[河村瑞賢]2 おこうこはいらんかね

[河村瑞賢]1 江戸へ
の続きです

旅立ち?
江戸の口入屋で一生懸命頑張って、信頼も勝ち取ってこれからという時に、主人が亡くなり職を失う
次に進むべき道が定まらず、蓄えも尽きて、その日の稼ぎのため、車力となる
精神的にも追い込まれていく
そんな時、大阪で、23歳で後家になった女性が、こぼれ米を拾うところから、苦労して商売を広げ
屈指の両替商になったという話を聞いた

よし、大阪に行こう

身支度を整え、大阪に向かう

1日目、平塚に泊まり、翌日、酒匂川にさしかかる
川を渡ろうとして中ほどで躓いてしまい、激痛が走る
親指の爪が剥がれてしまっていた
手拭いを親指に巻くがとても歩けたものではない
旅の始めに幸先が悪いこと

途方に暮れていると、老人が通りかかった

どうした

膏薬を塗ってくれた
傷が癒えるまで、小田原に逗留するがいい

ありがとうございます

しばらく休んだあと、立ち上がろうとすると紙入れが落ちている
持ち上げるとずしりと重い
さっきのお年寄りが落としたものか

探し回ったが見つからない
そうこうしているうちに、男に絡まれる
すったもんだしているうちに、紙入れが落ちる
俺の紙入れを盗みやがったな

これは、先程拾ったもので。。

大騒ぎになって人だかり
そこに、先程の老人が来て、紙入れの主が証明される

そんな縁で、老人と懇意になる

君は万人に一人の骨相をしている。きっと天下を驚かすようなことをする
どこへ行くんだい

大阪です

大阪かぁ

いけませんか

大阪でもそこそこは成功するだろうがな
江戸で事を成すべきだ。
骨相にそう書いてある
己一個の欲心を捨て、万民に尽くす気持ちを持てば、
天地の雲気がすべて味方し、将軍でさえ感謝する仕事ができる

老人とは別れたが、言葉が胸に突き刺さる
思えば、旅の始めに怪我をしたのも、江戸に戻れという天の啓示かもしれない

再びの江戸
江戸に戻る
とはいえ、元々行き詰まったから大阪に行こうとした
どうにも居場所がない

いっそのこと身を投げるか
ぼんやりと川を眺めていると
目黒川の上流から何かが流れてきていることに気がついた

茄子やきゅうり
ちょうど七月の盂蘭盆(うらぼん)の時で、精霊棚に飾られていたのが捨てられて流れてきていた

腹減った
拾って食べてみたら
あまりの塩辛さに吐き出す
海に浸かっていたため塩味が染み込んでいた

待てよ
このままじゃ売れないけど、漬物にしてみたら

なけなしの金で桶を買い
漬物にしてみた

こいつはいける
直感がそう告げた

浜にいた物乞いたちに、流れている野菜を集めてくるよう頼む
たちまちかなりの量の漬物が出来上がった

どこで売ろう
宿とかでは、今でも誰かが取引している
今まで漬物を売っていないところ

そうだ!普請の現場だ
疲れ切っている彼らは、休み時間に漬物屋まで買いに行ったりしない
日々の仕事で塩気を欲している

漬物を小分けにして、笹の葉でくるんだ
おこうこはいらんかね。紀州のおこうこはいらんかね
試し食いとして、ただで一切れを与えたので
みんな安心して買っていった
小分けにしたのも当たった
漬物屋はある程度まとまった量でしか売らない

そうか。
商いとは人のしないことをし、人の望む物を望む形で供することなのだ
ただ瓜や茄子を集めて売るだけでは、人は金を払わない。
そこに何らかの値打ちを付けるから金を払うのだ

