江戸検定、ラストスパートだ

11/3は江戸検定2級の受験日です。

一昨年は、不合格
江戸検定受けたよ。64点

去年もまさかの、不合格
まさかの江戸検定2級、64点で不合格

世の中には、三度目の正直、という言葉がございます。

今年こそ受かると思うんですけどねえ。

一年に一度しか受験できないというのは、かなり厳しいです。
今年は、過去問も第6回の分から購入し、去年、一昨年の、第11回、第12回も含め
7年分揃えました。
100問ずつなので、700問という事です。

やってみましょう。

2ヵ月ほど前の話になります。
第8回の分だけ、54点と青ざめてしまったものの
それ以外は、74点とか76点とか
第10回は、80点超えでございました。

過去問については、それ以降も何度もやって、完璧です。

テキストについては
今年のお題「江戸のヒロイン」も
2級向けのテキストも結構読みました。

う~ん
受かると思うんですけどねえ。

唯一引っ掛かる点は
実は去年も、受かりそうな予感を持ちつつも
まさかの敗退を喫したということ。

受験
受験なんて機会は、
この歳になると、自分からわざわざ作らないと
出来るもんではありません。

おーいーで、みなさん聞いとくれ
ぼーくは、かなしい受験生
と、受験生ブルースを歌いつつ
楽しんでおりました。

でも、まさか3年続くとは思っておりませんでしたので
飽きてきた、というのはございます。

ヨシッ
何がなんでも、ラストスパート頑張って
今年で終止符を打つぞ!

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千日紅

花カレンダー始めました

磯田道史先生第三弾。皇后陛下の東京行幸の日記。

磯田道史先生のTBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演時の話、第三弾

これは、骨董屋さんが、屋外のマーケットイベントで出展していたもの

明治天皇が、昭憲皇后と一緒に明治維新後、東京へお引っ越し
東京行幸ってやつですね

その時に、皇后陛下にお付きの人が日記をつけていた。
その日記を入手したということです。

日記
皇后が東に遠出した、というのは資料を見る限り、無きに等しい極めてまれな事です。
天武天皇の皇后、後の持統天皇が伊豆に行ったという記録があるくらい。

歴史的な一大イベントということになります。

面白いのがトイレ。
男性三人で持っていったと書いてあります。
どれだけすごいおトイレだったんでしょうね。

複雑な気持ちだったでしょうね

基本的には、ようやく長い間幕府に虐げられていた天皇の世の中が来るわけで
わくわく感の方が強いとは思いますが
住み慣れた京都を離れるというのはね。
京都からすると、下品な人ばかりが住む、ど田舎と思っているでしょう。

でも、実は目先の旅行気分でウキウキ、っていうのが一番強かったんじゃないかと
日記を見ると分かってくる。

今まで、いわゆる歌枕で、和歌の中に出てくる景色
一度も見たことはないんです。

最短距離をまっすぐ行ったら勿体ない。
あそこ寄りましょうよ
こっちも寄りましょうよ

野立て、と言うんですが
籠を止めて、
景色をのんびりゆったり満喫。

10箇所以上で、楽しんでいます。

特に富士山は大感激

そりゃそうでしょうね
ずっと見たかったに違いないけど
私も最初に見たときはビックリしましたもんね
想像を遥かに超えていた。

首都
[安住紳一郎アナ]
東京が首都って法律的にはちゃんと決まってないらしいですね

[磯田道史先生]
そうなんですよね
法律でちゃんと決めちゃうと問題が大きくなるので
東の京都、みたいな、首都が二つ、みたいな曖昧な感じでずっと行った。

関東大震災の時に、東京が壊滅的な被害にあって
天皇陛下は、京都に帰らざるを得ないんじゃないかという空気になったんです。
その時に御触れを出しちゃった。
大丈夫ですよ。ずっと東京にいますから。って
東京が首都である根拠は、おそらくこの時の御触れだけだと思います。

[安住紳一郎アナ]
いまだに陛下は京都に帰ってくる筈だからと
京都でずっと待っている老舗のお店もあるって聞きました。

[磯田道史先生]
今回も、譲位後、上皇となって京都に帰ってくるという期待感は大きいですね
京都市長もそういう発言をされています。

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ルコウソウ

花カレンダー始めました

蛤御門の変。丸焼け京都市民の反応は

昨日、磯田道史先生のTBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演時の話を書きました。
磯田道史先生。日本の歯医者誕生のびっくり経緯。西郷どんのあの人の孫は
今日はその続きです。

