神田祭り2日目。神輿宮入

昨日
2年に一度のお楽しみ、神田祭りでわっしょい
で、神輿宮入(みこしみやいり)は諦めるけど
神幸祭と付け祭で大満足とレポートしました。

もうひとりの自分が問いかけます。

君は本当にそれで良いのか
2年に一度だぞ
後悔は無いのか

答は出ました。

大手町
一番時間が早いのは、8:30の外神田地区連合
神田明神の近くなので、距離的にはそれほど長い巡行ではありません。
時間的に間に合わないので、見送りましょう。

9:00に開始の大手・丸の内町会の将門塚保存会による大神輿
何といっても、神田明神に祀られる三柱の神様のうちの一人
平将門です。
元々神田明神があった場所が、大手町のビルの間に、将門塚となっています。
そこから、神田明神までの巡行
神輿の数はひとつだけですがね、考えただけでもワクワクします。

15分前に、将門塚

あれ?誰もいない
もう一度本を確認
9:00に丸紅株式会社前、と書いてある
GoogleMapで検索するも、どうにもどこの事だか分からない
5分前にようやく、はっぴを着た人がいたので質問したが
どうにも良く分からない

ええい、パス
次の場所へゴー

中神田
中神田十三ヶ町連合が10時に出世不動通り集合、とある
早めに着いちゃうけど、待ってましょう。

あっ、何か騒がしいぞ
もう、やってるじゃん

さすがに十三ヶ町連合
13の神輿が大集結って訳でしょう。
その向こうにも違う色のはっぴを着た違う町会のお神輿
こりゃ面白い
掛け声がさっきと違う。

あらら、その向こうにも
これもまた掛け声が違う

みるみる内にあっちもこっちも、お神輿だらけ

私のような見学者はほとんどいないんだけど
はっぴを着た人達であふれかえります。

要所要所で一回休む前に、一本締め
よーぅおっ
チャンチャチャン チャチャチャン チャチャチャン チャン

それぞれに盛り上がり方が違っていて
うわあ、ここの町会、思いきり気合い入ってる
あっ、あの人裸足だけど大丈夫?
女の人も混じってたり
そもそも、全員女性の女神輿というのもあったり。

間近に通りすぎる時は、ど迫力でございます。

いやあ、すごかった。
次は、っと

考えていたのは、10:30に出発の神田中央連合
靖国通りの、神保町寄りです。

途中、公園で綺麗なお姉さんたちが
着飾って集合写真を撮っているのに出会いました。

歩いていっている間に考えました。
13個ももうみちゃったし
神田中央連合も、似たような感じかなあ。

あっそうだ

昨日、本を熟読していて分かったことがある
江戸時代には、山車(だし)と神輿の両方だったんだけど
今は山車は、昨日の神幸祭で背の低いものとして使われるだけと思ってました。

四つだけ昔のタイプの山車がある

そのうち二つは、昨日も写真を載せた、神田明神に飾ってあるだけのもの
残り二つの内、ひとつだけ、宮入りするものがある

神田松枝町会のもの。岩本町・東神田地区連合の中のひとつです。
9:00スタートだから、スタート時点にはもういないけど
途中で待ち構えていれば、見れるのではあるまいか

