稲城を歩く、の続き

稲城を歩く
の続きです。

大丸(おおまる)親水公園
大丸(おおまる)用水
現役で活躍する農業用水

そのところどころにちょっとした親水公園が作ってあります。

北緑地公園
多摩川沿いまでやってまいりました。
子供連れの人達が楽しそう。

ようやくここでお昼ご飯。さっき買った冷し中華を食べました。

多摩川です
気持ちいいーっ


お隣の多摩市とは違って、川面がずいぶん向こう側なのね
数人川面のところにいるようなので、行けそうです。行ってみましょう。

背丈以上ある草の間をくしゃくしゃしながらすり抜けていきます。

前をお父さんと小さな男の子三人兄弟が歩いていました。

ここ気をつけてよ

これは、泥棒のワナだね

川の流れはやはり気持ちが安らぎます


稲城大橋

親孝行
孝子長五郎の墓というのがありました。

貧しい農家の生まれの長五郎
とっても親孝行
大岡越前守忠相が、偉いぞ、と、ご褒美にお金と土地をくれた。
それを元手に、広く土地を開墾していった。

親孝行ってだけで、墓が後々まで名所になるって
とても良い話だなあ

梨園
なんだか、果樹園が多いなあ
全然知らなかったけど、稲城って梨の名産地らしい

稲城発信基地ペアテラス
稲城長沼駅まで来ました。
稲城発信基地ペアテラスというのがありました。
観光案内所って事かな

おおっ。
南多摩駅にあったデザインマンホール。他にもいろんなのがあるのか

「機動戦士ガンダム」、「ヤッターマン」など、
数々のアニメ作品のメカデザインを担当された日本初のメカニックデザイナー
大河原邦男さんが稲城市出身
良いじゃないですか。町興しにはとても良いテーマです。

色んなパンフレットを物色していると

どうぞ、こちらもお持ちください。

ええっ、良いんですか


分厚目のカードが15毎ずつ、癒し編と文化編
稲城市だけでなく多摩地区を大きくカバーしている

表に一押しの場所で、裏には同じコンセプトの他の場所が数ヵ所のっている
全て写真がとってもきれい。
女性のモデルさんはどの人も美人



苔とか電動バイクツーリングみたいなちょっと視点の面白いテーマが色々あって
これは無料のレベルをちょっと超えている

ガンダム
その横にガンダムのオブジェ

こっちは稲城なしのすけ

おおおっと、あったぞ。デザインマンホール

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

稲城を歩く

東京都23区全部歩くぞ、と勢い込んで23区をコンプリートしたのが2017/12/30
あれから3年半
今や、23区は平均して80ヵ所ずつ歩いているから隔世の感があります。

23区以外の東京都の市部ですが
あまり歩けていないし
ある程度歩けた段階で考えればいいやと思っておりました。

ふと先日
そう言えば、市部の方はどれだけ残っているんだろう。

一つ一つ調べてみますと市部は26市と3町1村(島を含まず)
のうち、ほぼ行っている。
行ってないのが、町田市、多摩市、稲城市、西多摩郡の日ノ出町

最近、町田市と多摩市をウォーキングしたのはそういう理由があった訳です。
町田市と多摩市を終えたと言うことはあと2つ。
麻雀で言うと、イーシャンテン

日ノ出町に行くとすれば、やっぱり日の出山。低山ではありますが登山になります。
準備はしていたのですが、天気予報で昼から雨かもってことで、山は回避
稲城が先だ

南多摩駅から
市部の場合、コースの選定で一番頼りになるのが、自治体の出しているウォーキングマップ
「〇〇市 ウォーキング」とGoogleで検索すれば大体出てきます。
稲城市は気合い入っていて、7コースもあります。
ほぼ公園を中心にしたコース。

大丸公園~向陽台コースと、大丸親水公園~多摩川コースの半分ずつを組み合わせよう。

南多摩駅を降りると
おっとぉ。なんてすばらしいマンホール。

大丸城跡

城とはいえ、それほど本格的なものではなく
高台なので、見張り台的なものだったようです。
その発掘調査の中で、もっと古い時期に、瓦を焼いたであろう窯の跡が発見された。

大丸(おおまる)公園
おっと、いきなりの山道か


抜けると芝生と公園がありました

というかおそらく順番を間違えていて
元々、大丸公園は道に面した遊具と芝生のある公園で
その端が城山公園に繋がっている
繋がっている途中から入っちゃった。

戻って、城山公園に向かいましょう。

うわあ、山道
えっ、こんなワイルドな道の公園なの?

