大手町から

(2/1[日]の事です)

この前、中央区ものしり百科という本を入手
掘割の本がも含めて、ドーンとGoogleMapへの「行ってみたいマーク」が増えました
前回、その中のいくつかを巡って消していったのですが、まだまだいっぱい残っています
さあ、行きましょう

朝、孫が産まれたとの朗報が届いたので意気揚々
大手町から
まずは江戸城に近い方から行きましょう
道三堀です
家康が最初に作ったのが道三堀(どうさんぼり)
その中にかかっていた道三橋跡です

大江戸今昔物語という古地図と現代の地図を重ねられるアプリで見ると、この青い丸のところです

呉服橋
道三堀が日本橋川に合流してすぐのところにかかっているのが呉服橋

一石橋
その隣が一石橋
大正時代に作り変えられた時の親柱が残されています


ここで面白いのが迷子知らせ石標が残されていること

江戸時代、一石橋のように人通りの多いところに立てられたもの
子供がいなくなっちゃった親が「たづぬる方」の方に紙を貼る

子供を見つけた人は、「しらする方」の方に紙を貼る

常盤(ときわ)橋
さらにその北側すぐの常磐橋を渡ります


日銀の横を通って進もうと思ったら、日本橋川の側に何やら橋らしきものが。
引き返して、日本橋川沿いの方を歩こう
えっ、何これ、橋を復刻したの?何橋?

結論から言うと常磐橋
昔はこの場所に掛かっていて、作り変える時に多少移動したんだと思う
橋を渡った向こう側の石垣や枡形門の跡がちゃんと残されていた
いやあ、知らなかった
だからウォーキングはやめられない



古地図アプリでいうとここ

その横に、渋沢栄一の銅像
実に立派

常磐小学校
常磐小学校になぜ来たかというと、これから行く西堀留川に関連しているから。
西堀留川と東堀留川も家康が最初に作った掘割なんだけど
最終的に西堀留川が埋め立てられた時に埋め立てられた土地の所有権を持ったのが常磐小学校
常磐小学校は土地の賃料収入で学校を運営した

中央区まちかど展示館のひとつくすりミュージアムに行ったのですが、残念。完全予約制でした
さらに、同じくまちかど展示館の小津和紙も日曜日お休み
小津和紙はウォーキングイベントではおなじみの場所
手漉き和紙体験とかもできますのでね

小津和紙はさらに掘割としても意味のある場所
先程お話した西堀留川の場所にその前からあったんですが
掘割を作るにおいてここの場所に移転してきた

お竹如来

お竹さんは普通の奉公人だったんですが
実に働き者で、かつ、こぼれた米を拾ったり、本来捨てる野菜を取っておくような倹約家
物乞いの人たちにもその食べ物をあげたりするので、物乞いの人たちにも大人気
その人たちにも手伝ってもらいながら、人の何倍もの仕事をこなせるようになっていきます
そんなある日、お坊さんがやってきて、お竹さんは大日如来の化身ですぞ
店の主人はびっくり仰天
それから、店の主人はお竹さんのために持仏堂(日常的に礼拝する持仏や先祖の位牌を安置する堂や部屋)を用意するのです。
それからというもの、お竹さんは念仏を唱える日々。そんな彼女を拝もうと佐久間家には多くの人が訪れ、列をなしたそうです。

それだけでは終わりませんでした
時が過ぎて、5大将軍綱吉の頃
綱吉の母、桂昌院がお竹さんの話をたいそう気に入り
芝増上寺内の心光院にお竹大日如来像と
お竹が使用した流し板を寄進、奉納します。
再度、お竹さんが大ブームになったのです

