梵字で組合せ探し

以前、五輪塔や宝篋印塔などの石塔の本を読みました。
その中に板碑等に書いてある梵字について書いてありました。

梵字一文字で、仏様を表す。
例えば、大日如来だとこれ

種子(しゅじ)というそうです。

この一文字だけ書いておけば、仏像をわざわざ作らずとも、
釈迦如来、阿弥陀如来等々何でもOK

それ以来、ウォーキングでお寺とかに行って、墓地の方に回ると
この梵字、石碑とかにかなり多い
こりゃ良いぞ
これを覚えておけば、お寺での楽しみがまた増える
おおーっ、なんとなんと薬師如来じゃありませんか、みたいにね

かっこいいですよね。
これはね、この一文字で、釈迦如来だよ
こっちは文殊菩薩で、こっちは普賢菩薩
ええっ、すごぉい
ってね

ところが、これを覚えるのが至難の技
ええっと、阿弥陀如来は、キリークでここの辺に点々があって
ええい、分からん

梵字入門
そんな事があったもので
今日図書館に行ったときに、梵字入門という本に目が行った
これも、借りていくかな

ふむふむ

梵字は、サンスクリット語の文字
インド北部です。
お釈迦様の生まれ育った地域。

最澄や空海の持ち帰った経典では、サンスクリット語と
それを訳した中国語の対比があったので大研究がなされます。

面白いのが、その後遣唐使が廃止されて、
中国経由の梵字の経典が入ってこなくなると
日本独自の梵字、和様梵字と言われる日本独自の梵字が発達していく。

ええっ
外国語の文字を日本独自に発達させちゃまずいんじゃないの?

梵字の成り立ち
梵字には、字母表というのがあるのか
よしよし、こいつを覚えれば、役立ちそうだぞ



数も51個なので、日本の50音表みたいなものかと思うと違っていました。

梵字は、表音文字
日本のかなやアルファベットみたいです。
ただ、先程言った種子(しゅじ)と言われるものは
一文字で仏様一人に対応するので、一部表意文字的要素もあるのかも

アルファベットのように、子音と母音があり組み合わせて表現する
でも例えばkaのように、合わせて二文字になるかと思えばそうではない
合わせて一文字になるんです。

字母表はその組み合わせる部品の表ということ

母音が16文字(摩多と言います)
日本語は5つだから、ずいぶん多いですね
子音が33文字(体文と言います)
あともう2個重字というのがあるんだけど
どうにも理解できなかったので、省略

例えば、日本のかなでも「゛」をつけると一文字で発音が違うようになりますが
梵字の場合は、子音と母音を合わせて一文字
16×33の文字があると思いきや
子音も母音も複数ずつがあり得ます。

例えば、先程の大日如来の「バン」であれば
子音はバ。字母表の45番。次の図の青く囲んだところ
母音はアン。字母表の11番。次の図の赤く囲んだところ

お釈迦様は「バク」
子音はバ。字母表の40番(青)。母音はアク。字母表の12番(赤)

阿弥陀如来が面白い
キリーク

まず、子音がカ49番(青)さらに、43番のラが組み合わさる(緑)
次に母音で、4番のイー(ピンク)さらにお釈迦様と同じ点々のアク(赤)
何と4つが組み合わさるんですね。
面白ーい。

お誕生月ごとの守ってくれる仏様を一覧にしますので
自分の誕生月の仏様は何と何が組み合わさっているか考えると楽しいですよ

[江戸城] 崖にお堀なんて作れますか?

江戸城シリーズ、石垣は一旦終了にして今度はお堀にいきましょう

お堀
お堀は、お城に簡単に入れないようぐるっと取り囲むものですね

ということは、ドーナツ状に繋がって、全て水で満たされている
普通、そうイメージします。
私もそう思っていました。

ところが江戸城では違うと言うんです。

そんな馬鹿な

江戸城の高低差
江戸って、西半分と東半分で、全く地形がちがいます
西半分は山の手で高度が高い
東半分は下町で、高度が低い

その境目は、なだらかな坂になっている訳じゃなく、崖
すーっと来て、ズドン

江戸城は、その境目のちょうど崖のところに建っています。

えっ、天守閣は傾いちゃいませんか?

大丈夫。
天守閣とか、本丸とかはちょうど崖の上のところに建っています。

崖の下側に、二の丸庭園とか、大手門とか

問題はお堀
ぐるっと取り囲んで繋がっているだけだと
崖の上側のお堀の水は、滝のように流れ落ちて
上側はすっからかんになっちゃうし
下側は溢れちゃいます。

ということなので、実は江戸城のお堀は
上側と、下側でそれぞれ独立しています。

水戸違いと言うのですが
下の図の青いところでは、左右で水面の高さが違います。
高い方のお堀に川からとか雨水とかが流れ込んで水面が高くなってくると
門を開けて下側に水を流します。

