[ことば日本史] 風呂敷

「ことば日本史」室町時代から

風呂敷

包む布については、単純な布に過ぎないので、形そのものはずっと変わっておらず
名前が、いつ「風呂敷」になったかという歴史になる

平安時代後期の『倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』(935年頃成立)には
古路毛都々美(ころもづつみ)と呼んでいた。
南北朝時代の『満佐須計装束抄(まさすけそうぞくしょう)』、康永2年(1343年)には「ひらつつみにて物をつつむ事。」と記載され、「平包」と呼んでいます

お風呂に関しては、鎌倉時代から寺院に現れ始め、室町時代に少しずつ増えていく
その頃は蒸し風呂です

将軍・足利義満が室町の館に大湯殿(おおゆどの)を建てた折、
もてなしを行うに際し近習の大名を一緒に風呂に入れたところ、
大名達は脱いだ衣服を家紋入りの絹布に包み、
他の人の衣服とまぎれないようにし、
風呂から揚がってからはこの絹布の上で身繕いをした、という記録が残っています。

また『実隆公記(さねたかこうき)』では将軍足利義政室、
日野富子(1440~96年)が毎年末、北大路の屋敷で両親追福の風呂を催し、
湯殿をもたぬ下級公家や縁者を朝から招いて入浴させ、
お斎として食事を供したと記述しています。

ここでいう風呂とは社交儀礼の場であり
一種の遊楽をともなった宴を催すことを「風呂」といい、
入浴にはいろいろな趣向がこらされ、浴後には茶の湯や酒宴が催されました。

当時の蒸風呂では蒸気を拡散し室内の温度を平均化するため、
床には、むしろ、すの子、布などを敷きました。

風呂に関わる布としては
風呂自体に敷く布と、
他の人の衣服とまぎれないように包むための布があったことになります

おそらく、「他の人の衣服とまぎれないように包むための布」は
風呂に敷く布とイメージがオーバーラップしていったのではないかと思われますが
文書に「風呂敷」という表現はまだ現れていません

江戸時代
江戸時代初期、都市生活の発展を反映し、
湯屋営業も普及し、入浴料をとって風呂に入れる銭湯が誕生しました。
『慶長見聞集(けいちょうけんもんしゅう)』には、
天正19年(1591年)に伊勢与市が銭瓶橋に銭湯風呂を建て、
永楽一銭の入浴料を取ったとあります。

蒸し風呂ではなく、湯を張った風呂でした。

湯具としては手拭・浴衣・湯褌・湯巻・垢すり(呉絽の小布)・軽石・糠袋・洗い子などを
布に包み銭湯へ通うようになりました。
他人のものと区別しやすいように家紋や屋号を染めるようになっていきました。

「風呂敷」という名称に関する最初の記録は、
徳川家康没後の元和2年(1616年)に
生前の所蔵品を近親に分散した際の遺産目録のなかで、
尾張の徳川家が受けついだ明細書である『駿府御分物御道具帳』に見られます

[ことば]シリーズはこちら(少し下げてね)

[ことば日本史] 風呂敷」への2件のフィードバック

  1. いつも博学のこと。調べるのに色々研鑽されてお疲れ様です
    また教えてください。

    • 嬉しいお言葉、ありがとうございます
      今後も色んな事を書いていきますので
      ごひいきをよろしくお願いします

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です