神戸震災記念館。復興はどのようになされたのか

昨日、神戸震災記念館の事を書きました。
神戸震災記念館に行ってきました

その続きになります。

復興
15分間の映像は下敷になって、自分は救出されたけど、お姉さんを亡くした少女の目から見た復興
ええから早く逃げて
が最後の言葉

これは一人の目から見た復興

次の部屋でおびただしい量の展示物があり
色々な人の色々な復興が見えてきます。

まずは、地震後の状況を伝える展示物から










仮設住宅、復興住宅
神戸って、兵庫県内の他の地域に住む人間からするとかなり特殊な地域。
大都会です。
そこに住む人は都会っこ

コミュニケーション好きな関西人にあっても
隣は何をする人ぞ的な気質で生活していたと思います。

ところが急に天地がひっくり返った。
仮設住宅では、何もかも助け合わないと生活していけなかった
色んな、証言の映像で分かりました。

出来るんですね
人間って誰だってそういう事がちゃんと出来る

つらいことって、時が解決する
間違いではないけど
復興って、「時が解決する」以上の事をやっていかないと
にっちもさっちも進まなかったんだ。





それを、都会っこ達が
みんなで成し遂げたんだなって思う。

豊か、が当たり前な世の中で
豊か、を全てぶち壊された時
人と人、という要素だけが残るんだな

でも、もうひとつ
ここの展示を見たときに動けなくなったんだけど

花は咲くんだな
どんな状況下でも
花は咲く

阪神大震災図巻

何かというと
ある人(吉井貞俊さん)が、復興を記録にとどめないと、と思った
ロール紙に、町中を歩き回って、全ての建物を克明に絵にした。
そして、5年後
同じ場所を同じように歩き回り
同じように書き留めた。
ただならぬ熱意ですね。

横にパソコンが置いてあって、中を全部上下比較しながら見ていけるんだけど
実に良く分かる

5年でここまで変わるのか
人間の力。

今、ひょっとして、ネットで中を見れたりしないかな、と
「阪神大震災図巻」で検索してみました。

すると、全く予想外の場所でヒットしました。
ヤフーオークションです。

ええっ、ヤフオクに出品したの?
2013/02/24 落札
丁度5年前です
入札履歴 1
要は、一人の人しか入札しなかった。
開始価格 3500円
落札価格 3500円

あかん
3500円はあかん

でも、実物が記念館にあると言うことは
後で見つけた記念館の人が、
落札者に連絡つけて売ってもらったということなんだろうか

千田のパン

学校給食や病院給食で、パンを工場で作って納品していた千田のパン
工場が壊滅し、再開への努力をするも断念
それでも、千田のパンへの思い入れを断ち切れず
仮設住宅に出来た市場で、「千田のパン」という屋号でパン屋を始める
作るのは不可能なので、仕入れて売ったんでしょうけど。
その時のレジ袋
工場の壁に描いていた、気球の絵が書かれています。

さらにそのあと、どうなったかまでは分からなかったけど
笑顔のご夫婦なので
今もどこかで元気に暮らしておられる事と思います。

支えられて
ご近所の避難している人を受け入れ
でも、自分の家もガスが来ているわけではないので
熱帯魚用のセラミックヒーターを20本くらい購入して
女性の方のシャンプーをしてあげたという例

ボランティアの人に物心両面で支えられてという例がいっぱいあるんだけど
一つだけ紹介します。
ギターを弾いて、被災地を回った「近幸」さんという方



テレビで芸能人が被災地を回って勇気づけたという話は良く聞く
素晴らしいと思うし、とやかく言うつもりは全くないんだけど
名もない人だって、ギター一本で同じことが出来るんですね。
おそらくギターの演奏ですごいテクニックを持っているということでもないんでしょうから(違っていたらごめんなさい)
そこでの交流にすごく意味があるんでしょう
そのあとの子供たちからの手紙を見ると
いかにそれが意味を持っていたのかが良く分かります。