赤いラインが崖です

とはいえ、出来るだけ水面の高低差を作りたくないので
高い方のお堀の石垣は、とてもとても高くなります。

外堀まで考えると、最も標高が高いのは真田濠、飯田濠との差は、20mにも及びます。

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

[昭和歌謡]96 あずさ2号

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

あずさ2号
狩人
作詞・竜真知子、作曲・戸倉俊一
1977年

♪明日私は旅に出ます
 あなたの知らない人と二人で
 いつかあなたと行くはずだった
 春まだ浅い信濃路へ

あずさ2号
売れましたよねぇ、この歌
やけに耳に残る歌でした。
男兄弟というのも良かったのかな

「あずさ」は中央本線を経由する特急列車
新宿と松本を結びます。

歌が流行った当時、あずさ2号は、1本は新宿駅を、もう1本は松本駅をいずれも午前8時00分に出発
歌詞では、信濃路へ、と言っているので新宿発の下りのあずさ2号ですね

ところが、1年半後に、下りのあずさ2号がなくなっちゃうんです。

それまでは下り列車は下り列車、上り列車は上り列車でそれぞれに1号、2号、3号
1978年10月2日に実施されたダイヤ改正で、下りが奇数(1号、3号、5号……)、上りが偶数(2号、4号、6号……)
というルールに変わっちゃいました。
あずさ2号は上り列車だけになっちゃいました

対処方法は二つありますね

1.我慢する
2.歌詞を変える

それから何度かのダイヤ改正を経て、今はどうなっているか

あずさ2号は松本駅始発で、午前6時8分に出発。
途中、山梨県の大月駅を、平日限定で午前8時ちょうどに発車しています。

♪8時ちょうどのあずさ2号で~

この特急、進歩しました。
新宿止まりではないんです。
東京駅まで行く

ということは、新宿区の「信濃町」駅を通過する

♪春まだ浅い信濃町~

解決!

[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)

[大岡越前] 防災と福祉政策

大岡越前シリーズとしては最終回になります。

色んな改革を推し進めてきた大岡越前
防災や社会保障も忘れていません。

防災
江戸時代は様々な災害がありました。

特に一番大問題だったのが火事

明暦3(1657)年に江戸中を焼き尽くす大火があり
その後に消防組織ができた。
幕府直轄の旗本達による、定火消(じょうびけし)と
大名が分担し合う大名火消

以降この組織で消防は担当していたんだけど
あくまでも対象は、武家屋敷

火事は武家屋敷だけを選んで燃える訳ではない。

町人が放っとかれているのはおかしいんじゃないの
と、大岡越前は町火消を創設

江戸を47地域に分けて、いろは47組に
当時の消防は、ポンプでプシューと水を出す技術が未だ無いため
水をかけての消火は気休め程度

類焼を防ぐために、風下の家を壊すという活動がほとんど

となると、鳶職をはじめとする建築関連の職人のいる町人の方が得意技

次第に町火消の方が力を持ち、大名屋敷も火消し、最終的には江戸城までも
町火消が担当するようになります。

社会保障
そのため、一旦火事が起きたあとの被害はずいぶん減ったんだけど
大火の頻度自体は減らなかった。

実は原因の一番多いのは放火
一旦火事が起きると、建築関連の人たちが儲かるんです。

火事と喧嘩は江戸の華っていうのは、若干そういう意味合いも含んでいます。

火事で家が焼けちゃったとか、消防活動で家を壊されちゃった人達は
明日から生活が出来なくなってしまう。

対象が多すぎるので、もともと生活に困っている人に限定
あらかじめ、リストアップされた人が火事にあったとき、実際に支給された。

さらに、その後、対象を拡大
親や妻子、あるいは自分が重病なため、その日を送れない人にも支給されることになった

さらに、翌年、小石川養生所を作る
貧しくても医者にかかれない人が入れる病院

正直、幕府自体も火の車
きっちり基準を決めることにした。
どういう条件のひとに何回まで、いくらか

この時、はじめて福祉がシステムとなったと言えるでしょう。

享保の大飢饉
享保17(1732)年、西日本一帯をイナゴの大群が襲った
ちょうど米の収穫時期で大打撃
江戸時代三大飢饉の享保の大飢饉

江戸も他人事とは言えず、
幕府は江戸で米を買い上げ、西日本に送る
大岡越前は、その担当となった

一気に江戸の米が枯渇する
せっかく物価が安定していたのに、米価が大暴騰

生活できない人が激増し、福祉は待ったなしになってしまった。

福祉の対象者をさらに拡大

それでも事態は急速に悪化した。
高間伝兵衛という商人が大量の米を買い占めているという噂が出た
窮民数千人が高間宅に押し寄せ
打ち壊しをしてしまった。

これには大岡越前も大ショックを受ける

公共投資
江戸城のお堀を浚うという仕事が今まで定期的に行われていたが
享保年間になってから全く行われていなかった。

騒動のすぐあとに発注
働き口の確保
今で言う公共投資

専門の請負業者に頼む
その業者も特需なので多くの人を雇う筈

でも、名主は、業者ではなく直接各町に割り当てて欲しいと要請

大岡越前は悩んだあげく、却下
業者としてもずっと何年も待たされていた訳ですし。

その代わり、掬い上げられた土を運ぶのは一般市民がやってよし、ということにした。
運べば、賃金が支払われる。

そんな努力もあって、江戸の経済も少しずつ落ち着いていく。

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