無念!江戸検定1級が無くなっちゃう

昨日、江戸文化歴史検定の事務局から封書が届きました。

期待していたのは、「何かの間違い」
採点ミスかなんかで合格してないかなと

江戸検1級。残念!58点。

おおっ。自己採点とぴったり一緒の58点

合格80点以上で、58点じゃ、どれだけひっくり返っても合格しませんね

でも、今年のお題、新江戸東京百景巡りのところ、1~20問までは見事に19点でした。

平均点は55点
3点しか上回っていないのね

ただ、2級合格者しか受けられないので、全員猛者たち
私が2級合格に3年かかったように、何年も受け続けている人もいるでしょうから
初挑戦で平均点に達したのは、そこそこなのでは?

よしっ、毎年10点ずつアップしていって、3年後には合格だ

えっ
ところが、その封書の中にびっくりの文言

2006年より始まりました江戸文化歴史検定は、2020年第15回の実施をもって終了となります。

えええっ。あと1回しかチャンスはないってこと?

この数年、とても充実した日常を送ってこられたのは
江戸検というあなた様の目標があってのこと

ラブユーとうきょう江戸検定でしたのに

今後、どうせいと言うのでしょう。

3年計画などと、トロいことを言ってんじゃない、との八幡神からのお告げでしょうか

あと1年はなあ
こっちは2級合格に3年もかけているのですぞ。

予感はあったんですよ
データを見ると、2級3級の受験者は、年々減少傾向
そんな中で、1級だけはずっと横ばいだったんです。
2級に受からないと1級は受けれないんだけど
1級はマニアックすぎてそんなすぐに合格できるしろもんじゃない
2級合格者が増えていく数と、1級合格者+もう無理と1級を諦める人の数がバランスしていたんでしょうね

去年一昨年と会場が小さくなっていってたからなあ。

無くなっちゃうと言うことは
5年もすれば、江戸検の存在を覚えている人はいなくなるから
自慢するのも難しくなるよね
自慢して誉めてもらうのが3度の飯より好きなんですけど。

ええい
ごちゃごちゃ言ってないで
やれるとこまでやることにいたしましょう。

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

[名僧] 本因坊算砂。囲碁界で知らぬ者なし

名僧シリーズ
今回は囲碁です。

10秒 20秒 5 6 7 白 12の13 なんちゃらかんちゃら
日曜日の度にNHKでやっていた囲碁の対局
父さんが毎週欠かさず見ていた。

この 10秒 という係員の声が全くの無感情でとても面白かった。
もっと場を盛り上げるような楽しそうな言い方は出来んのだろうか、と

父さんに教えてもらって、ルールだけは知っていて、ちょこっとだけやったことがある
石の取り合いなのかと思っていたら、陣地の取り合いだった事にびっくり
局地戦ってあんまり関係無くて、全体を見渡す必要があるっていうのが、世の中を示唆しているようですごいなあと。
でも、そこまで
それなりに強くなると面白いんだろうなあ、とは思いましたが

毎週ぼおっと横で見ていて、いつも同じ質問

これ、見てて面白いん?

面白いよ

今、どっちが優勢なん?

うーん、白かなあ

大体、思っているのと逆

前置きが長くなりましたが、今日は、囲碁で有名なお坊さんのお話です。

本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)
1559~1623年 日蓮宗

本因坊って耳にします
誰それが、本因坊にも勝利し、どうたらこうたら

お坊さんの名前だったんですね

元々は、本因坊算砂が初代となる本因坊家という囲碁の家元のこと
それにちなんだタイトルを作ろうよ、となったんでしょう

九歳のときに日蓮宗の僧・日淵の弟子として出家

日淵は「安土宗論」の参加者の一人
「安土宗論」とは、日蓮宗が過激な言動を繰り返し、他の宗派と仲が悪くなっちゃったもので
織田信長が乗り出して、議論大会を催したもの
勝利したのは、浄土宗
最初から、勝敗は決まっていたんじゃないかという感じがする

あんまり過激なのはどうかと思いますよ、と

織田信長が言うのも
お前が言うか、って気がしますが。

本因坊算砂は、若い時から、囲碁将棋の達人。
噂を聞いた織田信長
安土宗論の件で、気まずかったので
囲碁の対局を見たいと言う名目で
算砂と、同じく日蓮宗の僧の利玄を呼んだ。

利玄もたいそうな囲碁の達人で、
江戸時代に大きな権勢を誇った碁の家元、林家の始祖となったひと

あまりに見事な対戦に、信長大感激
勝者算砂を「名人」と呼んだ

本因坊戦と並ぶ、7大棋戦、名人戦もこの時の名称に因みます。
一人で二つのタイトルの元になったなんて恐るべし。

最後に信長の前で碁を打ったのが、1582年6月1日
場所は本能寺です

その時、
三劫(さんこう)(将棋でいう千日手のような、どちらかが意図的に避けない限り永遠に同じ流れが続く状況のこと)
が出現したといいます。
滅多にあることではありません。

