訪れた場所は1500箇所

数日前に、良い発見しました、とグーグルマップにメモを入れる話をしました。

その時、ずっとちゃんと整理しなきゃな、と思っていたのを一念発起

どういう事かと申しますと
5年前からウォーキングが趣味となり東京都内を中心にあちこち歩き回った
その場所でグーグルマップに場所の名前が書いてあるものに、リストを作ってマーク

最初は、その日に歩いたコース上の名所をマークしていきました
「谷中七福神巡り」みたいなリスト(コース)名を付けました。
一回で、10箇所以上マーク出来るときもあります。

あるとき気づきました。
こりゃ、コース名が増えすぎる
リストをくっていくだけでものすごい時間がかかる
ということで、例えば、文京区みたいな地域の名前を付けて、コースがどうあれ
文京区の場所なら、文京区のリストに入れるということもしてみました。

ちゃんと考え方を統一していなかったからバラバラ
よし、頑張って、地域名に全部やりかえるぞ。
複数のリストにダブって登録していたものも
これなら、どれかひとつになります。

数が無茶苦茶多いので
死にそうになりましたが
一つ一つタップしてみて、その住所のリストに付け替える地道な作業

一体、何ヵ所行ったのかなあ

100箇所以上であることは分かっていました
新江戸百景巡りの場所は全部行った訳ですから。

全部整理できたら、数えて見よう。

丸々2日かかりましたが、全部整理を終えました。

ほぼ23区で1000箇所
それ以外で500箇所で
合計1500箇所

パチパチパチ

ずいぶん行ったなあ
予想以上でした。
5年ちょっとの間ですからね
それより前は、お出かけなんてほとんどしなかった。

好き好きが良く分かりますね
23区で言うと、区内だけで100箇所を超える黄金区が3つ
中央区、台東区、千代田区
真ん中ですから。
中央区は日本橋、銀座、築地、人形町を抱えてますから、そりゃ行くよね
地図
台東区は浅草と、上野両方あります。
地図
千代田区は当然皇居
皇居内だけでも、かなりの数に上りますが、丸の内や九段下も
オフィス街だけのイメージですが、あにはからんや
神田や秋葉原まで、千代田区。ずるいよ、千代田区
地図
続くのが、港区、新宿区
港区は、ど広い
なんつったって、増上寺、東京タワー、泉岳寺
と思ったら、神宮外苑から、迎賓館や赤坂、麻布や六本木まで全部港区
しかも、お台場まで港区なんですから
せめて、品川駅は品川区に渡してあげてよ
地図
新宿区って以外でしょ
新宿副都心のイメージあるから、名所旧跡なんてあるの?って
あるんです。
新宿区もまあ広い
新宿、四ツ谷に始まって、市ヶ谷、神楽坂に至るまで
ぐるっと北に回って早稲田や落合まで
地図
次のグループは、板橋区、文京区、墨田区、江東区
板橋区は中山道・板橋宿をはじめとし、板橋区の出しているウォーキングマップがとても魅力的なのでずいぶん行った
地図
文京区は中心ですから、台東区と隣り合って、がっぷり四ツ
護国寺から文京区なんで、えっ?です。
目白から始まって、神田川の北側はほぼ文京区
後楽園も六義園も文京区ですから、名だたる庭園は任しとけ!
地図
墨田区にはお世話になっています。
両国だけでも何回行ったかなあ。スカイツリー持っていかれた。
地図
墨田区が向島なら江東区は深川
こりゃまたお世話になっています
江東区の広さはすごい
地図
それ以外の23区はあいうえお順で一気に
足立区
地図
荒川区
地図
江戸川区
地図
大田区
地図
葛飾区
地図
北区
地図
品川区
地図
渋谷区
地図
杉並区
地図
世田谷区
地図
豊島区
地図
中野区
地図
練馬区
地図
目黒区
地図

23区以外だと、当然地元の東久留米市、清瀬市が多いです。
県外だと、埼玉、神奈川は当然として
実家の兵庫県も結構行きましたね

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

また、文明開化を歩く。その2

また、文明開化を歩く
の続きです。

千鳥が淵
江戸城のお堀端を歩いていくことになります。
出たっ千鳥が淵



やっぱり、江戸城はすごいなあ
人間技とは思えない
ここまで来て、江戸城に入らないというのは
よだれたらたら、パブロフの犬状態
おあずけっ

まあ、入っちゃうとまる一日出て来れなくなりますから、仕方ありません。

何だ何だ、この銅像は

ええっ、大山巌(いわお)?ほんまか。
こんなところに大山巌がいようとは、全く知りませんでした。

大山巌は明治政府の超実力者
大山が断らなければ、首相になっていました。
元老の一人でもあります。
ここに銅像がある理由は陸軍のトップだからです。
陸の大山、海の東郷

