[迷信] ツタンカーメンの墓を暴く者は呪い殺される

「科学で読み解く迷信・言い伝え」からのシリーズ
ここからは海外の迷信

海外には疎い私でも聞いたことのあるこの話題から

ツタンカーメンの呪い

1922年、エジプトのルクソールから
少年王ツタンカーメンの王墓が見つかり、
その保存状態の素晴らしさや豪華な副葬品の数々に
世界中が色めき立った。

だが、その後間もなく起きた不幸とあるによって、
このニュースはさらに人々の関心を高めることになった。

ツタンカーメンの墓には
人が近づかないように呪いがかけられており、
開封に立ち会ったカーナヴォン卿が呪いのために急死したというのだ。

カーナヴォン卿は15年にわたって
考古学者のハワード・カーターに王幕発掘のための資金提供を行っており、
開封にも立ち会っている。

だが、発見から7ヵ月後、
カイロのホテルで死亡しているのが発見されると、
死因はツタンカーメンの呪いだと世界中の新聞が報じ始める。
「シャーロック・ホームズ」の生みの親であるコナンドイルまで
「呪いは真実だ」と言ったと伝えられた。

こうして、まことしやかに語り継がれた呪いのだが、
冷静に振り返ってみれば、
開封に立ち会った人の中で急死したのは
カーナヴォン卿ひとりにすぎない

ツタンカーメンの墓は、1922年11月26日、
カーナヴォンと娘のエブリン・ハーバード、
そしてカーターの協力者のキャレンダー立ち会いのもと、
墓を封印していた壁に穴を開けることで開封された。

だが、開封に立ち会ったほかの3人は、
けっして短命ではなかった。

カーターとキャレンダーが亡くなったのは1939年、
つまり墓から17年後のことである。
また、エブリンに至っては1980年まで存命だった。

さらに1923年には30人ほどの公式訪問団が見守るなか、
カーターがツタンカーメン王の棺が納められた
玄室の封印を開けたが、
そのメンバーのなかにも不審な死を遂げた者はいなかったのだ。

ちなみに、ミイラを解剖したダグラス・デリー博士などは
もっとも呪われそうなものだが、
亡くなったのは80歳を過ぎてからだった。

開封とは無関係なカーナヴォンがロンドンで飼っていた犬や、
さらには弟のオーブリハーバートが亡くなったとも言われているので
たしかに呪いと考えたくなるような要素もないでもない

ただ、開封に深くかかわった人がバタバタと亡くなったというわけではないし、
不慮の死を遂げたわけでもない。

どうやら伝説の王墓の発見と
その資金提供者の急死というセンセーショナルな事実に、
尾ひれがついて伝わっていったというのが真実のようだ。

ちなみに、カーナヴォン卿の死は、
蚊に刺された部分をカミソリで傷つけてしまったことにより
溶連菌に感染を起こしたことが原因だったとみられている。

溶連菌は今でこそ抗生物質を使うことで完治できるが、
世界初の抗生物質であるペニシリンは
当時まだ発見されていなかった

そして、呪い説を言い出したのは、
墓泥棒からを守りたかったカーター自身だったのではないかという説もある。
だが、これも本人亡き今となっては確かめようもない。

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[神社]アメノウズメノミコト。最初のダンサー

古事記、日本書紀で登場する神様を紹介しています

アメノウズメノミコト

天の岩戸騒動のときに乳房もあらわに踊り、大盛り上がり
見事、天照大御神を引きずり出す事に成功した

アメノウズメノミコトの神名の「宇受」は、かんざしを意味しています。
アメノウズメは、髪飾りをし 神を祀る儀式を行う女神なのです。

天孫降臨の時にも、もう一度登場します

ニニギノミコトが天降りをしようとすると、
高天原から葦原中国までの道のりを照らしている神がいることに気付きます。

これを見たアマテラスが、その神の正体を探らせようと遣わせたのがアメノウズメでした。

アメノウズメがその神のもとに行き、名を尋ねると
「私は国つ神のサルタヒコと言います。天つ神の御子が降臨されると聞き、お迎えに上がりました」と答えました。

その後アメノウズメは一行のひとりとしてニニギノミコトに付き添い、
葦原中国へと降り立ちます

アメノウズメは、魚を集めニニギノミコトに使えるかどうかを尋ねましたが、
皆が首を縦に振る中、ナマコだけが何も答えません。

それを見たアメノウズメは、「何も答えないのはこの口か」と言って
ナマコの口を小刀で切り裂いたそう。
ナマコの口が裂けているのは、このときにアメノウズメに傷付けられたためであるとされています。

その後
アメノウズメは、サルタビコに応対したことをきっかけにその妻になりました
サルタビコの名の一部をもらって、猿女君(さめのきみ)と呼ばれる一族の祖となりました。

「猿」は「戯る」を意味し、宮廷神事などで滑稽な演技をする者を指すといいます
(伝統的な芸能である猿楽の「猿」など)。

アメノウズメの子孫とされる猿女君の一族も、朝廷の祭祀にたずさわりました。

猿女たちは冬至の頃、宮中で鎮魂祭という儀式を行っていましたが、
これは太陽の復活を願う儀式であり、
そこには天の岩戸で踊ったアメノウズメが投影されているともいわれます。

記紀神話最高のダンサーであるアメノウズメは、
芸能の神とされます。
また、神や霊的な存在と交流する呪術的役割をもつ者をシャーマンといいますが、
アメノウズメはシャーマン的な力ももち、
鎮魂の神であるともいわれます。

三重県の椿大神社の別宮である椿岸神社や、
滋賀県の千代神社などの祭神として祀られています。

東京ではこの前ウォーキングイベントでも訪れた烏森神社です

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野菜も育て 〇〇も育て

庭の小さな畑を作って苗を植え替えてから一週間
どうかなあ

まずは畑の方にいくまえに
朝顔から

順調順調
てっぺんまで伸びました

摘心です。先っぽ摘まみ取り
ポキっ

こら、何すんねん

あら、気づいた?

