ようしゃべる、うるさい電車

ものの言い方西東、前回ひとつ紹介しました。

最後まで読むと、この本の趣旨が分かりました。

言葉は、どう変わって行くのかということ。

それを7つの要素に分けて考えていく。

例えば、ひとつ目の要素は有言性。
どんだけようしゃべるかってこと

それを地域差を調べていくと、大体皆さんお察しの通りの結果になる。

予想通り関西ですね。
一番よう喋るのは。
二番目は予想していなかったんですが、東京なんですって
意外意外。
九州や東北はあまり喋らない。

その実証は、色んなアンケートを取ったりなんですが
特にその中で、これ実感あるなあと思ったのが
会話の中での沈黙が気になるかってやつ

とても気になる、は、やっぱり大阪が一番多くて、35%
対する東京は26%
名古屋が29%、福岡も26%

我慢比べか
これ毎日実感してます。

職場の仲間と社員食堂で昼食
みんな、黙々と食事

毎日私が最初に喋るというのもどうかと思うので、
今日こそは、誰かが最初に喋るまでは、黙っておこうかなと思うんだけど

・・・・・・
あかん、これは、我慢比べか
耐えられない

関西人以外は、別にどうっちゅうことないんでしょうね
食事の時は、喋らなくても良いんじゃないって感覚なんでしょうね。
ダメですわ。
絶対嫌われてる、と思っちゃう

帰省した時
東京からたまに帰省する。
西明石で新幹線から在来線に乗り換える
あれ? 何か変。
よーくよーく見てると分かりました。
東京の電車は、スマホいじってるか、寝てるか、本読んでるかしか無いんだけど
大阪の電車では、かなりの人が喋ってる

東京って、友達どおし、ホームで喋りながら待ってても、
電車に入ると、
うるさくて迷惑だから、ピタッと喋るのをやめる

大阪は逆。
電車ってステージ。
自分達のパフォーマンスを披露して、
周りの知らない人達、この人達はこの場面ではお客さんなんだけど、
そのお客さんに楽しんでいただく場。
どうやって、クスッと笑かすか、という勝負。

お客さん側も分かってるから、
おっ、この話、オチあるぞと思うと、オチまでは一言も聞き逃すまいと。
途中で目的の駅が来て、降りちゃったりすると、
オチが気になって、一日モヤモヤ。

仕方ないので、こんなんちゃうかというオチを自分で考えて、付け加える。

なあなあ、電車ん中で知らん兄ちゃん達が話しとったんやけどな
○×△○×△○×△

そらおもろい

でもな
途中で、駅が来て降りてもうてん

えっ、どういうこと?

そやから、さっき言うたオチ、自分でつけたしたってん

無茶しょんなあ

待ちいな、考えるな
わしやったらな

そこから、しばらく、オチどないしょ合戦が繰り広げられます。

知らん兄ちゃん達は、周りに楽しさを広げて行ってる訳で
決して迷惑ではないのです。

社会と言葉
社会が変わっていく
そうすると、言葉がどう変わっていくか
これが、この本のテーマです。

まだまだ人口が少ない段階では、家族内的コミュニケーションで事足りる。
以心伝心、言わなくても分かる世界。
でも、人口が増え、経済や文化が発達してきて、
嫌がおうにもコミュニケーションを取らなければならなくなると、喋ることが増えて行く。
まず、第一の要素、有言性という量的な部分が変わってくる
それが、長い長い日本の歴史の中で地域差として現れて来る。
本の中でも再三言われていますが、優劣ではありません。
大きな傾向です。

ただ、個人差は大きくあります。
山の中で育ったカミさんなんかは
明らかなる例外。
朝から晩まで一人でも喋っとる

第二の要素以降は質的な面に入って行きます
次回以降でね

痛い時、何て言います?

