[名僧] 太原雪斎と今川義元

名僧シリーズ、室町時代も終わりに近づき、戦国時代となってくると
僧侶って蚊帳の外かと思いきや
武将的になっていくんですね
このあと紹介する数人はそういった僧侶たちですが
まずは、太原雪斎、そしてその雇い主、今川義元

太原雪斎(たいげんせっさい)
臨済宗 1496~1555年

なんとなく聞き覚えのある名前
読み進めていくと
家康シリーズでの、あの時のあの人なのか

雪斎は今川氏の重臣・庵原左衛門尉(いはらさえもんのじょう)の子
10歳で、駿河善得寺に入り、さらに京都の建仁寺で修行。
その英明さで、名が知れ渡るようになります。

今川家当主・氏親が使者を送った。

戻ってきて、うちの息子義元の家庭教師になってくれんか

お断りします。
まだまだ修行中の身ですから。

ところが、氏親しつこいしつこい
断られても断られても、使者を送り続けた

元々お父さんは、今川の重臣ですから
これ以上断るとかなりまずいことになると、渋々引き受けます。

義元を熱心に教育
兵法を教えるなんて出来ない訳ですから
教えることは仏教

義元も出家し、建仁寺へ行き、修行を始めます。
栴岳承芳(せんがくしょうほう)と名乗ります。

あらま、そういうことで良かったのでしょうか、氏親さん

義元は長男ではなく、五男
今川家は長男が継げば良い訳ですから、
最初からそのつもりだったんでしょうか。
だったら断らなくても良かった気がしますが。

師匠と弟子は建仁寺で仏教の修行に励みます。

めでたしめでたし

ところが、状況が一変します。

氏親が死んで、跡を継いだ長男の氏輝が子供をもうけないまま、若くして亡くなります。
えらいこっちゃ、そのあとどうしましょ

とは言え、義元は五男
上に3人いそうなもんでしょ
その内、二人は既に亡くなっていて、三男のみ
一騎討ち。
し烈な後継者争いを繰り広げます。

って結局、義元も当主になりたかったのね。

ちなみに三男も、出家しちゃってます。
三男の方が有利なようですが
三男は側室の子、義元は正妻の子

雪斎が積極的に動き回り、義元有利でことが運んでいきます。
窮地にたった三男は兵を挙げて敗北
花倉の乱です。

義元は還俗し、晴れて当主に。
雪斎は、戦略参謀として、数々の役割を果たすようになります。

甲相駿三国同盟の締結
当時、駿河の今川義元の隣りには、甲斐の武田信玄と、相模の北条氏康
大大名です。

ずっと押したり引いたり、微妙な関係が続いておりました。

今川義元の狙いはあくまで、上洛しての天下取り
眼は西側を向いています。
そこには織田が勢力を急拡大してきています。

後方でこちゃこちゃやっている場合じゃない。

分かっておりますぞ

そうか、やってくれるか雪斎。

あっち行ってこっち行って、こっちの娘を向こうの嫁にやって
今度はそっちの娘
はいみんな親戚。
三つとも仲良しね。

甲相駿三国同盟です。

安祥城の戦い
勢いついてきました。

次なる目標は西です。
そのための準備として、西隣の三河の松平(後の徳川)を支配下に置いています。

織田の急成長に対抗するため
松平との関係を強化しましょう。

松平の跡取り息子、竹千代(後の家康)を人質として
今川の手元に置くことにしましょう。

ところが大トラブル
あろうことか、家康が織田家に捕まって連れていかれちゃった
作戦台無し。

しかも家康のお父さんがその後亡くなったので
頼みの綱は家康のみ

ピーンチ

こうしちゃおれません。
雪斎自ら兵を率いて、戦です。

織田の城、安祥城(あんじょうじょう)を攻め落とし
守っていた織田信広を連れ帰った。

返して欲しけりゃ、家康と交換ね

僧侶として
こうして見ると、完全に武将化しちゃったみたいです
でも大丈夫。

僧侶としての本分も忘れず
天皇の勅令を受けて上洛、妙心寺の住持となりました。

[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

[昭和歌謡]93 四季の歌

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

四季の歌
芹洋子
作詞・作曲、荒木とよひさ
1976年

♪春を愛する人は 心清き人
すみれの花のような 僕の友達

意外に最近の曲だったんですね
音楽の教科書に載っていた気がするから
もっと前の歌だと思っていました。

バス旅行でバスの中で歌ったなあ
これを歌えない人はいないから
全員で合唱できる良い歌です。

荒木とよひさ
この歌は、作詞作曲の荒木とよひさが、プロになる前、
学生の時に、スキーで大怪我をし、病院に入院しているときに作った歌

看護婦さんの間で評判になって歌い継がれた
広がって行ってラジオで話題になり
どんな歌なの? 誰が作ったの?

はーい、僕です。

四季の歌だったからあり得た話ですね
患者さんが歌を作ったんだよ、って言って
聞いて、良い歌ね、となったところで
一回聞いてさっと覚えられるほどのこの歌でなければ
すぐに忘れちゃいますからね

すみれが良いですよね
春の花は山ほどあるけど
すみれ、ってなった時点で、雰囲気が確定します

四季
「国民的愛唱歌」という表現がぴったりの歌です。
この歌を語るとき、にっぽんの、という修飾詞が必ずついて回ると思います。

日本人はほんとに四季が好きですね

以前、テレビで、外人タレントが数人集まって
日本でうまくやっていくためのコツ、みたいな話をしていました。

日本には四季があって、的な話が出たときに、
そうですよねぇ、って大げさにうなづくべし

アメリカとか外国にも普通に四季はあるんだけどねえ
日本人は四季は日本特有のものだと思い込んでますからね

なるほど
緯度が同じくらいの国なら、確かにそうかもね。

ただ、その言葉からも分かるように
四季を一番誇りに思い、目一杯楽しんでいるのは
日本人なんでしょうね。

[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)

