[岩宿] 趣味から学問へ

[岩宿] 相沢忠洋というひと
[岩宿] 一家団らん
[岩宿]3 少年の孤独
[岩宿]4 戦争とおばさん
[岩宿]5 さよなら
[岩宿]6 赤土の壁でみつけたもの
の続きです

再度
赤土の壁で石片を見つけた翌日
いてもたってもおられなくなり再度訪れた

石片を3つ見つける事ができた
合計6つ

やはり、土器片はいくら探しても見つからない

土器片の見つかった場所につけた〇印
ここには◎をつけた

11月に入り、ふと街頭の露店に「日本歴史」という雑誌を見つけた
後藤守一先生の一文
「日本に旧石器時代人が住んでいたかどうかということは古くから問題となっていたが、
それとともに、多くの学者はこれを否定しつづけてきた。
じつをいうと、私も否定側に立っていたのであるが、
近ごろは〈住んでいたかもしれない〉と考えており、
とにかくに、〈住んでいない〉と断言するのは誤っていると信ずるようになった」

「今日では縄文式文化は、曙期・前期・中期・後期・晩期と五時代を経過しており、
ここ五、六年間に研究はもう一歩躍進して、前期の前に曙期のあることが説かれるようになった。
つまり〈最初の日本人〉の年代は年を追って古代へとさかのぼって行く」

関東ローム層、即ち赤土の事が書かれている
赤土は、縄文式文化の曙期、ないしはそれ以前ということになる

心が沸き立つ
ところが自分の中に厄介なものが存在している

友がいない
今までの20年間が現実の人間社会に、嫌悪感を生んでしまっている
とてつもない大きなテーマに、わたしひとりはどう向き合えば良いのだろう

今やれることから始めよう
大量に集めた遺物を整理分類するところから始めた
何かが見えてくるかもしれない

青年団活動に参加してみた
人間の祖先の生活について話してみる
最初は興味を持って聞いてくれても
「こんな時世に、遺跡や遺物のことなどなんにもならないじゃないか」
という結論になる
それでも話せる相手がいるというのは楽しかった

登呂遺跡
登呂遺跡発見のニュースが流れた
一般の遺物への関心が少しずつ変わり始める

戦後も2年目になり、群馬県にも郷土史研究会の集いが持たれるようになってきた

家の中が遺物の木箱でいっぱいになってくると
どこからか噂がたつようになり
遺物に興味がある人が時々訪ねて来ては遺物を見せてくれと言うようになってきた

少しずつ繋がりのようなものができていく
どこどこの誰々先生のところへ行ってみべえ

前橋の川崎先生を訪ねる事になった

「趣味の収集をするのか、事実の追究に目標を定めるのか
まず、自分のやることにけじめをつけなさい」

学問とは何であるのか
強く心を打たれた

赤土の壁に何度も通うようになった
あちこちであんなにも見つかる土器片が
赤土の壁からはどうしても見つからない

縄文早期文化の専門学者の大先生たちの名前が分かってきた

川崎先生に尋ねると、大先生たちの住所を教えてくれた
折があったら手紙でも出して相談してみたらどうか

無学な自分のようなものが、大学の先生に手紙を出すなんて
恐れ多いにもほどがある
そうは思うのだが
日を追うごとに想いが膨らんでいってしまう

思案のあげく
一通は東京大学考古学研究室にあて
もう一通は市川の国府台にもうけられた考古学研究所あてに
心を込めた手紙を出した

続きはシリーズの次回

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[岩宿]5 さよなら
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考古学の歴史を抜本的に塗り替える大発見をした、相沢忠洋さんの自伝「岩宿の発見」から

行商
戦後、喰っていくために始めた行商は軌道に乗った
うま味があると分かると、仕入値が高くなるとか
売ることを頼んでいた商店主が、自分でやると言い出した
それでも、自分で喰っていくには十分

行商の良いところは仕事場が大自然の中の村々だということ
各地で食料増産等のために掘り起こされたあとがそのままになっていて
石器や土器をはじめ、祖先の残した遺物が散らばっているのによく出会った
驚くほど多くの量だった

生活はなんとかなる
でも、それだけで人生足れりというには物足りなかった
心の中にわいてきた夢をより大きく求め、育てていこう

古本屋で、桐生、足利、前橋の地図を買い求めた
黎明期の遺跡地を見つけてはそのたびに、赤丸印をつけていった
増えるたびに、夢も大きく膨らんでいく

赤土の断面
柿の実が赤く色づいている日だった

山と山とのすそが迫っている間の狭い切り通しにさしかかった
両側が2メートルほどの崖になり、赤土の肌があらわれていた

小さな石片が顔を出しているのに気づいた
長さ3cm幅1cmほどの石片はガラスのような透明な肌を見せて黒光りしていた
すすきの葉を切ったようで両側がカミソリの刃のように鋭かった

その時はまだ、それがどれほどのものかは分からなかったが
人間の歴史のもたらす跡を感じとった
3片だけだったが、同様のものを採取
土器片がないか、周辺を見て回ったが見つからなかった

