円谷幸吉。おいしゅうございました。

心にひびく日本語の手紙、から

何度も何度も読み返しました。

円谷幸吉の手紙
父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。
干し柿、餅も美味しゆうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。
克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。

巌兄、姉上様、しそめし、南ばん漬け美味しゆうございました。
喜久蔵兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゆうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。

幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難ううございました。
モンゴいか美味しゆうございました。正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。

幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敦久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正祠君、立派な人になって下さい。

父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。
何卒お許し下さい。
気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。

遺書
最初は、何だか繰り返しばかりで、どうなんだろうと思って読んだんだけど
そのあと、遺書だと書いてあって
読み返して、涙が止まらなくなった。

手紙に出てくるみんなが、どれだけ幸吉に元気をつけてもらおうと気づかいしたのか。

円谷幸吉は東京オリンピックのマラソン銅メダリスト
私の世代では、当時の記憶はないんですが
それはそれは国民的英雄だったんでしょうね

でも、その後故障に苦しむことになる
アキレス腱の痛みと椎間板ヘルニア
手術後復活は遂げたものの
次のメキシコ五輪への代表にはまだ白紙の状況

手紙からも読み取れますが
極めて几帳面な性格

合宿の入浴でも下着を一つ一つ丁寧に畳む

まあダメな時はダメですわ
的な考え方がなかなかできなかったんでしょう

この手紙の前に年末年始で実家に帰省した。

家族や親族は考えられる最大のご馳走で国民的英雄をもてなしたんでしょう。

でも、そこは家族や親族
他の一般市民にはできない接し方もあったと思う

当然故障続きなのは知っている
聞きにくい事も聞け、言いにくい事も言えるかも知れない
四六時中気にかけているものから出る言葉は
深いものがあったろう

特に親にしてみれば
顔を見れば分かる

メダルなんて一個あればもう十分
痛いのに耐えて走る姿なんて見ていられない

そんな全てがご馳走に現れたのかも知れない
高価なものじゃない
子供の頃から好きだったもの

三日とろろ
好きだったねえ

休み明けはまた練習なんじゃろ
今日ぐらいは、これでも食べてゆっくりしな

幸吉の両親もやはり几帳面なんだろうか
最後の一言は言えたろうか

もうええ
やめて、帰って来い

索引はこちら
[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

佐原の伊能忠敬記念館に行ってきた

はとバスで水郷佐原へ行きました

その続きで、伊能忠敬のところだけ

伊能忠敬はこちらも読んでね
伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?
伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?(続き)

伊能忠敬
伊能忠敬の町なので
伊能忠敬関連がいろいろ

伊能忠敬の銅像
伊能忠敬の旧宅
忠敬橋
そして、伊能忠敬記念館

伊能忠敬記念館
素晴らしいの一言につきます。
唯一文句があるのは
撮影禁止
ごめんなさいね
全く写真がございません。

入ったときがちょうどガイドさんが説明を始めたところ
便乗して全部ガイドを聞けました。
このガイドがまた素晴らしい。

前半生の商人時代の話も
実際の直筆の数々の資料を見ながらフムフム
伊能家に婿養子に入る縁談
ここで初めて奥さんの道さんに出会います
これが「ミチとの遭遇」
ギャグも洗練されています。

江戸に出てきてから
高橋至時に弟子入りしたときの天文学の漢文で書かれたテキスト
自宅から天文台までを測った時の詳細な図
蝦夷まで測った第一回の地図
実物の迫力はすごい
引き込まれます。

測量の道具がまた良かった
それぞれの道具の使い方
メリットデメリット
使うべき場所を丁寧に説明してくれる

ビックリしたのがどでかい象限儀(しょうげんき)
星の角度を正確に測るものなんだけど
これをずっと馬二頭に分けて持ち歩いたということ

ああっ
望遠鏡
これきっと、間重富のやつ

そしてやっぱり
日本地図の実物
国宝に指定されている
ああ、これずっと見ていたい

大図(一番詳細なのもの)中図(それを縮小したもの)小図(さらに縮小)
中図の浅間山の絵のところに、噴火の煙が書いてあった
こんな小さな遊び心にほっこりします。

質問して教えてくれたんだけど
大図、中図、小図の前に下図というのがある
曲線ではなく、測量地点を全て細かく直線で結んだもの
これは、測量しながら作る
その下図の下に紙を敷いて、点を針でプスプス
その点を元に曲線を描いていく。(大図)

