[三種の神器] えっそうだったの?
[三種の神器] 八咫鏡はアマテラス
[三種の神器]八咫鏡。どんな形?
の続きです
草薙剣(くさなぎのつるぎ)
三種の神器は八咫鏡(やたのかがみ)草薙剣(くさなぎのつるぎ)八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
今回から草薙剣についてお話しします
草薙剣はヤマタノオロチ伝説に由来します
スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治したとき、
ヤマタノオロチの尻尾から出てきたのが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
あれれ、草薙剣の話じゃなかったの?
はい、少々お待ちください
その天叢雲剣は八咫鏡や八尺瓊勾玉とともに三種の神器として
天照大御神(あまてらすおおみかみ)から瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に渡され天孫降臨(てんそんこうりん)で地に降り立ちます
天皇が代々引き継ぐわけですが、第10代崇神(すじん)天皇の時、悪い事が重なり、
手元にあると祟りがあるとして、八咫鏡は伊勢神宮へ移動します
その後、ヤマトタケルが関東征伐に出発するにあたり
なぜか大きく遠回りして、伊勢神宮へ
そこで、叔母さんである倭姫命(やまとひめのみこと)から天叢雲剣を授かります
日本書紀や古事記では伊勢神宮へ移ったのは八咫鏡しか明確じゃないのですが
伊勢神宮で天叢雲剣をもらったということは、
天叢雲剣も八咫鏡と共に伊勢神宮へ移っていたということになります
様々な困難を乗り越えますが、一面の野原で火事になったとき、
天叢雲剣で草を刈って助かります
無事役目を果たしたヤマトタケルですが、元の都に変えることができず
今の愛知県で力尽きます
ヤマトタケルは帰れなかったとしても、三種の神器なのですから、
都なり伊勢神宮なりへ誰かが返しに行くべきでしょうが、
なぜかそのまま愛知県の熱田神宮に祀られることになります
そして、これまた不思議なのですが、天叢雲剣は草薙剣と名前を変えます
もう一度整理しますと
三種の神器のうち、八咫鏡の本体は伊勢神宮、草薙剣の本体は熱田神宮、八尺瓊勾玉の本体は天皇の元(今は皇居)にあり
八咫鏡と草薙剣は分身が皇居にあります
分身とは単なるレプリカではなく、本体と同様の意味を持つことが公的に保証されているものです。
不思議なことだらけです
そもそもなぜ天叢雲剣が三種の神器になったのか
スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した剣は
十拳剣(とつかのつるぎ)といって天叢雲剣ではない
鹿島神宮に祀られている
勝者の剣は十拳剣で、負けたヤマタノオロチの尻尾の中にあった言わば敗者の剣が天叢雲剣
なぜ勝者側の剣を三種の神器にしなかったのか
次の謎はその役割
天叢雲剣をヤマトタケルが使って
バッタバッタと敵を倒したというならそれはそれで分かるのですが
日本書紀や古事記を何度読んでも、草を刈った事にしか使っていない
そんなので良いの?
さらに次の謎はなぜ返さなかったのか
草薙剣を管理するようになったのは、尾張氏です
皇族でも何でもない
天皇の証である三種の神器をなぜ尾張氏が持っていて良いのか
そしてやっぱり名前の変更
何の必然性も感じられない
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という格式の高そうな名前を捨てて
草を刈ったから草薙剣って、安直にしていかにも弱々しい
もちろんこれらの謎に正しい答えはないのですが
謎には謎なりのヒントが隠されている
これらのヒントを踏まえつつ、次回、草薙剣の実態に迫っていくことにいたしましょう