マニュアルなんて、くそっくらえ

私の経営コンサルタントの時のオリジナルの経営ノウハウ
「ノウハウ集をベースにした経営」

「ロマンによる経営」は経営トップが強く「やりたいこと」を押し出す。
それがないとみんながバラバラの方向を向いて力として結集しない。

ただ、それだけだと、面白い会社になるだろうか

みんなが一人一人全員主役になった方が面白いに決まっている。
同じ方向を向いているという保障があるからこそ出来るのが、全員を主役にする経営。

ノウハウ集をベースにした経営
「ノウハウ集」は私が命名したもの。
マニュアルに対する反対概念

マニュアルって、誰かが作って、
この通りやりなさい

そんな押し付けなんて、くそっくらえだ

「ノウハウ集」は全員が作る。
となると、仕事のやり方が千差万別になる。
自分の考え、経験に基づいて
○○の仕事はこうやったらうまくいきましたよ。

マニュアルではないので正解である必要はない
単なる参考意見で良いのだ。
その参考意見を全社員から大量に出してもらう。
大量に出た参考意見を見て
なるほどこれは自分に合うかもしれない
やってみようと思えば積極的に試す。

イメージとしては、今のwebの状態
正解かどうかは分からないけど、情報が山ほど溢れている。

同じことを会社内で会社の仕事に限定し、全員が日々出し合おうというもの。

人事システム全体へ
ノウハウ集を出すことは、それだけにとどまらず人事システム全体にガッチリと絡んでいく。

まず、経営層も集まって若干の絞り込みを行い「テキスト」にする
ここでも「マニュアル」という言葉は使わない
「守るべきもの」ではなく
いつまでも未完成品の参考資料としての位置付けは変えない

そのテキストで研修会を行う
職能資格制度で、何等級かに分かれその昇格の条件になる
研修会の講師も社員

ノウハウ集の記入は全て記名式
誰がいつどんな事を書き込んだかが集計され
人事考課のさいの重要な材料になる

さらに、テキストが仕事の種類として分類、項目の洗い出しとなり
OJT(日常的職場訓練)のとき回数をカウントする項目となる
要はどんな仕事を何回やったことあるか
それが、人事考課や昇格に繋がる

浸透
最初は何がノウハウ集だよって斜めに見ていた社員も
現実に一生懸命書き込んだ人が昇格し、給料も上がっていくのを見ると
だんだん目の色が変わってくる

自分が記名式で書き込んだ内容がテキストになり、研修会で使われるわけだから単純に嬉しい。
店に置かれているテキストに手書きで書き込んで行くのが「ノウハウ集」なんですが
それを見れば一目瞭然。
どこどこ店舗の誰々がどういう仕事の仕方をしているか全部分かるのです。
どっかの誰かが作ったマニュアルじゃなく、全員で作っていっているって実感できます。

従業員数が1000人を越えたりすると、経営トップは一人一人がやってることは全くわからなくなる。
仕方ないので組織を積み上げ、その組織の長の言うことを信じざるを得なくなる。
上司に気に入られるか、良い上司に恵まれるかだけが評価ポイントになる。
上司との関係を良好にする事って必要かつ重要なのでそれを否定しないけど
もっと直接的、客観的に仕事ぶりが分かる物差しを持たないとおかしくなると思う。

難病が治るケース(人のために尽くした人)

人のために尽くした人
快癒力の篠原先生によると
難病が治るケースのうちの一つは

篠原先生のところにあまり顔を出さなくなって
久しぶりに顔を出したので、どうされてましたって聞いたら
いやあ、それどろじゃなくってね
誰々さんが大変でねと、
自分の事そっちのけで人の話ばかりする

ところでお体は、
ときくと
何か治っちゃったかも
って
そういうケースだと言うのです。

何に「気」を使うのか
例えば、呼吸は吐いて吸っての繰り返し。
多く吸うためには、まず吐かなければならない。
出せば黙っていても入ってくる。
健康にかかわる「気」のエネルギーはそれと同じだって思うんです。。

「体を大切にする」より健康に良いこと
「体を大切にしない」よりは「体を大切にする」の方が、いいでしょう。
それはそう
しかし、「もっと体を大切にする」ことは「もっと健康になる」ことにつながるのだろうか。

もやもや
「健康」にかかわるブログを書いていて、多少もやもやしていたんです。
結局これって、「自分にとっていいこと」でしかないのではないか。
自分さえよければいい。いわゆるジコチュウなのではないか。