次に大図用の下図を縮小して中図用の下図にする
支点を決め、そこから下図の全ての点への長さを測り
計算で何分の一かにする
正確な角度も測って縮小された方の紙に点を打つ
角度だけでは狂うから
それぞれの点の間の距離も縮小計算して
微調整していくんでしょう
気が遠くなりますね

下図から大図、中図、小図を起こすのに
何人もがかかって何年もかかっている
その途中に実は伊能忠敬は死んじゃってます。

3年もの間その事実を弟子たちはひた隠しにし
発表の時は、「伊能忠敬の作った」日本全図です。
その後で、実は伊能忠敬は死んでました。
弟子たちの気持ちですね

カミさんが一番食いついたのは
家族に宛てた手紙
もう、歯が一本だけになっちゃいました。

えっ、その状態でそのあと何年測量で歩いたの?
老人ホームの看護師さんやってますのでね

手紙が1812年に書かれているということは
その後4年、測量で歩き回り、
さらにその2年後に死去している

実は私が少しだけ引っ掛かっていた事が
今日、解説を聞いて分かってとても嬉しい。

伊能忠敬は天文学者で、やりたかった事は地球一周の距離を知りたかった事
でも、幕府に許可を得るために方便として「地図を作ります」
将軍が、その出来映えの良さに喜んじゃって
あっちもやってくれ、こっちもやってくれ
嫌ではなかったと思うけど、どうだったんだろうと思っていた。

答は、墓の墓石側面に書いてあった
レプリカが展示してあって
漢字ばかりで良く分からないんだけど
解説してくれた。

幕府から測量の許可が出たとの知らせを受けると
途端に満面の笑顔になり
その日の内に出掛けていった。

ガイドさんの締めの言葉

伊能忠敬はお分かりいただけたように類いまれなる偉人です
でも、この偉業には
名前の出てこない数多くの人たちの、協力なくしては成り立たなかったことを
忘れたくないものです。

はとバスで水郷佐原へ

今日は家族旅行

はとバスは三回目

すっかりはとバスファンになっちゃいました。
ちょっと高めのピアニッシモってやつ
ゆったりとした行程で
はとバスでイメージする
「はい次」っていうことがない
地図
焼き芋ミュージアム
茨城県行方(なめがた)市はさつまいもの生産量全国2位ということで
廃校を利用した施設、やきいもミュージアム
なめがたファーマーズビレッジというところの中にあります。

きれいな施設で、とても良くできています
さつまいもの歴史や科学など、とても分かりやすい
大学イモやスナックの近代的な工場にもなっていて
実際に稼働している工場の工場見学も兼ねている

さらに、生徒減少で並行した小学校をそのまま利用したという事を
うまく活用している
誰もが昔通った小学校を思い出してもらいつつ
というコンセプト

カミさんは田舎の東栄町で小学校が閉校になり
閉校の辞を読んだことがあるというのが自慢です。
閉校コンセプト大好き。

きれいなお姉さんが丁寧に全てを説明してくれる
良いですね

試食では、
賞味時間が二時間しかないスイートポテト
おみやげとして、焼き芋と、大学イモ
焼き芋は熱々だったので
その場で食べちゃった

娘は、このあとのフランス料理のため
お父さんにプレゼント
娘の分まで。

ああいかん
フランス料理どうするよ。お腹いっぱい

お箸で食べられるフランス料理
千葉県佐原に移動して、お昼ごはん
カミさんはこれが一番の目的です。
吉庭という庭が見事な古民家を改造したレストラン
庭には雪が残り、とても風情がありました。
料理も美味しかったなあ
桃ワインも

