伊勢神宮。せんぐう館へ

伊勢神宮。これでようやく死んでも良い
の続きです

月夜見宮
一通り回ったところで、案内板を見ると、月夜見宮が近くにあるではありませんか
ガイド本では、少し遠かった印象なのであきらめていたのですが
近そうだから行ってみようかな

後で調べると、遠かった方は月読宮
同じ月読命(ツクヨミノミコト)を祀っている
良かった良かった
近くて得した


こちらは外宮に比べると参拝者が少なめ
静かにお参りできます

月読命(ツクヨミノミコト)は、月の神様で、天照大御神の弟でスサノオのお兄さん
千木(ちぎ)は外削(そとそぎ)なので、男性の神様の位置づけです

外宮に戻ってきました
あとで行こうと思っていた「せんぐう館」に参りましょう

すごく良かった
お伊勢さんに行くなら絶対行った方が良いと思います
「へええ」「ほおお」を何回言ったことか
でも、残念
写真NGなのよね
あああっ、ここ写したいーって言いながら回りました
ネットに出ている写真を拝借しながら説明します

20年に一度行われる式年遷宮がなぜ行われるのか
という理由が説明されているのかと思っていたんですが
それよりは、式年遷宮の際に、どういう儀式が行われるか
どういう風に新しい建物が建てられていくか

そして、唸らされたのは「御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)」
ものすごい手間隙かけて作られる調度品
よくもまあ、こんな細かいところまで美しく仕上げるのかとため息

20年に一度ずつこれらも作るんですって
神様に捧げるためだけに

美の局地


圧巻だったのが、正宮の実物大模型
下から見上げるとど迫力

作られていく過程をCGで再現した映像も流れていて
おおっおおおーーっ

せんぐう館の中から隣の勾玉池を見れます
これがまた素晴らしかった
中から外なので写真は大丈夫かとパシャリ


数々庭園は見てきましたが、その中で最高レベルのお庭でした

このあと、内宮へ向かいます
続きはまた

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

伊勢神宮。これでようやく死んでも良い

ゴールデンウィーク
関西に来ています

父さんが老人住宅に入って初めて面会に行こうと思います
それに先だって、大阪の長女夫婦のところに泊めてもらい
長女夫婦と一緒に行きます

となると、せっかく関西方面に行くんだから
関西方面でどこか観光に行きたい

超大物の東大寺と金閣寺は行ったので
残る超大物
伊勢神宮だ

私のいた兵庫県で、当時中学校の修学旅行はお伊勢さんと決まっていたので
行っているはずなのですが、覚えているのは、
親戚のおばさんに赤福買ってきて、と頼まれた事くらい
「行っていない」のとほぼ等しい

歴史の勉強をするたびに
一生に一度はお伊勢さんに行かないと死ねない
という庶民の気持ちが分かる気がしてきている

さらに今全国の観光地の勉強をし、観光の業界に挑戦しようとして
伊勢神宮に行かないわけにはいかない

朝5時に起きて出発だ

外宮
にわか仕込みでガイド本を読む
外宮から先に行かないといけないらしい
はい、分かりました

ああ、来れたんだ

ガイド本の順番に回りましょう
(るるぶ伊勢神宮から引用)

まずは一番メインの正宮

中は撮影NGなのでここまで

構成としてはこうなっている

横が同じ広さで確保されていて、式年遷宮でまるまるポコッとお引っ越し

このあと、いくつもお詣りに回ります
多賀宮

土宮

風宮

木の太さがどれもこれも尋常じゃない
ひとつならまだしも、どれもこれもが見たこと無いような太さ
特別な場所が、ずっとずっと続いているんだなあと感じる

亀石

絢爛豪華なすごさではなく
あまりに何も無いシンプルな事のすごさ

鳥居は極めてシンプルな神明鳥居

稲妻型の紙垂(しで)もない
その代わり、鳥居に付いているのが榊

ガランガランと鳴らす鈴もない

狛犬もいない

おみくじもない

神社ってこうですよ、というスタイルが確立される前の形が
変えられることなく、そのまま続いている

ない、ってことでの特別な感覚
とても太い木々たちのかもしだす雰囲気

ああ
ここは伊勢神宮なんだ

一生に一度は行かないといけないと思いつつ過ごし
実際に来れた時に
やっぱり特別な場所だったんだ
来れて良かった、と思ったろう

これで、いつ死んでも良い

続きはこのあと

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

[庭] なんで花が

[庭] 野菜作りを仕切り直し
[庭] 順調に育っています
の続きです

4/26
トマトがすごいことになってきました
真ん中がトマトで、1m近くに成長

トマトに比較すればですが
キュウリは、頑張っている最中
イメージでは、キュウリネットに絡まりつつ伸びていく、って思っているのですが
髭みたいなのは出ているのですが、ネットにうまく絡まってくれないんですよね

と思っていたら、今朝
ありゃりゃ
花が咲いているじゃないの

背丈的には全然なのに、どうなっちゃうんでしょうか

ナス
元気がないわけじゃないけれど
大きくなってくれない
まあ、これからなのかなあ
と思っていたら、今朝
ありゃりゃ
まさかの
こっちもつぼみが


こんなにちっちゃいのに、なんとしたことか

咲きたい時に咲く
これが俺の流儀さ
何か文句あんの?

