[大奥]4 家綱→お楽の方。それから

大奥シリーズ
3代将軍、家光の乳母、春日局の時に仕組みが作られ、
5代将軍、綱吉の時に大きく発展する大奥
間の4代将軍の時には小休止的感があります。

それには理由があって、大奥が物理的に無くなったから

その話の前に、お母さんから

お楽の方
家光が初めて女性に興味を持ってくれたのが、お万の方
ただ、春日局は、お公家さんだという事が気に入らず
懐妊しても、堕胎薬を飲ませてしまう。
ほうずきってそういう機能があるんですって。

さあ、お万の方とそっくりで健康な子供を産めそうなお尻の大きな人を探せ
江戸中探し回って、見つけたのがお楽の方
家綱のお母さんです。

お楽の方(最初はお蘭と呼ばれていました)の両親は狂喜乱舞

ただなあ
いいや、どうせいつかばれるだろうから言っちゃえ

実はこの家庭、ちょっといわく付き

お蘭の実の父親は、元百姓
江戸に出て、旗本に奉公に出る
仕事ぶりが認められ、侍に取り立てられる
主人の姓と同じ朝倉という姓をもらい
朝倉宗兵衛と名を改め、用人にまで出世
ここまでは良かった。

ところが主人が亡くなった後、横領していたのがばれ、所払いになる。

貧乏のどん底
田畑もないので、鴨などの野鳥を取って何とか生活

ある日、鶴が取れた。
鶴は取っちゃいけないご法度なのね
何とかばれずに売りさばいて小金を得た。

味をしめちゃったのね
何度も鶴を取っているのがとうとう分かっちゃって、打ち首
妻と子供は、
古河城主の永井尚政に揚り者となる刑罰。
奴隷ということです。

永井尚政が移封になったタイミングで何とか許され
無罪放免
お蘭を連れて、お母さんは後妻に入ります。

数奇な運命。
お蘭がそんなに美人だったという事は、
お母さんも美人だったのかも

春日局はひた隠しに隠します。
永井尚政の養女だったと。

正妻
家綱の正妻は、やはり京都から。
伏見宮貞清親王の姫顕子です。

でも、このめでたい事の前に、明暦の大火という江戸の6割が燃える大火事が起きます。
その時、天守閣は火薬が貯蔵していた事もあって大爆発してこっぱみじん。
大奥のある本丸も完全に焼け落ちます。

奥さんどうします?
二の丸・三の丸も全焼
西の丸しか残っていなかったので、西の丸で結婚式をあげます。
祝い事を発表するのもはばかられる空気だったので
公には発表なし

諸大名にも、
来なくて良いからね
贈り物もいらないよ

本丸が出来るまでは御台所(みだいどころ)とも呼ばれませんでした。

そのせいでもないでしょうが、夫婦仲もいまいち
先代の家光程じゃないですけど。
当然、正室が懐妊する事もありませんでした。
淋しく、37歳で亡くなります。
 
側室は、お振(ふり)の方と、お満流(まる)の方などがいます。

お振の方は、大変美しかったのですが、
懐妊したものの、まもなく熱病のためなくなりました。19歳でした。

お満流の方は懐妊したものの、妊娠7か月で流産してしまいました。
再び懐妊しますが、懐妊中に家綱が病気となってしまいます。
またしても流産。

結局、お世継ぎが産まれず
せっかく、春日局がお世継ぎを安定的に繋げていくためのシステムとして
作り上げたはずの大奥は、
次の代に早くも破綻してしまったのです。

結局は、養子に舘林藩に出されていた弟の綱吉が将軍を継ぐことになるんです。

でも残念
綱吉にもお世継ぎが出来ませんでした。
4代5代7代とお世継ぎの出来ない、大変な徳川家の前半戦となります。

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梅 舞扇

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[昭和歌謡]71 二人でお酒を

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです

二人でお酒を
梓みちよ
作詞 山上路夫 作曲 平尾昌晃
1974年

♪うらみっこなしで別れましょうね
さらりと水に全て流して
心配しないでひとりっきりは
子供の頃からなれているのよ
それでもたまに淋しくなったら
二人でお酒を飲みましょうね
飲みましょうね