自分への納得のさせ方
それに対しての自分への納得のさせ方。
自分で実践した「健康に良いこと」「本当によかったこと」を公表する。
それは「人のため」になる
現実に楽しみにしてくれている人もいるし、コメントももらえる。
「人のため」になっているのだろう

ただ、ハッとしました。

快癒力では、「体を大切にする」ことに必死になっている人は、それほど健康にはなれないとしている。
「そんなことより」人のために一生懸命になっているひと。
惜しい惜しいと「気」をため込む人は、「気」が内向きになってしまう。

健康なんてどうでもよろしいやん

ギブアンドテイク
ギブアンドテイクはギブが先
自分の事なんてどうでもよろしい

その方が結果として健康になれますよって

それすら考えることもなく
気がついたらなおっとった

それでいいんやと

恵比寿さんは捨て子だけど

始まり
七福神のうちで、最初からずっと日本人なのは恵比寿さんだけです

ただ、どこから始まったかについては2つの説があります

蛭子命説
日本の始まりの神様はイザナキノミコト、イザナミノミコトですね
この二人がまぐわって子供を作るのですが、最初はうまくいかなかった。
ヒルのようにぐちょぐちょ
だから蛭の子供で蛭子命(ヒルコノミコト)
三歳になっても歩けなかった。
かわいそうなんですが、舟に乗せられて、海に捨てられる。

お気づきでしょうが、蛭子はえびすとも読めますね。
あの漫画家の蛭子能収さんはこの字です。

この人が恵比寿じゃないかと。

庶民の温かさ
最初の2人の最初の子供。
失敗したから海に流すって「古事記」はそんなところから始まるんですね。
いくらなんでもかわいそう。

でも日本の庶民はとても温かい。
捨てられた神様は、再度海の向こうから戻ってくるんじゃないか。
そして我々を救ってくれるんじゃないか。
そんな温かい気持ちが自然発生的に信仰として形作られていきます。

海の向こうから来た流木のような漂着物は何でも神様として祀られることになります。

実は、「えびす」という言葉の意味はもともと「夷」や「戎」と書いて異民族を表し、ちょっと蔑視したニュアンスも入っています。
「海の向こうから来た」のイメージと重なっていきます。

それにしても日本の庶民はすごいね。
捨て子だったり、蔑視していた異民族だったりをいつの間にか、超人気の福の神にしちゃうんだから。
日本の庶民に「あっぱれ」をあげましょう。

次なる説
もうひとつ説があります。
大国主命(オオクニヌシノミコト)の長男の事代主命(コトシロヌシノミコト)だとするもの
こっちは、福の神として崇めるためにちょっと権威が欲しかったのかも。

古事記によると世界は天と地に大きく分かれている。
当時、天つ神(天)のトップは天照大神(アマテラスオオミカミ)。神社で言うと伊勢神宮。
国つ神(地)のトップは大国主命(オオクニヌシノミコト)。神社で言うと出雲大社。
欲張った天照大神は地の方もこっちによこしなさいと使いを出す。

最終的には承諾するのだが、これが世に言う「国譲り」
最初は即答を避ける。

息子たちに聞いてみないと何とも。
その時、事代主命は釣りに出掛けていて留守だった。
だから恵比寿さんは釣竿と鯛を持っています。

事代主命は、すぐ、良いですよって承諾しちゃうんですけどね。

この両方の説が、どちらかというより、オーバーラップしながら漁業の神様として作り上げられていく。

そして
漁業の神様がだんだんと広がって、商売の神様になっていく。
当時、すでに福の神として大黒天がいたのだが、一人じゃ寂しいと思われたのか、二人セットでというのが増えていく。
二福神の時代。

ご記憶の方もおられるかと思いますが、大黒さんは大国主命
ちゅうことは、大黒さんと恵比寿さんは親子なんですね。

えべっさん
強烈に人気を得るのに一役買ったのが関西での「えべっさん」
西宮神社と今宮戎神社。
1月10日の十日戎を強くコマーシャル。
ちなみに今宮戎は昔今西宮戎と言い、New西宮神社の意味。
面白いのは、西宮神社は蛭子神系の総本社。
今宮戎神社は事代主命系の総本社。

十日戎は子供の頃一回いっただけでうっすらとした記憶しかないんですが、
とにかく人が多かったという印象。

商売繁盛で笹持ってこい

福男選びとか福娘とか、話題には事欠かない。

恵比寿ビール
関西中心の知名度を一躍全国区にしたのは、やっぱり、恵比寿ビールでしょう
地名の恵比寿は、恵比寿ビールの会社があったからで、商品ブランドの方が先。
ちなみに恵比寿ビールは、ひらがなだと「ゑびす」カタカナだと「ヱビス」英語表記だと「YEBISU」