あれれ?
前回、畑の前に、大葉の鉢だったけど~

お気づきでしょうか
前回有難いコメントをいただきました

それ、雑草です

ええええっ

おかしいと思ったんです
いつまでたっても、私の知っている大葉の葉っぱが出てこない

次女と一緒に、試しに食べちゃいましたよ

次女が言っていました

なんかヒリヒリする

さあ、どのようにリカバリーしていくか
このあとの「畑篇」で明らかに

(そんな大層な)


ズッキーニ
ポットで育てた苗を植え替えた時、種残していてもなあ、と畑に直接植えたのも芽を出した。

左がそうなんだけど、直接の方が緑が濃いいのよね

オクラ
あら、すごいことになっちゃった
種からのがボコボコっ

結局間引きするわけだし、意味ないのかなあ

ナス
やっぱり育っていかない
芽自体は合っていると思うけどなあ
一旦気持ち的にはあきらめて
貴重なこの芽が育ってくれれば
ラッキーってことで

茎ブロッコリー
まずまず

さあ、問題の大葉
雑草だったと教えていただいたので
なんとかリカバリーを図るべく
近くのスーパーにもうひとつ、種のパックを買いに行った
茎ブロッコリーの隣のうねに植えた
夜暗かったので、バラバラっと適当に

朝顔が2回芽を出さず、3回目の種が大盛況、って成功体験から
種の買い足しが最も有効と学習

結果は?

うーん分からん

ここに思いっきり群集で芽を出したのが、果たして大葉なのか
場所的に微妙なんです

茎ブロッコリーの残りの種もババっと撒いたんだけど
そっちかなあ

横の茎ブロッコリーの芽とそっくり

大葉植えた時、暗かったから、ちゃんとどこに植えたか覚えていない

ネットで確認した大葉の芽と、ちょっと違うのよね
茎ブロッコリーと考えるのが順当

いずれにしても、オクラや、茎ブロッコリー(ないしは大葉)をばらけて植え直し

あと、土に栄養がなさそうとのコメントもいただいた

芽は出すものの、それ以降成長していかない感がある
元々、陽当たりが悪いデメリットを抱えてもいるので
100円ショップで肥料を買ってきて土に混ぜ込んだ

野菜よ育てっ

長女
長女が今日の夜、大阪からやって来た
例の話題をブログにのせるなと、強くお達しが出ているので
ここからは、婉曲表現

栄養をつけてもらわないといけないので
大阪京都旅行で食べた、うな玉丼にしよう

うなぎは、スーパーで売っている一番高い「築地、うなぎのはいばら」ってやつ
言うても、真空パックなのでたかが知れていますが

上には卵3個を使ったふわふわの分厚い卵焼き

こうなって

こう

食べて見ると、あら美味しい
はいばら恐るべし
長女も大絶賛

ジャガイモのチーズガレットもおいしくできました。

あとは、いつもの鶏の唐揚げどっさり

〇〇も育てっ

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[ことば日本史]金槌はなぜ「げんのう」

ことば日本史から

玉藻前(たまものまえ)
平安時代のこと、天竺と中国とで悪の限りをつくした果てに日本へと飛来した狐がいた

金毛九尾の狐
その狐が美しい姫、玉藻前に化けた
それはそれは美しいと大評判
狐が化けていると知らない鳥羽法皇が呼び寄せて、寵愛を受けていた。

鳥羽法皇の体の具合が日に日に悪くなっていった
誰に見てもらっても原因が分からない

法皇にもしもの事があったら私も自害いたしますわ

おお、そうかそうか、そうはならないようにせんとなあ

陰陽師安倍泰成がやってくる
安倍晴明の子孫です

その病、玉藻前の仕業でしょう
とんでもない化け物ですぞ

そんな馬鹿な
こんなにもわしのことを思いやってくれているのに

安倍泰成が真言を唱えると
玉藻前は狐に戻り、飛び去ってしまいました

妖狐は那須野へと逃れますが、とらえられ
射殺されてしまった。

それでも妖狐の霊は石と化し、力を持ち続けました

近寄る人は具合が悪くなり
鳥獣であれば、近付くと死んでしまいます
「殺生石」と呼ばれ、恐れられます

玄翁(げんのう)
それから、ずいぶん時へた南北朝時代、
那須野へやってきた曹洞宗の僧、玄翁が、噂を聞き付け、殺生石の元へ

えいやあ

大きな槌でその石を打ち砕き、祟りを鎮めたのです。

それで石を砕く大きな金槌を玄翁と呼ぶようになったのです

不思議だと思っていたんですよね
なぜ金槌でもトンカチでもなく、げんのうと呼ぶのか

学校で教わってから
金槌でいいじゃん、と思いつつも
なんだかプロっぽいからかっこいいな
と、私もそれからげんのう、と呼んでいます

ところで、さらにさらに時は流れ、去年
その殺生石が割れちゃった

周りにイノシシの死骸

あれれ?
玄翁が割って、たたりも鎮めたんじゃなかったんだっけ

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