ものの言い方西東 という本を読みました

方言研究の中で、単語としての違いに関してはかなり研究が進んでいる。
ところが、ものの言い方に関しては、まだあまり研究が進んでいないそうです。
そもそも、おしゃべりか無口か、お礼を言うか、おはようの挨拶をするか、等々の地域差です。
著者は、共著で二人。
新潟出身で仙台を経て東京に行った人と
山形出身で仙台を経て大阪に行った人
東北に詳しいので、とても面白い。

そんなバカな、と目を疑うような事がいくつかありました。
このあと、紹介していきますが、まず一つ。

痛い時
シチュエーションは、机の角に足をぶつけたとき
何て言いますか?

びっくりしましたねえ。
そんなこと考えた事もなかった。
そんなの咄嗟に出る言葉でしょ。
地域差なんて出るはずがないと思いながら読み進めた。

いた
に決まっとる

違ってましたねえ

いた
あいた
いたい
に分かれる。

そう言われると
私は、いた、と、あいたの両方を使っている。

極めて瞬間的な時は、いた
ピリッとした痛さの時
若干瞬間度が弱いときは、痛い感じを思いっきり込めて
あいた
膝頭が、いた
むこうずねがあいた

地域差
本に分布の地図が書いてあるんだけど
九州はあいた
西日本全体にあいた、は多いんだけど
関西は結構、いた、も多い
関東から東北にかけてあいた、が極端に減っていく
いたい、が急激に増えていく

聞いてみました
職場仲間に聞いてみました
神奈川、山形、北海道、それぞれの出身の人

机の角に足をぶつけました。
さあ、何と言います?

ええ? どういうこと?
だからさ、痛いわけよ、何て言う?

痛い?

あっ、やっぱりそうなんだ。
へえ、ほんとか。
絶対あり得ないと思っていた。

じゃあ、何て言うの?
いた。
最後のいがつかない
あるいは、あいた
地域差があるらしいのよ

そういうことだったら、さっきの間違い
いてっ(北海道)

いてっか、それも言うなあ

どう?

うなる(神奈川)
まあまあ、そうなんだけどさ
それはそうなんだけど

あえて言うと、いた

へえ、そうなんだ
どう?

うなる(山形)
ううううう

あえていうと

いたいも、いた、も言わないなあ
ひたすらうなる

そうだなあ、やっぱりうなるなあ
痛さにもよるけど、痛いときはうなる
ううううう(北海道)

ということで、私の回りでは、うなる、が結論

これ、意外に正解かも
どういうかを問われると、あいた、いた、いたいに分かれるけど
関東から東の人は何も言わず、うなるのかも知れない

関西人としてはあり得ない
うなるなんて勿体ない

だって痛いんですよ
こんな絶好のチャンス
回りの人に痛いことをアピールしなきゃ

うなって痛さを我慢するとしても
何が何でも、そこに、いた、や、あいたたた、をはさみこんで猛アピール

広島カープの達川みたいなもんです

しかし、面白い研究もあるもんですね
この研究がどう役に立つのかは分かりませんが
面白いのでよしとしましょう

また、それ以外にも次に、話していきますね

藤山寛美と博多淡海と木村進

飲み会の時、全員が博多淡海(はかたたんかい)を知らなかった。
ショックだった。

ということをこの前のコラムで書きました。

福岡の伝説のヒーローであるはずの博多淡海

仙台で言うと仙台四郎の様に
福岡では、神様的に思われているのではないか
額に入って飾られているのではないか

勝手な思い込みをしていたのかも知れない。

ひょっとすると、博多淡海は関西人の方が馴染みが有るのだろうか

博多淡海と言えば、まずは藤山寛美から話す必要が有るでしょう

吉本新喜劇
関西人は吉本新喜劇を見て、育っている
良い悪い、好き嫌いのレベルを超えている。

日曜日はあれしか見る番組がない
ほんわかほんわ、ほんわかほんわか、ほんわかほんわかほん

あまりにもワンパターンで、どうにかしてよとは思うけど笑ってしまう。
我々の世代だと、岡八郎、花紀京、船場太郎(せん、ばたろう)

