士農工商ってほんと?

福の神、貧乏神、という本を読みました。

七福神ファンですから。

七福神巡りは何度もやっていますが、
お寺に祀られていたり、神社に祀られていたり様々

一つの答えは、神仏習合で、神道も仏教もいっしょくただから。
この辺の話は、いつか数回に分けてじっくり話したいと思っています。

もうひとつは、神道だの仏教だのにとらわれない、民間信仰だから。

草の根的な自然に沸き起こってくる信仰。

名僧シリーズでやっているような、えらい人は誰一人からまない。
とても不思議。
庚申塔や富士塚や小さなお地蔵さんや。
ウォーキングをやっていると気になることだらけ。

この本を読み進めていくと、とても興味深いことが書いてある。

七福神の広まり
七福神が広まった一つの要因は、広めた人がいるから

大黒さん、恵比寿さん、毘沙門天あたりで顕著なんだけど
例えば、大黒さんなら大黒舞みたいなのがあって大黒さんの格好をしたり
恵比寿さんの人形を持ったりして
めでたい口上を言って家々を回る。
正月だと、門付けといって、
獅子舞みたいな感じで、家々を回ると
いくばくかのお金をもらえる。

ただ、それが成り立つのは、正月のようなごく限られた日だけ
また来たってことになるから
地方を回って、それで広がっていくということになる。

とはいえ、それだけで生計がたつとも考えがたく
おそらく本業が別にある

どういう人達かなんだけど
この本によると、いわゆる被差別層の人達。

信仰や宗教って、穢れ(けがれ)と実は表裏一体。
穢れの代表格は死
でも、葬式は仏教寺院の主要な収入源になっている。

死体を片付けるというような、誰もが忌み嫌うような仕事は
被差別層の人達が担当しているけど
実は、信仰的な事と、極めて近い距離にいたことになり
そのままの自然な流れで、民間信仰の中心的な役割を担うようになっていったのだと。

驚きました。
ただ、理不尽な扱いを受け続けていたと思っていたのに
ありがたや、と手を合わせてもらえる対象の一役も担っていたことになる。

頭の中が大混乱です。

改めて疑問が沸いて来ます。
士農工商って何だろう

士農工商
江戸時代が好きで、ずいぶん本も読んだけど
読めば読むほど一つの疑問が沸いて来ます。

士農工商ってほんと?

教科書で習った江戸時代の、基本中の基本のキーワード
士農工商という身分制度があったと習いました。

でも、どの本を読んでも、士農工商について書いていない。

こんなに出てこないのはやっぱりおかしい。
士農工商って身分制度は、本当はなかったんじゃないのか。

考えてみれば、士農工商は矛盾がありすぎる。

漁業や林業はどれよ
朝廷や、お公家さんたちはどうなるの?
大人気の相撲取りや歌舞伎役者や落語家等の
江戸を象徴する人達は、商、なの?工、なの?

一番の疑問は
江戸の中で15%の敷地面積を占めていた、神社仏閣
僧侶や神職が入っていないのは、おかしすぎる。

出家というのは、俗人ではなくなるという意味だから
枠組みのどこにも入らないって事かも知れません。
天海をはじめとして、かなり社会の根幹的なところを担いましたので
やっぱり納得がいきません。

