キャベちゃん、ようやく母性本能開化


黄色がキャベちゃん、白色がおこめちゃん

セキセイインコのキャベちゃんが卵を産んだ話はしました
キャベちゃん、卵、卵よ

そのあと、一回出来損ないの卵はひとつ産み落としましたが、それっきり変化はありませんでした。

卵!
10日ほど前に、卵だっ

くうちゃんの時も同じ経緯を辿りました

最初卵を産んでもどうともならず、本人も興味を示さず
ずいぶん期間を開けて、今度はボコボコボコっとあら増えてる、今日もまた増えたと
とうとう5個に
くうちゃんの卵
ボコボコ産み初めてからは見てて可哀想になるくらい、食事もまともに取らず卵を温め続けた
結局孵らなかったんだけど

2個目
2個目の卵が見つかりました
1個目同様、巣箱に入れてあげました
ところが興味を示さず。
いっこうに温めようとしません

旦那様のおこめちゃんは、巣箱に入られちゃうと相手をしてくれなくて寂しいので
巣箱の前に立ちはだかります

置いてかないで~

それでも隙を見つけて巣箱に入ると
おこめちゃんは一生懸命呼びます。

ぴよぴよぴよ(帰っておいで~)

キャベちゃんも愛する旦那様に呼ばれると、
まだまだ卵への執着がありませんので、すぐに出てきちゃいます。

ある日、ふと見ると、巣箱の中にふたつあるはずの卵がひとつ
さては落としたな

でも下にはなし

食べちゃった?

残骸もありません

良く良く見ると反対側のゲージの端っこにありました。

うちのゲージは二つのゲージを合体させています。
日曜大工で作ったのね

愛の渡り廊下と呼んでいます。

手も無いのにどうやって反対側に運んだのか
転がしただけじゃ渡り廊下に乗っかりません。
加えることも無理だろうし

底抜け脱線ゲームのように二人でほっぺたの間に挟んで運んだか

謎が謎を呼びます。

3個目
今朝見ると、3個目が落ちていました。
巣箱に入れてあげましょう

そうだ、その前にチェックしてみよう。

くうちゃんの時に身に付けたノウハウ
もうダメな卵の見分け術
転がしてみて、コロコロ転がるとOK
起き上がりこぼしみたいに不規則に転がるともう中が乾いて黄身が一方に片寄っています。

やってみると、今日の以外のふたつはもうだめ
捨てようかとも思ったけど
三つ揃っている方が、温める気になるかも
三つ巣箱に入れました。

今日も育児放棄か?

あれ
巣箱に入っていったぞ

良くは見えなかったんだけど
どうもひとつだけを体の下に入れたみたい

転がしてみたのかなあ

さあ、いよいよ温め開始
今日は一日温めていたそうです

おこめちゃん
最初はちっちゃかったのに、どんどん大きくなってきました。
食べる食べる

ブクブク太ってまいりました。
もうキャベちゃんより大きいし
何と言っても顔がでかい

すごく人になつくようになって
気分が乗っている時は、何度も何度もやって来ます
キャベちゃんとかは噛みつくので痛いのですが
おこめちゃんは甘噛みなのでとても可愛いです。

[セキセイインコ]シリーズはこちら(少し下げてね)

[昭和歌謡]101 そんな女のひとりごと

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです

そんな女のひとりごと
増位山太志郎
作詞 木末野奈、作曲 徳久広司
1977年

♪お店のつとめは はじめてだけど
真樹さんの紹介で あなたのとなりに 座ったの

最も相撲の強い歌手、増位山ですね

増位山は強烈に印象に残っています。
小学校高学年だったと思うけど
相撲が大好きな、いもちんというあだ名の親友がいて
その中でも、増位山の大ファン
歌手としての増位山ではなく、純粋に力士として。

こっちは相撲にはとんと弱かったので
どうにも良く分からなかった
色々教えてくれるんだけど、さっぱり
誰かのファンになれば興味も沸くのかなと
折角だから兵庫県加古川市出身の力士、闘竜というのを応援することにした

でも、相変わらず良く分からなかったなあ
野球の方が面白いよなあ、って

不思議なもんですね
江戸が好きになったので、江戸と言えば相撲
何だかだで相撲は絡んできます。

歌手
よくお正月とかに相撲取り歌合戦とか野球の選手の歌合戦とかやっていました。
特に、お相撲さんは全般的に歌がうまい
増位山は毎回高得点の常連さんでした。

でもまさか、現役の間に歌手デビューするとは
しかも100万枚を超える大ヒットが2曲も
そんな夕子にほれました
そんな女のひとりごと

[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)

[名僧] 天秀尼、秀頼の子

名僧シリーズです。

天秀尼(てんしゅうに)
1609~1645年 臨済宗

天秀尼は豊臣秀頼の娘です
秀頼は、大阪夏の陣で自決
正妻は、千姫、家康の孫です。
大阪城の燃え盛る火の中助け出されます。

秀頼の子は、側室の子で二人
国松と奈阿姫(後の天秀尼。今後、天秀尼と呼びます)
国松は捕らえられ、京都六条河原で斬殺

天秀尼は助けてあげて

千姫が懇願
自分の養女とします。

とはいえ、天秀尼の子孫を認める訳にはいきません
出家して尼になるという条件付きです

東慶寺(とうけいじ)
預けられたのは鎌倉の東慶寺
先日、行ってきました
いざ、鎌倉へ

東慶寺は特殊なお寺
鎌倉時代に北条時宗の奥さんが、時宗の死後、尼となって余生を過ごした場所
あることに疑問を持っていた。
結婚後の男女の不平等さ

俗に三下り半って呼ばれる離縁状は
一般的に思われている離婚通告状ではなく、再婚許可証
男性からしか出せない
女性側から見ると、もらえないと再婚も出来ない。

例えば夫の暴力で苦しんでいるというような場合
それ以前から、神社やお寺に助けを求めるということがあった。
特に尼寺は、駆け込んでしまうと、男子禁制なので連れ戻しにくい。