水郷佐原
こ、これは

食事後、小江戸と呼ばれる佐原の町並みを散策しましょう
なんだけど
地図を見て、思い出しました。

佐原と言えば
そうだ、伊能忠敬だ
伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?
伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?(続き)

ちょうど昨日
ウォーキング同好会のイベントを浅草でやったんだけど
天文台跡で、伊能忠敬の話をさんざんしたばかり

なんたる偶然

地図に「伊能忠敬記念館」
町を散策してる場合じゃない
そういうと、伊能忠敬の話でブログ書いた時
佐原の伊能忠敬記念館は良いですよ、と
コメントをいただいていました。

すみません
時間はどれくらいあるんでしょう
伊能忠敬記念館に行けるでしょうか

はい、一時間ございますので
行っていただいてよろしいかと思います。

よっしゃあ
一生分のラッキーです。

伊能忠敬関係
ちょっと長くなるので
ここだけ、明日に回させてください

ということで、それ以外の佐原

酒造見学
東菱という酒造を見学します

みんな集まって、こも樽二つを前に鏡開き
いち、に、さん、よいしょ

色んな銘柄のお酒を試飲し放題です
自分で運転しての旅行じゃない
これが最大のメリットです。

町並み見学
昔ながらの町並みをちゃんと残しています。
小江戸というだけあって
川越と同様
あっちにもこっちにも蔵とか
昔そのままの建物です。

水郷というだけあって
町の真ん中を通る、小野川には
船が往き来します。
良いですね
とても雰囲気あります。

千葉ポートタワー
帰りに千葉ポートタワーに寄る
夕陽の沈みかけた時間で
サンセットを楽しみます。
うん、綺麗

東京
東京に着きました
丸の内のイルミネーション。
今月いっぱいだという事なので
見学してから帰りました

ああ、良い旅だった。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

[百人一首]83 世の中よ

世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

世間から逃れる道はないものだなあ
思い詰めて分け行ったこの山の奥にも
悲しげに鹿が鳴いているようだ

藤原俊成
藤原俊成(しゅんぜい)は、選者、藤原定家のお父さんです。

歌の世界では巨匠中の巨匠。
幽玄体の歌風を打ち立て、息子の定家を始めとして、
数々の有名な歌人を育てている

幽玄体って何?
人生と自然の渾然融合した詩境である。
その世界を艶なる言葉で定着する。
心と詞のめでたき媾合。
うおおっ、何だかすごい!

平忠度
平忠度(ただのり)は、平家一門が都落ちするとき
俊成を訪ねる
俊成はこの時70歳、すでに出家している
勅撰集の選者にもなっている

俊成殿
私は勝ち目のない戦に出かけます
ならばせめて、生きた証が欲しいのです
自分の歌集を渡した。
一首でも
あの世から先生をお守りさせていただきます。

忠度は帰らぬ人に

思いを酌んでと思うが、平の名を出すのははばかられる
「さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山ざくらかな」
詠み人知らず、として入れた。

そのおかげで、俊成は91歳まで生きました。

鑑賞
この歌は、俊成が27歳の時のもの
そんな若いときから、世を捨てて出家なんだ
と思いますが
当時の流行りと申しましょうか
このちょっと前に、23歳で西行が出家しています。
86番の歌の作者です。

「世の中よ 道こそなけれ」は強い出家願望なんだけど
政情不安の当時にあって
政府批判と受け取った人がいた

俊成自身は、そんなつもりは微塵もなかった
でも
言われてみるとなるほど
そうも読めなくもない

せっかくの自信作なんだけど
封印しようと思った

それはおかしいんじゃないんですか
自分にそのつもりがないのなら
堂々としていないと

そう言ってくれたのは後白河法皇
「千載集」にも入れることにした

長らく、代表作はと聞かれると
「夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 深草のさと」

もちろん息子の定家はそれを承知しながら
あえて「世の中よ」を百人一首に採用した。

いきさつを踏まえての
息子としての思い
「思い入る」です。

俊成さん
良い息子持って良かったね

[百人一首]シリーズはこちら(少し下げてね)