姿、持ち物
釣竿と鯛を持っている。
福耳なのに、耳がとおい。
今宮戎神社では、裏にドラがあって手でドンドン叩きながら、大きな声で「えべっさ~ん~!たのんまっ~せぇ~!」と
念を押さないと 願いが聞こえない

ロマンによる経営

経営コンサルタントの時の私のオリジナルの主張
2つあります。
「ロマンによる経営」と「ノウハウ集をベースにした経営」

ロマンによる経営
その時の経営コンサルタントは、100億企業という歌い文句を売りにしていました。

100億企業というのは、年間の売上高が100億円以上ある会社。

地方都市の30億くらいの会社にDMを郵送し、
「100億円企業達成のノウハウ」というセミナーをうち、
参加企業に営業をかけてコンサルタント契約を結ぶ。

地方都市の30億くらいの会社って、その地域、その業界で、ナンバーワン企業。
とても優れた要素を持っており、勢いで急成長を遂げている。
ただ、そのくらいで色んな問題点が数多く出始め、社長としても危機感を募らせる時期。

中期経営計画という今後5年を見据えた経営の計画を、きっちり作る必要がありますね。
人事システムや管理会計システムといった経営の仕組みを作り上げる必要がありますね。
そのお手伝いをしましょうという経営コンサルタント。

中期経営計画
中期経営計画をたてるとして、スタートとなる5年後の目標を考えます。
当たり前に出てくるのが年商100億円の達成。

当然ですね。
それがやりたくてコンサルタント契約をしている訳ですから。
でも、それだけってどうなんだろうって疑問が沸いてきたんです。

量的な拡大以外に
会社をやってる限りは大きくしたい。
極めて純粋な願いです。
非常に良く分かるので否定はしません。
ただ、大きくなりさえすれば、と思っているなら違うんじゃないって感じます。

悲しい例をいっぱい見た
中期経営計画とかに携わっていると悲しくなることがあります。
子会社です。

企業って大きくなってくると、大企業病だなんだ言って会社を分けようとします。
別れるとその一つが子会社ってことになります。

そういうところから依頼が来て、5年後の姿を描きましょうって。

必ず出てくるのが脱○○。
親会社にばかり依存するのは良くないんじゃないかって。
でも、そんな事できるわけもない。
でもなんとか知恵を絞ってちょっとでも独自性を出そうとする。
不思議に、そうこうしているうちにみんな気持ちが盛り上がってくる。
業績も伸びたりするんです。

多くの場合子会社の社長って親会社から来たりする。
子会社でありながら自分達の中期経営計画をまとめようとする社長ってかなり前向き。
社員たちも喜んで
今度の社長は違うぞ。
腰掛けじゃなく、真剣に向き合ってくれる。
この会社に骨を埋めるって言ってくれている。

ところが
業績が伸びちゃうんです。

そうすると親会社から社長にお声がかかっちゃう。
君は素晴らしいね。
もっと大きな舞台で力を発揮してもらうことにしよう。

社員はビックリします。
中期経営計画がまとまり、5年後へ向けてハッキリしたビジョンのもと、
さあスタートだ。

そんな矢先に社長は栄転で居なくなっちゃいます。
栄転なんだから、社長は断りはしません。
社員も大好きな社長が認められた出来事なんだし
行かないでくださいなんて言えません

残されるのは今度こそはと期待し燃え上がった社員たち
悲しすぎます。

子会社なんて作らないで欲しい
大きくなった弊害なんて言うんだったら、最初から大きくしなきゃいいじゃないですか。

ロマンを掲げましょう
数字的な拡大目標以外にもう一つ、「やりたいこと」を掲げましょう。
創業社長であればなんかやりたいことがあって会社を起こしたはず
思い出しましょう。
創業社長じゃなくたってやりたいことを明確に紙に書き、みんなに分かるように掲げて仕事する。
そういうのって多数決で会議で決めたりしちゃダメ。
会社のトップが「トップのロマン」として掲げる
長い間かけて、社員が入れ替わっていくなかで、ロマンを共有できるひとだけが残っていく。
そういう経営のやり方。
最終的に社員みんながロマンを共有し、日々の仕事の中で震えるような充実感と喜びを感じられる。
そんな会社

そんな会社で働きたくないですか