[三十六歌仙]2 山部赤人。ゆったりと

三十六歌仙シリーズ
歌は、須賀神社の三十六歌仙絵図から

山部赤人に入っていく前に
前回、三十六歌仙シリーズ初回の柿本人麻呂の時に
コメントいただいたことについて

三十六歌仙絵図の中の歌が、左から読むようになっていたので
ひょっとして歌合わせの対戦方式になっているのかしら、というコメント

えっ、と思って確認するとビンゴ

対戦方式ですね。
左チームのリーダーが柿本人麻呂で、右チームのリーダーが紀貫之
右チームの歌は右から読むように書かれています。

面白いのは、二つ、真ん中から書かれている歌がある

山部赤人

わかの浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴(たづ)なきわたる

和歌の浦に潮が満ちて来ると 干潟が無くなって
それまでそこでえさをついばんでいた鶴たちが
葦の繁るほとりを目ざして鳴き渡って行くよ。

出ましたっ。六義園で情景が再現されている歌

六義園の和歌の世界

724年聖武天皇が初めて玉津島(和歌浦)に行幸された時に随行した、山部赤人が詠んだ長歌一首、短歌二首からなる、玉津島賛歌の一首です。

この時代紀ノ川の河口は、大きく和歌浦湾に注いでいて、
現在の何倍ものスケールの干潟が広がっていました。

そして潮が満ちると六つの玉のような小島が連なって海に浮かぶ、それが玉津島です。
今それらの島は、妹背山、奠供山、鏡山雲蓋山、妙見山、船頭山と呼ばれ、
妹背山だけを海上に残して陸地となっています。

この“若の浦”は平安時代になると“和歌の浦”と呼ばれるようになり、
和歌の歌枕の代表的な地として都人たちのロマンを掻き立ててきました。

柿本人麻呂とともに歌聖と呼ばれ称えられています。
ゆったりとした叙景歌を得意としています。

春の野に すみれ摘みにと 来しわれそ 野をなつかしみ一夜寝にける

(春の野にすみれを摘もうとして来た私は、野があまりにも懐かしいのでここで一晩寝てしまったよ)

百人一首ではこちらの歌
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

もろもろとアートとおりがみ

千秋文庫で古地図を見た
しょうけい館の衝撃
の続きです。

雉子橋(きじばし)

江戸時代に、朝鮮や中国の使節をおもてなしするとき
雉子の料理を出したところ、とても喜ばれた。
以降、雉子料理は定番となり
このあたりで雉子を飼育していた。

新島襄生誕の地

以前来た、東京大学発祥の地のすぐ横。気づかなかったなあ
同志社大学を設立して、大河ドラマ八重の桜の旦那さん

新島襄って密航してアメリカに渡ったんですね。知らなかった
魅力的な人物なので、今度じっくり調べる事にいたしましょう。

護持院が原跡地の碑

徳川5代将軍綱吉(つなよし)の帰依(きえ)を受けた隆光(りゅうこう)のお寺が護持院
広大な敷地だったんだけど、綱吉がなくなってからは勢いを失い、護国寺に吸収合併
そのまま火除地として原っぱのまま残ったので、護持院が原と呼ばれていた。

その隣の神田税務署の辺りには、大正時代に錦輝館という集会所があり
大正デモクラシー発祥の地と呼ばれている。

太田姫神社

太田道灌が娘が病気になった時、お祈りしたら完治。良かった良かった。
と思って行ったんだけど、縁起を読むと
なんと!元々はあの小野篁(おののたかむら)が最初に作ったんだと
わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕(こ)ぎ出でぬと 人には告げよ 海人(あま)の釣り舟
生きながらにして地獄と現世を行ったり来たりして、閻魔様のお手伝いをしていたすごいひと

太田道灌はその神社にお参りして、娘の病気が治ったからといって、神社の名前まで変えちゃうというのはいかがなものでございましょう。
まあ、小野篁が良いと言えば私なんぞがとやかく言うことはありませんが。