それまでの経験だと、石片があれば土器片がその近くから見つかる
土器片によっておおよその時期が見当ついた

何度も眺める

どうもその石片は今まで採集してきたものと少し違う

ひょっとして「細石器(さいせっき)」と呼ばれるものではないか
細石器の実物を見たことはないが、本などで見て知ってはいた

でもなあ

まだこの時点では、細石器が日本にあるかどうかが明らかにされていなかった
それまで明らかにされてきた「縄文時代」よりさらに前のもの

帰路を急ぐ

持っている本を確認
「日本の石器時代と細石器の問題」

日本の新石器時代文化が大陸のどの部分の文化に連なるかは今のところ全く不明である
この重要な問題の解明に細石器のごときは一つの鍵となるかも知れない

今まで採集してきた石片全てと比較してみる
やはり「違うもの」だ
それが細石器であるかは分からないが
特殊な石片であることは間違い無さそうだ

大発見
お気づきかとは思いますが
これは大発見中の大発見

それまで、日本には縄文時代より前の時代はないとされていたのに
それより前の旧石器時代が存在する事を証明する
文字通り「時代を変える」世紀の大発見

ただ、ここで
「ビッグニュース! 日本に縄文時代より前の時代があった!」
にならなかった

本人自体、これを確信に変えるまでずいぶんの時間がかかったし
あまりに常識破れなので、この時点で発表したところで誰も信じなかったろう

相沢忠洋自身、モヤモヤしつつ、長い長い年月を費やすことになる

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考古学の歴史を抜本的に塗り替える大発見をした、相沢忠洋さんの自伝「岩宿の発見」から

かごから解き放たれて
戦争が終わった
生死ギリギリのところからの生還

戻った桐生市では
ほとんどの日本人がそうだったように
食っていくために精一杯になる

ただ、精神的にはそれまでと全く違っていた

「かごから解き放たれて」と表現されている
それまでは不遇な境遇に、ただ流され
かごが被さり、自分は小鳥だった

父は鎌倉に行っており一人だったが
成人していたので、自分の意思で自分の行く末を決めることができた
それまでは、自分だけが不遇だったが
戦後すぐは、みんなが横一線

住んだ長屋の隣人と共に、食べ物を調達するための旅に出た

浅草で奉公に出たときの経験がこんなところで役に立った
調達交渉がうまく運ぶ

少し遠くまでも行くようになった
そして、ある日
横須賀まで足を伸ばした

お母さんに会いに行ってみよう

最後にお母さんと話した時は、おそらく生きては戻れないであろう出港前だった
今は状況が違う

久々の再会
お互いの無事を喜びあい、話がはずんだ

だが、時間がたつにつれ、様子がおかしくなってくる
お母さんの新しい連れ合いである、親切にしてくれた、工員さん
今では、親子であることは分かっている
忠洋の父の事を問いただしてきた
酒が入るとますます絡みつくようになった

親切にしてくれ、出港の時はわざわざ見送りに来てくれた
あの人と一体同じ人なのかと思うくらい

来るんじゃなかった

いたたまれなくなって、家を飛び出した

お母さんは追っては来なかった

夜遅かったので、ひたすら駅へ歩く
終電車にギリギリ間に合った

なのに、鎌倉で電車を降りてしまった
駅の待合室で一夜を過ごす

明くる朝、子供の頃に育った場所を巡る
知らない間に涙が頬を伝っていた

母はもういないのだ
自分に言い聞かせた

桐生へ戻ろう

さよなら

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考古学の歴史を抜本的に塗り替える大発見をした、相沢忠洋さんの自伝「岩宿の発見」から

志願兵として
相沢忠洋少年も、青年となり
日本は戦争へと突入していく

相沢青年は、志願兵となり、横須賀へ

駆逐艦「蔦」を作る仕事を担当
大工部門を受け持っている工員さんと仲良くなる

「兵隊さん、下宿は決めましたか?」

「まだです」

「どうです。広くはないが家でよかったら来ませんか」

休みには何度か泊まらせていただいた

3度目に訪ねたとき、おばさん(工員さんの奥さん)もおられて
こころづくしのごちそうをいただき、賑やかに雑談した
たまたま鎌倉の話になった

「鎌倉は子供の頃に住んでいたので知っていますが、あまり行きたくない」

「鎌倉のどこに住んでいたのですか?」

「浄明寺です」

「・・兵隊さん、お名前は?」

「相沢です」

おばさんは一瞬驚いたようだったが、取り繕うように別の話題に移った

あくる朝、帰るとき、おばさんも同じ方向に用事があるので一緒に行きましょう、ということになった

鎮守府正門近くになった時、おばさんが突然立ち止まった

「洋(ひろ)ちゃん、元気で大きくなったわね・・・」

おばさんは、11歳の時別れたお母さんだった

まったく戸惑ってしまい、その後何を話したか覚えていない

その後は上陸が許されない日々が続く
いよいよ出港が近くなった日、短時間だったが上陸が許された

急いで、工員さんの家を訪ねる
不在
思いきって、お母さんの職場先を訪ねてみた

近くの防波堤の上に並んで腰をおろした
「出港なんだね」
包みの中から大きなおむすびを取ってくれた
生まれて初めてのなんとも表現のできない味だった

この時、お互いに何を話したかも覚えていない
ひどく長い時間だったようにも思えるし、ひどく短かったようにも思える

「くれぐれも体に気をつけて」

当時、出港してしまえば、再び生きて再会出来ることなど思いもよらなかった

出港の日、工員さんも見送りに来てくれた
親子であることはまだ知らない

出港後、甲板に立ち、逸見の山の方を眺めた
その一角にお母さんがいる

季節が巡り夏になった
「蔦」は山口県の小さな漁村の海岸に敵機の攻撃を避け擬装接岸していた
8月6日、北東方の一角で異様な閃光が起こった
その方向に入道雲のようなものが広がっていた

全員が甲板に集められ
出撃命令が出されるであろうことが告げられる
それからの10日間は慌ただしかった

8月15日「総員集合」で甲板に整列
スピーカーから玉音放送が流れた

呉港へ終結せよとの命令が出る
自爆か、突撃出港かのいずれかだと思った

呉で伝達があった
「即時帰郷準備をするように」

戦争が、終わった
帰れる

19歳の夏だった

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