私としては、大山捨松の旦那様という印象の方が強いですが。

もうひとり

えっ、品川弥二郎

出ました、またまた明治の大物政治家
長州出身で、第一次松方内閣では、内務大臣もつとめている。

鳥羽伏見の戦いで勝利した新政府軍は
和宮の元婚約者、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)を先頭に
江戸を攻め落とすべく、京都から行列での大行軍
その時、みんなでトコトンヤレ節という歌を歌いながら進んだ。
作曲が大村益次郎、作詞が品川弥二郎

♪宮さん宮さんお馬の前に ひらひらするのは何じゃいな
トコトンヤレ トンヤレナ 
あれは朝敵征伐せよとの 錦の御旗じゃ知らないか
トコトンヤレ トンヤレナ

トコトンはお囃子の足拍子なので、トコトンやれが、徹底的にやれの意味になったのはこのあとなんでしょう

蕃書調所(ばんしょしらべしょ)跡

九段下の昭和館のところに、蕃書調所があった

鎖国下でも、西洋の情報を完全にシャットアウトしていた訳ではない。
特に、8代将軍吉宗以降、キリスト教に関係無ければ、オランダから長崎経由で手に入れることが出来た。

ペリー来航で、大慌て
こりゃそんなゆっくりもしておれない
もっと積極的に洋書を入手し、どんどん翻訳して情報を得ねば
ということで出来たのがこの蕃書調所なんです。

この名前、どうなんでしょうね
蕃書とは、差別用語
劣った国の書物というような意味
おかしなことが書いていないように調べよう
要は検閲のような意味

黒船見て泡吹いているのが本音なのに、素直になれないのね

やっぱり誰かに指摘されたのか
その年のうちに、洋書調所と改名し
さらに翌年、開成所と改名

この開成所が置かれた場所にこのあと行きます。

蕃書調所の開設には、勝海舟も相当に尽力します。

村田蔵六(大村益次郎)や西周、津田真道といった、そうそうたる教授陣です

昭和館
前を歩くだけで入ったことの無い昭和館
せっかく蕃書調所の場所なのでちょっと入ってみましょう

常設展示場だけは300円の有料なのですが
常に開いている訳じゃなく、開いている時間帯が何回かに分かれている
行ったのがちょうど休みの時間帯だったので、無料の場所のニュースシアターだけ見てきました。
戦争突入前のニュース
国民の気持ちを鼓舞すべく、独特な語り口でした。