改めて復興
そのあとの、防災の色んな資料を見ると
いつどこで大地震が起きてもおかしくない。

起きると考えた方が良い。

3.11にしても、熊本地震にしても
マスコミは、まだまだ復興は進んでいるなんて段階ではありませんと言う。
そうだと思います。

ただ、一方で
復興って、「人」が力を出し合い、協力し合えば
出来るんだ

そういう言い方もして良いと思う。
今回、それを感じました。

ようしゃべる、うるさい電車

ものの言い方西東、前回ひとつ紹介しました。

最後まで読むと、この本の趣旨が分かりました。

言葉は、どう変わって行くのかということ。

それを7つの要素に分けて考えていく。

例えば、ひとつ目の要素は有言性。
どんだけようしゃべるかってこと

それを地域差を調べていくと、大体皆さんお察しの通りの結果になる。

予想通り関西ですね。
一番よう喋るのは。
二番目は予想していなかったんですが、東京なんですって
意外意外。
九州や東北はあまり喋らない。

その実証は、色んなアンケートを取ったりなんですが
特にその中で、これ実感あるなあと思ったのが
会話の中での沈黙が気になるかってやつ

とても気になる、は、やっぱり大阪が一番多くて、35%
対する東京は26%
名古屋が29%、福岡も26%

我慢比べか
これ毎日実感してます。

職場の仲間と社員食堂で昼食
みんな、黙々と食事

毎日私が最初に喋るというのもどうかと思うので、
今日こそは、誰かが最初に喋るまでは、黙っておこうかなと思うんだけど

・・・・・・
あかん、これは、我慢比べか
耐えられない

関西人以外は、別にどうっちゅうことないんでしょうね
食事の時は、喋らなくても良いんじゃないって感覚なんでしょうね。
ダメですわ。
絶対嫌われてる、と思っちゃう

帰省した時
東京からたまに帰省する。
西明石で新幹線から在来線に乗り換える
あれ? 何か変。
よーくよーく見てると分かりました。
東京の電車は、スマホいじってるか、寝てるか、本読んでるかしか無いんだけど
大阪の電車では、かなりの人が喋ってる

東京って、友達どおし、ホームで喋りながら待ってても、
電車に入ると、
うるさくて迷惑だから、ピタッと喋るのをやめる

大阪は逆。
電車ってステージ。
自分達のパフォーマンスを披露して、
周りの知らない人達、この人達はこの場面ではお客さんなんだけど、
そのお客さんに楽しんでいただく場。
どうやって、クスッと笑かすか、という勝負。

お客さん側も分かってるから、
おっ、この話、オチあるぞと思うと、オチまでは一言も聞き逃すまいと。
途中で目的の駅が来て、降りちゃったりすると、
オチが気になって、一日モヤモヤ。

仕方ないので、こんなんちゃうかというオチを自分で考えて、付け加える。

なあなあ、電車ん中で知らん兄ちゃん達が話しとったんやけどな
○×△○×△○×△

そらおもろい

でもな
途中で、駅が来て降りてもうてん

えっ、どういうこと?

そやから、さっき言うたオチ、自分でつけたしたってん

無茶しょんなあ

待ちいな、考えるな
わしやったらな

そこから、しばらく、オチどないしょ合戦が繰り広げられます。

知らん兄ちゃん達は、周りに楽しさを広げて行ってる訳で
決して迷惑ではないのです。

社会と言葉
社会が変わっていく
そうすると、言葉がどう変わっていくか
これが、この本のテーマです。

まだまだ人口が少ない段階では、家族内的コミュニケーションで事足りる。
以心伝心、言わなくても分かる世界。
でも、人口が増え、経済や文化が発達してきて、
嫌がおうにもコミュニケーションを取らなければならなくなると、喋ることが増えて行く。
まず、第一の要素、有言性という量的な部分が変わってくる
それが、長い長い日本の歴史の中で地域差として現れて来る。
本の中でも再三言われていますが、優劣ではありません。
大きな傾向です。

ただ、個人差は大きくあります。
山の中で育ったカミさんなんかは
明らかなる例外。
朝から晩まで一人でも喋っとる

第二の要素以降は質的な面に入って行きます
次回以降でね

痛い時、何て言います?

