[名字]2 冠位と律令制度

[名字]1 氏姓制度と賜姓
の続きです

氏姓(しせい)制度の欠点
天皇が、氏名(うじめい)や姓名を与える氏姓制度には欠点があった
一つは世襲制度
氏(うじ)を与えられて氏上(うじのかみ)になったら
その氏上を世襲した息子も氏上
能力と全然関係ないから、能力のある氏人(うじびと)は、いつまで経っても氏上になれない
姓の方も時代に連れて訳がわからなくなってきて、序列がはっきりしないという事態に陥っていた

冠位
この状況を打破したのが聖徳太子
冠位十二階
従来の姓とは別に、十二段階の位階を設け、
氏上、氏人の区別なく、その才能実力に応じて新しい位階を授け、
その持てる才能を引き出そうとした
徳=紫・仁=青・礼=赤・信=黄・義=白・智=黒
の六段階で、それぞれ大小

良いんじゃないでしょうか

ところが、氏姓が冠位に取って代わった訳ではなかった
氏名(うじめい)は良いとしても姓はやめちゃえば良かったのに、冠位が加わっただけ
冠位+氏+姓+実名の4つも言わなきゃ名乗れなかったからめんどくさい
聖徳太子が死んだら自然消滅

ただ、実力主義という考え方自体は良かったから
考え方を中大兄皇子(天智天皇)が受け継ぐ
七色十三階制
さらにその後、十九階制に変更
さらにその後、二十六階制に

そんな中、最大の功労者、中臣鎌足が危篤に陥る
まずい、急いで報わねば
最高の冠位、大織冠を与えた上で
藤原の氏名(うじめい)を与えて藤原鎌足となる
藤原の誕生
翌日、鎌足は亡くなる

天武天皇になって
巨大化している氏は分割するように指示
そして姓の整備
訳が分からなくなっていた姓を八つにする
八色ノ姓(やくさのかばね)
真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連・稲置
ここに、姓は天皇から与えられるものである事が再認識され
天皇の権威の向上につながる

律令制度
ところがこの氏姓制度の定着と並行し
何と、この氏姓制度と相反する制度が着実に進んでいた。
律令制度である
既に天智天皇の時代に近江令が作られ、庚午年籍という戸籍も作られた
天武天皇の時には飛鳥浄御原律令(あすかきよみがはらりつりょう)
そしていよいよ大宝律令
ほぼ、全国の全国民を把握するための戸籍が作られる
公地公民制なので、全国民がヤマト朝廷に所属する
あれれ、氏や姓は天皇から与えられる特別なものだったのに
それだけじゃ、戸籍なんて作れない
税金や兵役を割り振るには、年齢性別が必要
やっぱり全員に何らかの名前つけなきゃ区別が分からなくなる
戸籍では家族はみんな同じ氏名(うじめい)を付けられている

農民だろうが、既にこの時代から氏名(うじめい)今で言う名字がつけられている事になる
江戸時代まで農民は名字をつけられず、
明治になって、大慌てで名字を考えて届け出たって事になっているけど
大っぴらには言わない約束ね、という氏名(うじめい)=名字は農民だろうがずっとあったんだと思う

元々氏名は血縁関係での一族は同じ氏ってところから始まって
天皇が姓を与える賜姓(しせい)がいつの間にか氏まで与えるようになったからこんがらがるだけで
農民だろうが、家族は同じ氏名って何の違和感もなかったと思われる

まだまだ続きます
続きはシリーズの次回ね
[名字]シリーズはこちら(少し下げてね)

[名字]1 氏姓制度と賜姓

名字の歴史学、という本を読みました

以前、名字に関しては何回かに渡って書いたことがあります。
氏、姓、名字、苗字、実は全く別のもの
名字がいよいよ出てくるよ
氏と姓と名字と苗字がどう違うか、というような話です
へええ、という内容がいっぱいあったのですが
いまいちモヤモヤとした感じも残っておりました

正直、明確にキッチリ分かれている訳ではなく
時代とともに、それぞれの概念がダブりつつ
あいまいになっていくので
最終的にもモヤモヤするのですが
なぜあいまいになっていったのか、というあたりは
今回読んだ本でだいぶクリアになりました

ということで、またシリーズとして、名字に関して書いていきたいと思います

この本では
そもそも、江戸時代までは、武士ではない庶民は苗字を持っていなかったというのは間違い
持ってはいたけれども、公には名乗っていなかっただけ、という衝撃のはしがきから始まります