梓みちよ
イメージチェンジ成功例ですね
こんにちは赤ちゃんはかなりインパクトが強いので
ここから抜け出すのは大変です。
本人も、こんにちは赤ちゃんを歌うのが嫌になっちゃって

まあ、困っちゃうな、よりは小幅かなとは思いますが。

大前提の依頼が、イメージチェンジする歌でお願いします。
作詞の山上路夫は、考えたあげく
梓みちよ本人がお酒大好きなので、お酒好きな女性像というそのままが良いのかなと

演歌でない歌手にお酒の歌というのはかなり冒険だったらしいです。

あぐらを組む演出は、梓みちよ本人が考えたらしい
「おんなだてらに」あぐらを組むって良いんじゃない
梓みちよも一生懸命だったんですね
確かにあれがなければヒットしなかったかも知れません。

このあと、こんにちは赤ちゃんが逆にすんなり歌えるようになったそうです。

二人でお酒を
別れの歌ですね
後腐れない別れ
なかなか出来ないから理想なんでしょうね

実は私はこの感覚が全く分からない。
別れる、って経験がないんです。
ダメージがあるほどちゃんとお付き合いしたことがない。
好きな人に告白して駄目だったというレベルはいっぱいありますが。
早い話がモテなかった。

唯一ちゃんとお付き合いしたのがカミさんです。

人生、つらい別れを経験することで深みを増す、ということはあるでしょうね
良いんじゃないでしょうか
かるーく軽薄に生きております。

「二人でお酒」って憧れるなあ
みんなでワイワイも勿論良いんだけど
静かな飲み屋でしんみりと、ポツッポツッとしか喋らずに、さしつさされつ

昔、時間ですよ、とか、寺内貫太郎一家とかのワンシーンでありましたね
藤竜也とか

でも、いざとなると、沈黙が耐えられない関西人ですから
何とか相手を笑わそうと頑張っちゃうんでしょうね。

今度、娘を誘ってみましょう。

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梅 一重野梅

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[赤穂浪士]1 大石内蔵助

赤穂浪士シリーズ
いよいよ、四十七士を個人別の話に入っていこうと思います。

出来るだけ史実に基づいて、とも思いますが
どうしても面白いエピソードは仮名手本忠臣蔵等の物語の方に多いもんですから
七三で物語の方も入れ、さらにでーこん的演出もちょっとだけ

最初は当然この人から

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)
表門組 大将 筆頭家老 45歳

本名、大石良雄
内蔵助(くらのすけ)は役職というか位の名前というか
大石家で代々受け継いで行く名前になります。

表門組というのは、討ち入りの時の事を言っておりまして
四十七士は二手に別れ、表門から討ち入る表門組と裏門からの裏門組になります

表門組の大将が大石内蔵助
ちなみに裏門の大将は大石主税(おおいしちから)です。

19歳で大石家を継ぎ、わずか21歳で赤穂藩の筆頭家老
内蔵助が35歳のときに「松山城の受け取り」という仕事をまかされて、
その仕事ぶりは大評判。

忠臣蔵などでは健康的でがっしりしたリーダーっぽい見た目で描かれることが多いけれど、
実際は梅干しのような丸顔の小男だったらしい。

家族は、奥さんのりくと長男の主税、次男吉之進、長女くう、次女るり
長女は、うちのセキセイインコと同じ名前です。

性格的には細かいところまできっちりしていて、頑固者
でも、色んな意見があった47人をまとめあげる訳ですから
かなり人望があったんでしょうね

参勤交代があるので、各藩そうですが
地元中心にいる人と、江戸中心にいる人とに分かれる。
大石内蔵助は地元中心にいる方。
堀部安兵衛とかは江戸中心にいる。
どうしても感覚に温度差が出るんです。