江戸検定1級の振り返り

江戸検定1級が不合格だったお話はしました。
それでは、来年に向けてどうすれば良いのか、考えてみました。

対策
今回、1級としては初挑戦してみて
課題が見えたことがあります。

で、考えたのが
「ノートをつけよう」

傾向が分かったので、テキストの読み方に濃淡はつけられます。
でも、テキストはかなりのボリュームなので
全部読んでいこうとすれば、やっぱり大変。

出そうなところだけをかき集めて
ノートとして集めれば
それだけ繰り返し読めば、効率アップ
さらにそこに、語呂合わせみたいな、自分なりの覚え方も書いていけば、よりグッド

いやあ、なんでそこに気づかなかったんだろう。
ノートをつけるなんて、学生の時以来
学生になったようでワクワクします。

ノート
そのノートの付け方なんだけど
普通にコクヨのノートみたいなのにつけたりはしません。

ハイテクで参りましょう。
ブログです。
ブログってとても便利なんですよね
レンタルサーバー借りて、Wordpress って仕組みで書いていて
同じものを若干加工して、趣味人倶楽部にもアップしています。

この同じ仕組みを使えば、ブログでノートが書けるじゃないか
題して、江戸検定1級ノート
江戸検定1級ノート

まだ始めたばかりだけど
イメージはこんな感じね

5年間ブログをやって来て実感するのは
ブログに書くと、覚えられるということ
逆説的ですが、忘れても良いからです。

5年間もやっていると、かなりの量のブログが貯まってます。
例えばウォーキングやっていて、あるお寺で、愛染明王の仏像を見たとする。
あっ愛染明王だっ
昔、ブログに書いたけど、どんなだっけか
愛染明王 検索

自分のブログの範囲内だけで、グーグルみたいに検索ができるのよね
あった、あった、で
又思い出す。
昔自分が書いた時の状況が甦って、頭に定着するのよね

ブログだとリンクが貼れます。
詳しくはこちらってやつ
江戸検定1級ノートから、バンバン自分のブログにリンクを貼れば言い訳です。

例えば、一覧表なんか書き写すのが面倒な時は、
江戸検定のテキストは電子書籍にしてありますので
そのページを出して、ピッとスクリーンショット
表のところだけ切り取って貼れば良い

うーん、素晴らしい。
私はひょっとして
賢いんじゃないだろうか

まずは、2級の時からずっとやりたかった
江戸時代の元号、全て覚える、ってこと
2級だと主だった元号だけ覚えれば何とかなりましたが
1級だと、全部覚えないと
時代の前後関係が分かりません。
15代将軍は全て覚えているから
むしろそれに関連させながら覚えると
ええっと宝暦は、そうそう、家重ねって。

辛酉改元の元号って、綺麗に60年おきにやって来るから
さらにそれだけ、覚えておけば、大体の西暦と関連付ける事だって可能

ひとつじゃ入りきらなくなって
江戸検定1級ノートその1、その2みたいになってリンクで繋がるくらいになっていくと
合格も見えてくるぞっ

ようし、頑張るぞ

江戸検定1級ノートはこちら

[江戸城] 石垣を考える

江戸城シリーズ
石垣に参りましょう。
お城ファンの中でも、1ジャンルが形成されているであろう、大きなテーマ
テレビとかで、石垣を熱っぽく語っている人を見て、以前は
まあ、ご苦労さんだこと
と思っていましたが、まさか自分がそっちに足を突っ込むことになろうとは。

積み方
これを覚えただけで、知った風な顔を出来ます。

3種類の加工と2種類の積み方の組み合わせです。
加工とは、石をどういう状態にしてから積むか
野面積(のづらづみ)打込接(うちこみはぎ)切込接(きりこみはぎ)の3種類
野面積(のづらづみ)は一番原始的な積み方で、石を加工せず、そのまま積んでいく
江戸城には、野面積はありません

打込接(うちこみはぎ)は加工してから積む
加工してから積むんだけど
間に隙間が出来たりして、小さな石を詰め込んでごまかす。

それなりに頑張りました、ってやつ
江戸城で言うと二重橋の横とか

切込接(きりこみはぎ)は、ごまかしなしのぴったんこ
惚れ惚れするやつ

江戸城では半分以上がこれ
桜田門のところなんかは惚れ惚れします。

時代的には、野面積(のづらづみ)打込接(うちこみはぎ)切込接(きりこみはぎ)
の順にはなりますが
打込接(うちこみはぎ)と切込接(きりこみはぎ)で言うと
切込接の方が高度とは必ずしも言えない。

打込接の方が強度が高かったりする場合もある
例えば、江戸城で言うと、白鳥濠の前辺りに、打込接と切込接が並んでいるんだけど
切込接の方が先に崩れて、補修しています。

用途に寄るわけです。
切込接は綺麗なので、お客様が良く通る、門の辺りなんかには向いている
濠の向こう側で、どーんとそそりたっているのは、強度重視で打込接

それらに組合わさる積み方ですが
乱積(らんづみ)と、布積(ぬのづみ)に分かれます。
乱積みはさっきの桜田門みたいに、パズルみたいなの

ある意味芸術的

布積の方は、横の線を揃える
江戸城で言うと、中の門あたり

ブロックみたいで、機械的に綺麗。
揃っているから綺麗なのは綺麗
これこそお客様向けなので、門の辺り
ただ、地震の横揺れに弱い。
あくまでも美しさ重視ね

石垣って、守るって目的だけだと思っていたら
美術品として当時から意識されていたんですね

石垣はまだまだありますので、続きは次回

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)