カミさんとのランチデートと怒濤の作り置き

事の始まりは、数日前の朝の情報番組

わが家はいつもテレビ朝日のグッドモーニングを見ています。
依田さんというお天気キャスターが毎日全国を飛び回って、各地の名所から中継しつつお天気を報せてくれる

八王子のうかい亭という料理屋さんで見事な庭園があり、紅葉を楽しみながら、会席料理が楽しめる。

良いねえ、八王子だってよ
一度行ってみたいねえ

八王子
カミさんがたまたま、八王子で資格試験の最後の面接

昨日、カミさんが
明日お昼に八王子だから、この前テレビでやってたやつ行ってみる?

良いねえ

どうも、うかい亭は超高級なステーキとかのお店で
とても一般庶民の手が出るような値段ではない。
姉妹店の、とうふ屋うかい、の方だと、おそらく一人5千円位で何とかなりそう。

お昼に八王子市南大沢駅で待ち合わせ

駅前のイトーヨーカドーの駐車場で待っていると、終わったよとライン
首都大学、とっても素敵だよ。
ちょっとこっちに来てみなよ

昔の都立大学が石原都知事の時に何かと合併して首都大学になったんでしたっけ。
おそらくその時に、この八王子の南大沢駅周辺が大々的に再開発されたんでしょう。
大きな三井アウトレットパークが隣にあって、お洒落な学園都市



一通り回って
すごいすごい

予約してくれた?

いや
今電話するね

電話すると
申し訳ございません。満席でございます

今この電話で予約っていうのはできないんですか?

はい、これからですと、夜の分になります。

残念!

だから、予約しといてねって言ったじゃん
行こうとしているのは高級料理店なんだからね
パッと行ってパッと入れるのはファミレスなの

仕方ないので、アウトレットパークの中で探そうとしたんだけど
慣れてない場所だから、うまく見つけられなかった。

良いか
帰りの道沿いでどっかに入ろう

お腹空いてるから
ヨーカドーの中でパン一つ買ってとりあえず間に合わせ。

一人5000円のはずが、今のところ220円のネギパン

イトーヨーカドーの前で、地場の美味しそうな野菜を並べて売っていた

今日の晩御飯は何?

シチューにしようと思ってるんだけど

白菜が美味しそうだから
お鍋にしようよ

かぼちゃも美味しそうだった
かぼちゃのグラタンが食べたいわ

帰りの道沿いで、以前一度行ったことのあるお蕎麦屋さんなんかも閉まってたりして
結局ほぼ、家の近くまで来ちゃった。

家の近くの華屋与兵衛で良いか

結局、1190円の何とか御膳
5000円が1190円ね
ずいぶん安上がり

わざわざ八王子に行く必要も無かったね

副業
カミさんは、メインの老人ホームの看護師さんの他に
休日副業もやっています。
最初だけ出掛けて、後は一ヶ月ほどかけて自宅でレポートを仕上げていくというもの

最近、その副業の方が目一杯忙しくて、休む暇がない。

いつもは、食事は平日はカミさん担当で、休日は私担当
カミさんはシフト制なんだけど、平日に休みの事が多いから

ただ、最近その休日も休みじゃなくなっているので
体が疲れちゃっている。

出来るだけ、休日に次の一週間分の食事も作っておいてね

以前にも何度かそういうことがあって、
日持ちしてどーんと作っておけるものを作っていた。

カレー、ドライカレー、餃子、お好み焼き、ハンバーグ、等々
ただ、そういうのばかりのローテーションも飽きてきた。

普通のを何種類もいっぱい作ってみよう。

作り置きではない今日の分は、さっき白菜を買ったのでお鍋
しゃぶしゃぶです。
材料買ってきて、ザクッと切れば終りね。
椎茸には飾り包丁入れときました。

以下作り置き
1.シチュー
今日だったはずが明日にシフトチェンジ
カミさんが「クレアおばさんのシチュー」っていうのが大好き
なぜかこれ冬に特定の店舗でしか売っていません。
今は確保してあります。
煮込みまでは終わらせて、明日ルーを入れます。

