彼岸ですから、青山で墓マイラー

青山で、勉強になります
の続きです。

墓マイラー
ウォーキングにはまる前は、ほとんど季節感や年中行事的な事は感じない生活をしていました。

ウォーキングしていると、お彼岸はすぐ分かる
いつもはお寺にほとんど人なんていることないのに
急にお墓参りする人が増える
若い人たちもお墓参りしているから
日本人ってすごいなあ、と思う
私は、お墓参りってしたことありませんので。

今日は雨なのであまり人はいませんでしたが
4連休はどこの寺も大忙しでした。

有名人の墓を巡る人を墓マイラーと呼ぶらしい。
お彼岸ですし
私もこのあと、墓マイラーと行きましょう

長谷寺
曹洞宗の総本山、永平寺の別院です。
さすがです。でかいです。


後でネットを見て大失敗
横の建物を外を見ただけで中を見なかった
こんな巨大な十一面観音があったようです。

墓地も広大
数々の有名人が眠っております。
井上馨、黒田清輝、坂本九、盛田昭夫、阿久悠、榎本健一(エノケン)

頑張ったんですけどね
坂本九はすぐ分かりました

でもそれ以外が、分からない分からない

墓マイラーは随分しましたけど
矢印とか案内板とか付けてくれていると分かるんですが
付けてくれていないと、無茶苦茶大変。
長谷寺は付けてくれていないタイプ

膨大な墓の中から、名字だけを頼りに探すなんて不可能に近い
阿久悠さんなんて、芸名ですからどうしようもありません。

探す手がかりとしては
1.古い人なら、とても古そうな墓を探す。
 江戸時代以前なら、形は長方形でなく、宝篋印塔や五輪塔というタイプの方が多いです。
 大名ならほぼ宝篋印塔
2.明治なら、位が大体入っています。正二位とか従二位とか
3.玉垣で囲われている事も多いです。このお墓は偉い人のだから入っちゃダメですよ、と
4.もちろん大きさも決め手。偉い人は金持ってますから、一般人より大きな墓である事が多い

ただ、あくまで傾向
とても苦労します。

疲れはてたので、一番見たい墓一本に絞ります。
井上馨(かおる)
よろしければ、こっちも読んでね
[明治]井上馨。首相になれなかった男。

でかくて、位が入っている筈

ようやく見つかった

井上馨が見れれば十分、ってことにしよう
さあ帰ろう

そこに、20人ほどの団体さん
私がいつもやっているウォーキングイベントの同業者に違いない。

ある墓の前で一人ずつ拝んでいる

良いところに出くわしたぞ

行ってみると

エノケンでした。

ラッキー

ということは、この団体さんのあとについていけば、色々見つかるかも
こういうのを、牛に引かれて善光寺参り、というのでしょうか

次は?

坂本九のところに行ったぞ
それは知ってるのよ
その次行ってよ

一般受けしない井上馨に行くとは思えません。
とすると阿久悠か

ここで、同じ事をやっている者のプライドというのでしょうか
余計なものが心の中で邪魔をします。

まあ、いっか
頑張って下さい、と心の中で言って、次へ向かいました。
まだまだ人間が出来てませんなあ。

青山霊園
king of 墓マイラー

雑司ヶ谷霊園や谷中霊園
私も墓マイラーとして、大型霊園を行きましたが
東京で最大の墓マイラーの聖地にまだ行っていなかったとは、お恥ずかしい限り

行きましょう 彼岸ですから 墓参り

とは言え、ただでさえ疲れはてている長谷寺の後
なんと青山霊園も、矢印や案内板が無いタイプ
巨大過ぎて、途方に暮れます。

こんな時の強い味方はネット
青山霊園 有名人 墓 場所
で検索

有名人と墓の番地を対応させてくれています。
ただ、何せ大きすぎるため、有名人が多すぎます。
このネットをまとめてくれた人が興味ある人だけ。
当然です。

ということで
GoogleMap に出ている場所とも組み合わせ
あっちゃこっちゃ見ないといけないので、頭の中がぐっちゃぐちゃ
さらに言うと、墓地側に、番地がひとつずつ特定されて書いてくれていない。
ネットには後藤新平 1種イ 第5号 1側 1番乙 って書いてくれているのに
墓地側は、この通りは、1種イ 第5号 1側 までしか書いていない。
その中のどれよーっ

負けるもんか

◆まずは後藤象二郎
土佐藩のナンバーツー
坂本龍馬から、船中八策を預かり
大政奉還案を作った人
要は、大政奉還を成し遂げた人

ネットには出ておらず、GoogleMap のみ
この辺だけどなあ
これか?