この人形にはグッと来た
戦時下の嫁入りを表した人形
花嫁衣装が喪服です。3日後に夫が出征

講武所跡

こっちは、軍事的な話
ペリー来航で、慌てた幕府
それまで形骸化していた武道をちゃんと勉強しましょう

先週の、築地でも講武所跡が出てきましたね
築地では、講武所内に、軍艦操練所ができ、すぐに講武所全体が軍艦操練所になったので
講武所は、この場所に移ってきます。

もちろん、こっちも武芸で刀を振っている場合じゃ無いと分かり
軍隊に変化していきます。

山田顕義(あきよし)
おっと、講武所跡のすぐ横に、山田顕義の銅像
そうか山田顕義が日本大学を作ったのか

山田顕義はこれまた明治の大物政治家
岩倉具視使節団のメンバーでもあり
司法大臣もつとめています

最初に行った、皇典講究所跡
この山田顕義が所長だった
なるほど、だから皇典講究所が、日本大学や国学院大学の前身ということになるのか
繋がってきたなあ

大隈重信邸

皇居のお堀のすぐ横
さすがは大隈重信。すごいとこ住んでたのね
政党政治家として初の総理大臣
早稲田大学の創始者でもあります。

この碑も大隈講堂をデザインしているんでしょう。

東京大学発祥の地

蕃書調所のところで、あとで開成所の場所に行きます、と言いました
それが、学士会館のある場所、ここです。
開成所は、合併しながら、東京大学になります

ということは、東京大学は元はと言えば、蕃書調所だったということになります。

野球発祥の地

この東京大学の地で、教師をやっていたホーレスウィルソンさんが
学生に初めて野球を教えた

だからここが野球発祥の地です
手でかっ
よくみると
野球ボールは、アメリカと日本の架け橋を表しています

学習院(華族学校)開校の地

学習院って元々京都の、お公家さんのための学校なんですね
だからか

院のつく大学はミッション系だと思っておりましたが
そもそも、院ってお寺の「院」なんですね
あの、院制の院となるから、学習院は公家の学校

ミッション系は単に真似をしたんでしょう。

おっと、横にこんなのが

ひょっとすると、学習院生の日本で初めてのミスコンテストの優勝者
末弘ヒロ子さんなのでしょうか

内務省跡

出たっ、出た出たっ
あの大久保利通の内務省です

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

また、文明開化を歩く

良い方法を発見しました。

東京の散歩関連の本は山ほど読んでいて
その都度、あっここ行きたいなあ、と思ったところは
以前から、グーグルマップにマーク付けていたんです。

すでに行ったところは、青緑で、
まだ行っていないけど、行ってみたいのは、「行ってみたい」の緑色

ただ、お玉が池種痘所跡とか、誰々の旧居跡みたいに名前からすぐ分かるのは良いんだけど
〇〇寺みたいなのは
えーっと、これおそらく誰かのゆかりの地なんだろうけど忘れちゃったなあ
と、マークはしたものの、訳が分からなくなっているものが増えてきていた。

あら。メモを追加する、って機能があるのか
早く言ってよ

「行ってみたい」と「既に行った方の自分で作ったリスト」の両方にチェック入れるのがポイントね
全体の地図からは緑に見えるけど、実際に行った段階で、「行ってみたい」の方を外すだけで青緑になってメモも残る
うーん、賢い(自画自賛)

グーグルマップを見て、緑の多い場所を歩けば良い訳です。

「江戸東京の幕末・維新・開化を歩く」という本でかなり「行ってみたい」とそのメモを記入
一番集中していたのは築地だけど
次に固まっているのは?

飯田橋から歩けば良さそうだな

今回は、全て千代田区なので、千代田区の私が作った地図を参考まで
こちらをクリックすると、マークされたグーグルマップが立ち上がります。
地図も写真も私の書いたメモも、過去に誰かがコメントした文も、それが施設なら電話番号やホームページも全部見れるからとても便利ですよ。

今回歩いたので多いのは、学問の発展というテーマが多いです。
明治の偉人もいっぱい出てきます。

皇典講究所跡
まずは、神主さんとかの神職を養成する学校。

国学院大学や日本大学もここから発生するんです。

日本赤十字発祥の地

そうか
日本赤十字は佐野常民らが作ったのか
佐野常民と言えば、東芝の創業者、からくり儀右衛門(ぎえもん)と呼ばれた田中久重(たなかひさしげ)の時に出てきた。
佐賀藩に田中久重を招いて、とってもお世話したのよね
こちら
高松凌雲の時にも出てきた
こうやって色んな人が繋がっていくのはとても面白い

神道無念流、練兵館
先週、桃井道場、鏡新明智流の士学館に行きました。
三大道場のひとつ、さああとの二つも行かなきゃ。
練兵館(神道無念流)と玄武館(北辰一刀流)

練兵館は木戸孝允(桂小五郎)が塾頭になったこともあります。
練兵館が次の緑色、楽しみだなあ

えーっとどこかというと、靖国神社の中
あらま、そんな大物の。

お参りの前に、大村益次郎に会いに行かなきゃ

いつ見ても、なんてどでかいんだこの銅像は
浜離宮恩賜庭園で聞いた話だと、日本で三番目に出来た銅像

大村益次郎は戊辰戦争の時の、新政府側の軍事総責任者
幕府側を叩きのめす訳ですが
殺した敵の犠牲者たちの霊を弔おうとするんです。
それで出来たのが靖国神社
それ以降のあらゆる戦争での犠牲者全てを引き受ける事になるわけですが
元はと言えば
戊辰戦争の時の敵を弔おうとする大村益次郎の発想が出発点なんです。

