[ことば日本史] 知らぬ顔の半兵衛

ことば日本史、戦国時代から

知らぬ顔の半兵衛
織田信長は、美濃国の領主、斎藤龍興(さいとうたつおき)を攻めるにあたって、
美濃国の有力者である竹中半兵衛の助力を得たいと考えていた。

信長から勘当されていた前田利家は、
よしこれはチャンスかも
半兵衛の娘、千代と恋仲になり
お父さんの半兵衛を抱きこもうとはかる。

だが半兵衛は、一枚上手だった
心をゆるしたふりをして、
信長側に味方してほしいという利家の申し入れを聞きながら、
逆に織田信長の情勢を聞き出して、
その情報を龍興に伝えた。

この故事にちなんで、
人から助けを求められた者が人情をかえりみず動かないことを
「知らぬ顔の半兵衛」と言うようになった。

もっとも、これは事実ではなく、
寛政元年(1789)年に大坂で初演された人形浄瑠璃
『木下蔭狭間合戦』(このしたかげはざまがっせん)で創作された話。

実はもうひとつの説
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が竹中半兵衛勢を含む全軍を伴って出陣
ところが旗色が悪くなった

全軍撤退ーっ

でも、竹中半兵衛は聞こえないフリ
今日耳日曜

こらあっ半兵衛
命令じゃあ、何しちょる

でも残った竹中半兵衛勢が大活躍の逆転勝利

秀吉
おおっ、よくやったよくやった

申し訳ございません

はあ?撤退?
わしそんな事ゆうたっけ

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

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