのが、今の英のお父さん謙吉です。

でも、家柄も良くないし金もない
一旦は断るんですが、おじいちゃんの熱意に負けて引き受けます。

それ依頼、懸命に働き、横田家の無念を晴らす事のみに集中します。

そしてその思いを引き継いだのが英ということになります。

富岡製糸場の募集があったときもいの一番に応募したのは
その思いがベースにあったのです。

人一倍頑張って、富岡製糸場で筆頭になり
六工社の立ち上げのために帰ってきた。

人力車の先頭に英がいて、村中が人だかりになったときも
英の気持ちは、鼻高々、ってことではなかった

六工社をなんとしても成功させねば
この反動で、横田家がみんなから後ろ指さされる

その気持ちが一番強かったんです。

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[富岡日記]7 頑張る理由。横田家の無念

和田英の富岡日記、やっぱり有名なのか
[富岡日記]2 神様お願い
[富岡日記]3 盆踊りが思わぬ方向に。
[富岡日記]4 やはり七粒も八粒もお付けになりましたか
[富岡日記]5 郵便とやらで手紙を出したら
[富岡日記]6 二日目からダウン
の続きです。

大里忠一
六工社の蒸気で動く機械を発明したのは、大里忠一さん
富岡製糸場等の官営の工場は、いわゆるお雇い外国人がいて
機械も立派なものを外国から取り寄せる。

そこでノウハウを蓄積して、民間に広めていく。
それは間違いではないんだけど
官営と民間では雲泥の差
六工社立ち上げの意欲に燃える大里忠一も先立つものがあまりに乏しい。
外国から機械を取り寄せるなんてとんでもない。

方法はひとつ。自分で作る。
色んなところに聞いて回って何度も何度も試行錯誤
とうとう何とかしちゃった。

そんなだから、立ち上げた会社に対する気持ちの入れようは尋常ではない
それは、その奥さんもそう
大里婦人は、もともと「座繰り」と呼ばれる手動での養蚕糸作りの専門家
何とか力になりたいと、工場にやって来た。

自分でも手出ししちゃう。
手動ではそうかもしれないけど、機械だとそこで繭を煮ちゃいけません。
悪気はなく、いてもたってもいられないって気持ちも分かるので、
誰も「違う」って言い出せない。

そういう時は決まって、英にお鉢が回ってくる
英は、理屈で説得というのもちょっと違う気がした。
英としても、自分が習ってきたやり方以外には分かっていない。
ひょっとしたら大里婦人のやり方の方が良い可能性だってある

考えて考えてひとつの方法を思い付いた。
横浜には、糸を買い付けてくれる外国人がいる
両方のやり方で作った糸を、値段をつけずに持っていこう
その場で値段をつけてもらう。
恨みっこなしで、高い値段が付いた方のやり方に従う。

そういう提案を大里婦人にした。

実際には、実行には移されなかった。
大里婦人が折れたから。

何のために、主人が蒸気の機械を作ったのか
当然機械を使う大前提。
そして、その機械を使ったやり方については、熟知している人が来てくれたんだ。
自分は何をしていたんだろう。
自分を最大限に立ててくれた提案までしてくれた。

ごめんなさい。
もう一度いちから教えていただけるかしら。

思いは一緒。
お互いにそれは分かっているから、すぐに打ち解けた。

横田家の無念
英は、富岡製糸場でも、六工社に来てもずいぶん頑張っている。
六工社では、二日目に体調を壊したにも関わらず、頑張り続けている
大里婦人との一件でも、悪者になってでも品質の高い糸を作りたい一心だった。

実は、そこまでして、という英の行動には訳がある

横田家の無念

横田英のお母さんには九郎左衛門というお兄さんがいた。
横田家はおそらくいわゆる名家だったと思われます。

その長男である、九郎左衛門は
国を憂いていた
まだ江戸時代

もっと国を富ませる事はできないものか。

その方法を探るべく、全国行脚の旅に出た。
鉄道があるわけではない。
徒歩で何年もかけて
食うや食わずの貧乏旅

ある気付きを持って帰ってきた。
全国どこへ行っても、港がある場所以外は富んではいない。

残念ながら、今の長野県松代藩には海がない
でも千曲川がある
越後は大豆の出来ぬ国だから、松代領分の農家で作った大豆を船で持っていく。
逆に鯡・鰯 その他の魚類の肥料を持帰り、農作物の肥料に致したなら、一挙両得
千曲川に港を作ろう。

早速、松代藩に提案。
大変よろしいと許可。但し徳川幕府にも許可が必要とのこと
ここからが大変。
あちこちたらい回しにされながら、その都度付け届けが必要
どんどん金がなくなっていくが国のためと、粘り強く続けていく。

ようやく許可。
許可は出たが、金が出るわけではない。
港を作りたければ、船80艘までの港を作って良いです。
それだけ。

私財を投げ打って、港作り。
これがまた、難工事
何年かかったかまでは記録に残っていないが、1年2年のレベルではない。
大滝という場所なんだけど、そこに小屋を作って住み込み

ようやく不完全ながらも、船が通れるようになった。
初通船で越後からの荷を積んだ船が来たときは、みんなで万歳
松代藩主も大喜びで、望遠鏡で山の上から見ていたと聞いたときには
横田家一同の喜びは言い表しようもありません。

これで、ようやく国が栄える

そんな喜びも長くは続きませんでした。

目を疑う通達が幕府からもたらされます。

「大滝通船差止メ」

???

散々付け届けを受け取っておきながら
松代藩が栄えそうだと分かると
幕府にとっては許しがたいものとなった。

九郎左衛門がどう動いたか
続きはシリーズの次回ね

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