昨日書いた一遍の時衆たち
かなり、被差別層の人達の割合が大きい。

一遍自身だって、乞食僧だから、アウトロー

七福神でいうと、私が一番好きな、布袋さんは、乞食僧です。

そういう人が神様になっちゃう。

例えば、仙台で超有名な福の神、仙台四郎って知恵遅れです。

恵比寿さんだって、元々は立てない未熟児の蛭子命(ひるこのみこと)が元になっているし
そもそも、夷(えびす)や戎(えびす)って外国人を見下した差別用語です。

結局、「関係ない」んじゃないだろうか

庶民の文化を見ていくにつれ
武士たちを支配者、自分達は被支配者なんて感覚はどうにも見てとれない
ほぼ対等にとらえているし、
ともすれば、小馬鹿にしていたりする。

頼りにしているのは、武士達や立派なおエライさんじゃなく
弱いものの立場に立ってくれる人を神としてあがめ
そんな、身近な神様を
たのんまっせ、と頼りにしている。

これこそが、日本の誇るべき、八百万の神なんじゃないだろうか。

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神田上水物語。春日与右衛門の優しい気遣い

神田上水物語。主人公は3人
神田上水物語。楽しい口喧嘩
の続きです。

春日与右衛門(かすがよえもん)
水道が橋を渡り、市中にやって来て、春日与右衛門にバトンタッチというところでしたね

与右衛門は若いけど、頭も良く経験豊富

よしっ任しとけ、で良いんだけど
ここが与右衛門の良いところ。
腰が低く、各所のプロたちに頼んで歩く。

どうかお助け下さい。

利根川東遷の伊奈忠次にさえも頼み、快く引き受けてもらった。

ここに、素人の試行錯誤が高度な専門家の仕事に取って変わった。
江戸の中をこんな感じの木で作った水道管が張り巡らされることになります。

地図にするとこれくらい

毎日のようにやって来る藤五郎や六次郎が
昨日も説明したけど、という初歩的な質問をしても嫌な顔ひとつせず
実物を見せながら丁寧に説明する。

藤五郎さんが言うにゃ、水は高いところから低いところにしか流れねえ
途中に低いところがあったら、とてつもなく深く掘らなきゃいけねえんじゃないかと

はい、その質問ですね
前もありました。
では、与右衛門に変わって、でーこんが説明することにいたしましょう。

途中に桝(ます)という井戸のようなものを作ります。

そうすると、一旦下がった水位を回復することが出来るから
ずっと深く堀り続けることなく、ノコギリの歯のように下げては上げ、下げては上げることが出来る
結局は、最初の流し初めの水位までは戻ってくれるから
こんなふうに下から上に管を上げることだってできる

枡は、そういう水位を上げる目的
水道管が交差するときのつなぎめ

汚れを沈殿させて、水を浄化させる
という3つの役割を持った優れた仕組みなんです。

実際に、汐留の再開発の時に掘り起こされたのがこちら

地下に潜った水道から水を汲み上げるときは、こんな感じの井戸から汲み上げます。

おう、でーこんとやら、ありがとよ
でも、説明の仕方は、
この前、与右衛門さんに聞いたときの方が分かりやすかったな

こらっ
分かってるんだったら、質問すなっ

開通式
さあ、工事は完了
今までは水の無い状態で工事していました
最初の神田川から分かれるところの蓋を外し
いよいよ今日、水を流してみることに致しましょう。
開通式ですね

理論的には大丈夫な筈ですが、ワクワクドキドキ

功労者、大久保藤五郎と内田六次郎も呼ばれました。

ありがとう、わしたちも呼んでくれるなんて。
感激で感激で。

おいおい、藤五郎さん、泣くのはまだ早いぜよ。

お二人には大事な役目をしていただきます。

ええっ
何かやることがあるのかい

はい
最初に流れてきた水の、味見をしていただきます。

ええっ
そんな大事な役目を?
全てお前さんの手柄なのに。

この日、江戸中大騒ぎ
歴史的瞬間を見ようと大勢の人が集まってきています。
弁当屋まで出て、さながらお祭り気分。

「今、堰が切られました」

ドドドッ
ドドドッ

六次郎の掘った上水を順調に進みます。
カーブしているところでは、ドンっとぶつかるものの何とかクリア
決壊する場所もなく進んでいきます。

そして六次郎の作った水道の橋を渡ります。

よっしゃあ

地下の木製水道管に潜り込みました。

枡へ
枡が満たされ、次の枡へ

三人が待つ水道井戸へ

来たーっ

与右衛門さーん

おーい、また泣きそうになってる
味見だよ、味見

おう

あああ、うまい
こんなうまい水は飲んだことがない

と、そのあと
キャーッ

女性の悲鳴が

見るとあちこちの地面から、噴水が噴き出している。

どうしたどうした。
与右衛門さん
これは一体

そうかぁ
水の勢いが強すぎたんだ。

とりあえず、止めよう。

まさか、強すぎて駄目なんて、考えても見なかった。

大丈夫、与右衛門さんの知恵があれば。
何か方法はありそうかい

そうですね
入り口の関口の堰のところに仕掛けを作るしかないでしょう
その前の神田川は、水の量が多いときもあれば少ないときもある
どんな時でも同じ勢いで水が流れ込むような。
すぐには思い付かないけれども