幕府として、正式に決めてよ、と息子の北条貞時に掛け合った。
尼寺の東慶寺に駆け込み、3年経過すると離婚成立
寺法と言います。

天秀尼は、東慶寺の住持として、その役割を引き継ぎます。

家庭裁判所のような役割

女性の悩みを聞いてあげる
アドバイスをして大体の場合は一旦帰す

それでもダメならば、またおいでなさい。

時には、夫に出頭命令
これはかなり強力。
これについては、あとでもう一度

加藤明成事件
寛永16(1639)年、事件が起きます。
東慶寺がなんぼのもんじゃいと、会津藩の藩主加藤明成が
天秀尼に、駆け込んだ女性の引渡しを要求します。

夫婦間のトラブルではなかった
藩主加藤明成と家臣の堀主水(ほりもんど)間の問題。

堀主水は藩主に半旗を翻し、公に批判した上で、高野山に逃げる
妻子は、東慶寺に駆け込ませる

捨て置けぬ

今後、藩を運営していくなかで、厳罰に処する必要がある

徳川幕府が始まって、まだ30年とちょっと
混沌を安定に持っていくためには、藩の中で藩主の力を強固にすべしと家光も判断

高野山に堀主水を引き渡させた。

結果、殺される

東慶寺にも実力行使で強奪すべくやって来る

立ちはだかったのが天秀尼

寺法をお忘れか
ここより一歩たりとも入らせませぬ

このいざこざは、数年もかかります

渡せ。
いえ、渡せません。

天秀尼は千姫の養女ですから
千姫の力も最大限に借ります。

将軍家光と加藤明成の連合軍も、天秀尼と千姫の連合軍には敵いません

結局どうなったかと言えば
会津藩の40万石は明成が引退させられ
加藤家としてはたった1万石となって息子が継ぎます。

40万石にひとりの尼さんが勝った訳です。

それ以降
それ以降、東慶寺からの出頭命令が出たとなると、大騒ぎ。
夫だけではなく、夫が所属している藩自体、恐怖におののきます。

へたすりゃ、会津藩の二の舞です。
東慶寺に行く前に、夫は藩主に呼び出され、お咎めを受けます。

お殿様、お言葉ですが、悪いのは妻です。
私は何も悪くございません。

馬鹿を言うな
東慶寺の言うことに間違いがある訳なかろう

寺法は江戸時代の間中、強く守られて行きます。

この話、昨日する予定だったんだけど、一日置きました
長女の結婚の話の後で、離婚の話というのもね

[名僧]シリーズはこちら(少し下げてね)

未来のための江戸学

未来のための江戸学、という本を読みました。

江戸という時代から、何を学ぶべきかという内容

学ぶべき事と学ぶべきでない事が存在する

私も、江戸がとても好きになって以来、
何故なんだろうと考え続けている

江戸の人逹ってなぜこんなにも幸せそうで楽しそうなんだろうと。

鎖国
いくつかキーワードはあるけど、やっぱり鎖国というのは大きいでしょう。
とはいえ、諸外国との関係を全てシャットアウトしたわけではない
正式な国交があった通信の国が、琉球と朝鮮。
正式な国交がない、通商の国がふたつ。オランダと清

一番の目的は、キリスト教の禁止
だから、その目的にとって問題なければ、何かを取り入れることは構わない
8代将軍吉宗は、積極的に西洋の技術を取り入れている
好奇心が旺盛だったので
外国から、象もラクダもサラブレッドも連れてきた。

科学のレベルは、西洋にそれほど劣っていなかった。

鎖国の目的は、キリスト教以外にあったのではないか。
江戸時代の大きな特色は、外国のものを取り入れなかったというより
「外に出ていかなかった」ということにある

秀吉は朝鮮に出ていって支配しようとした。
家康は、それをしなかった。

帝国主義を否定した。

西洋の技術で、江戸にないもの。
それは産業革命。大量生産の技術

大幅に生産力がアップ
それだけなら良かったが
せっかく大量に生産できるのに、肝心の原材料が枯渇してきた
よし、それじゃあ、植民地というのを作れば良い

解決

今度は、国内に物が溢れ、国民が物を買わなくなってきた。
いかん、せっかく大量に生産できるのに。

よし、植民地に売れば良い

帝国主義の出来上がり。

実は江戸時代のごく初期の頃
日本で大量の鉱物資源を産出できるようになった。
特に、銀。
当時、世界でも銀の輸出量はナンバーワンとなった。

バンバン掘り出し、バンバン外国に売って
いっぱい品物を買い漁った。

江戸幕府が急に大金持ちになる

でも長くは続かなかった。
鉱物資源が枯渇してきて、
蓄えを食い潰していく時代に入る

一度甘い汁を吸っている
もし、これが秀吉なら間違いなく帝国主義的行動に出たでしょう。

徳川将軍たちは家康の教えを守り
決して、外に出て解決する道を取らなかった。

国内だけで経済を回す。

参勤交代を始めとして
国内だけで生産と消費をバランスさせる知恵を絞っていく。

日本には「始末」という考え方がある
始めがあれば終わりもある
永遠に伸び続けるという考え方は取らない
始末をつける

全国だったり、季節だったりで、巡る、ようにする

リサイクルで物を使い回しするのもその一つ

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)