さあ、お参り
手水舎でびっくり
ひしゃくが無い

こんなところまで。
神様もびっくり

確かに、ここの神様は、日本でダントツで人数が多い
ソーシャルディスタンスは難しいのかも

お参りしたあと、本来の目的、練兵館跡を探すんだけど
どうにも分からない

済みません。神道無念流の練兵館跡はどこなんでしょうか

そこを出て、南門のちょっと手前なんですけど
残念ながら、今その近くへは入れないんです。

ああ、それっぽいものがある

この時期、完全は無理
それっぽいものを見たので、良しとしましょう

木戸孝允の気持ちになって
エイヤァーーッ

和学講談所跡
このあと、蕃書調所や講武所や、色んな大学の発祥の地といった
学問のルーツの場所を見て回る訳ですが
学問のルーツと言えば、この人を忘れてはいけません
塙保己一です。

国学者の最高峰、賀茂真淵(かものまぶち)に入門し
あとはお前にまかしたぞ、と言って賀茂真淵はこの世を去った

その時点で、塙保己一は国学者の最高峰に立ち
弟子もいっぱい
あぐらをかいてりゃ良いわけですが
自分がとてもお世話になった本たちに恩返しをしたい

活字とかの無い時代ですから
あらゆるジャンルの本を集め、
腐って無くならないよう
木版を作り、複数刷れるし、紙が腐ってもまた刷れるようにする

弟子たち総出で作った、本の百科事典
もし、これがなければ、我々は
源氏物語だの徒然草だの古典にふれることは出来なかったでしょう。

そして、幕府が動いた
当時の最高権力者、松平定信

せっかく本の百科事典が出来た。
これを読む人を作らねば。
教育こそが、国を作る。

この地に出来たのが和学講談所なのです。

こんなすごい人、塙保己一
実は元々全く目が見えない盲人でした。

詳しくは修飾詞の付かない、塙保己一、その2

まだまだ続きます。
続きは明日ね

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

文明開化を歩く。その3

[解除後初]文明開化を歩く
文明開化を歩く。その2
の続きです。

運上所跡
水炊きで有名な高級料亭「治作」

一生入ることはないんだろうなあ
この石何?すごっ

その隣に「運上所跡」の碑

税関の事です。
税関があるという事自体が、開国したことの証。
最初は開港した港の場所に出来ましたが、築地も開市なので、運上所が出来たわけです。
横浜と違う税関業務を行う訳にはいきません。
常に横浜と情報をやり取りする必要が発生したのです。
陸蒸気は新橋横浜間で開通しましたが、
もっと瞬時に問い合わせする必要があるというので出来たのが、電信
日本初の電信です。

隅田川テラス
ここまで来たら、隅田川がすぐ裏



向かいは月島
埋め立てて出来た場所なので、明治時代には無くもう海でした。
もちろん月島もんじゃもありません。

ああ、気持ち良い。
隅田川テラスに来れた事で、ウォーキングが本当に再開できたんだなあ、と実感できました。

ヘンリーフォールズ住居跡
ヘンリーフォールズはこの地に築地病院を作りました

外国人繋がりで知り合いになったモースに大森貝塚の話を聞き
古代人の土器を見せてもらって大発見
土器に古代人の指紋がついていた。

そこから、指紋について強烈な関心を持つようになって研究していくと
またまた大発見。

指紋ってひとりひとり違うぞ
ひょっとして、だれひとり同じ指紋はないんじゃないの?

そこから、築地病院に来た患者さんに
エクスキューズミー、フィンガースタンプ、ぺったん、オン、ペーパー

犯罪捜査にも有用な仕組みを作っていく。
指紋発祥の地です。

靴業発祥の地

靴ですよ。まさしく文明開化
西村勝三です。
この人、文明開化の申し子のような超大物。
明治工業の父とも呼ばれています。

銃器、靴、革、メリヤス(靴下)、ガス、耐火レンガ、ガラスと
実に様々な事業を手掛けています。

文明開化と言えばガス灯、銀座の煉瓦街
そのいずれにも関わっている。
初代東京駅の煉瓦は、西村勝三の会社が納品しています。

靴の話に戻しましょう。
外国人向けかと思いきや、軍隊向け
明治2年、大村益次郎から、軍靴の納入を依頼されます。

外国から輸入して納品
でも日本人の足に合わなかった。

日本で作った方が良いんじゃない?
大村益次郎、自分がやるわけじゃないので、適当な事言います。

この地で伊勢勝製靴工場を立ち上げました。

明治4年には、兵部省から今後10年間に毎年10万足の軍靴の納品を依頼されます。

こら、えらいこっちゃ

大幅な設備投資を図ります。

ところが、兵部省が陸軍省に変わると
兵部省が言っていた事なんて知らん、と契約を大幅に減らされます。

窮地に立たされますが
援助も受けつつ、さらに積極的に増産します。

ところが結局、コスト面でなかなか輸入品に太刀打ち出来ず
工場の火災も重なって、一旦閉鎖
でも、クツなだけに、不屈の精神
佐倉藩の旧藩主・堀田家からの出資を受けて、甦ります。