かなり時間がかかるということだな
わしゃもう年寄りだ。今日の事だけで十分。
良い思い出になったよ。
人生で最良の日だった。

やはり、かなりの時間がかかった。
十余年の日々。
それまで、ただ自然に分岐するだけだった関口の堰は
今で言うダムのような、大がかりな建造物になった。

その後、明治34年まで、300年近くの間、
関口の大洗い堰と名付けられた
水量調節機能の付いた堰は稼働し続ける。

再稼働の日
春日与右衛門と、内田六次郎は静かに手を合わせた。

藤五郎は天の上から見てくれている事だろう。

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センペルセコイヤ

花カレンダー始めました

神田上水物語。主人公は3人

今度、神田上水を辿る、というウォーキングイベントをやります。
下見の様子はこちら
神田上水を辿って

本屋でチラチラ本を立ち読みしておりまして
「家康、江戸を建てる」という時代小説が目に止まりました。
門井慶喜さん。慶喜というペンネーム自体、徳川好きが滲み出ております。

4章立てで、第一章が利根川東遷
おおっ
第三章が神田上水
おおおっ

これは読むしかありませんな

神田上水
びっくりしました。
認識が違っておりました。

大久保藤五郎は知っていましたが、全て大久保藤五郎がやったものと思っていました。
担当したのは三人、それぞれが協力しあいながらだったんですね。
もちろん、小説なので多分に演出は入っていましょうが
信用する前提で話を進めて参ります。

大久保藤五郎
内田六次郎
春日与右衛門

小説として実に良くできていて
喜怒哀楽の激しい藤五郎、お調子者の六次郎
この二人、口喧嘩しあいながらも、同じ目的に向かう仲間として本当は仲良いんだろうなと思わせる
春日与右衛門は、専門家で断トツの切れ者だけど
二人を馬鹿にすることなく、功労者として気遣う優しさがとても泣かせます。

大久保藤五郎
三河時代からの、家康の家臣
他の三河武士同様、この身を投げ売っても、家康のために、と思っています。
三河時代に、戦で負傷し、下半身が不自由です。

おぬしは菓子作りが上手じゃな

あ、ありがたきお言葉

その上手で江戸の民々に水を飲ませてやってほしい。

秀吉から関八州への国替えを命じられて程なくのこと

江戸はとても人が住めるような場所ではなかった
下町はビチャビチャ、山の手はカラカラ
下町は飲み水がありそうに思うが、満潮で海水が奥まで入り込むから
飲み水が有るわけではない。

言われている意味が理解できた藤五郎
その大仕事を自分に与えてくれたことに感激し、既に泣き出している。

体が不自由になった今、武で功をなす事は無理
菓子司という菓子を作る役職に就いた。
自分でも意外だったが、菓子作りという仕事にとても向いていた。
天職かと思えた。
極意とも言うべきことが分かった
それは、水だった。
水の良し悪しで菓子は決まる。

そうか、殿はワシの仕事を奥底まで理解してくれていたのか
この仕事、ワシにしか出来まい。

殿、お願いがございます。

ほお、なんじゃ

このお役目、拙者ひとりにお任せくだされ。
未来永劫、余人にはお命じあられぬよう

大いによし

震えるような、飛び上がるような

まだ信じられない。
この、どこまで続いているか分からない荒れ野原を
自分の手で人が住める大地に変えるのだ。

水を求めて
いてもたってもおられず、
馬に乗り、かごに乗り
方々に出掛けた。

うまい水のありかを知らぬか

言われたところ全て行っては見たが
ことごとく期待は砕かれた
江戸の民たちは、このような不味い水を、うまいと飲んでいるのか

苛立ちはつのるばかり

鷹狩り
家康は、最大の趣味、鷹狩りのために、あちこちに出掛けた

武蔵野の原野が多かった。
後に「三鷹」の呼ばれる土地もその一つ

一通り楽しんだあと

在の者を呼べ

連れてこられたのは、40代半ばの、薄汚い百姓

へえ、殿さん、なんだべか

このあたりで、良い湧き水は知らぬか

このわしを誰だと思うとる。そんなものはおやすい御用
付いてきな。

森の中にあった。
泉。
というより湖に近かった。
澄みきった水、
流入も流出もありそうにない。

全て地下水なのか

わしらは、七井の池っち呼んじょる

(後に「井の頭」と呼ばれることになります)

口に含んで飲み干した。
これだっ

おぬし、よう、よう、ここに案内してくれた。
ええと

わしゃ、六次郎じゃ

六次郎とやら
おぬしは今日から、普請役(ふしんやく)じゃ

??