結論的に言うと、おそらく間違えた。
墓の間に向こうの列の墓が写っているけど、おそらくそれ
幸先悪し

本当に興味ある人だけに絞るとしよう

◆後藤新平
色んな大臣になった大物政治家ですが
やっぱり一番印象深いのは、関東大震災後の都市計画をやった、東京市長(今でいう東京都知事)

これを探しあてるまでにどれだけかかったか

◆川路利良(かわじとしよし)
警察を作った人

◆斎藤茂吉
さっき歌碑を見ました
ちっちゃ

◆大久保利通
疲れて来ましたので、今日一番の大物に絞りました。
大体の場所は分かったんですが、どこから入っていけば良いのか迷路のようでした。

さすがです。
やはり扱いが違いました。
随分手前から、鳥居があります

唯一大久保利通だけ、案内板がありました。

大久保利通ファンですから、特別な思いがあります

静かに手を合わせました

◆忠犬ハチ公

ハチ公の骨が埋まっている訳ではありません。
忠犬ハチ公の碑
あるのは、飼い主、東京大学の教授、上野英三郎の墓です

◆乃木希典(のぎまれすけ)
ご存じ、陸軍大将
明治天皇が亡くなって、後を追って殉死しました
門が周りにあって閉まっていましたが
鍵はかかっておらず、中に入ることが出来ました。

◆志賀直哉

もっと色々あったはずですが、ご勘弁

梅窓院


そもそも、なぜ青山という地名かというと、青山家の屋敷があったから。
江戸内では、広さで、新宿での内藤家に次ぐ二番目。

青山家代々の墓

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

六義園、和歌の世界。その4

六義園の和歌の世界
六義園、和歌の世界。その2
六義園、和歌の世界。その3
の続きです。

11.藤代峠(ふぢしろたうげ)
藤代の みさかをこえて みわたせば 霞もやらぬ 吹上の浜
僧正行意 続後撰

藤代の坂を上りきったところで見渡せば、霞もかかっていない吹上の浜であることだ。

出ました。藤代峠
六義園で一番のビューポイントです。
池泉庭園にはなくなてはならない、築山
35mあり、江戸の築山の中では、戸山荘に次ぐ2番目の高さ

つつじの季節には見事に彩られます。

そして、頂上からの眺め


すぐに降りてしまうのは勿体ないので、けっこう長くここにおりました。
今の和歌山県にある藤代峠は「藤白峠」と書きます。

藤白神社から登っていく坂です。

藤白神社と言えば、お待たせしました。全国で2番目に多い「鈴木」さん
鈴木さんの発祥の地がここでございます。
ここの鈴木さんが、熊野信仰を全国に広めようと頑張ったので
全国津々浦々に鈴木さんが広まったんです

そして、藤代峠と言えば、有間皇子
とても可哀想な孝徳天皇の息子。
中大兄皇子(後の天智天皇)が独裁政権を敷こうとしているのを察知し
このまま行けば絶対に政争に巻き込まれる、と頭がおかしくなって療養している振り

なのにわざわざ、蘇我赤兄が訪ねて行って

斉明天皇や中大兄皇子がこんなにひどい政治してまっせ

へえ、そうなんだ。
そりゃひどいですな。

蘇我赤兄が戻って中大兄皇子に告げ口
さあ大変

有間皇子は一生懸命言い訳したんですがもうダメだと察し、逃亡
捕まって、とうとう処刑されたのが、藤代峠です。

有間皇子の残した歌がこれ
ふぢしろの みさかをこゆと しろたえ の わがころもでは ぬれにけるかも

先ほどの
藤代の みさかをこえて みわたせば 霞もやらぬ 吹上の浜
は、始まりが同じなので
単純に、藤代峠の見晴らしの良さを歌っただけの歌ではありませんね

もっと言うと、百人一首の第1首、天智天皇の
秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ
藤原定家が天智天皇としてこの歌を選んだのは、意図があるような気がしてきます。

12.紀川(きのかは)
人ならば 親の思ひぞ 朝もよひ 紀の川づらの 妹と背の山
人丸 万葉集

もし人間だったら親の最愛の子であろう。紀の川沿いの妹山と背の山よ

紀川が流れていった先に、最初で紹介した妹背山がある訳です。

13.渡月橋(とげつけう)
和歌の浦 蘆辺の田靏 (たづ)の 鳴く (なく)こゑに 夜 (よ)わたる月の 影ぞさびしき
後堀河天皇 新勅撰和歌集

和歌の浦の蘆辺にいる鶴の鳴く声がして、夜の間に渡ってゆく月の光が寂しく照り続けている。

出ました。本歌取りです。
和歌の世界で定番の手法。
ホピュラーな、みんなが良く知っている歌を真似て
今風に言うとパクって、新しい味わいを追加する。

和歌の浦、蘆辺、鶴、月
そうです。一番最初にご紹介した、「1.和歌の浦」
若の浦に 潮満ち来れば 潟(かた)を無み 葦辺(あしへ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る
山部赤人です。