2.豚こま切れ肉とじゃがいものマヨポン炒め

作り方はこちら
https://cookpad.com/recipe/5125674

3.ブロッコリーとじゃが芋のガーリック炒め

作り方はこちら
https://cookpad.com/recipe/1932623

4.いかとアスパラの蒸したの

イカとアスパラで、塩味なのが美味しいよ、というカミさんのリクエスト
炒めものが二つ続きましたので、目先を変えて蒸してみました。
味は、鶏がらスープの素と、塩のみ
味見したら美味しかったです。

5.茶碗蒸し

4つです。
レシピを見ないで作れる数少ないメニュー

ああ疲れた。
これだけ、作れば結構もつでしょう。

カミさんが
かぼちゃのグラタンは?

ゲゲッ
覚えてたか

仕方ない。作ろう
6.かぼちゃのグラタン

作り方は適当
ホワイトソースにしてかぼちゃ
鶏肉とニンジンとしめじ
味見するとかなり美味しかったです。

江戸東京たてもの園に行ってきました。

5月のことになりますが
江戸東京たてもの園に行ってきました
江戸東京たてもの園。続き
江戸東京たてもの園に行きました。

自宅から車で十数分
超地元でございます。

ただ、その時はあまり時間が無かったものですから
後半は駆け足になってしまい
こりゃ最低もう一回は来ないとダメだな

とはいえ、残りと言う事なので、それほど長い時間は必要ない。
今週の週末はあんまり時間ないんだよなあ
って時のために取っておこう。

さて、今週末
土曜日は、一日用事で家にいる必要があった
日曜日は、午前中に荷物が届き、午後の四時から車の定期点検
今週の週末はあんまり時間がないんだよなあ

おっと、これだ!
取って置きを蔵出ししましょう。

小金井公園
江戸東京たてもの園は小金井公園の敷地内にあります。

前回来たときは、ガイドさんの案内を聞けなかったので
今日こそは。

聞けば、13:30からということなので
それまでの間、小金井公園を散策しましょう。
とても広い公園なので、爽快感抜群

木々も色づいてきました

江戸東京たてもの園
ガイドに間に合いました。
20人ちょっとでスタート

よろしくお願いします。

まずはこの建物から
受付の入口として使われているこの建物
光華殿(こうかでん)と言うんです。

紀元は2600年の式典で皇居の二重橋の前辺りに立てられた建物です
式典が終ってこちらに移設されました。

その後、戦争になって、学習院が疎開で、この小平にやって来た
この光華殿は校舎として使われています。

その横に学習院の学生たちの寄宿舎も作られた。
その中に、当時学習院の学生だった現在の上皇様もおられ
ここに3年間住まわれています。

3年間は小平市の住民だったと言うことです。
住民税を払われたかどうかは分かりません。

こちらは、ドンと言われる、皇居内にあった大砲です。
明治になってから、正午に時報として、東京中に聞こえるくらいの音をドーンと鳴らしました。

(12/7、大嘗宮を含み皇居のウォーキングイベントをやります。
その時、ドンの跡も説明しようと思ってたんですが
大砲の方の実物がこんなところで見れるとは感激です)

西ゾーン
西ゾーンの10棟の建物を巡っていきます。
60分で巡るということなので、なかなか中までは入っていけません。
入ったのは茅葺き屋根の吉野家

三井八郎右衛門邸は庭から

デ・ラランデ邸
この建物どこかで見たことありませんか?

