[織田信長]1。まむし殿の娘、濃姫

足利将軍シリーズ、天皇シリーズ、関東の戦国シリーズのいずれもが織豊時代(安土桃山時代)に入ってきました

となると、その軸となる織田信長についてもうちょっと深めないといけません
南條範夫さんの書いた「織田信長」を読んでいます
シリーズ化して、紹介していきたいと思います

気性
赤ん坊の頃から気性が激しく、危うく乳母の乳首が噛みきられそうになることもあった
そんな気性がそのままに育っていく

端麗な顔立ちの少年に育つと、逆にそれが気に入らなくなった
わざとぞんざいに降るまい、乱暴もはたらくようになった

父信秀は、生れつき戦いが好きだったらしい。
負けても大して苦にしない。
この次、勝つ、そう広言した。
広言に違わず、次には勝った

領地尾張ではあきたらず、美濃に進出しようとする
美濃の領主は斎藤道三。
油売りから身を起こして、美濃の守護職土岐頼芸に仕えたが、
あらゆる謀略を以て主家を奪い、稲葉山城主になった男だ。
まむしの道三、と呼ばれている

織田勢は、斎藤に歯がたたず、やむ無く敗走する
人生最大の敗戦

すっかり気落ちしていたはずのところに、報せが入る
斎藤道三が大垣城に侵攻を始めた

よし、出陣
つい先日敗走してきた道を再度進軍
斎藤は驚いた

なんて男だ

ところが、今度は自分の城、清洲城が手薄になったため攻められているとのこと
ここは、斎藤と戦している場合ではない

家臣の進言を聞き入れ、斎藤と和睦を結ぶことにした

信秀嫡子信長に、道三殿御息女濃姫を賜わりたい

十四歳の濃姫が、十五歳の信長のところに嫁入りしてくる

お互い初めて会った時に驚いた
いわゆる人質なので、何の期待もしていなかったが、
お互いの顔の美しさに見とれる

ところが信長は素直な表現ができる男ではない
「お濃よ、そなたのおやじ殿は、世間ではまむしと呼んでいる」
「存じております」
「なぜわしのところにまいった」
「父がゆけと申しました」
「お互いの家が戦になったらどうする」
「そうならないように嫁入るのだと父は申しました」
「わしの妻ではなく、父の娘か」
「私は殿の妻にございます」
「まあ、今に分かる」

濃姫は寝たふりをしているが夜半に信長が寝室を出ていくことに気づく
あるとき、つけて行った

櫓で北を方を見ている

気づかれてしまった

どうした、つけてきたのか

いえ

よかろう、教えてやろう
まむし殿の家中に、長井と村口というのがいる。知っているだろう。なかなかの利け者だ。おれはその二人を手に入れた

えっ

二人がまむし殿を夜半暗殺し、木曾川の陣屋に火の手をあげる約束だ。
櫓から、その火の手が見えたら、おれは軍兵を率いて美濃に乱入することになっているのだ
まむし殿に報せようとしても無駄だぞ。国境は厳重に固めてある

濃姫が信心して通っている修栄寺の住職が、道三の間者だった。
濃姫は道三にこの事を報せた

長井と村口は道三に誅殺された

報せたな

いいえ、断じてそのような事はございませぬ

やはりそなたは、わしの妻より、まむし殿の娘だったか
面白い。これからもせいぜい情報集めをするがよい

数日後
濃姫は、信長が凄まじい勢いで重臣たちを怒鳴り付けているのを聞いてしまった
「お濃がまむし殿に内通していると? ばかなっ。
誰にてもあれ、お濃のことを悪しざまに申す奴は、おれが許さぬ。お濃はおれの妻だ」

濃姫は息が止まった

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[岩宿]10 出たぞ、出たぞっ

[岩宿] 相沢忠洋というひと
[岩宿] 一家団らん
[岩宿]3 少年の孤独
[岩宿]4 戦争とおばさん
[岩宿]5 さよなら
[岩宿]6 赤土の壁でみつけたもの
[岩宿]7 趣味から学問へ
[岩宿]8 研究所の設立
[岩宿]9 ついに定形石器発見
の続きです
岩宿シリーズは最終回になります