昌平橋へゴー

間に合ったかな
岩本町・東神田地区連合の神輿が続々と通っていきます。
コースを逆に歩いていって探すとしましょう。

万世橋の交差点辺りで大きな電気屋街の間を抜けていくお神輿は
ちょっと不思議な気がします。

あっ見えた。
ちょうど止まっているのかな
誰も引っ張っていません。
中で、太鼓と笛がピーヒャラトントン
こりゃ大興奮

ずっと見ていると、
あっ上の羽衣の人形が小さく隠れていったぞ

これは、江戸時代に、江戸城内に入るため
門を潜れるよう、からくりにしたという
その延長線で、電線くぐりのためか

おっと、また出てきたぞ
と思ったらぐるりと回り出した。
うわあ、面白かった。

引くところを見たかったんだけど
当分動きそうにない。

いいや、次行くか
そろそろ、色んな町会が神田明神に宮入りし出す時間だろう
宮入りってどんな感じなんだろう

神田明神
昨日に引き続き、またまたやってまいりました。神田明神

ちょうど末広町が宮入りしている最中でした。
沿道とは大違いです。見物の人人人

良く良く考えれば、ここにさえいれば全ての町会が見れるという理屈ですからね。
みんな賢いわ。

どんどん盛り上げるために、
はい来ました、はい一本締めではい次
みたいな流れ作業にはなりません。

まだ声が小さい!みたいな感じで押し返され
担ぎ手は疲れも最高潮なんでしょうけど
思いっきり声を張り上げる。
俺たちの町会が一番でいっ、て事かな

見学の人がまだ声が小さいね
もみが足りないんじゃないの、とか言ってたから
それが「もみ」ってことなのかな

次に来た、宮本町なんて、もまれるもまれる
最高潮になって一本締め

すごいわ。こりゃ日本の誇りです。

あっそうそう
拝殿の正面は宮入りで使うから、参拝のために正面には並べないけど
サイドから、参拝できますとのこと。

昨日、あまりの行列で参拝できなかったけど
今日は参拝して参りましょう。

どうか、今度の本番納品が滞りなくいきますように。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

姫路城レポート、続きの続き。好古園、値打ちあったねえ

姫路城レポート
姫路城レポートの続き
の続きです。

好古園
父さんが来たことあって、良かったよ、との事
日本庭園です。

姫路城で好古園との共通券を買いましたからね
そういうのって、チケット途中でなくしちゃって大わらわ、なんてな事になるんだよね
大丈夫、そうならないように、バッグの奥底にちゃんと押し込んだから

あれっ

いくら探してもありません
バッグをひっくり返しても。
大わらわ、なんてな事になっちゃいました。

1040円のうち、好古園はいくらなんだろうとビクビクしつつ参ります。

途中、池のお堀に、船がいました。
今度、あれも乗りたいなあ。

300円なのか
助かったぁ

単なる日本庭園ではありません。
庭園がいくつもあって、さながら日本庭園のテーマパーク

今まで、色んな庭園を巡ってきて
確かに、それぞれ趣は違うんだけど
そんなに、色々集めてどんなふうになるんだろう。
まあ、見てみましょう。

築山池泉の庭
最初、築山池泉の庭から見始めました。
築山池泉というくらいですから、極めて標準的
日本庭園の標準的なものは、これですよ
まず、これを頭に入れてくださいよ、という主張なのでしょう

さすがです。


竹の庭
なるほど、こういう事が出来るわけですね
竹って、日本庭園では重要アイテムだから
色んな庭園に登場しましたが
竹というテーマだけで庭作りましたって、あまり見たことがない
日本庭園のテーマパークならではの贅沢な考え方です。


松の庭
来ましたねえ
竹が来たなら、松も来なきゃね


この庭が一番難しかったんじゃないかな
松って日本庭園で主役だから
どーんとあって、他は、松の引き立て役に回る感じ
主役級を揃えても、こうすれば成り立つという、絶妙バランス

夏木の庭
これは、落葉樹ばかりなので、紅葉の時期
すごいことになりそう

藤棚もあったので、今の時期も楽しめました

流れの平庭
水の流れを一番強調した庭
ここ、すごく好き
夏木の庭は、渋目に押さえてあるんだけど
こっちはぱあっと明るい



松の庭、夏木の庭、流れの平庭の三つは、同じ流れが続いていくので
連続しているんだけど
ちょっとした塀で分けて、雰囲気やテーマを分けることで違いを楽しめる
連続なのに非連続
うーん、憎いね