今日の話もまた、磯田先生が自分で見つけた古文書で分かった事柄

蛤御門の変
元治元(1868)年、蛤御門の変が起きます。
明治維新の4年前。

長州が、前年の8月18日の政変で劣勢にたったのを挽回しようとした、言わばクーデター。
その時は、まだ薩長連合がなっていないので、
幕府側の立場で薩摩藩が大活躍。
長州を薩摩がコテンパンにやっつけるということになります。

蛤御門の変、自体は一日でかたがつくのですが
この時起きた大火災。
通称どんどん焼きと言うのですが
京都の町の6割を丸焼きにしてしまいます。

[磯田先生]
明治維新って、龍馬だ、西郷だって、志士たちばかりが注目されちゃいますよね
市民側から見た幕末・明治維新ってどうだったんだろうと、興味がありましてね。

特に興味があったのが、蛤御門の変
市民に大被害が及ぶ訳で
そこでどう感じていたんだろうと。

当時、7~8歳だった少年たちが
日露戦争のちょっと前くらいになったら中年くらいになっていて
新聞とかも発達してきているから、昔の事を思い出して色々語っている文章がいくつか見つかる

それを見ると

200年以上平和が続くと、戦争ってものは、もう歴史上の出来事で
感覚として分からない。

そうなると、面白そうだってことで見物に行く。
例えば、長州藩士の後を子供が追いかけて回るようなことも起きる。

本人たちも、戦争の仕方が分からないから
例えば、道を進むとき、
本来なら、横一列になって制圧しつつ進むんだけど
ちゃんと交通ルールを守りつつ、
片側を開けて、横を通りやすくしながら、行列して進んだりする。

長州藩と会津藩が向き合ったりしても、
戦争の始め方が分からないから
何をしていいもんかと
じっと静かに相手の事を見ているだけだったりする。

見物で取り囲んでいる市民たちもどうなるんだろうね、と話しながら見ている
急に、発砲した方が良いのかなと思った誰かが発砲して
その音にびっくりして市民たちは逃げるというような
そんな光景があちこちで起きる。