野菜を集めてくれた物乞いの少年の寅吉と
ひたすら漬物を作った

盂蘭盆が過ぎるともう野菜は流れてこなかったが
売り上げた金でまた仕入れる事が出来た
七兵衛の紀州漬けは人足たちの間で広まっていった

続きはシリーズの次回ね
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[河村瑞賢]1 江戸へ

河村瑞賢(かわむらずいけん)の伝記小説「江戸を造った男」を読みました

河村瑞賢は江戸時代の商人で大成功をおさめ、
1代にして巨額の富を築いた紀伊国屋文左衛門のような豪商イメージだったのですが、
全く違っておりました

人生も考え方もとても面白かったので、シリーズにして紹介していきたいと思います

江戸へ
元和4(1618)年、伊勢国で生まれる
活躍するのは、江戸時代が武断政治から文治政治へ変わっていく、
将軍でいうと4代家綱から5代綱吉にかけてになる

小説では、ほぼ河村瑞賢(ずいけん)を名乗る前の七兵衛(しちべえ)で書かれているので
ブログでも七兵衛として書いていきます

13歳になった七兵衛は、江戸への憧れを日増しに強くする
江戸で口入屋(くちいれや)を営んでいる五郎八がやってくる
口入屋とは、今で言う人材紹介業です

父から
そなたは、以前から青雲の志を抱き、いつか江戸に出たいと申していたな
江戸へ行ってみるか

えっ、良いんですか

ただし、行くからには帰ってきてはならぬ
家督も弟に譲る前提だ

はい。もちろんです

では、五郎八殿が明日江戸へ発つ。一緒に行け

えっ、明日なんですか

家督相続放棄の念書も書く
この家とも縁が切れるのだと思うと実感が迫ってくる

寛永7(1630)年8月、七兵衛は人生の第一歩を歩み出した

江戸で
着替えの入った風呂敷一つを抱えた七兵衛は、
口入屋五郎八と共に菱垣廻船に乗って江戸に着いた

五郎八は「商用で人に会ってから店に帰る」と言い、
七兵衛を一人で浅草まで行かせた。
何とか人に聞きながら店に着く

番頭らしき人に事情を話すと、
上がり框(がまち)に腰掛けて待っていろと告げられた

いつまで経っても五郎八は帰ってこない
日が暮れて腹も減ってきたが、そのまま一刻(約二時間)ばかりじっとしていた。
誰からも声をかけられない

ようやく帰ってきた五郎八は酔っているらしく、足元が覚束ない

五郎八殿

おう、ここで何をしていた

番頭さんに『ここで待っていろ』と言われたので座っていました

どれくらい座っていた

一刻ほどです

馬鹿野郎!
突然、げんこつが落ちてきた。
それだけ時間があれば、店の掃除やら片付けやら、何か仕事ができるだろう

誰からも何も命じられなかったのです

いいか
江戸ではな、ぼうっとしている奴は置いていかれるだけだ。
命じられることだけしていたら、年を取っても下働きのままだ。
頭角を現したかったら、今、自分が何をすべきかを常に考えていろ

江戸での日々が始まった。
誰に何を言われずとも、誰よりも早く起き出し、店の周囲に水を打って掃き清める。
表口や土間も箒の跡が残るほど掃いた。
番頭や別の小僧が起きてくると、何をやるべきか率先して問うた。
それにより、徐々に朝の仕事が分かってきた。
また、問わなければ誰も仕事を教えてくれないことも知った。

七兵衛は誰よりも積極的に仕事を探し、身を粉にして働いた。
出入りしている定雇いの「頭」たちとも打ち解け、仕事内容も教えてもらえるようになった。

そんな日々が続き、次第に頭角を現した七兵衛は五郎八の覚えもめでたく、
寛永12(1635)年には、18歳で頭の一人に抜擢された

ここまでは順調に思えたが
五郎八が何者かに殺されるという事件が起きた

店は他の口入屋に買い取られることになる

元の五郎八のメンバーは全て冷遇され
次々とやめていき
七兵衛も辞めることになった

この続きはシリーズの次回ね

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[家重]9 将軍に

[家重]1 まいまいつぶろと呼ばれた将軍
[家重]2 家重様の目と耳になってはならぬ
[家重]3 どんな駒でも、前に進むことができる
[家重]4 お庭をともに歩きとうございます
[家重]5 二人だけの合図
[家重]6 まことでございます
[家重]7 もし口が聞けぬのなら
[家重]8 家重様にお伝えせずにいて、よいはずがございませぬ
の続きです

将軍に
お幸の産んだ家治(いえはる)は成長し、次第にその聡明さを表していった
吉宗の家治をとても可愛がる

本来ならば、随分前に吉宗が次期将軍を決めているはずが
ずっと吉宗は決めかねていた

皆の解る言葉を発することのできない家重
対して、とても聡明である弟の宗武
誰が見ても宗武の方が次期将軍にふさわしい
ただ、長男が継ぐという慣習を崩してしまえば、また、以前の兄弟間の骨肉の争いが再燃し
安定しなくなるだろう