ウォーキングはまだまだ続きます
続きは明日ね

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芭蕉ゆかりの地を巡る

芭蕉記念館に行ってきました
の続きです

記念館を出て、隅田川の方へ
おくの細道の句がパネルになっているところがあるのですが
かなり経っているんでしょう
文字の判別が厳しい

芭蕉庵史跡展望庭園
おっと今日はこっち向いている
時間によってこっち向いたり横向いたりするのよね
この像は、杉山杉風(さんぷう)の書いた芭蕉像を元にしています

この場所、みつまたと呼ばれて小名木川(おなぎがわ)と隅田川が合流する地点で、昔から風光明媚な場所として、歌川広重も名所江戸百景に描いている

第何回目かの芭蕉庵の場所

芭蕉稲荷
さっきの芭蕉庵史跡展望庭園辺りからこの芭蕉稲荷辺りまでが芭蕉庵
ここの下から例の蛙の石像が出土
最初はここに記念館を作ろうとしたけどあまりに手狭だったので芭蕉記念館の場所になった

平賀源内旧居跡

audibleで平賀源内の本を聞いた
すごいっ
平賀源内ってエレキテルと土用の丑の日を広めた、ぐらいしか知らなかったけど、ものすごい人ですね
今度じっくり書こうと思います

本邦セメント発祥の地
浅野セメントの地

浅野総一郎は国産セメント工場の創業者の一人で、渋沢栄一から民間への払い下げを受け社長となる

新井白石住居跡
吉宗派に追いたてられてここへ。折りたく柴の記はここで書いた
でも不思議
ここで合っていると思うのですが、案内板がどこにもない
新井白石ほどの大物になぜ案内板がないんだろう

亀堀公園

この土地周辺は、江戸初期の寛永18年(1641)に江戸市街で起こった火災に伴い、
日本橋本材木町・神田佐久間町付近から移転されてきた「深川で最初の材木置き場」でした。
江戸の大火の一因が、高積みされた材木だったことから、幕府は材木置き場を市街地の外に集めることとし、江戸市中に近く、水運の便がよい等の理由から深川が移転先に選ばれました。
新たな材木置き場では、貯木と搬送のために基盤の目状に掘が作られ、火災でも材木が燃えないよう掘に沈めて貯木していました。
その後、材木置き場は、元禄14年(1711)に現在の木場公園のある場所に移転し、
跡地は「蔵の町・深川」を担う流通の拠点として生まれ変わり、佐賀町周辺を流れる仙台掘・油掘を南北につなぐよう運河のネットワーク化が図られました

仙台堀
江戸時代、この堀の北岸、現在の清澄公園の西隣に
仙台藩の深川蔵屋敷があり、
この堀を利用して仙台から送られた米等を運び入れたことから「仙台堀(せんだいぼり)」と呼ばれました
ちなみに、JR御茶ノ水駅周辺の神田川も、その開削工事を仙台藩が請け負ったことから、かつて「仙台堀」と呼ばれていました。
ここは何が良いかって、おくの細道の句が立てられている
おっ、新しくなって漫画付き
前は単に句が書かれていただけだったんですけどね
全部詳しく解説できますよ
その内、有名なのだけ写真載せましょう





採荼庵跡(さいとあん)


ここはおくの細道に旅立った場所
おくの細道に旅立つということで、住んでいた芭蕉庵を売り払った
現実に出発するまでの間、門人にしてパトロンであった杉山杉風(さんぷう)宅に居候
ここから、船で隅田川に出て、千住まで行き、そこから実質出発

売った芭蕉庵の方には、句を立てかけておく
草の戸も 住み替る代ぞ 雛の家

訪ねて見ると、既に家族が住んでおり、女の子の声が聞こえる
ああ、ここで3月になるとお雛様とかが飾られるんだろうなあ

この句は連歌の発句でもある
連歌は最初五七五を詠む
すると別の人が、続く七七を作る
するとまた別の人が、その七七につながる前の句の五七五を詠むというふうにどんどん繋げていく遊び

芭蕉は連歌の先生なので
この句が元の芭蕉庵だった家に掲げられていたら
芭蕉を訪ねてきた人が
ああ、芭蕉はここにはもういなくて旅立ったんだなと分かる
そして、続く七七を作って横に掲げてくれるだろう