大久保彦左衛門屋敷跡

一心太助の親分ですね。
旗本以下の輿が禁止された際に「大だらい」に乗って登城したという変わり者
三河の時代から家康に仕え、唯一家康にズケズケものを言える人

明治大学博物館
江戸時代に拷問した道具とかが展示してあったはず
行ってみましょう。

学生じゃなくても入れるんでしょうか

はい。でも土曜日は12:30までなんですよ。

時間を見たら、12:29
逆に笑えるほどぴったし

男坂

太田南畝(蜀山人)終焉の地
太田南畝大好き
ほととぎす 鳴きつる方に あきれたる 後徳大寺の 有明の顔
と思って行くと、その横に岩崎弥之助(三菱の二代目当主)の旧居跡まで解説がありました。
おおっ。一粒で二度美味しい。

講武所稲荷

幕末にペリー来航で、幕府は大慌て。
幕府に勤める武士たちに、ちゃんと武道を習わさねば。
と、作ったのが講武所

ところが、その講武所を運営する金すらない。
なんとか捻出しようと、幕府の直轄領の場所に町屋を作り、
貸出して、賃料収入を得ることにした。
ここにあったのは、講武所ではなく、費用を賄うための町屋

3331 Arts Chiyoda

アートだっ

廃校になった練成中学校をそのまま利用し、若手アーチストの発表の場
ちょっと前に似たような感じの場所が楽しかった


これ楽しい

学校そのもの

これも好きだわ

面白かったのは、二階の一角が体育館になっているんだけど
なぜかそこだけはそのまま体育館として市民が利用している

アートの中のスポーツ

2回は展示スペースで、3回はクリエイティブスペース
アトリエだったり、美術関連の会社の事務所だったり。

おりがみ会館

一言でおりがみと言っても色んなテイストがあるんだなあ






2階は動物園



霊雲寺
綱吉の命で作らせたお寺
でかっ

上から眺めると、こんな感じ

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

しょうけい館の衝撃

千秋文庫で古地図を見た
の続きです。

しょうけい館
戦傷病者資料館

企画展は水木しげるの人生
水木の書いた漫画で、戦地の様子や、帰国後の事が書かれていた


えっ、そうなの?
急いで本人が語っている映像の方を見に行った。

左腕がない

戦地ラバウルで爆破された。
一命はとりとめたが、腕の痛みにずっと悩まされる。

その後ジャングルをさまよい歩くことがあり
現地の何とか族の人たちに助けてもらう。
よそ者なのに親切に受け入れてくれる
楽しそうな生活
ここで暮らしたい、と定住を希望する
でも、軍には認められず、帰軍命令
絶対に戻ってくるからと約束して離れる

知らなかったなあ
ゲゲゲのきたろうは右腕だけで書いたのか

模型
生々しい展示物
残念ながら写真NGだった

特に戦地を再現した等身大の模型
あまりに衝撃的
ネットで検索しました


玉を取り出す手術の様子
手術といっても麻酔がある訳ではない

手をかざすとその時の様子が音声で流れるんだけど
どうにもこうにも聞いてられなくなった。

なんでこんなことが。
たまたま、この時期に日本に生まれてしまった。
ただ、それだけの事だ

今の上皇様、ここを訪れたらしい。

たいしたもんだなと思う。
ちゃんと向き合いますよね
ずっと続けておられた。

秋篠宮家は私的に来られたらしい

えそって分かる?腐ってきちゃうんだよって説明されたらしい。
悠仁殿下はおそらく天皇になられる訳だから
とても意味のある事ですね

まだまだウォーキングは続きます。
続きは明日ね

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千秋文庫で古地図を見た

次女からライン
リンク先を開いて見ると千秋文庫の古地図展の案内

千秋文庫?知らんなあ
場所を確認するとちょっと前に行った千代田区の、靖国神社の近く
あらま、つい近くまでは何度か行っているのに知らなかった

企画展だから、期限をちゃんと見てから行くんだよ

はーい、分かりました。

ってことで行って参りました。

千秋文庫
千秋文庫って秋田藩の藩主佐竹氏の代々の所蔵品を管理し
少しずつ公開するというもの

佐竹氏は、元々新羅三郎義光に始まるというから
あの八幡太郎義家の弟
名門中の名門
関が原で日和見的態度だったので、家康に石高を押さえられちゃったけど
それでも20万石はあるので、大大名