地元中心の人は、主君個人よりは、「浅野家」という家に仕えている意識の方が強い。
頭に来た仕返ししてやる。より、何とか家を存続させたいとなる

まだ弟の浅野大学がいるので、何とか心証を良くして存続させてもらえないか。

実は、赤穂藩では、過去に、いわゆる乱心ってのを2回経験している。
それによると、正気で刃傷沙汰を起こすとうんもすんもなくお家断絶なんだけど
ご乱心の場合は、まあ本人だけの問題だし、家は存続っていうこともある
あくまでも、そういう場合もある、ってだけなんだけど
ちょっとおかしな人というのは知ってはいるので
やっちゃったのね、とは思っている。

もちろん、殿はご乱心で、ってことは口が避けても言えないのがつらいところなんだけど
可能性は残っている。

内蔵助が最初に考えていた案は、自分以下家臣が大挙して江戸城へ行って
大手門の前で全員切腹。
可哀想にと、お家を再興してくれるかも知れない。
すごい事考えますね
お家が安泰なら自分も安泰という考え方なら分かりますが
自分が死ぬ事でお家を守るというのは私の理解の範囲を越えます。

結局、お家最高の望みが完全に消えてから
討ち入り案にまとまっていく訳です。
死にたくない人は離脱していって、
結局は自分が死ぬ前提の案にシフトする訳です。

良い悪いの問題を言い出すと色々あるでしょうが
単純にすごいなと思います。
何かのために自分の命を差し出す。
絶対に、私には出来ませんから。

長男とは、行動を共にしますが
妻とあと3人の子供を守るため
妻を離縁します。

討ち入りの時、装備した小刀に書かれていたのは
「万山不重君恩重 一髪不軽臣命軽」
(万の山々よりも主君の恩は重く、その前では自分の命は一本の髪の毛よりも軽い)

辞世の句
あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし

あら楽や、となっている資料もあります。

どうも本当はこちらっぽい

極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人

浅野内匠頭も含めた48人で一緒に極楽に行きたいなという歌です。

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梅 八重野梅

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[名僧]空海。憧れの唐で。

[名僧]空海。ありがちな青春時代のそのあとに。
の続きです。

最澄だけが、遣唐使で唐に行っちゃったところでしたね

あれ変だなあ
最澄と空海、同じ遣唐使で唐に渡ったんじゃなかったの?

そうなんです。

当時の日本製の船はかなり技術レベルが低いので
唐まで行ければもうけもん的確率
案の定、最澄の船は漂流し、九州は太宰府に流れつきます。
四艘、500人の大船団だったが
最澄以外の船も全て失敗、各地に流れ着いた。

ほとんどみんなが京都に戻る中
最澄だけは太宰府に留まり、再挑戦への準備

そんな中、再挑戦は来年の7月と決定されます。

最澄は気合いを入れ直しますが
辞退者続出
みんな漂流して死と隣り合わせでしたからね。

追加募集!