翌日のことがあるので、不吉の前兆だと言われるようになりました。

帰り道、明智光秀とすれちがいます。

こんにちはーっ

どうもーっ

1588年には、豊臣秀吉の前で碁を打っています。
秀吉も多いに感服
土地を与えられ、そこに寂光寺を再建している

さらに、徳川家康も碁が大好き
五十石五人扶持の俸禄を与えられている

そして、碁所(ごどころ)という囲碁の最高権威者の初代となっている。

囲碁打ちと言えば、私の中では、すぐに渋川春海が思い浮かびます。
江戸時代に中国からの借り物でなく、貞享暦(じょうきょうれき)という初めての日本製の暦を作った人
碁打ちの大家、安井算哲の息子で、二代目安井算哲となる
算が付くから、算砂の流れを組むんだろうと調べたら
算砂の流れの本因坊道策とはライバルだったようです。

算は、あやかって付けたんでしょうか

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[江戸城] 石垣の切り出し方

前回、石垣については一旦終了と言っちゃいました。
間違えました。
切り出し方、運び方をお話するの忘れていました。

石丁場
今まで、江戸城の現場でどう積むかという話でしたが
その前の、山の方

地域によって採れる石材は異なりますから、石垣の表情も異なってきます。
色だったり質感だったり

やっぱり近いところから持ってくる事が多く
大阪城や岡山城は、小豆島等の花崗岩(かこうがん)
白っぽい石です。

和歌山城や徳島城は緑色がかっています。

江戸城は、ほとんど伊豆半島から切り出されました。

耐火性に優れ、風化しにくい、とっても硬い安山岩系と
比較的に軽く加工しやすい、やわらかめの凝灰岩系に分かれます。

採石場の事を石丁場ないしは石切場と言います。
静岡県賀茂郡松崎町の室岩堂は、観光地として整備されているので見に行けます。

下田市吉佐美(きさみ)のホテルの洞窟風呂は、石丁場を活用したものです。

切り出し方
植物や生物に繊維があるように
石にも繊維のような「目」があります。
プロはこの目が見ただけですぐに分かる。

まず、その目に沿って、長方形の穴を切り取り線のように開けていきます。
切り取り線のようです。矢穴と呼びます。
そして、その矢穴に、楔(くさび)とせりがねという薄い鉄板を差し込みます。
そして、上からハンマーでまんべんなく叩き、パカッ

この前江戸城に行ったとき、矢穴が残っている石がありました。

目を読み間違えて、失敗しちゃったんでしょうね
いいや、このまま使っちゃえ、というのがお茶目です。

断崖絶壁で、今のビルの窓拭きで使うような吊るし籠に乗って矢穴を開けている絵も残っています。

運び方
切り出した石は小さめの石ならもっこと言われる道具や木の棒にくくりつけて運びます。

もっと大きな石は、修羅と呼ばれるソリ状のもので運びます。
ある程度平らな道の良いところにまで運べると、牛車も使います。

港まで運ぶと船に乗せます。
多いときには、3000隻もの石船が月2回往復しました。

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[江戸城] 崖にお堀なんて作れますか?

江戸城シリーズ、石垣は一旦終了にして今度はお堀にいきましょう

お堀
お堀は、お城に簡単に入れないようぐるっと取り囲むものですね

ということは、ドーナツ状に繋がって、全て水で満たされている
普通、そうイメージします。
私もそう思っていました。

ところが江戸城では違うと言うんです。

そんな馬鹿な

江戸城の高低差
江戸って、西半分と東半分で、全く地形がちがいます
西半分は山の手で高度が高い
東半分は下町で、高度が低い

その境目は、なだらかな坂になっている訳じゃなく、崖
すーっと来て、ズドン

江戸城は、その境目のちょうど崖のところに建っています。

えっ、天守閣は傾いちゃいませんか?

大丈夫。
天守閣とか、本丸とかはちょうど崖の上のところに建っています。

崖の下側に、二の丸庭園とか、大手門とか

問題はお堀
ぐるっと取り囲んで繋がっているだけだと
崖の上側のお堀の水は、滝のように流れ落ちて
上側はすっからかんになっちゃうし
下側は溢れちゃいます。

ということなので、実は江戸城のお堀は
上側と、下側でそれぞれ独立しています。

水戸違いと言うのですが
下の図の青いところでは、左右で水面の高さが違います。
高い方のお堀に川からとか雨水とかが流れ込んで水面が高くなってくると
門を開けて下側に水を流します。

赤いラインが崖です

とはいえ、出来るだけ水面の高低差を作りたくないので
高い方のお堀の石垣は、とてもとても高くなります。

外堀まで考えると、最も標高が高いのは真田濠、飯田濠との差は、20mにも及びます。

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