その辺は時代的に後になりますので
まずはずっと昔
氏(うじ)から始めましょう

氏(うじ)
大和朝廷は、氏族集団の集まりだった
氏族集団は氏(うじ)と呼ばれた
氏族の長は氏上(うじのかみ)と呼ばれ、同じ血縁の氏人(うじびと)たちを統率管理した
その下には非血縁の奴婢(ぬひ)たちが従属させられていて、
部曲(かきべ)とか部民(べみん)とか呼ばれていた

氏族の数は645年の大化改新の前で100を超え、
815年の「新撰姓氏録」では1182の氏名(うじめい)が記録されている
氏名はうじめいと読み、氏名ではなく、氏の名前。実名は含まない

大和朝廷に属する人は奴婢も含めて、いずれかの氏集団に属して氏名を名乗るから
全ての個人は氏名を持っていた

姓(かばね)
中央氏族の氏上(うじのかみ)は朝廷に出仕するとき席順とかが決まっている
その序列を表したのが姓(かばね)
姓名は、真人(まひと)・大臣(おおおみ)・大連(おおむらじ)・臣(おみ)・連(むらじ)・宿禰(すくね)・君(きみ)・造(みやつこ)・公(きみ)・直(あたい)・首(おびと)・史(ふひと)・忌寸(いみき)・県主(あがたぬし)・村主(すぐり)など
二十種類ほどあった。

姓(かばね)は天皇が与えるもので、与えることを賜姓(しせい)という
従って、天皇とその一族には姓はない

賜姓が時代とともに、だんだん変わっていく
姓だけを与えるのから、氏と姓をセットで与えるように変わっていく

皇系の氏族が皇籍を離脱すると賜姓され、臣籍降下(しんせきこうか)という
今まで姓を持っていなかったので、氏をおこすとともに姓も決める必要がある
臣籍降下の場合は、一番序列が上の「真人(まひと)」が圧倒的に多い

第10代、崇神天皇の頃になると、臣籍降下に限らず
様々な賜姓が行われ、ほぼ氏名+姓名のセットで与えられる
皇族系持続に対しての姓が真人という原則も崩れていく

この頃の賜姓はご褒美だった
手柄を立てた氏人(うじびと)に対して、
新たに氏を起こして氏上(うじのかみ)になることを許すということ
皇族の臣籍降下にしても、皇族であるメリットよりも、
一国一城の主的な氏上になりたいということがある

そういう意味合いが強くなると「賜姓(しせい)」という言葉にも関わらず
姓だけではなく氏とのセットが主流になり
ついには、姓の方はそのままに、氏だけ与えるということすら行われるようになる

大化改新の功労者、中臣鎌足が重病になった
天智天皇はすぐに使いをよこし、藤原氏という氏名を与えた
その翌日、藤原鎌足は息を引き取る
これが、その後絶大なる繁栄を誇る、藤原という氏名の始まりである
子の不比等(ふひと)は、藤原大臣不比等を名乗る
藤原は鎌足の住んでいた地名である

ただ、氏姓制度、いくつかの重大な欠陥を抱えていた

改革が始まるのだが、そのあたりはシリーズの次回

[氏名]シリーズはこちら(少し下げてね)

山田さん、吉田さんは努力のたまもの

名字シリーズ、以前、田中さんは紹介しましたが
今回はそれ以外の田がつく名字です。

漢字
名字に多く用いられる漢字ベストテンをご紹介しましょう

1.田
2.藤
3.山
4.野
5.川
6.木
7.井
8.村
9.本
10.中

だいたい、成る程なと想像の範囲内ですね
藤を押さえて田が堂々の一位

元々、名字が出来た理由が、田んぼに付けた名前な訳です
日本のは稲の国
田が一位に来るのは当たり前。

でも、当たり前とだけ言うには
失礼かと思うんです。

名字ベスト
名字のベスト50
色んな統計が出ていて、微妙に順位が違います。

村山忠重さんの「苗字館」からの引用によりますと
田がつく名字の中でのトップは田中さん。
全体で4位

田中は、田の中心、本家本元の田であり
その地域その地域で、ここから始まったんですよ、という場所。

となると、新たに開発していった田、
例えば、新田さんだの、方角から命名した西田さんだのが続いていく筈

見てみましょう。
田がつく苗字で次なのは全体11位の吉田さん、
さらに次は、全体12位の山田さん

山田さん
先に山田さんから行きましょう。

ここに日本人の田んぼ開発への努力が見えると思います。

作りやすいところから田は作りますよね
田中さんの周辺に出来た筈

何で山?
そんなとこにまで、って。
日本は山国だから、
結果として、山の田んぼも多くはなるだろうけど
山田さんの苦労はどれほどのものだったか。

吉田さん
それに比べて吉田さんは、作りやすいところに作られた
こりゃ良い田んぼ、で、よし田さん?