そんな中で唯一違っていたのが薩摩藩

私はフリーズパックと呼んでいるんですが
戦国時代の感覚がそのまま、フリーズされて幕末まで引き継がれているんです。

チェストー
とか言いながら、突進する

チェストと言うのは、知恵捨てよ、の意味で
恐怖感とか、家族の事とか、頭で考える事を一切がっさい捨て去って、という事。

見ている一般市民の観衆は
ああ、薩摩の世の中が来るぞと。

すごいのが西郷隆盛
勝敗がほぼ見えてくると
スパイを長州側に潜入させて、食料等、戦争の準備をしていた物資を隠していた場所を片っ端からつきとめ
奪っていく。

どうするかというと、それを市民に配り
市民を味方につける。

一方、慶喜の幕府や、会津藩、桑名藩はどうしたかというと
長州藩がゲリラ化し、各市民の住宅の中に入り込んで抵抗するのではないかと
市内の住宅に火をつけて回る。

すなわち、戦火が広がったんではなく、わざわざ焼いたんです。

そうなると、市民の住宅ばかりじゃなく、町ごと焼けちゃうから
お公家さんの家だって燃えちゃう。
お公家さんたちも、幕府に何をしてくれたんだと。

結果として、
勝った側の中でも、評価をグッと上げた薩摩藩と、
評価を下げちゃった、幕府、会津藩、桑名藩に分かれちゃいます。

長州藩士たちの死体を片付けるに当たって
市民たちにやらせるんですが
そんな仕事やりたくないですよね。
一つの特典を与えるんです。

死体の持ち物は自由にしていい。
例えば、財布を持っていたら
片付けた人のものにする

市民の中では、何人かの死体片付けで儲けて
それを元手に商売を始めて、一財産築いた者まで現れた。

激動の時期をしたたかに渡り歩いた市民だっていたんです。

では、最後の皇后陛下の話は明日ね

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ベビーサンローズ

花カレンダー始めました

磯田道史先生。日本の歯医者誕生のびっくり経緯。西郷どんのあの人の孫は

大好きな、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」

定期的に、磯田道史先生が来てくれておしゃべり
毎回、とても貴重な話をしてくれてすごく楽しみにしています。

前回の時の話は、以前書きました
ねずみ小僧と目安箱

今回は、明治維新の裏話3つ

1.蛤御門の変の時の京都市民の反応
2.日本の歯医者誕生の秘話
3.明治天皇の皇后が天皇史上初めて東へ向かう、東京移転の時の日記

3つとも、むちゃくちゃ面白かったので、紹介していこうと思いますが
まずは、歯医者の話から

磯田先生が、古本屋のネット販売で見つけた古文書の中で分かった話なので
どこの歴史の本にも書いていないと思います。

江戸への進軍の前
慶応4(1868)年1月3日、鳥羽伏見の戦いで勝利した新政府
その大ボス、西郷隆盛は、江戸へと進軍を始めることになります。

続々と、新政府側につこうという藩が集まってまいります
みんな大興奮

岡山藩も駆けつけます。

岡山藩が京都に向かうとき、その間のある場所で不幸な出来事が起きます。

神戸です。
神戸には外国人がいます。

なんか面白そうだぞ
行列をなしての進軍に、見物人があちこちで人だかりになるんですが
神戸の場合は、それが外国人、フランスの兵士だった。

フランスの兵士が大挙して見に来ていると、
なんか怖いなあという感じがします。

岡山藩側の指揮官、
あまり見たことのない新しいタイプの鉄砲を見て
「てっぽう!」と声をあげちゃいます。

実は指揮官の「てっぽう!」は特別な意味があって、発砲の合図です。
訓練の行き届いた忠実な部下たちは、急いで発砲しちゃいました。

さあ、大事件。

フランス兵たちはそれ以上に訓練が行き届いております。
即座に応戦。

始まっちゃったよ。
戦争です。
世に言う、神戸事件です。

当然、フランス側の大勝利。
なんと、この江戸への大進軍の最中に
神戸は、フランスに占領されて、フランスになっちゃうんです。
知りませんでしたね。

ものすごい困ったのが西郷隆盛
困ったってなもんじゃないですね。
「さあ、江戸を総攻撃」って時に、背後の神戸はフランスになっちゃってます。
フランスは、幕府側に味方している国です。

西郷隆盛が岡山藩に対して

ホントに申し訳ないんだけど
今、とてもそれどころじゃないもんで
おたく切腹して、フランスに謝ってくれない?
と、手紙でやり取りしているのが、磯田先生の見つけた古文書

アメリカ留学
安住氏
「先生、肝心の歯医者がまだ出てきていませんけど」

そうそう。

何とか責任者がこぞって切腹して謝り
フランスに、なかったことにしていただけました。

コテンパンにやられた岡山藩
衝撃度は半端ありません。

元々、岡山藩は徳川慶喜の弟なので、
新政府に味方するとはいえ、気持ちの中では微妙なものがありました。

幕府だ、新政府だ言っているけど
なんか違うんじゃないの?
我々が向くべき相手は外国じゃないの?

表向きは、新政府に味方としておいて
独自の道を探ろうよ。

って事で、アメリカに留学生を出して
最新式の軍事技術を学んでこよう。

選ばれたのがなんとなんと
磯田道史先生の親戚の家系の方

アメリカに渡ります。

見るもの聞くもの驚きの連続。
食べるものだって
この世のものとは思えないものばかり

砂糖入りのお菓子をたらふく食べているうちに虫歯になっちゃった。

痛いよー
痛いよー

軍事の勉強どころではありません。

たまらずお医者さんへ

ちょちょいのちょいで治してくれました。

えっ?治るんだ。
驚いていると

ドクターは逆にびっくり

日本じゃ虫歯は治らないの?

はい。
塩なすびしかないです。

塩なすびを噛んでひたすら我慢。

あらら
ちょっとおたく
軍隊の勉強とかそういうんじゃなくて
虫歯を治せるようにした方が
日本の為になるんじゃないの?

仰る通り!

それから、最新の歯科医の技術を猛勉強
立派な、歯医者さんになるほどに。

岡山に帰国

殿!
分かりましたぞ
わが藩が向かうべき方向性が。

そうか、でかした。
ゆうてみい
どうすりゃ良いんじゃ。

虫歯を治しましょう。

歯医者藩
帰国した親戚の彼は、日本医科歯科大学の前身になる歯医者の学校を作ります。

こぞって、岡山藩の藩士たちはそこで勉強。

明治維新になり、どこの藩も藩士たちの失業問題でえらいことになりますが
岡山藩は大丈夫。

軒並み、みんな歯医者になれました。

「てっぽう!」のあの一言が
巡り巡って、日本の歯医者の礎を作ったんですね

歴史は不思議だわぁ

こぼれ話をひとつ

西郷どんの時代考証も磯田先生はやっています。
西郷隆盛の家の使用人、ドランクドラゴンの塚地が良い味出していましたね

磯田先生のところに、

先生!
私、あの塚地さんがやっている使用人の孫です。

ええっ、そうなんですか
今、何されているんですか

はい、うちは代々歯医者なんです。

それ以外の二つの話もまた、改めてしますね

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メランポジューム

花カレンダー始めました