さらに言うと「2.出汐湊」
和歌の浦に 月の出汐の さすままに 夜鳴く鶴の 声ぞかなしき
慈円です。

すごいですね
敢えて本歌二つを最初に紹介して、最後に本歌クイズへと持っていく。
和歌のテーマパークの練られた趣向です。

京都の渡月橋は有名ですが、和歌山に渡月橋があるわけではありません。
六義園で渡月橋と命名したのは、上記の歌からの発想です。

水面に移った月影が、橋をまたいでこちらがわにやって来る。
ちょうどそう見えるのは、一年のうち、少しの間だけらしいです。

そして、渡ってきた月が、手前の丸くなった湾に宿るのが次の歌

14.宿月湾(つきやどるわだ)
玉津島 やどれる月の 影ながら よせくる波の 秋の汐かぜ
源親長朝臣 新千載和歌集

玉津島の湾に、月が宿っているのだけれど
秋の汐風が吹いて、乱れてしまうよ

玉津島神社で行われた、歌合せで詠われた歌になります。

新玉松跡
園内で、柳澤吉保が一番頻繁に訪れたのがこの場所

今は、棒が立っているだけですが
当時は、松が植わっていた

棒は鳥居の名残

和歌の神様、衣通姫を祀っている、玉津島神社です。

今は、大きな鳥居が印象的ですが
昔は、松が七本植わっていたと伝えられています。
それを再現した。

そして、柳澤吉保は六義園に滞在中、毎日毎日ここに通って、手を合わせた。
とても大切な場所。

六義園の庭園でまさか4回に渡ろうとは。
お付き合いありがとうございました。

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

青山で、勉強になります

週末です。
4連休のあとなので、またさっと来てくれましたね、って感じ

青山
山の手線内で、グーグルマップへのプロットを見ると、あまり行っていないのが青山地区
行ってみましょう。

善光寺
牛に引かれて善光寺参り、で有名な信州の善光寺の別院
この近くは野菜を背に積んだ馬の往来が多かったので
「青山は 馬に引かれる 善光寺」
と川柳に歌われた。

中には、高野長英の碑もあります。

人力車を発明した和泉要助さんの人力車発明記念碑があるはず
探しても探しても見つからない。
掃除をしているお兄さんに聞いたら、寺務所に聞いてくれとの事
事務所で聞くと
今、入れないんですよね。中庭の中なんです。

覗いてみると、とってもきれいな中庭

この中にあるのね。残念
ネットで検索すると、こういうものらしい

明治初期の経済は、人力車が支えましたからね。
えらいっ

ところで、「牛に引かれて善光寺参り」って聞く言葉ではありますが
善光寺が話題になったときに、必ずついてくるフレーズながら、それ以外に、聞いたことも使った事もない
一体どういう意味なんだろう
調べて見ました。

信濃の国にいる、欲深く信心のない老婆
洗濯物を干していると、牛が角に引っ掛けて持っていっちゃった
こらーっ、牛ーっ

追いかける老婆
逃げる牛
なかなか追い付きません。

気がつくと、善光寺まで来ちゃっていました。

ふと地面を見ると、牛のよだれがポタポタ
字のように見えました。

何々?

「うしとのみ、おもひはなちそ、この道に、なれをみちびく、おのが心を」
(牛だとだけ思って、間違えちゃダメですよ。仏の道に、あなたを導こうとする、私の心を分かって下さいね)

これはっ!

そのまま、善光寺で仏の道に励みました。

その後、訪れた観音堂
観音様の前に自分の洗濯物が。

あの牛は、観音様、あなただったのですね

この逸話から出た、ことわざ

おっと、そもそもこのフレーズがことわざだとは知りませんでした。
ことわざって事は、日常会話で使わねば。

思わぬ他人の誘いで、物事が良い方に向かった時に使いましょう、とある

誘われたけど気乗りしないなあ
でも、牛に引かれて善光寺参りとも言うし、行ってみるか
って感じで使うみたいです。

もし、相手にポカンという顔をされたら
信濃の国に老婆がいましてね
から説明しないといけないというデメリットはありますが。

高野長英終焉の地
つい前に高野長英 大観堂學塾跡に行きました。
高野長英は夢物語という本を出版して幕府批判をしたため捕まります。

江戸時代には、死刑の次に禁固刑はなく、次は遠島とかなので、刑務所ってありません。
今でいう留置所はあって、刑が確定する前の人が入れられている。
小伝馬町にありました。