家治の誕生、成長、その聡明さ
吉宗は、ずっと保留にしてきたその決断を下せる条件が整った

近親の者が集められた

来月余は将軍を辞すと決めた
九代は家重である。皆、異論はなかろうな

老中の松平乗邑(のりさと)が口を開いた

上様は側用人(そばようにん)制を復されるおつもりでございますか

いいや、側用人など二度と置かせぬ

ならば、我ら老中の前に座しているこの者は何でございましょうか
間に忠光を挟むとなれば、家重様のお言葉かどうか分かりませぬ

その方も忠光の事はよう知っておろう。忠光は勝手に言葉を作ったりはせぬ

ですが、忠光も己の考えは持っておりますぞ

何が言いたいのじゃ

忠光は自分の息のかかったお幸を大奥に送りこんでおりまする
家重様が将軍となられますならば、忠光は遠ざけてくださいませ

家重、そのほうなにか申さぬか

家重は怯んだ様子もなく、広間の隅にまで届く声で何かを言った

忠光、何と申しておる

だが、忠光は額を畳に擦りつけて口を開かない

伝えよ、忠光。余の命じゃ

忠光を遠ざける、くらいなら、私は将軍を・・・・

忠光! 続きを申さぬか

だが、忠光は突っ伏したまま、頭を振っている

ここで、将軍になりたくないなどと言おうものなら、そうなってしまう

忠光が言わぬなら、私が言いましょう

皆が振り返った先に、家治がいた

お祖父様、私は子ゆえ、少しは父上の言葉が分かります。代わりに申し上げましょう

権臣だというのであれば、忠光を遠ざけよう。私は将軍ゆえ
父上は、そう仰せになりました
私が権臣などを作るかどうか見ておれ、と啖呵を切られたのだと思います
だとすると、お祖父様にお伝えするにはあまりに不遜ゆえ
忠光は口を開かなかったのでしょう

皆が驚いた
知らぬ間に、家治はこれほどに機転の聞く事を言えるようになっていた
吉宗は、満面の笑み

余は、今日ほど嬉しいことはない
家重といい、家治といい、大したものじゃ
余は、子にも孫にも恵まれた
これで安心して引退できる

そのほうが「待った」を入れたゆえ、まことの家重と家治を知ることができた。乗邑、礼を申すぞ

家重は、ついに将軍を宣下した。
元服から20年。開ければ36歳になる11月の事だった

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[家重]8 家重様にお伝えせずにいて、よいはずがございませぬ

[家重]1 まいまいつぶろと呼ばれた将軍
[家重]2 家重様の目と耳になってはならぬ
[家重]3 どんな駒でも、前に進むことができる
[家重]4 お庭をともに歩きとうございます
[家重]5 二人だけの合図
[家重]6 まことでございます
[家重]7 もし口が聞けぬのなら
の続きです

比宮が亡くなり
家重は随分酒の量が増えた
何も手がつかない

同じ状態にあったのが比宮のお付きのお幸

忠光がひたすらに家重のことだけを思う人生だったのと同様に
お幸は比宮だけが人生だった

京都に帰ろう
ただ、お世継ぎをお幸に挙げて欲しいという比宮の遺言
その言葉が頭の中でこだまする

そんなこと出来ようはずがない
ただ、比宮の一途な思いが嫌というほど分かる

一年が経過した

忠光に面会を申し入れる

私を家重様にご推挙くださいませ

えっ

身の程もわきまえぬ恥知らずとお思いでございましょう。
ですが忠光殿ならば信じてくださいますでしょう。
私は比宮様から、家重様のお世継ぎ様を挙げよと御遺言を賜りました
私は、どうあっても家重様の御子を挙げなければなりませぬ

大奥の女は家重に目を留められ、
名を呼ばれなければ寝所に入ることはできない。
だが家重は口をきくことができず、女を見ようともしない。

忠光が洟紙一枚すら人から受け取らぬことは聞いている。
だというのに今、幸のしていることは賄どころではない。
じかに官職を願い出ているにも等しい。

それがしは家重様の小姓となるとき、家重様の目と耳には決してならぬと決めてまいりました。
家重様がじかにごらんにならぬこと、お聞きにならぬことは、
それがしからお伝えせぬということでございます

ええ、ええ。ご立派な御覚悟と存じます

家重様の御口にしかなりませぬ。
ですが、これまでも考えを家重様に申し上げたことはございます

深酒を諫め、鷹狩りを勧めた。
師の室鳩巣が死んだときには、使者に伝えさせる口上をともに考えた。

比宮様の御遺言をお聞かせいただいたのでございます。
家重様にお伝えせずにいて、よいはずがございませぬ

半年が過ぎた

家重から声がかかる

増子の遺言をありがとう。だが、どうしてもまだ考えるのが辛かった

明くる年の秋、比宮の死から三年の後に幸は懐妊した。
そうして元文2年(1637)5月22日、幸は恙なく男児を産んだ。

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