フェンス横に僅かに存在する幅の狭い道。
その横は急な崖

だんだん険しさを増していき
えっ、陸軍用地なの?
射殺されるぅ

あれ、下側に道が見えて、人が歩いている
分かったぞ、これも間違えたんだ

下の幅広の道に降りていった。
こっちの道だったのね

広場に出た。


城山公園というくらいなので、山になっているんでしょう。
ファインタワー(展望台)ってあったからね
展望台は、5月~10月の日曜、祝日のみ開放って書いてあった。
GoogleMapのファインタワーのところにも、営業時間外とあったから上れないのは分かっているんだけど
登山気分を味わいたいからね。

と、ここでふと
あれ?今日は土曜じゃなくて日曜か
5月~10月の日曜に当たっているんじゃないの?
旧聖蹟記念館の例もあるから
むしろGoogleMap が間違っているかも、というわずかな望みを捨てずに頑張りましょう。

ここから、山の上に上がっていっても良いんだけど
GoogleMap に上がっている写真で、すごい階段があったのよね。
どうせならその階段から上がりたいので、ここからじゃなくて
階段を探しつつ回り込みましょう。

若干の高台

ファインタワーに登れれば、かなりの眺望が期待できそうだぞ

右手に崖を見つつ回り込んでいきます。


面白いオブジェ

他にも、アートなオブジェが色々ある公園です。

芝生広場がありました

その先にショッピングセンター

さらに回り込むと
あったぁ

同じ失敗を繰り返さぬよう、隣のコンビニで冷やし中華の弁当を買ってからチャレンジだ。




そう
この階段の先に立つのがファインタワーだ
いざ行かん。青天を衝き上げろ

と言いたいところですが
なぜか、5月~10月が
7月からに訂正されちゃっています。

それがどうした。また来れば良い
これが、ファインタワーだ

と、大袈裟に叫んでみました。

山の上側に来たわけです。
山を楽しむ事にいたしましょう



ここが頂上なのか
三角点だ

さらに折り返しながら進みます


なるほどここに出るわけね
最初の広場

けっこう汗かいたなあ
結局、冷し中華を食べられそうなベンチもなかったので
次の目的地で食べることにしよう。

続きは明日ね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

[歳時記]5/29 こんにゃくの日。東栄町のこんにゃくはナンバーワン

おもしろ歳時記、という本を読みました。
一年を通して、〇〇の日、とか、過去にこういう事が行われましたとか
楽しい話題が多かったので、今後1年間、この本に記載がある日は、その話題について取り上げたいと思います。

5/29 こんにゃくの日
5 2 9 の語呂合わせです。
全国こんにゃく協同組合連合会で、1989年に制定
こんにゃくの販売促進のため、イベント等が実施される。

出ました。
私が好きな食べ物ナンバーワン
カミさんのお母さん(おばあちゃん)が作ってくれたこんにゃく

結婚の挨拶に初めてカミさんの実家、東栄町に挨拶に言った。
東栄町は山の中

おばあちゃんが出してくれたのは、栗の渋皮煮とこんにゃくだった。
栗の渋皮煮も一度も食べた事がなかったので驚いたんだけど
特にびっくりしたのはこんにゃく

こ、これは何ですか?

こんにゃくですよ

えっ。これがこんにゃくなんですか?
こんな美味しいもの食べたことないです。

それまで、人生生きてきて
こんにゃくはもちろん食べた事はあるけれど
全く別物だった。
言われなきゃこんにゃくだと分からないかもしれない。

売っているこんにゃくは
こんにゃく芋だけじゃなく、いろんなものを混ぜちゃうんです。
うちは自分の家だけで食べるだけだから
こんにゃく芋だけで作ると、こんな感じになるんです
(ということを三河弁で)

食感が違うんです。
普通のこんにゃくは、ツルッて感じでしょう
ツルッはツルッなんだけど
とても柔らかくて、ねとっというかぬるっというか

拳大のゴツッとした塊で、薄くスライスして
しょうが醤油で食べる

料亭とかで出て来たら、
これ何ですか?と質問が出ると思う。

あまりに美味しかったので
結婚後も、何度か作って送ってもらった
こんにゃくの中で一番美味しいという事じゃなく
私の中でありとあらゆる食べ物の中で断トツナンバーワン。

結構作るのが大変らしくて
ご高齢になるにつれだんだん送っていただける頻度が少なくなった

東栄町でこんにゃく芋を作っている農家がとうとうなくなってしまった
売ってはいるけど輸入もの
それじゃ意味ないもんね

そして、決定的な出来事が。

言ってなかったですが
おじいちゃんが亡くなったあと、おばあちゃんも体が弱ってきて
ひとりでの生活がきつくなってきた。
結局、東栄町の家を引き払って、お姉さんのいる新城で同居

もうあのこんにゃくは永遠に食べられないかも

長瀞とかで生芋こんにゃくとして売っているものは
形としては一緒

食感もいい線行っているんだけど
おばあちゃんの作ったものには及ばない。

おそらく、あれと同じものが出来たとして売っても
こんにゃくとして売ったら、こんにゃくとしてイメージして食べるから
返品されちゃうでしょう

ああ、もう一回食べてみたい

[暦、季節]シリーズはこちら(少し下げてね)

[源平]11 何で勝っちゃったの?