この水を江戸のすみずみへ配分する、その上水の普請を命じる。
役人じゃぞ

役人という言葉は分かった
百姓にとって、とても輝かしい言葉

へへーっ

初めて、ひれ伏した。

神田
そうとは知らない藤五郎

ようやく、ようやく探し当てた
神田の土地に、こんこんとわき出る清水

藤五郎の肥えた下にも十分であった
次から次から、涌き出る様子は、枯れることも無さそうだ

早速、水を持って、家康の元へ

おおっ
見事じゃ
よくぞ見つけた。大手柄じゃ
この水を、江戸中に行き渡らせるのじゃ

今日から、お前に主水の役を授けよう。
古代からの、水を司る役割ぞ
いや、主水(もんど)と濁ってはいかん
藤五郎は、「もんと」じゃ

もちろん悪気はありません。
大いによし、と約束したのを忘れているだけ

さあ、どうなりますでしょう
この続きは、シリーズの次回でね

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スイセン

花カレンダー始めました

1/20 大寒 江戸の大晦日までの色々

二十四節気シリーズです

大寒  だいかん 最も寒さの厳しい頃  01月20日
(旧暦 12月15日)

年の市
煤払いも終わり、旧暦では正月へのカウントダウンということになります。
神社や寺院では、祀られる本尊と祭神の結縁日(けちえんにち)に市が立ちます。
今年最後というこの時期には、特別、年の市という名前になります。
水天宮は5日、薬師は8日、金比羅(こんぴら)は10日、祖師は13日、観音は18日、大師は21日、地蔵は24日、天神は25日、不動は28日という具合
お互いに少しずつずらして共存を図ります。
これ全部行こうとすると、えらい忙しいですね
正月を迎えるための色んな品物を買うための縁日市が立つ訳ですが
正直それだけが目的なら、最寄りの神社や寺院のどれかひとつに行けば事済む訳です。
でも、おそらく複数に出かける
金がもたないなら、別に何も買わなくったって
そういうところに行くのが楽しい。

遊びの天才。遊ぶために必死
翌月には、それぞれ、初水天宮だの、初薬師だのと、全部に初がついて大にぎわい。

縁日の出店もそれぞれ日にちがずれていれば回れますからね

寒念仏・節季候
小寒と大寒の期間の30日間を「寒の内」という
その間、鉦(かね)を鳴らし、念仏を唱えつつ山野を巡ることを「寒念仏」という
この声や音を聞くと、みんな季節感を感じていたんですね。

この仏教上の行事を真似てというかかこつけてというか
寒念仏の代行と勝手に言って、僧でもない人が「まかしょ、まかしょ」と言いながら家々を回り
金品をもらい歩く「まかしょ」

「節季候、節季候」(せきぞろ、せきぞろ)と言いながら家々を回る「節季候」もいる

江戸って、基本的にツケ商売で
代金はまとめておいて、年末に回収
今でも「これじゃ正月を越せない」と言うことがあるけど
当時は、本当に実質的に、正月を越すってことは重要な事だったんです

ここからが、私が江戸の人たちを大好きなひとつの要因です。
こりゃ年を越せないとなっても
深刻にはなりません。

「まかしょ」や「節季候」と言いながら誰かの家に行けば良いんです。
今年は若干でも蓄えが出来たという時は、めぐんでくれます。

いつ自分もそうなるか分からないんでお互い様って訳です。

餅つき
正月が近づいて来ると、正月用の餅をつく必要がある
裕福な家は自分の家でつきますが
一般庶民は、大体、年の市で買ってくるという事になります。

雪見
遊びの天才、江戸庶民の真骨頂が雪見
当時は、気候が今より寒く
江戸でも良く雪が降り、積もることも多かった。
雪は均等に降るから、そこいらで見ても十分綺麗なんだけど
雪の名所にわざわざ出掛けていく。

見晴らしの良いところが良いので道灌山(どうかんやま)飛鳥山(あすかやま)
湯島、谷中等の高台、
高輪海岸、上野の忍ばずの池、隅田川の堤など。

大晦日
そしていよいよ大晦日
商家はギリギリまで代金の取立てに走り回る

庶民たちは、最後の仕事を終え、一杯引っ掛けた上で
深夜営業の風呂屋に出かける

この日だけ、江戸は特別に、眠らない町となる

年越し蕎麦を食べる習慣は、元禄の頃に始まったようです。

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ポインセチア

花カレンダー始めました