花の庭
松と、竹があったので、梅もないと揃いませんね
今の時期は、梅は咲いていませんでしたが
色んな花を集めた庭


茶の庭
城下町って感じの道を隔て

芝生が印象的な茶の庭
やっぱり、日本庭園にも芝生は合うなあ


ゆっくりお茶を楽しむ事も出来ます。

活水軒と御屋敷の庭
活水軒というレストラン
あら残念
レストランでお食事する方は、さらに素晴らしいお庭をご覧いただきましょうという趣向ですな

大丈夫。
今まででも十分楽しめました。
感謝感謝

横からちょこっとぐらい見れたりするかも知れないから
入り口ギリギリまで入ってみましょう

あれ?
横に道があるぞ

なななんと良心的な
食事しなくても、奥の庭まで行けるじゃないですか
しかも、滝っ
そういうと、今まであんなに色んな趣向があったのに滝だけなかった。

こんな立派な滝、なかなかお目にかかれません。

すごいです。ネーミングぴったり、超豪華な庭です。


贅沢の極み
姫路城の天守閣が借景です

いやあ、最後にこんなすごい庭を残していたとは。
すごい筈です。
後で分かったんですが
もともとここが、姫路城城主の下屋敷。
なんと、ここにあの吉原から今の金に換算して、億の金を出して身請けした
高尾太夫も住まわせていた。
好古園はここから広がっていったんですね
ほんとの御屋敷の庭だった訳です。

苗の庭
いやあ楽しかった
堪能しました。
帰り道はこっちかな

ん?

ここ、色んな花が咲いているぞ
日本庭園ではないんだけど、庭園に持っていくための植物の予備軍

それにしちゃここすごい
花カレンダーで花に興味を持った私としては、無茶苦茶楽しい
こんな最高級のおまけもあるなんて
ずいぶんここで時間を取りました。



いやあ、値打ちあったねえ
これで300円はすごいよね

正純は600円だけどね
そうだったそうだった。
600円だったとしても、値打ちあるよ

ずいぶん充実した一日でございました。

いっぱい並んで、いっぱい歩いて。

今年90歳になる父さんは、
さぞ疲れたかと思いきや
微塵も疲れた様子なし。

こりゃ、100歳まで生きちゃいそうです。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

「令和」の主、大伴旅人は愛妻家

決まりましたねぇ

私が一押ししていた「幸」の字は残念ながら落選

でも、この「令和」一目見てとても良い!と思い
さらにその出典を聞いて惚れました。

響き
音の響きがまず良くないですか
「れい」は素敵だわぁ

「礼」に通じるし
何と言っても「零」に通じるところが良い
零は0で和も輪だから
どちらも丸で良い時代になりそう。

良いなあと思ったのは、「和」って足し算の答えだから
0を足すってことですよね
0を足したら何にも変わらない。
良いなあ
何も変わらないという生き方
そのまま、ありのまま、ってことです。

昭和も平成も色んなものが足されて、発展してきて
もちろんそれは良いことだったけど
一度立ち止まり、そのままで良いじゃない、って世の中。
経済発展みたいな事より、今あるもので、楽しむってどうでしょうって。

万葉集
中国の古典からじゃなく、国文学からも含めて考える、みたいな事を言われていたけど
正直ピンと来ていなかった。

本当にそうしたんですね。
素晴らしいです。

ピンと来ていなかったのは、国文学って平かなのイメージがあったからで
漢字二文字なんだろうしなあ、って

なるほどそこかあ、って思いました。
万葉集なら、漢字です。
そもそも、かながまだ無かった頃です。
万葉がなは、日本の言葉を書き残すため
宛て字として漢字を使った。

初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ
良いですね
風和らぎなんて何て美しいんでしょう。
これも、全部漢字で書いてあった筈です。

大伴旅人(おおとものたびと)
大伴旅人ですって。
大興奮です。

大伴家持のお父さんですよ
かささぎです。
かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きをみれば 夜ぞふけにける
七夕ソングでしたね。嬉しいです。