江戸では頻繁に大火があります。
逃げないと焼け死にますので、未決囚達はどうなるかというと、逃がしてもらえます
条件があります。
火事がおさまったら、自ら帰ってきなさい。
帰ってきたら、ひとつずつ刑のランクを軽減してあげます。
帰ってこなければ、即死刑です。

ほぼ全員自ら戻るというのがすごいなと思いますが
例外が高野長英
そもそも、それを見越して、外部の誰かに何らかの方法で連絡し、放火させたのでは、と言われています。

戻らずに、逃亡生活。

私には、世の中のためにやるべきことがある

江戸やら越後やらで色んな人にかくまってもらいながら、
嗅ぎ付けられそうになるとまた逃亡の繰り返し。
その間にも膨大な量の本を執筆しているからすごいんですが。
そして最後、この場所でかくまってもらっていたんですが
とうとう見つかっちゃって、自決します。
さっきの善光寺に高野長英の碑があったのは、終焉の地に近いからです。

青山
青山ってすごい町ですね
ずううっと、お洒落でかっこいい
歩いているのは若い女性ばっかりで
みんな、
こりゃ素晴らしい。ありがとうございます。おじさん嬉しゅうございます。
って格好をしている。

ビルの前にでっかい玉

このビルも全面こんな感じ

カバンとか置いてあるけど何屋さんなんだろう
プ ラ ダ
なんか聞いたことある

世の中って広いですね。色んな人種がいて勉強になります。
巣鴨でこんなのあったら
二度とばあちゃんたちは、足を運んでくれなくなります。

中村草田男の句碑
港区立青南小学校の敷地内です。
今、小学校って防犯上の理由から、関係者以外は入れなくなっています。
おそらく無理なんだろうなあ。
一応行ってみるか

やっぱり外から覗いても良く分からない。
うろうろして、
あきらめて帰ろうか

あっ、入口のところに守衛さん
こんにちはーっ

あのう。中村草・・

はい、どうぞ

えっ、入って良いんですか?

どうぞ。あそこに見えているのが、句碑です

降る雪や 明治は遠く なりにけり

昭和6年(1931年)大学生だった草田男が
大雪の日にかつて学んだ母校の青南小学校を訪問した
降りしきる雪の中に居ると、時と場所の意識がすっ飛んだ
今はいつ?ここはどこ?
という句

草田男もおそらく、守衛さんに開けてもらったんでしょうね。
草田男ともども、お礼を申し上げます。

ありがとうございます。

斎藤茂吉歌碑

元、青山脳病院の場所
斎藤茂吉の養父が青山脳病院を作り、斎藤茂吉も跡を継いで院長をしつつ文学活動

あかあかと一本の道通りたり霊剋(たまきわ)るわが命なりけり

お父さんが病院経営で苦労している姿を描いたのが
次男、北杜夫の「楡家の人びと」

後で、斎藤茂吉の墓も行きますよ

根津美術館
根津嘉一郎は東武鉄道や富国生命の創始者
美術コレクターとしても有名です。





うわあ、高そう

すみません。おいくらでしょうか

1100円です。

あっ
すみません。また今度にします。

続きは明日ね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

番町を巡って四谷へ

番町を巡る
の続きです。

番町は江戸時代は旗本の住む町で、明治になると貴族や高級官僚
皇居にすぐ近くの閑静な住宅街です。
車に詳しくない私でも、通る車が高級車ばっかりだって良く分かります

番町地域ってその中の町名がとても分かりやすいのね
順番に、一番町二番町三番町。おそらく六番町まで。

番町文人通り
特にすごいのが番町文人通り
滝廉太郎の住居跡は言いましたが
その角から始まって、著名な芸術家達がいるわいるわ
◆与謝野鉄幹・晶子旧居跡

千代田区って案内板がとてもお洒落なのよね
23区それぞれ特色があって、面白いです。

◆有島武郎、生馬、里見弴旧居跡

◆泉鏡花旧居跡・終焉の地

ちょっと、番町小学校を挟みまして

何のために、番町小学校を挟んだかと言いますと
小学校の初めて物語だから
明治になって最初にできた小学校が6つくらいあるんですが、そのうちの第二校です。

戻りまして文人通り
おっと、こんな風にまとめてくれていました。

すごいわあ

心法寺
最初は外堀内にもいっぱいお寺があったのですが、度重なる江戸の大火で
累焼防止のため、寺院はどんどん外側に移転させられて行きます。
唯一移転させられなかったのが、この心法寺なのです