臨川寺
芭蕉の禅の先生が仏頂和尚
その仏頂和尚がいたのが臨川寺なので、ここにも頻繁に通ったらしい

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芭蕉記念館に行ってきました

(1/25[日]の事です)

今、おくの細道にハマっています
Audibleというアプリの存在を知りました。
とってもすぐれもので、なんと、Audibleに登録されている本なら、朗読してくれる
通勤途中とか、本を読むのが難しい時間にもってこい

Audibleは年間契約して読んでもらい放題なので、すでにかなり多くの本を読んでもらいました
その中に、ちょっと砕けた感じの解説付きで読み上げてくれる奥の細道

びっくり
奥の細道ってこんなに面白かったんですね
東北や北陸を旅しながら、俳句が50句収められている
私は俳句より短歌の方が性に合うという概念が強すぎて
俳句の世界にはあまり近づかないでいた

読んでみるもんです
奥の細道って俳句だけが書いてあるわけじゃなく
歌枕と言われる古くからの短歌の聖地を尋ねる旅であり
旅行ガイドでもあり
歴史の探究確認の旅でもあるんですね
私が好きな要素満載ですやん

ってことで、奥の細道で2冊本を通読し
さらに3冊購入
その内2冊は古文書で、現代語訳つきのもの

よしっ
芭蕉記念館に行こう
以前2回ほど行っているけど
奥の細道にハマっていた今とは違うので、サササっと見ただけだった

芭蕉記念館

2階に、俳句の色んな人の展示
芭蕉の旅行した道

一番最後に行ったおくの細道がいちばん長い

奥の細道は、元々そういう名前の道が東北にある
奥州だから奥の細道で、短い区間の道なんだけど
芭蕉は、長旅の奥州道の紀行文の名前として拝借

江東区の記念館の場所は、芭蕉が14年間住んだ芭蕉庵の近く
深川には14年間住んだけど、2回引っ越していて
それぞれが完全に特定されていない
この辺りであることは間違いない

古池や蛙飛び込む水の音
は芭蕉庵で行われた句会で作られた

芭蕉が大事にしていた石の蛙がこの辺りから出土された

装束

芭蕉自身が書いたおくの細道

まだまだ続きます
続きは明日

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中央区巡りの続き

中央区巡り
の続きです

堀部安兵衛武庸之碑
赤穂浪士の堀部安兵衛の住んでいたところ
仇討ちの助太刀は有名
この有名人を養子に欲しいと赤穂浪士の堀部弥兵衛が申し込んだ
詳しい話はこちらを読んでね
[赤穂浪士]10 堀部安兵衛。やっぱりこの人で決まり!

戦災遭難死者慰霊碑・大震火災遭難者追悼碑
関東大震災と東京大空襲の犠牲者を追悼する石碑

日本橋日枝神社
赤坂の日枝神社は、神田明神ととともに、天下祭を行える江戸の代表的な神社
その山王祭は江戸三大祭にして日本三大祭でもある
神田祭とともにって事

その山王祭の御旅所がここだった
御旅所というのは、山王祭の神輿が途中で必ず立ち寄り神様が休憩したり宿泊したりする場所
現在は、摂社日枝神社として、日枝神社の分身のような役割です


ビルに囲まれてとても分かりにくいんですが
来るわ来るわ、ひっきりなしに参拝者が絶えませんでした
上を向いた撫でれば運気が上がるという狛犬です

兜町・茅場町まちかど展示館
まちかど展示館の第二弾
坂本公園内に、山王祭の神輿が展示されています




町火消の47組のうち、この地域は百組。
出初式の様子が写真で残っています


この展示館がある坂本町公園
近代公園発祥の地でもあります
明治22年に、都市の中にも小規模な公園が必要として作られた
くしくも、その後の関東大震災や東京大空襲において、避難地等として重要な役割を担うことになります

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