杉原先生
杉原先生は考古学界では押しも押されもせぬ第一人者
そんな大先生に会えるなんて
登呂遺跡の話を生で聞けるのだろうか

お会いすると緊張のあまり頭の中が真っ白
先生が芹沢先生から受け取った封筒を取り出す
赤土の壁の資料
そうだった。完璧に忘れていた

杉原先生が一つ一つについて細かい点を見ながら、
それが人工物なのか自分の見解を話していく

ともかく現場を見たいと思います
明日明後日は会議があるので、その会議が終わってから

まさかの展開
2日間仕事をしながら待つが、興奮のしっぱなし
えらいことになった
桐生へ来ていただけるなんて

発掘
杉原先生一行は6名
現場へ着くや否や、説明を聞くまでもなく
赤土の壁に吸い寄せられる
先生は愛用の小型スコップで少しずつ削っていく

一同、ただ無言になる
なかなか何も出てこない

小さな石剥片が出てきた
一同、勢い込む

昼近くまでに小さな石剥片がいくつか

この分ならきっと石器が出る
今度は完全な石器を見つけろよ

4時少し過ぎて、小雨がぱらつき出した頃だった

突然、杉原先生が
「出たぞ、出たぞっ」

小型スコップを捨て、素手でなぞっていく
みんな一斉に走り寄った

みずみずしい青色の石
指で少しずつ、周りの土を払いのける
だんだん大きく現れてきて、卵形の形を見せてきた
やがて、コロッと先生の手で掘り出された
指で泥を払いのけると、
完全な立派な石器であった

しばらくなでまわす
手は震えていた

順番にかわるがわる手にし
ずっしりと重い石器の肌触りを確かめた

私は
間違っていなかったんだ

大きな反響
新聞の報道
学会にも大きな波紋を呼んだ

赤土の壁には「岩宿遺跡」と名前がついた

それまで遺跡の発掘では、関東ローム層の赤土が出てくれば
地盤が出たとかいって、発掘をやめていた
考古学の常識
関東ローム層の時代は今から1万年前から3~4万年前
毎日毎日地上に火山灰が降り積もり、人類はおろか動物も住むことができないと考えられていた
考古学の常識

その常識がまるっきりひっくり返った

学者でもなく、小学生さえまともに出ていない
23歳の青年
相沢忠洋

孤独な少年の夢から始まった
家族団らんが欲しかった
憧れへの旅だった

ずいぶん時が流れた
昭和36年
父が脳血栓で床に伏した

忠洋は群馬県で最高という「県功労章」をもらった
大きな賞状と銀盃を手に持たせる

「良かったなあ。お前やみんなに苦労をかけてすまなかった」
痩せ細った手で、銀盃をなでさする
長い間吹き続けてきた笛の芸をつかさどる男の手だった
この言葉が親子で交わす最後の言葉になった

昭和39年の大晦日
母が危篤という知らせが入った
翌、元日、母の元に急ぐ

母は顔を見るなりぼろぼろ涙を流した
もう母自身の手ではぬぐえない病状だった
松が開けたころ、母はこの世を去った

父には男として、母には女として、それぞれの道があったのだと思った

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[岩宿]9 ついに定形石器発見

[岩宿] 相沢忠洋というひと
[岩宿] 一家団らん
[岩宿]3 少年の孤独
[岩宿]4 戦争とおばさん
[岩宿]5 さよなら
[岩宿]6 赤土の壁でみつけたもの
[岩宿]7 趣味から学問へ
[岩宿]8 研究所の設立
の続きです

ある社長のお誘い
研究所の設立後、2年ほどの実績の中で、どういう地層年代でどういう土器石器があるのかが
だいぶ整理できて来ていた
笠懸村の赤土の壁の石剥片はどことも一致しない独特のもの

ある会社の社長さんが訪ねてきた
うちに所属してうちの商品を販売して欲しい
遺跡歩きの時は自由に休んでいい
生活の安定は必要なんじゃないか

研究所を設立したと言っても収入があるわけではなく
相変わらず、自分の食いぶちは行商に頼っていた

熟慮の末、お世話になることにした

ついに
また笠懸村の赤土の壁に出かける
いつものように端から丁寧に観察しながら歩く

あっ

ついに見つけた
定形石器

今まで見つけていたのは石剥片
とうとう、完全な形の人間が作った石器を見つけた
二年あまり、探し続けてきた
いまだ土器を出土されていない、赤土(関東ローム層)の中に
人間が暮らしていた痕跡