むちゃくちゃ面白いのだけど、
こんなのばかり見て自分の脳みそは大丈夫だろうかと
漠然とした不安がある。

母さんが
家に帰ったら、母さんが泣いている

どないしたん、何があったん

どないもこないも・・・

見ると、テレビで藤山寛美。

下品だらけの関西人に、
上品な高級品をもたらしてくれるのが、藤山寛美の松竹新喜劇。
関西人の脳みその救世主。

藤山寛美はアホのでっちどん
アホが故に純粋で
思ったことをストレートに言ってしまう。
人の嫌なところを何一つ持っていない。
寛美が鼻をほじくりながら話す話し方
これぞアホだと思わしめる細かい所作の完成度。
泣きと笑いが一緒にどっと押し寄せる
文字通り「泣き笑い」の真骨頂。

関西人にとって、なんでアホが誉め言葉かというと藤山寛美がいるから。
アホは生き方の最高傑作だと分かっているから。
押し付けがましいところ全くなく、人の道を教えてくれる。
そんな、お釈迦様のような存在がアホ。
藤山寛美のアホ。

ところが難がある。
素晴らしすぎるんです。
吉本のように肩の力を抜いて、見られない。

桂米朝が人間国宝なのは納得です。
100%異論はありません。
でも、であれば、藤山寛美が人間国宝でないのは、
片手落ちじゃ無いでしょうか

泣いて笑うぞと、気合いを入れる必要がある。
人間国宝級の芸を噛み締めねばなりません。

そして、藤山寛美がスーパースター過ぎた。
松竹新喜劇で藤山寛美以外の役者の名前をどうにも思い出せない。

博多淡海
おそらく、素晴らし過ぎるが故の2つの弱点に、
藤山寛美自身が、もがき苦しんでいたのかもしれない。

ある日、松竹新喜劇を見ていると、
初めて見る人が出ていた。

おばあちゃん役。

博多淡海だった。

ビックリした。
解決した、と思った。

初めて見るこの人は、
でっちどんのアホを
おばあちゃん役で完成させている。

吉本よりは松竹なのだけど
あまりにすごすぎる藤山寛美ほどは気合いを入れなくていい。
脳みそにはとても良い具合。

博多淡海、言葉も違う。
関西人じゃないんだな。

聞けば、福岡で既に人気のある役者を迎え入れたとのこと
日本は広い。

やるじゃないか、福岡。
面白ければ福岡も又よし。

ただ、長くは続かなかった。

木村進
木村進は吉本の芸人。
岡八郎や花紀京の黄金期の
次の世代のこれまた黄金期

何と言ってもスーパーヒーローは間寛平
ほんとにすごかった。
寛平ちゃんの全盛期。
関西以外の人は分からないでしょうね
寛平ちゃんも他の芸人がそうしたように
関東に進出して、面白さを抑えた。

おそらく、イメージとしては
時々、アヘアヘとか、かいーのとか言っているけど
特に面白い訳じゃない。
マラソンの人。

悔しいけど、面白さを全面に出すと逆に浮いちゃう
回りがお約束の応酬をやってくれないと、
うるさいだけの印象になって
すぐに関西に帰っていく。
仕方ないのであの寛平ちゃんでさえ、東京では面白さを抑えた。

でも、面白かったんですよ。
寛平ちゃん
腹抱えて笑いっぱなしだった。
ギャグの量がものすごかった。

その寛平ちゃんを横から支えたのが木村進。

木村進は博多淡海の息子さん。
親の七光りが嫌で、親の承諾を得ず
松竹のライバルであるはずの吉本入り。

完全に実力で
天才寛平ちゃんと渡り合えるくらいになる。
血筋もあるんだろうけど
努力もすごかったんだと思う。
最初は絶縁状態だったが

博多淡海が吉本の舞台上で
木村進をどうかよろしくお願いします。
と土下座して、和解したらしい。

私は大学から東京で、30年、関西の事情に疎くなっている。
博多淡海を調べると当然木村進も出てくる
知らない間に色んな事があったんだなあと驚いた。

木村進のその後
木村進は吉本の人気が下降線を辿っていったとき
吉本からの要請もあり、三代目博多淡海を襲名
その名前で巻き返しを図る

ところが、そんな矢先、脳内出血で倒れ車椅子生活に。
吉本も辞め、博多淡海の名前も返上したらしい。

ただ、寛平ちゃんの声かけもあり
端役ながらも今、車椅子で舞台に立っているらしい。

頑張れ

大阪弁、その不可思議なるもの(あほ)