[源平]1 武士の始まり
[源平]2 八幡太郎義家ここにあり
[源平]3 どっちにつこうかプレゼント大作戦
[源平]4 保元の乱(源平編)
[源平]5 平治の乱
[源平]6 平清盛快進撃
[源平]7 平清盛。おごれるものは
[源平]8 神戸に都を?
[源平]9 源頼朝、立つ
[源平]10 勝利のあとの惨敗
の続きです。

石橋山の戦いで、大惨敗を喫して、命からがら逃げ出して
箱根でかくまわれたあと、小舟で安房(あわ=今の千葉県の南端)に着いて北条時政と落ち合った。

勝ち馬に乗るという言い方を良くするけど
普通に考えると、大負けしたものにわざわざ味方しない筈

でも、関東の武士たちに不思議な現象が起きた

どうする、どうする
どっちに付こうか

平家と源氏という単純構造ではない。
そんな事言ったら、そもそも、北条時政政子親子は平家

清盛が送り込んできた目代が気に入らないとか
それぞれに事情がある

臥薪嘗胆、頼朝もよく旗揚げしたじゃないか

なんと、頼朝に味方しようというものが
どんどん増えていく。
石橋山での惨敗からわずか40日
安房、上総、下総を実質支配下に入れ
数万の軍勢に膨れ上がる

さあ、源氏ゆかりの地、鎌倉入りだ

富士川の戦い

一方の平家
頼朝追討の宣旨が下され、平維盛(重盛の長男)・忠度(清盛の末弟)・知度(清盛の七男)
が追討使に任じられたのは9月5日のことだった。

だがその翌日には、早くも石橋山における頼朝の敗報が届く。

あら、そうなんだ。拍子抜けだね、とばかり大いに油断
21日に福原を出たものの、1週間も京都でぐだぐだ
29日にようやく京を立った。

こちらの軍勢も、進んでいくうちにどんどん膨れ上がる
ただ、その実態は、途中の土地土地で狩り出された
狩武者、と言われる者たち

そんな平家軍にまず対峙したのは、甲斐源氏、武田氏だった。
必ずしも頼朝の元にだけ参集したわけではない。
動乱に乗じて一旗あげてやろうという者が独自の動きを見せていた。

一時は7万にまで膨れ上がっていた筈の軍勢が
武田軍との戦いで力を削がれ
差し迫る頼朝軍の報せを聞いて、平家首脳部たちは富士川の地で撤退を決めた。

そんなとき、武田軍がこっそりと背後に回ろうとした
気づいたのは、水鳥たちだった。

バタバタバタバタ
一斉に羽音が響く。

ひええええ、やられるぅ
大軍勢に不意うちを喰らわされたと
ほうほうのていで逃げ出した。

そこにやって来たのは頼朝軍

あれれ?逃げていってるんじゃない
勝ったぜ!エイエイオー

武田さん?
すみません。お世話になりました。

これで勝ったというのもなんだし
追いかけてギャフンと言わせ
何ならそのまま京都へと攻め上がろうと考えたのが、頼朝

千葉常胤、三浦義澄、上総広常が制止します。
今は鎌倉にて力を貯めるときですぞ。

平清盛
なんじゃとぉ。おめおめと帰ってきおって
烈火の如く怒った清盛

あちこちで反乱が始まる
福原遷都なんて言っている場合じゃないと
京都へ都を戻す。

わしをなめんじゃねえ
清盛は次々と反乱を平定していく
第二の平家黄金時代か

でも、天は清盛に味方しなかった。
治承5(1181)年、病気に侵される
体は火を焚いたように熱く、「あっち死に」した
64歳

木曽義仲
頼朝が動かなかった事で、独自の動き第二弾
はい。木曽義仲です。

越後から、今がチャンス
治承4(1180)年、兵をあげました。

次第に勢力を拡大していきます。

このままじゃ先を越されてしまう。
頼朝は越後へ兵を向けた。
源氏同士の全面戦争か

ギリギリのところで和解成立
木曽義仲の長男義高に頼朝の長女大姫の婿とする。
いわゆる人質です。

後に、義仲が死んだあとは、義高も暗殺しています。
可哀想なのは大姫
とても仲の良い夫婦になったようで
夫を殺した父親を一生恨んでいます。

寿永2年(1183)年、平家は大量の人員を木曽義仲追討のために派遣します。
倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いが起き、山の中という地の利を活かして
木曽義仲が勝利
いよいよ、義仲が京都へ攻め上がることになります。

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)