ものの言い方西東 という本を読みました

方言研究の中で、単語としての違いに関してはかなり研究が進んでいる。
ところが、ものの言い方に関しては、まだあまり研究が進んでいないそうです。
そもそも、おしゃべりか無口か、お礼を言うか、おはようの挨拶をするか、等々の地域差です。
著者は、共著で二人。
新潟出身で仙台を経て東京に行った人と
山形出身で仙台を経て大阪に行った人
東北に詳しいので、とても面白い。

そんなバカな、と目を疑うような事がいくつかありました。
このあと、紹介していきますが、まず一つ。

痛い時
シチュエーションは、机の角に足をぶつけたとき
何て言いますか?

びっくりしましたねえ。
そんなこと考えた事もなかった。
そんなの咄嗟に出る言葉でしょ。
地域差なんて出るはずがないと思いながら読み進めた。

いた
に決まっとる

違ってましたねえ

いた
あいた
いたい
に分かれる。

そう言われると
私は、いた、と、あいたの両方を使っている。

極めて瞬間的な時は、いた
ピリッとした痛さの時
若干瞬間度が弱いときは、痛い感じを思いっきり込めて
あいた
膝頭が、いた
むこうずねがあいた

地域差
本に分布の地図が書いてあるんだけど
九州はあいた
西日本全体にあいた、は多いんだけど
関西は結構、いた、も多い
関東から東北にかけてあいた、が極端に減っていく
いたい、が急激に増えていく

聞いてみました
職場仲間に聞いてみました
神奈川、山形、北海道、それぞれの出身の人

机の角に足をぶつけました。
さあ、何と言います?

ええ? どういうこと?
だからさ、痛いわけよ、何て言う?

痛い?

あっ、やっぱりそうなんだ。
へえ、ほんとか。
絶対あり得ないと思っていた。

じゃあ、何て言うの?
いた。
最後のいがつかない
あるいは、あいた
地域差があるらしいのよ

そういうことだったら、さっきの間違い
いてっ(北海道)

いてっか、それも言うなあ

どう?

うなる(神奈川)
まあまあ、そうなんだけどさ
それはそうなんだけど

あえて言うと、いた

へえ、そうなんだ
どう?

うなる(山形)
ううううう

あえていうと

いたいも、いた、も言わないなあ
ひたすらうなる

そうだなあ、やっぱりうなるなあ
痛さにもよるけど、痛いときはうなる
ううううう(北海道)

ということで、私の回りでは、うなる、が結論

これ、意外に正解かも
どういうかを問われると、あいた、いた、いたいに分かれるけど
関東から東の人は何も言わず、うなるのかも知れない

関西人としてはあり得ない
うなるなんて勿体ない

だって痛いんですよ
こんな絶好のチャンス
回りの人に痛いことをアピールしなきゃ

うなって痛さを我慢するとしても
何が何でも、そこに、いた、や、あいたたた、をはさみこんで猛アピール

広島カープの達川みたいなもんです

しかし、面白い研究もあるもんですね
この研究がどう役に立つのかは分かりませんが
面白いのでよしとしましょう

また、それ以外にも次に、話していきますね

藤山寛美と博多淡海と木村進

飲み会の時、全員が博多淡海(はかたたんかい)を知らなかった。
ショックだった。

ということをこの前のコラムで書きました。

福岡の伝説のヒーローであるはずの博多淡海

仙台で言うと仙台四郎の様に
福岡では、神様的に思われているのではないか
額に入って飾られているのではないか

勝手な思い込みをしていたのかも知れない。

ひょっとすると、博多淡海は関西人の方が馴染みが有るのだろうか

博多淡海と言えば、まずは藤山寛美から話す必要が有るでしょう

吉本新喜劇
関西人は吉本新喜劇を見て、育っている
良い悪い、好き嫌いのレベルを超えている。

日曜日はあれしか見る番組がない
ほんわかほんわ、ほんわかほんわか、ほんわかほんわかほん

あまりにもワンパターンで、どうにかしてよとは思うけど笑ってしまう。
我々の世代だと、岡八郎、花紀京、船場太郎(せん、ばたろう)