はい
となりのトトロでさつきとメイの住んでいた家

宮崎駿さんは何度もここに通っておられ
色んな作品の色んな場面に、インスピレーションを得たと言われています。

前川國男邸
建築界の巨匠、前川國男が自宅として作った家
すごいラッキーです。
明日から6ヵ月間、改修工事で見れなくなるそうです。

戦争真っ只中で、広さ制限がある中
何とか広く見せる工夫がいっぱい
これぞ、一流のプロフェッショナルの仕事だ

センターゾーン
旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)
徳川家光の側室お振りの方の霊を弔うための霊廟

あっ、開いてる
前の扉、なかなか開けてくれないんですよ
むちゃくちゃラッキーです。
ガイドが終わったあと、もう一度戻ってきて中の写真を撮りました

徳川ファンの私としては
ここがやっぱり一番テンション上がります。

ものすごい格天井(ごうてんじょう)

高橋是清邸

2.26事件で、高橋是清が青年将校に暗殺された。
その現場がここの2階
大きな歴史の1ページのその場所が
ごそっと移築されたわけです。
大興奮です。

東ゾーン
大正から昭和の商店街を再現しています。

1923年の関東大震災のあと、1930年の世界恐慌までの間
建設ラッシュがあります。
東ゾーンでは、その7年間に立てられた建物が半分くらいです。
その時の建築では
火災に負けない家を作ろう、ということで
銅板で周りを覆ったりしていきます。

こちらを見てください。
ポコポコ穴がへこんでいます。
これは東京大空襲の時、爆弾が破裂し
破片が飛び散ったときの穴です。

ということは、銅板で覆う作戦は効を奏したということになります

三省堂

神田須田町にあった文房具屋さんです。
中にある壁一面の引き出し
数多くの筆の種類を仕訳してしまってあります。

千と千尋の神隠しの釜じいの部屋にあった壁一面の引き出しは、ここにヒントを得たそうです。

子宝湯

ジブリのヒントの話。ここは言わずもがなですね。
この銭湯、通常の倍ほどの建設費がかかったそうです。
例えば、懸魚(げぎょ)