大伴旅人なんてどれだけお洒落な名前なんでしょう。

大伴旅人は九州福岡の太宰府に赴任。
隼人の反乱を平定するための赴任なので、仕事ぶりを認められての事
でも、太宰府ってどうも都から外された人ってイメージが有りますね。

そんな人たちも実はとても素晴らしい人が多く
大伴旅人が彼らの本来持っている文化的素養を大きく引き出し
歌の世界では、太宰府グループが大きな地位を占めるようになる

その人たちを32人集めて、梅花の宴を催し、32首の歌を詠んだ
その時の序文が、
初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ
なんですね。

大伴旅人はとっても愛妻家。
太宰府に行くときは、60歳を過ぎていたんだけど
奥さんと一緒に赴任。
ところが、まもなく奥さんは亡くなってしまう。

旅人は、奥さん大好きだったから、それから詠む歌はほとんど奥さんがらみ

一仕事終えて、都に戻れるようになって
戻る最中に詠んだ歌

還(かへ)るべく時は成りけり 京師(みやこ)にて 誰(た)がたもとをか わが枕(まくら)かむ

(いよいよ都に還ることになった。だが、都に帰って、私はいったい誰の腕を枕にして寝ようというのか)

京師(みやこ)なる 荒れたる家に ひとり宿(ね)ば 旅に益(まさ)りて 苦しかるべし

(荒れたわびしい都の家に独り寝たならば、旅寝にもましてどんなにかつらいことだろう)

吾妹子が 見し鞆(とも)の浦の むろの木は 常世(とこよ)にあれど 見し人ぞなき

(妻が往路に見た鞆の浦のむろの木は、今も変わらずにあるが、これを見た妻はもはやこの世にいないのだ)

索引はこちら

元号の名付け方、その3。菅原さん、こっちが良いです。

元号の名付け方
元号の名付け方、その2
の続きです。

今回は手続き的なことをお話しましょう。

天皇
新しい元号を何にするか最終的に決めていたのは天皇です。

でも、天皇が膨大にある中国の文献に当たるのは無理
そこで、文章博士(もんじょうはかせ)なるひとたちが
候補を洗い出します。
そこから、公卿会議で吟味を重ね
最終的に候補を二つにする

天皇の出番

うーん
こっち!

良いですね。この制度
今回もこれでやったら良いんじゃないかな
今回は自分の名前にもなるわけですからね

二つのうちのひとつだったら、突飛なものにはなりませんしね
ゲートウェイみたいな

象徴は実質的な政治には関わっちゃいけないってことは分かるけど
二つのうちのひとつを選ぶことが実質的な政治じゃないでしょう。

文章博士
候補を洗い出す、文章博士はどういう人かですが
律令制度での朝廷の役職のひとつ

まさか、改元のためだけにいるの?

そんな訳ないですね
要は国語の先生。

大学寮という官僚の教育機関があるんだけど
その中で漢文学や歴史学を教えていた先生。
天皇にも教えていたし
他のお公家さんの提出すべき文章を代筆したりする
国語のスペシャリスト。

そんな天才もなぜか世襲になっていって
平安時代末期になると
大江家、菅原家、藤原家が独占。

さらに室町時代以降は
改元の候補出しに関しては、完全に菅原家が独占。
「寛正」「文正」「寛文」という3つの例外を除いて
全て菅原さん

国語の天才の家系と言えば今なら金田一さんですね

昔は、
えっ、菅原さんでらっしゃるんですか
へへーっ

菅原さん、この文章をお読みでしょうか
すごいですよ
あなたの祖先が全て元号を決めたんです。

現在
今は、文章博士という役職はないから
内閣総理大臣が選んだ、有識者といわれる人が
候補をいくつかあげて、提出
内閣官房長官と内閣法制局長官らが候補を数案に絞り
最終的に全閣僚会議で閣議決定

残念!
そこ、最後のところ
一つじゃなくて、二つにならんかなあ

こっち

索引はこちら


プリムラ

花カレンダー始めました