しかも黒曜石
今でいうとダイヤモンドにも匹敵するであろう石を手に入れ
生活の利器として使用していたのだ

石剥片の発見で、ひょっとして、という疑問
その謎に対する回答のごときもの

大変なことになった
今までの考古学の常識をひっくり返すことになる

話すべきか
話さねばならない
でも、誰にどういう風に

芹沢先生
江坂先生のお宅にうかがっているとき、芹沢先生がちょうどおられた
話がずいぶん弾む

赤土の壁について、喉まで出かかったが、話せない
江坂先生は、おそらく今ライバル関係になってしまっているグループと繋がりがある

申し訳ないと思いつつ、江坂先生が席をはずされたとき
ちょっとだけ、石剥片について話を出してみた

後日、葉書が届く
差し支えなければ拝見させていただけませんか

芹沢先生の青山のお宅にうかがう

外国の雑誌と丁寧に見比べながら
「これはすごい、うりふたつだ」

たいへんなことだ
これが、日本の、関東の中に存在するということ
そして、関東ローム層の中に土器を伴わずに存在するということ

話は尽きず、やっと終電に間に合って帰宅

また、芹沢先生から葉書が届いた
登呂遺跡から杉原先生が帰ってこられるので、明大の研究室に来てくれないか

杉原先生と言えば、大先生中の大先生
登呂遺跡の責任者
そんな大先生にお目にかかれるのか
舞い上がってしまって何も手につかない

この続きは、シリーズの次回

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[岩宿]8 研究所の設立

[岩宿] 相沢忠洋というひと
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[岩宿]3 少年の孤独
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[岩宿]5 さよなら
[岩宿]6 赤土の壁でみつけたもの
[岩宿]7 趣味から学問へ
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高縄遺跡の発掘
赤城山の近くの高縄部落で、貯水地の工事が始まった
土器が複数発見されたということで、その土地の有力者にお願いし
遺跡の発掘を行わせてもらえることになった

そこでは縄文時代の早期の段階での土器が出土した
小規模ではあるが、群馬県における縄文文化黎明期遺跡調査の第一号となった
最も古いといわれた土器グループは赤土にはない
その上層部分から出る

あの赤土の壁から出る石剥片(せきはくへん)は縄文文化黎明期のものではないのか
いや、まだこの一ヶ所だけでは少なすぎる
もっと色んな場所で発掘してみなければ

返信
ある日、郵便受の中に一枚の郵便ハガキを発見した
あっ

東京の考古学研究所から

おこがましくも手紙は書いたものの
返信はなかろうとあきらめていた

4行だけの短い文ではあるが、詳しく知りたいとのこと

夢のような気持ちだった

感慨に浸っていると、後を追うように電報が来た
「〇ニチ ユク ヨロシクタノム」
吉田格先生となっている

どのような先生なのか
どうすれば失礼のない応答ができるのか
何も手につかない

改札口で待つ
すぐに分かった
家に案内して、つくだ煮の箱に整理してある採集してある資料を見てもらった

先生はその数の多さに驚きながら
一つ一つ丁寧に解説していただいた
新鮮で大切な知識ばかり

高縄遺跡に行ってみたいとのことだったので、翌日案内
ショベルを借りて実際に掘ってみる
やはり、同じ結果

この遺物グループはおそらく関東最北端の遺跡であり
非常に重要なものであろうと言われた

喜んで帰られたのがとても嬉しかった

ただ、赤土の壁の件は話していない

東毛考古学研究所
今まで、「家族団らん」を追い求める心のさびしさ故に遺物を調査してきた
でも、自分のやっていることは、重要なことなのだ
私的なものではなく公的なもの
となると、学問研究に役立てなければならない
それは義務であると思うようになった

本来学校を出ていない自分には、到底無理な世界だと思っていた
そんな身分ではない
それを上回る気持ちが沸いてきた
決心

この決心を崩さないために形を作る事にした

「東毛考古学研究所」の設立

新聞でも取り上げられ
色んな人が訪ねて来るようになった
遺跡の発掘も携わっていく

ただ、研究所ができたことで収入が出来た訳ではない
持ち出ししかない
喰っていくために行商を続け
残りの時間で、発掘等の調査を行う

いくつかの発掘実績が積み上がっていく中で
いくつかのグループの大先生が来られるようになった
だんだん分かってくるのだが
大先生たちは、学界におけるライバル関係があり
二分三分されている

うかつに重要な事は言ってはいけないと思われ
赤土の壁の謎については
当面、自分一人の胸におさめておくしかなかった

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