大きく定員割れしているので
前回よりは選定基準が甘くなりそうです。

空海
よっしゃあ

もう、意地張っている場合じゃありません。
もう一度時間をもらえたわけです。
最低条件の僧の試験の合格。
主張を一旦押さえ、7月までに合格しようじゃないですか。

東大寺で試験に合格

20年間唐に滞在しないといけない「留学生(るがくせい)」として
遣唐使にも採用されました。

20年間も唐にいるつもりはさらさらありませんでしたが
まあ、行けさえすれば何とかなるっしょ

出発
出発して2日目に早くも漂流を始めます。
4艘はバラバラに

空海の船は34日間も漂流します。
8月10日、予定地よりかなり南の、福州長渓県の赤岸鎮に流れつきます。
日本じゃなく唐に流れ着いた。

最澄はというと
さらに長く50日間も漂流し、
9月1日、予定地よりかなり北の、明州の寧波に流れ着いた

あとの2艘は、1艘は日本に流れ着き、もう1艘は沈没。

でもせっかく唐に流れ着いた空海の船
上陸許可が下りません。
こっちはエライさん誰も乗っていませんので。

こっちでは判断できないから、あっちへ向かえ
次はあっちへ向かえとたらい回し。

流れついてから既に二ヶ月が経過。
あきらめかけたけど、
ダメモトで唐側へお願い文を書いてみようということになった。
メンバーの中で一番下っぱではありますが
中国語の読み書きが一番出来るのは空海
空海が書いて、唐側に渡してみた。

唐側は、その文書を見て驚いた。
単に目的だけが書かれた、事務的文書じゃなかったんです。

韻を踏み、古代の有名な漢詩のフレーズも引用しつつ
とてもきれいな文章
それでいて、これまでの経緯や目的、日本の代表として来ていること
唐を誉めつつ、上陸を許可することによって得られる利得が
理路整然と、しかも分かりやすく書いてある。

これが本当に外国人の書いた文章なのか

扱いがガラリと変わった。

さあ、長安へ
本来の目的は長安に行かないと達成できません。

元々遠いのに、
流れ着いた場所からは、気が遠くなるほど遠い。
中国って広いですからね。
乗り物は馬、馬車、時には船、そして徒歩。
2400kmを昼夜兼行で過酷な旅を続ける

50日かけて12月23日、ようやく到着
唐に流れついてから既に半年が経過しています。

ところで最澄ですが、最澄は長安へは向かわず
天台山へ向かっています。
最澄の一番の目的は天台宗の習得ですから

何かこの足取りを見ると、最澄ずるい、とか思っちゃいますが
目的が違いますから、ずるくはないです。

長安で
遣唐使一行は、唐の皇帝とも接見でき、外交目的を果たせてやれやれ。
もちろん、仏教の習得も、経典も収集できたりして、まずまず。
さあ、帰りましょう。

空海は20年いないといけない留学生。
みんなとはお別れです。
元気でねー。

空海は、さあこれから。
長安は当時にして既に人口100万の国際的大都市
空海は、西明寺に寝泊まりすることになります。
西明寺は、インドはサンスクリット語の各種経典を、
中国語に翻訳する作業を大々的に行っています。
空海の最大の目的はサンスクリット語の習得ですから、願ったり叶ったり。

空海は以前提出した文書の一件で
一部の人には知られた存在になっていて
わざわざ空海を訪ねて来る人もいたりします。
元々中国語は得意ですので、様々な人と交流を持っていきます。

そんな中で、醴泉寺の般若三蔵というインドの僧と仲良くなります。
そして、般若三蔵から「恵果(けいか)」という名前を聞きます。
恵果は、インド密教を唐に伝えた不空の一番弟子で、その教えを今に伝えているという
密教の最高峰
長安の東の端、青龍寺にいます。

密教は、一旦未発達のまま日本に伝わるが
本場インドで二つの経路で体系付けられ完成を見る

ひとつは、金剛頂経(こんごうちょうぎょう)と言われるお経に基づくもので
不空は大日経による密教の正統な継承者で、その一番弟子が恵果

もうひとつは、空海も日本でほぼ原書に近いものを手に入れた「大日経」
善無畏(ぜんむい)という人が体系付けたが、その弟子から
恵果はこちらも完全習得

両方を完全に習得できているのは
インド、中国を通じても恵果しかいません。

早速会いに、と思いきや

いや、恵果大先生に失礼がないよう
サンスクリット語でちょっとしたやり取りが出来るようにしてからだ。

せっかく、インドの僧、般若三蔵と仲良くなりましたからね。

さらに半年後の5月末
萬を持して恵果の元へ

そこで、思いもよらぬ対応を受けることになります。

続きはシリーズの次回ね

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梅 鴛鴦(えんおう)

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