[歳時記]4/30 図書館の日

4/30
1971(昭和46)年に、日本図書館協会は4月30日を「図書館記念日」に制定。
1950 (昭和25)年のこの日に図書館法が制定されたことにちなんだものだ。

図書館といえば、現在では本だけでなくビデオやCDなども借りられるが、
そもそも最初の図書館はいったいどんなものだったのだろうか。

日本では、大宝令で図書寮が置かれていたように古代から図書館があり、
中世から近世にかけて、各地に施設がたくさんつくられた。
本格的な近代図書館は、
1872(明治5)年、湯島聖堂内にオープンした書籍館(しょじゃくかん)であった。

残念ながら、書籍館自身は写真が見つけられませんでしたが
当時の湯島聖堂はこちら

動物園・植物園を含む総合博物館の一環として書籍館の建設を計画した。

明治2年、政府は徳川幕府の開成所・昌平坂学問所・医学館などの文教施設を併合して
大学校を設立した。

それと同時に、紅葉山文庫をはじめとする旧幕府の書籍類を接収して、
紅葉山文庫本は太政官へ、
昌平坂学問所本は大学へ、
医学館本は大学東校へ、
蕃書調所本は大学南校へとそれぞれ引き継いだ。

博物館の開館にともない各官庁に継承された書籍類を1ヵ所に集め一般公開するため
文部省は書籍館を設けた。
これがわが国における近代図書館の始まりである。

開館時の書籍館は、東西10間(約18メートル)、南北8間(約14.4メートル)の建物の2階に
閲覧所が設けられていた。
蔵書は、約1万3千部、約13万冊を超えていたと伝えられている

その後、明治7年に浅草に移転。浅草ぶんこという名前になります

一方、世界史的に見ると図書館の起源はさらに古い。
発見された最古のものは紀元前3000年ごろに栄えた古代バビロニアの聖地
ニップール神殿の図書館だ。
ただし、蔵書は 紙の本ではなかった。
当時シュメール人たちが使っていたのは人類最古の絵文字。
それを葦の葉で粘土板に刻むことによって楔形文字が発達していった。
だから、図書館の蔵書といっても、紙ではなく粘土板だった。

図書館には、とてもお世話になっています。
なんと驚くべきことに、本をただで貸してくれます。
親切です。

そして、ざっと目を通して、手元に置いておきたいとなって初めて
本を買えば良いので経済的です。

図書館ありがとう

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六義園に行ってきました。

今日からゴールデンウィークでございます。
うちは、会社が5/2も休みとしたので、なんと7連休
そのあと6日だけ行って、また土日

パラダイス

そして明日はウォーキング同好会のイベント「徹底的に六義園」です。

私がイベントリーダーでのイベントで
都立9庭園でまだやっていないのが、六義園と旧岩崎邸庭園だけ

旧岩崎邸庭園はイベントに組み込んであったのに
コロナ期間出会ったがゆえに、団体はお断りと言われちゃった。

さあ、万を持しての六義園
和歌のテーマパークなので
徹底的に和歌の話をする予定

下見
下見が前日と、ギリギリになっちゃいました。
都立9庭園の年間パスポートも、元は取れましたが、期限切れになっています。
買い直してスタートだ

14の和歌の場所を巡りながらになります。
それぞれの和歌の説明は、以前やりましたので今日は割愛

六義園の和歌の世界
六義園、和歌の世界。その2
六義園、和歌の世界。その3
六義園、和歌の世界。その4

取ってきた写真を掲載することにいたしましょう
馬場跡

和歌の浦

玉藻の磯

滝見茶屋

滝と臥竜石

しるべの丘

吹き上げの松



藤代峠の頂上からのつつじ


下からのつつじ

渡月橋

茶屋でうどんを食べました。
美味しかったなあ

そのあと
富士神社

吉祥寺

明日が楽しみです。

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[歳時記]4/27 ソクラテス死去

「おもしろ歳時記」から、4/27でもうひとネタ

4/27
紀元前399年4月27日、ギリシャの大哲学者、ソクラテスが死んだ。
彼の思想はアテナイ市民に受け入れられず、告発されて死刑宣告を受け、
自ら毒薬を飲んで自殺したといわれている

悪妻
ソクラテスといえば、悪妻クサンチッペの存在だ。
なにかと口うるさく意地悪な女で、周囲の人たちも閉口していたという。
夫に頭から水をかけるといったことも日常茶飯事。

ところが当のソクラテス本人は、こんな悪妻の存在もまったく気にしないで、
「よい妻を めとれば幸福になれるし、悪妻をもらえば哲学者になれる」
といって、周囲に結婚のよさを説いていたという。
一説では、「クサンチッペのような女とうまくやれれば、
誰とでも円滑な関係が保てる」と話していたともいわれている。

この悪妻伝説は後世に誇張されたつくり話っぽいですが

夫婦
私は十分に哲学者になれる要素は持っています
カミさんはトンでもない性格ですので

でも不思議なもんです。
長い間一緒に暮らしていると、カミさん自身がどうかということを超越して
その年月が作り出す「何か」に包み込まれるように思います。
居心地というのかなあ

大口あけて寝ている姿をみて、愛らしいとさえ思います。

最初に持っていたはずの「愛情」はとっくの昔に変質しているけど
夫婦の事は夫婦にしか分からない、って良く言うその
我々だけの特別な「夫婦の形」ができたんだなあ、と思う

「夫婦」になったんだな

ソクラテスもクサンチッペと「夫婦」になったんじゃないでしょうか

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[歳時記]4/27 駅伝が初めて行なわれた日

4/22
正月の箱根駅伝をはじめ人気のある駅伝競技。
日本人が大好きなこの競技は、「エキデン」として世界の共通語になりつつある。

駅伝という名称は東海道五三次の駅舎にちなんだものである。
だが、駅伝競争の起源はもっと古く、
オリンピックの聖火リレーを考案したドイツでは、
すでに第2次世界大戦前から盛んに行なわれていた。

一方、日本ではじめて駅伝が行われたのは、1917(大正6)年4月27日のことである。
読売新聞社が東京遷都50周年を記念して企画したもので、
京都三条大橋をスタートし、東京上野の不忍池にゴールする。
この全長508キロメートル、23区間のコースを出身別に東西に分かれた選手たちが、
昼夜ぶっ続けで走ったのだ。

夜は応援団がカンテラで選手の足元を照らし、
橋のない川は船で渡り、イノシシが出るところでは鉄砲を用意するなど、
箱根駅伝も真っ青のすさまじい駅伝だった。
選手たちは3日間昼も夜もひたすら走り続け、事故もなくみごとに走破した。

その後、大河ドラマのいだてんでモデルになった金栗四三が箱根駅伝を企画し実現する
こちらはパリ五輪で走る金栗四三

箱根駅伝は毎年楽しみです。
わが母校、中央大学は名門ですが
最近は今ひとつ
頑張れっ

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