何故なら、家康自らが金を出して作った寺だからです。
元々三河にあった寺を持ってきた。

そりゃ、移転なんてさせられません。

下野(しもつけ)皆川藩松平家代々の墓

塩地蔵

光る光るすべては光る

番町エリアから四谷エリアに移って参ります。

四谷見附跡


三十六見附のうちのひとつ
外堀に作られた門で、昔はここまで全部が江戸城
こんなふうになっていました

この写真の左の角が、この残っている石垣になります。
図式化すると、こういう枡型(ますがた)門

切り込み接ぎの良い石垣だなあ

たい焼きわかば
東京三大たい焼き。人形町の「柳屋」、麻布十番の「浪花家総本店」、四谷の「わかば」

ここがあるため、お昼は吉野家の牛丼を並にしておきました。

本来、あんこは苦手なんですが、三大たい焼きとなると食べない訳には行きますまい。
たい焼きひとつと、ラムネを下さい


ラムネはちゃんとガラスビンにビー玉でした。
尻尾まであんこパンパン
きっつぅ

西念寺

ここ、来たかったんですよね

服部半蔵の墓があります。

でも、それが来たかった理由ではない。

徳川家康の正妻は築山殿
人質時代の奥さん
ちょっと変な人
正直、家康も悪いんだけど、どんどん変な方向に行って
とうとう、長年の敵、武田家に近付き、家康に対して謀反を起こそうとする

でもそれが、こともあろうに、盟友関係にあった織田信長の耳に入る

織田信長から、徳川家康に命令が下る。

築山殿と息子の信康を殺せ

築山殿はまあ自分が仕掛けた事だから仕方ないとして
信康は完全にとばっちり

自分の子供を殺せる親がどこにいようか
でも、信長には逆らえなかった。

深く信頼する服部半蔵に命が下った。

私がですか

そんなことが出来よう筈がない
家康のつらい気持ちも良く分かる

刀を振り下ろせなかった。
初めて、家康の命に背いた。

生涯その事を思いながらの人生。

寺を建て、信康の供養塔を建てた

私にできることは、これぐらいだから

愛染院

とてもきれいなお寺

ここに、あの塙保己一(はなわほきいち)の墓があります。
ちょっと前の、和学講談所で、本の百科事典を作った話はしましたね
塙保己一のお陰で、昔の本を我々が読むことができる。

本にとてもお世話になったから、恩返し
分かります。
でも
本人は本が読めないんですよ
7歳の時から盲目ですから

お岩稲荷
東海道四谷怪談
ヒュードロドロ

鶴屋南北の歌舞伎、大ヒット作です。

実はその前から、お岩さんは、超人気もの
田宮家は、働き者のお岩さんのお陰で復興

お岩さんが深く信仰していた稲荷は、いつしかお岩稲荷と呼ばれるようになり
お参りに来る人が絶えなかった

鶴屋南北は、そんな人気者の名前だけをちょうだいし
全然関係無い怪談話として発表した。
大ヒットしたので、お岩さんと言えば幽霊のイメージですが
お岩稲荷はその前からの人気の神社



お参りのところに、
鰐口を静かに叩き、手はパンパン打たずに静かに手を合わせてください、とある
面白いこと書くなあ
すごくお洒落な寺務所

次に向かおうとして
えっ


また、お岩稲荷

どういうこと?
本家と元祖の争いだったりするのかなあ。

調べてみて分かりました。
元々のお岩稲荷は、両方を含むもっと広い敷地だった。

最初の方は、お寺だったのね。陽運寺
だから、鰐口でパンパンダメで、寺務所だったのね
豊川稲荷だってお寺なので、お稲荷さんが寺でも悪くはない。

あとの方は、田宮稲荷神社という、神社

元々神仏習合で一緒だったのに
明治の廃仏毀釈で分けさせられたのかも知れない

荒木公園

元々、広大な美濃国高須藩上屋敷です

幕末期に藩主、松平義建(よしたつ)の息子として生まれた4兄弟
色んなところに養子に行きます。

尾張徳川家14代当主慶勝(よしかつ)
一橋徳川家10代当主茂栄(もちはる)
会津松平家9代当主容保(かたもり)
桑名松平久松家4代当主定敬(さだあき)

おおおお
超有名人だらけ
この4人がここで、ボール遊びとかをしたんだろうなあ

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)