紆余曲折を経て、現在のリーガルコーポレーションに繋がります。

土佐藩中屋敷
中央区の区役所の脇

ここにあの、武市半平太と坂本龍馬がいたんです。

改めて、東京(江戸)をウォーキングすることの面白味
武市半平太は土佐の同志を募って、尊皇攘夷の組織、土佐勤王党を立ち上げる
中岡慎太郎や坂本龍馬もそのメンバーなんですが
当然、土佐で立ち上げたと思っていた。
違うんですね。
築地のこの場所。

剣の修行のため、人斬り以蔵こと岡田以蔵らを従えて、江戸に出て
長州藩の桂小五郎や久坂玄瑞、高杉晋作、薩摩藩の樺山三円、水戸藩の岩間金平らと交流

土佐もこうしちゃおれん、と土佐勤王党を立ち上げる

坂本龍馬が参加したのは土佐でらしいですけどね

坂本龍馬も剣の修行で江戸に来て、ここに滞在している。

士学館

幕末の三大道場のひとつ士学館。
鏡新明智流の桃井春蔵が開いた剣術道場です
二つ目は、九段下にある練兵館。
斎藤弥九郎の神道無念流
桂小五郎が塾頭をつとめたこともあります。
そして、神田の玄武館
千葉周作の北辰一刀流

ここで、武市半平太と岡田以蔵が修行し
めきめきと腕をあげた武市半平太は塾頭をつとめます。

煉瓦銀座之碑とガス灯

出ました
文明開化と言えば、銀座煉瓦街
明治5年、銀座は大火に見舞われ、一面焼けの原になります。
これじゃいかんと、ウォートルスが、火災に強い街をと
煉瓦作りの町並みを作ります。

ところが、これが評判が悪かった。
高温多湿の日本では住み辛い
段々空き家が目立つようになります。

ただ、そこに新しい人たちが入ってきます。
新橋駅にほど近く、外国人居留地にも近い、陸蒸気を使えば、横浜とも近いということで
マスコミが入ってきます。
名だたる新聞社が続々とここでスタートします。

さらに、お洒落な店が続々とオープン
今まで買い物は履き物を脱いで、座敷に上がって行っていましたが
なななんと、土足のまま店内に入って買い物するという、ひっくり返るようなショッピング大革命

以来、今に至るまで、お洒落なショッピングは、銀座がずっとリードし続けます。

そして、文明開化と言えばガス灯
銀座の町並みを明るく照らす。
日が暮れると家に帰るしかありませんでしたが
街に灯りが灯ったのです。
人々の活動時間が大幅に延びました。
ガス灯のレプリカはあちこちあるのですが、
ここにある復元ガス灯はちゃんと灯っているんですよ

千葉定吉道場

先ほどの土佐藩中屋敷から、武市半平太と岡田以蔵は士学館に通っていましたが
坂本龍馬は、この千葉定吉道場に通っていました。
坂本龍馬は、定吉の次女、千葉さなと恋仲になり、結婚の約束
結局、龍馬はお龍(りょう)と結婚する訳ですが
さなは、生涯私は龍馬の妻でございますと、言い続けるのです。

アーク灯プレート
ガス灯が銀座なら、日本で初めての電灯(アーク灯)も銀座
銀座カルティエの辺りです。
記念プレートがこちら

その明るさは衝撃的で
「一にお天道様、二にお月様、三に銀座のアーク灯」
と言われます。
ちょっと見落としたんですが
復元灯があったようです。

木村屋
文明開化の締め括りは、やっぱりこれ
文明開化の七つ道具と言えば
新聞社、郵便。ガス灯、蒸気船、写真絵、博覧会、軽気球、陸蒸気、アンパン

そう、木村屋のあんぱん
長くなってますので、エピソードは割愛
こっちを読んでね
木村屋のアンパン。ぶん婆ちゃん頑張れ!

この木村屋の文字は山岡鉄舟が書いたんですよ

甘いものはあまり得意ではないのですが
ここへ来たら買わないわけにはいかないですね

桜一個ください

あらま、美味しいじゃない
失礼しました。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)