神社シリーズのうち、出雲大社の3回目
[出雲大社]現人神である国造
[出雲大社] 大国主命。どういう神様なんだろう
の続きです。
今回は最も謎多き、建物の話
拝殿と本殿
出雲大社と言えば、拝殿にある大しめ縄
かっこ良すぎます。
そして本殿は、高さ24m(8丈)もあるどでかい国宝
ところが、昔はその倍の16丈(48m)もあったとの言い伝えがある
そのさらに倍の32丈という説もあるほど
これだっ
16丈(48m)説の根拠が平安時代の中期に書かれた「口遊(くちずさみ)」という児童向けの本
掛け算の九九が最初に書かれた本でもある
そこに「雲太、和二、京三」とある
建物の高さ比べ。
和は大仏殿、京は平安京の大極殿
雲は出雲大社だと思われるが
大仏殿が15丈なので、16丈は十分あり得る事になる
にわかに信じがたい事なので、議論を呼んでいたのだが
平成12年というから、まあまあ最近
新たな証拠が見つかった。
どでかい柱を3本をくくりつけて1本にした柱の跡が見つかった。
時代測定すると鎌倉時代のものだったことが判明
少なくとも、鎌倉時代には、高層出雲大社があった確率が高い
本当だったのか
国造の千家家に残る古代の出雲大社を描いた、「金輪造営図」という図面とぴったり一緒
俄然、議論が盛り上がり
色んな建築の専門家が、こんな風だったんじゃないかと、10分の1模型を作った
それが島根県立古代出雲歴史博物館にあります。
ただ、そんな高層建築は、当然不安定。
百練抄という本に、長元5()年に出雲大社が倒れたと書かれている
国造の千家家に残っている資料には
平安中期から鎌倉時代までの200年で7回も倒れたと書いてあった。
これはひょっとして、高層建築があった事の裏付けのような気がする