むちゃくちゃ面白いのだけど、
こんなのばかり見て自分の脳みそは大丈夫だろうかと
漠然とした不安がある。

母さんが
家に帰ったら、母さんが泣いている

どないしたん、何があったん

どないもこないも・・・

見ると、テレビで藤山寛美。

下品だらけの関西人に、
上品な高級品をもたらしてくれるのが、藤山寛美の松竹新喜劇。
関西人の脳みその救世主。

藤山寛美はアホのでっちどん
アホが故に純粋で
思ったことをストレートに言ってしまう。
人の嫌なところを何一つ持っていない。
寛美が鼻をほじくりながら話す話し方
これぞアホだと思わしめる細かい所作の完成度。
泣きと笑いが一緒にどっと押し寄せる
文字通り「泣き笑い」の真骨頂。

関西人にとって、なんでアホが誉め言葉かというと藤山寛美がいるから。
アホは生き方の最高傑作だと分かっているから。
押し付けがましいところ全くなく、人の道を教えてくれる。
そんな、お釈迦様のような存在がアホ。
藤山寛美のアホ。

ところが難がある。
素晴らしすぎるんです。
吉本のように肩の力を抜いて、見られない。

桂米朝が人間国宝なのは納得です。
100%異論はありません。
でも、であれば、藤山寛美が人間国宝でないのは、
片手落ちじゃ無いでしょうか

泣いて笑うぞと、気合いを入れる必要がある。
人間国宝級の芸を噛み締めねばなりません。

そして、藤山寛美がスーパースター過ぎた。
松竹新喜劇で藤山寛美以外の役者の名前をどうにも思い出せない。

博多淡海
おそらく、素晴らし過ぎるが故の2つの弱点に、
藤山寛美自身が、もがき苦しんでいたのかもしれない。

ある日、松竹新喜劇を見ていると、
初めて見る人が出ていた。

おばあちゃん役。

博多淡海だった。

ビックリした。
解決した、と思った。

初めて見るこの人は、
でっちどんのアホを
おばあちゃん役で完成させている。

吉本よりは松竹なのだけど
あまりにすごすぎる藤山寛美ほどは気合いを入れなくていい。
脳みそにはとても良い具合。

博多淡海、言葉も違う。
関西人じゃないんだな。

聞けば、福岡で既に人気のある役者を迎え入れたとのこと
日本は広い。

やるじゃないか、福岡。
面白ければ福岡も又よし。

ただ、長くは続かなかった。

木村進
木村進は吉本の芸人。
岡八郎や花紀京の黄金期の
次の世代のこれまた黄金期

何と言ってもスーパーヒーローは間寛平
ほんとにすごかった。
寛平ちゃんの全盛期。
関西以外の人は分からないでしょうね
寛平ちゃんも他の芸人がそうしたように
関東に進出して、面白さを抑えた。

おそらく、イメージとしては
時々、アヘアヘとか、かいーのとか言っているけど
特に面白い訳じゃない。
マラソンの人。

悔しいけど、面白さを全面に出すと逆に浮いちゃう
回りがお約束の応酬をやってくれないと、
うるさいだけの印象になって
すぐに関西に帰っていく。
仕方ないのであの寛平ちゃんでさえ、東京では面白さを抑えた。

でも、面白かったんですよ。
寛平ちゃん
腹抱えて笑いっぱなしだった。
ギャグの量がものすごかった。

その寛平ちゃんを横から支えたのが木村進。

木村進は博多淡海の息子さん。
親の七光りが嫌で、親の承諾を得ず
松竹のライバルであるはずの吉本入り。

完全に実力で
天才寛平ちゃんと渡り合えるくらいになる。
血筋もあるんだろうけど
努力もすごかったんだと思う。
最初は絶縁状態だったが

博多淡海が吉本の舞台上で
木村進をどうかよろしくお願いします。
と土下座して、和解したらしい。

私は大学から東京で、30年、関西の事情に疎くなっている。
博多淡海を調べると当然木村進も出てくる
知らない間に色んな事があったんだなあと驚いた。

木村進のその後
木村進は吉本の人気が下降線を辿っていったとき
吉本からの要請もあり、三代目博多淡海を襲名
その名前で巻き返しを図る

ところが、そんな矢先、脳内出血で倒れ車椅子生活に。
吉本も辞め、博多淡海の名前も返上したらしい。

ただ、寛平ちゃんの声かけもあり
端役ながらも今、車椅子で舞台に立っているらしい。

頑張れ

索引はこちら
[関西人]シリーズはこちら(少し下げてね)