はい、失礼しました

新入りがやってまいりました
ミニトマトです
カミさんがお弁当に入れたいからと、苗を買ってきた

植えましょう

2つある奥の方の畝
日当たりが良くないので、去年、全滅だった
仕方ないので、今年は手前の畝だけでやろうと思っていたんですが
場所がないので使わざるを得ません

ごめんね
ミニトマトちゃん
悪気はないの
環境に負けず、育っていただけると、おじさん嬉しいな

ポットに種を植えていた、トマトとカボチャとナス
いつまでたっても芽が出なかったので完全にあきらめておりましたが
何か出てきたぞ

草だと思ってはいたけど、二葉のあと、本葉が出たのを見ると
これは、苗のトマトと似ている
トマトなんじゃなかろうか
ってことで、奥の方の畝に植えてみました
奥の畝はダメ元でございます

さらに、茎が紫がかっているのがあったのでナスかな

種からシリーズの中で、いけるかも、ってのがカボチャ
ポットから、プランターに植え替え
プランターは、日当たりが確保できます
さらに、去年大成功だったオクラ

左がカボチャで右がオクラ
奥の方もオクラだけど、奥の方はいまいちかな

みんな頑張れ

[庭]シリーズはこちら(少し下げてね)

[勝海舟] 明治の勝海舟

[勝海舟] 不良父ちゃんだったけど
[勝海舟] 船の上で死ぬなら本望
[勝海舟] 西郷隆盛や坂本龍馬との出会い
[勝海舟] 海舟は千両箱なり
[勝海舟] 江戸城無血開城。江戸焦土作戦
の続きです

明治になって
江戸城無血開城という大仕事を終え、明治になる
上野戦争や戊辰戦争は続くが、勝海舟は加担していない
徳川家は田安家の家逹(いえさと)が家督を継ぐ
駿府藩主、その後静岡藩知事になる

海舟は家逹に仕え、静岡に行く
15代将軍慶喜は水戸で謹慎したあと、静岡に移っている

静岡にいる間も何かと呼び出され、度々東京に出向いている

明治4年、廃藩置県
家逹は静岡藩知事でもなくなり、海舟や慶喜と共に東京に戻っている

その後、家逹は天璋院篤姫に養育されている

私は明治になってからの勝海舟が一番好き
性格がよくあらわれている人生だと思う

海舟は、新政府の要請を受け、様々な要職につく
新政府は度量が大きいと言いますか
幕臣を起用しています
本来ならば敵な訳で、起用するのは変なんですが
榎本武揚、勝海舟、渋沢栄一、徳川家逹も

海舟もおさまりが悪かったんでしょう
どんな職についてもすぐに辞めちゃっています
就いている間も特に何をするわけでもなく、めくら判を押すばかり

では、明治における海舟は、意味を持っていなかったかというと、そうではない
一言でいうと「なだめ役」

新政府はかなり強硬に改革を進めていったから
もっと暴動が起きそうなもんだけど
そこそこで済んだのは海舟の存在が大きい

最終的に幕府の代表を務めたのが海舟だったから
新政府に不満を持つものは、たびたび海舟の元へ伺う
そのたびに、特有の性格と江戸弁でのらりくらりといなす

なだめ、が効かなかったのがひとつ
江戸城無血開城交渉で心が通じ合った仲の西郷隆盛
結局西南戦争に走ってしまった事に

新政府はあなたが代表者だったじゃない
なんで、そうなるの

残りの人生の多くを「名誉回復」に費やす

西郷隆盛
そして
徳川慶喜

自分の事より、誰かのために

上野に西郷隆盛の銅像が立ち
徳川慶喜は、「徳川慶喜家」の創設を許され、寛永寺の敷地に墓を立てることもできた

洗足軒
田町での江戸城無血開城交渉のあと、さらに具体的な交渉のために
池上本門寺に向かうとき
危険な目に会い、逃れたのが洗足池

その時に目にした洗足池の風景がとても気に入る
後に、洗足池のほとりに土地を買い
洗足軒と名付けて移り住む

晩年は、気の会う仲間たちと、和歌を詠んだり、魚釣りをしたり
せがまれて撮った写真

77歳で他界
慕う人たちが、行列をなした

洗足軒があった場所のすぐ近くに、自らデザインした墓が立っている

さらにその近くに、西郷隆盛を讃える碑が立っている

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)