その藩主のコレクションだという事なので、興味津々

お願いしまーす。
写真は撮っても大丈夫ですか?

申し訳ないのですが、写真はお断りしています。

見始めて
うわあ、なんでなんで?
なんでこんなものが手に入ったの?ってものばかり
展示品目録は以下の通り

写真NGはとてもつらい
ああつらい

ネットで何とか近いものがないか調べて
目録1番の、「重訂 萬国絵図」と2「大日本国大絵図」と7「マテオリッチ萬国輿地図」を見つけました。

重訂 萬国絵図(山路諧孝(やまじゆきたか))



山路諧孝は、天文方。文政12年(1829年)に高橋景保のシーボルト事件による失脚に伴って
蕃書和解御用を引き継ぎ、蕃書調所が天文方から独立するまで務めたすごい人

前期の展示目録を見ると、高橋景保の「新訂 萬国絵図」があるじゃないですか
こちらもネットで調べるとこんな感じ

大日本国大絵図(石川流宣)

地図って、正確性を求める地図と、正確性は度外視して観光等の目的を分かりやすく見ていて楽しく表そうとする地図の2パターンある
後者のひとつがこれ

後者は、庶民に受ける
庶民は正確性って必要ないし、そもそも正確な地図を見たことがないから、何が正確かを知らない

なぜ、正確な地図を見たことがないかには理由がある
正確な地図は、幕府だけが内緒で作って、秘密にしているから。
伊能忠敬は幕府の命令で正確な地図を作成したけど
せっかくのあれだけ素晴らしい地図を幕府のごく一部の人以外見ていない。

正確な地図って一番は軍事目的だからです。
幕府が他の藩から攻められても、情報の格差があれば守れるし勝てるのです。

さっきの正確な世界地図も、幕府のお役所「天文方」で作られたものです。
もっと言うと、第二の伊能忠敬が幕府以外に所属して、正確な地図を作ったら逮捕されます。

シーボルトが日本地図を持ち出そうとして捕まり、日本を追放になったのも
そういう理由からです。

話を戻して庶民向けのこの地図
面白いなあと思ったのが、北の方に架空の国が書かれている
「唐韓」だったかなあ。
女性だけしかいない国で忘れちゃったけど何かが出来ちゃう夢の国
嘘書いて良いの?と思うけど
おそらくそんな国ないだろうと分かるレベルの嘘ならば
ほらとして楽しめる地図になるのでしょう。

マテオリッチ萬国輿地図

マテオリッチは数枚作っているようで、これはネットに上がっていたもので
私が見たのはもっとカラフルでした。

さっきのと同じように、架空の大陸が南半球に書かれています。

マテオリッチはイタリアの宣教師なんですが
中国にキリスト教を広めるため、中国に移住します。
この地図は、地名等が中国語の漢字で書かれています。

地図以外でも興味深いのが色々ありました。
ゴロウニン一行の絵
ああ、ロシアの人ってこんな感じだよな、と
特徴をよく捉えた絵でした。
やゆする感じじゃなく、かなり好意的な絵
ゴロウニン事件については、高田屋嘉兵衛は日本を救った男も読んでね

明治になって、秋田藩が版籍奉還したときの新政府に提出した宣言書もあった。

岩倉具視の書いた文書もありました。
読みやすい綺麗な字でした。

ウォーキングはまだまだ続きます。
続きは明日ね。