屋根の下の彫り物です。
鷹と雀が彫ってある
雀は鷹に食べられちゃう筈ですが
共存するという平和への願いだそうです。

大金持ちも貧乏人も、子宝湯で服を脱ぐ
裸になればみな同じ

天明家
唯一、前回全く来れなかったのが天明家

農家なんだけど大金持ち
茅葺き屋根の千鳥破風(三角のところ)なんて見たことない

いわゆる豪農って改めてすごかったんだなあと思う
あの三井財閥の三井八郎右衛門邸と共通している部分があったりもする。

ああ面白かった。
さあ、車の定期点検に行くかな

ちなみに今日の晩御飯は
五目おこわと豚汁とポテトサラダにしました。
全部作ったよ

おでかけマップ

徳川昭武と最高の時間。の続き

徳川昭武と最高の時間。
の続きです

戸定邸(とじょうてい)
奥の方に行きました。
家族エリアです。
実にいっぱい部屋がある

ほっこりしたのはお母さんの部屋
年老いたお母さんを呼び寄せます。

客間同様、富士山が見える向きで作り
小さいながらも庭も作る
欄間にはお母さんの出身の家紋からのデザイン

親孝行だなあ
ぐっと来ます。

お風呂は湯気がこもらないよう天井が格子状

こんな天井見たことない

元の客間に戻ってきて

言い忘れてました。
これ見てください。一本杉なんです

うおおおっ

決して華美ではないんだけど、こういうところに金をかけるのが
日本の大邸宅ですよね

言われないと分かりませんもんね
職人の誇りと生きざまですね

ここの欄間を見てください
葵が2枚

そしてこちらの釘隠しは4枚

うわあっ
これは

昭武は並外れて優秀だった
そして倒れた幕府の親玉の弟
反政府勢力が昭武を担ぐととても危ない
新政府はとても大切に扱った

こんな大邸宅
普通に考えて絶対無理です。

首をとられてしかるべきですからね

そんな話は一切出なかったんです。

それに対する感謝の気持ちがこれなんですね
客間だからおもてなしが必要
葵は使おう
でも、三つ葉葵は使いませんよ
それが、生かされている自分の礼儀だ、って事ですね

ありがとうございます。
本当に楽しかった。
楽しかったです。

戸定歴史館
パリ万博の時の資料を中心としながら
昭武とその一行の事が詳しく。
そしてその後の、慶喜と昭武と渋沢栄一の交流
そしてフランスの将軍との再開

でも、残念。
写真NGだったんですよね。

パリ万博の時の日記とかもあったんですが
みなさんのビックリするほど字がきれいでした。

ひとつ、新たな発見が、山高信離(やまたかのぶあきら)という人の存在
パリ万博一行の、実質的総責任者であり、昭武の教育係のトップ

そういう人の存在は知っていたんだけど
すぐに、やってられるかいみたいなことで帰国し
その後の実質的な責任者が渋沢栄一なんだと思っていた。

違っていました。

帰国しちゃったのは、水戸藩から随行した人たち
フランス側の教育係と喧嘩をして
教育係を解任されちゃうんだけど
ちゃんと最後までいたし
とても優秀だった。

少なくとも、歴史館のイチオシは、渋沢栄一じゃなくて山高信離
渋沢栄一の小説を読むとどうしても渋沢栄一メインで描くけど
もうひとりとても優秀な人がいたんですね

明治になって、渋沢栄一もそうだけど
幕府の人間でありながら
新政府に重用された

パリ万博の経験を買われ
日本の関わる博覧会は長きに渡って、ずっと山高が総責任者

カフェ甲冑(かっちゅう)
敷地内に松雲亭というカフェがあるんだけど
松戸手作り甲冑愛好会がこの場所をイベントとして借りたということでしょうか
カフェ甲冑というのぼり

愛好会のメンバーが一生懸命呼び込みをしているので
コーヒーにクッキーが付いて500円とちょっと高めではありましたが
入ってみましょう。

厚紙で作った甲冑がいっぱい展示してあります。

隣にいたカップル
かぶとを被ってみて良いですか

良いですよ

彼がかぶとを被り、
彼女が写真をパチリ

かっこいいよ

そうかなあ

はいはい

その流れで
私にも
被ってみます?

えっ良いんですか

写真も撮ってくれました

作り方も丁寧に教えてくれました。

手先が器用だとか、美術的センスだとか
そんなものは何も要りません
ただただ根気です。

こりゃ、500円は安かったね

庭もとても広かったし高台なので、眺めも良かった



浅間神社
戸定邸をあとにし、浅間神社

えっ
こ、これは

確かに先程の戸定邸といい、起伏の激しい土地ではありますが
いきなり、どーんと山
奇跡の地形ではないでしょうか

浅間神社ですから富士山がらみ
よく富士塚とかで人工の山を作ることはありますが
ここは、おそらく自然の山がたまたまここに
というか、たまたまあった山を丸々利用して浅間神社にしちゃった

二合目、三合目の杭が楽しい


鈴の音色がそれぞれ違っていて面白かった。

最後、松戸公園を経て、戻りました



おでかけマップ

徳川昭武と最高の時間。

即位礼パレードの割り込みを入れちゃいましたが
松戸で、徳川慶喜気分
の続きです。

戸定邸(とじょうてい)
入口です

お腹が空いていたんだけど
ネットでガイドさんが案内していただけると書いてあったので
まずはその時間を確認してから食事に行こうと受付まで。

すみません
ガイドをお願いできるっていうのを見てきたんですけど

はい、大丈夫ですよ

時間は何時からになりますでしょうか

時間とかじゃなく、ガイドさんが空いていればすぐにでも良いんですが
おそらくお昼の食事が終わったと思いますので確認してみますね

一人だけで申し訳ありませんね
夢のマンツーマン。質問し放題。

よろしくお願いします。

昭武は大好きなんです
慶喜ファンで、渋谷栄一ファンですから
必然的に昭武は好きになります。

それでは徳川昭武の事は良くご存じですね

いえいえ、色々教えてください。

いくつか説明があったあとで

今日はお時間は大丈夫ですか

出ました。最高の時間が保証されるフレーズ

ウォーキングで色んなところへ行って
色んなものを見ましたが
自分の中でも歴史に残る良い時間だったなあ、というのは
何を見れたかじゃない。
誰と話せたか

それぞれの場所に、そのテーマが好きで好きで仕方ないって人がいる
実に嬉しそうにしゃべってくれる
こっちも幸せになる
元はガイド本を見るけれど、歩いてみなきゃ絶対に分からない出会い
その出会いを求めてウォーキングしてます。