いえいえ、そうじゃないんです。

全く無いかと言われると
良い田んぼという吉田さんもいないではないんですが
どちらかというと違う意味合いの吉田さん

葦(あし)の生えているような田んぼ。
沼地の田んぼなんです。

そのままの読み方で、芦田さんもおられますが
あし、は悪しに繋がるとして嫌われた。
文字だけでも逆にしようということで、よし、と言った

ほんとのことでいうと、
あんまりよくない田、なんです。

そんな、田にも誇りを持ち、努力の末に
本当の吉田に変えていった。

日本人の努力
田中さんの次に吉田さんと山田さんが続いていくというこの事実。

努力家ですね
吉田さんと山田さん
日本人。
ご先祖様

お陰さまで、今私たちはここにいます。

名字で色は黒白赤青だけ

「少しかしこくなれる名字の本」を読みました。

前、コンビニで3冊本を買ったといったうちのひとつです。

今後、名字の話をするときは
こちらの本での話も組み合わせていきます。

その中で、とてもビックリしたことが書かれていましたので
今日はその話。

名字の色
なんとなんと
名字に使われている色は
黒と白と赤と青しかない

えええっ。
大興奮です。

そんな馬鹿な!

ちなみに、茶のつく名字は色ではなく、お茶に由来しているそうです。

で、その理由がまたすごい。

平安時代までは、色はその4つしかなかったから。

黄も緑も紫も茶色も無かったと。

黒と白はまあ分かるとして
それ以外の色は
赤に近いと全部赤
青に近いと全部青
で、4つだけと

そんな無茶苦茶な事が書いてあります。

ほんまかぃ

ここで、大きな疑問。
聖徳太子の冠位十二階ってありますよね

あれ、位に12個の色が割り当たっていて、と習った
少なくとも12個は色があったはず
確か、紫が一番偉い人だったような

調べてみました。
またまた、衝撃。

ネットで調べただけですけど
なんと、色については資料が残っていない。
推測です。
と書いてある。

教科書は適当に考えた説を採用していたということです。
金返せー

例え、12色で分けられていたとしても、確かに
色の名前がついていたとは直接は繋がらないかもしれない。

一番位が高い筈の、濃紫は
赤と青の真ん中の濃いやつ
と呼ばれていた可能性だってある

現に、名字には4つの色しかないと言われると
本当にそうかもしれない

日本語は色の名前が世界一多いんだと思っていたのに、
それは、後々の話で
最初は4つだけだったのか。

ショック。
今日は寝れるだろうか

村上春樹
もうひとつ、泣きそうな位になったのが、
村上春樹大先生のこと。

全作品を読んだわけではないので
ファンと言うには、本当のファンに怒られそうですが
とても好きです。

早くノーベル賞ちょうだいよ
しびれきれました。
今年こそ。

最近、ニュースでも大きく取り上げられた
村上春樹の新作。
っていっても結構前か。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
発売当日、本屋で大行列でしたね。

私は、そこそこ本は読む方ですが、
小説ってほとんど読まない。

長女は、小説家になりかけた位ですから
速読もでき、膨大な量の小説を読んでます。
長女に小説の論評なんてさせた分には
えらい専門的すぎて何言っとるか分かりません

この時も、話題だねと言うと、当然読んでいて。

どうだった?
と聞くと大変なので
面白かったよ
とだけきいた

長女が言うことは間違いがない。

貸して

読んだら、ビックリした。
予想以上だった。
余韻がいつまでも残る作品。
はっきり言って、いまだに余韻がある。

若いとき、5人の仲良しグループだった。
主人公多崎つくる以外の4人はみんな名字に色の名前がついていた

赤松、青海、白根、黒埜
自分だけ色がついていなくて、というところから小説が始まる

うおーーっ

4色だ。

実は、緑川というのと灰田というのも、出てくるには出てくるんですが
まあ、良いじゃないですか。

先生さすがです。
おそらく、この事が分かっていて、
この小説をそもそも思い付いたのかもしれない。

何かが繋がる瞬間って、ビビビって電気が走る。
名字には4色だけ、って見た瞬間に
走りました。走りました。
そしてまぶたの裏が熱くなりました。