一番重要な大阪弁を、すっかり忘れておりました。
あほ、です。
大阪弁の中心であり、ベースであるあまりにも一般的な言葉です。
この言葉がなかったらと思うとぞっとします。

あほは褒め言葉か
この論争は、古くから続いています。
答えは時と場合による。なのですが。

この話自体が、遊びみたいなもので、他の地域の人と大阪弁を語る上で大阪弁をわろてもらおうかという
話のきっかけの定番であったりします。

よく「バカ」と比較されますが、自分から「バカ」を使うことがないので、正直「バカ」側のニュアンスが正しく分かりません。
少なくとも家族に「バカ」と言われてうれしかったことは一度もないので、褒め言葉ではないのでしょう。
バカ、と言われると

バカって言うな、あほって言え
何で?
あほは褒め言葉やがな

この一連の流れになります。

時と場合
積極的にほめている場合が3割りくらいでしょうか
とくにプラスでもマイナスでもなく口から突いて出る場合が5割りくらい
残りの2割がけなしている場合です。

3割の褒めている場合
褒めている場合の3割って、「あほ」と「面白い」がかなり近い意味で使われる場合。
その前に相手がぼけていて、突っ込んでほしい場合です。
自虐的ボケの場合は、当然、良いぼけやったよという賞賛のツッコミで「あほ」の入った文章が使われます。
あほなやつやで、とか、あほな人生や、なんてことをしみじみ言うと相手の人格を全面的に賞賛している最上級の褒め言葉になります。

5割の普通ゾーン
あまりにも、言葉の中に深く入り込んでいるので、特にどういうわけでもないというのが一番多いでしょうね。

ツッコミで「あほか」だけ言うと

すみません。
そのぼけが悪いわけではありません。
適切なツッコミが思い浮かびません。
とりあえず、いったんお返しします。
未熟な私をお許しください。

が、凝縮されています。

あほみたいに頑張ってんけどな

のように、どう考えてもあほと頑張るのは関係なさそうなのに使われたりします。
必死のパッチの言葉遊びのように、言葉が持っている何とも言えないコミカルな感じを使ってその場を和ませたい。
あちこちであほっちゅうときゃ、何とかなるやろ、的な感じです。

そこで笑ってもらおうというほどのレベルまで行ってないけど、今後いつ思いつくか分からない秀逸なぼけのために、ここはまず場を温めておこう。

そのためのホンの軽い小道具があほなので、会話のあちこちに顔を出します。
あほも休み休み言え、みたいなのはその典型ですね。

大きな範疇ではプラス的使い方ですが、褒め言葉というには言いすぎです。

2割のけなしゾーン
これが、一番難しい。
相手をけなしてダメージを与えようとしている。
その適切な言葉がないんです。
時と場合によって褒め言葉にもなるような「あほ」をけなす言葉として相手にぶつけると、たまに勘違いされたりします。
とはいえ、ばかは使い慣れてないので照れくさい。
本来的なあほを使わざるをえない。
語気や表情や補足説明で、必死で相手に、この場はけなしているんですというのを伝えねばなりません。
とりあえず、ドをつけて、ドあほと大きな声で言ってみます。

たいがいはこれで何とか分かってもらえるはずですが、不安なので何とかダメ押ししたくなる場合があります。
確実に相手を叩きのめす方法があります。

おもろない

関西人はおもろないと言われると奈落の底に突き落とされます。
こいつとは今後一切付き合わなくていい、と言うほどの覚悟が持てた場合にのみ使われます。

恋愛が絡むと
女性から好きな男性にあほと言うと、使い方によっては最高の愛情表現になります。

泣きながら、男の胸板を「ばかばかばか」と言いながらたたく。
そのニュアンスです。

もうっ    あほぅ
きゅっとつねる

たまりませんね

究極は、京都弁になるかもしれませんが、すかんたこ

もうっ いけずなおひと。
すかんたこ。

そんな、色っぽい人にも会ったことないですし、そのような場面づくりも不可能なので
当然聞いたことはない言葉です。