そんな最高の時間に共通したフレーズ
「今日はお時間は大丈夫ですか」

いっぱい喋りたいんですけど、お付き合いいただけますか
という意思表示
逆に聞く側のこっちとしては
このフレーズを引き出せれば、その日は満点

いつもこう答えています。
「なんぼでも大丈夫です」

さあ、このあと会話スタイルで説明していきますが
その前に戸定邸の主、徳川昭武(あきたけ)って誰かを整理しておきましょう。

徳川昭武(あきたけ)
徳川最後の15代将軍、徳川慶喜(よしのぶ)の弟です。
強烈な個性、第9代水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)の十八男として産まれます。
慶喜もそうですが、長男ではありませんから、水戸藩を継ぐことはない
どこかに養子に出されます。

斉昭は野心家なので、天下をとってやる、くらいのことを考えている。
息子のうち、一番優秀な慶喜を御三卿の一橋家に養子に出した。
御三卿は、次期将軍になるための家。
結果として、思い通り将軍にすることができたのですが
慶喜は、一番仲の良かった弟、昭武を自分の次の将軍にと考えた。

そこで、昭武を御三卿のうちのひとつ、清水家に養子に出すよう画策します。
実はここは、ガイドのおじさんから聞いたんですがね

えっ、そうなんですか
仲が良いって事までは知っていたんですが
清水家に養子に出たのは慶喜が画策したんですね

あと、渋沢栄一との関係も言っておきましょう。

渋沢栄一は農民だったのにあそこまでの大活躍したのには、大きな転機があったんです。
ヨーロッパ各地の歴訪です。
その始まりは、フランス政府に呼ばれたパリ万博
その時の団長が昭武
縁あって、徳川慶喜の家臣となっていた渋沢栄一は、そのメンバーとして抜擢され
各国を回るなかで、日本に本当に必要な事に気づきます。

再度会話に戻りましょう。

このお庭、芝生が敷いてありますね
西洋式の庭園は昭武が外国で見てきたものだと思われます。

日本庭園に芝生って本当に合いますよね。

このお庭
だいぶ形が変わってしまっていたものを復元しました。
昭武や慶喜がこの庭の写真もいっぱい残してくれていて
そのまま再現出来たんです。

ここだけ、木の間隔が広めです。
富士山を見るためです。

えっ、今も見えるんですか
はい、ビルが出来る前はきれいに
今はちょうどあの高層ビルに隠れて半分だけ

今の建物が「表」と言って、お客様をおもてなしするための場所
このあとご案内するのが、家族のための「奥」
通常、日本のお屋敷ではこの区別は厳格で、表に自分や家族の部屋は作っちゃいけないんですが
外国帰りの昭武は、表の中に自分の部屋を作っちゃった

先程のお客様用の大広間同様、ここからが富士山が一番良く見えるから

昭武は語学とかも達者だったんでしょうか

フランス語はペラペラだったようです。
留学期間中、かなりスパルタで教育されたようで
日記も全てフランス語で書いています。

えええっ

(何がすごいって、幕府崩壊という激動の時代に、
京都に上洛し天狗党の乱の制圧
清水家の当主となる
日本を代表して、パリ万博出展の団長となる
帰ってきて水戸藩主となる
全て、子供だったということ
パリ万博の時は、13歳です。
スーパーキッズです

薩長にイギリスがついていたので
幕府としてはフランスの強力なバックアップが必要
パリ万博の成功は、幕府として極めて重要な課題
将軍の弟自らが一行を引き連れてという体裁が必要だった。)

いやあ、私は、パリ万博で体裁として「将軍の弟」が必要なので
子供だけど、お飾りとしての昭武で
実際には、渋沢栄一が取り仕切っていたんだとばかり思っていました。

そういうことじゃなく
小さい頃からその優秀さが広く知られていたようですよ。

奥の方に行きました。
部屋がいっぱい

というところで、長くなりましたので
またまた一旦区切りましょう。
続きはまた明日。

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