12/7 大雪 雪降れば椋鳥江戸へ食いに出る

二十四節気シリーズ

大雪   たいせつ  雪が激しく降り始める頃  12月07日

寒くなりましたね

旧暦でいうと10月16日頃から

椋鳥(むくどり)
雪降れば椋鳥江戸へ食いに出る

椋鳥とは、10月から11月にかけて江戸へ出稼ぎにやって来る季節労働者のこと

椋鳥は海を越えてやって来る渡り鳥とまではいかないんだけど
寒い地方の椋鳥は暖かい土地の町場に移って冬を越すから。

信濃、上野(こうずけ)、越前、越後、等からやって来る

農閑期にぶらぶらしていられるほどには裕福ではない。
江戸の町というのは、魅力的でもある。

毎年のことなので、奉公先が決まっている人も多い。

大体が、商家
飯炊き、薪割り、使い走りなど
一部は「流れ中間(ちゅうげん)」といって一定の期間だけ武家屋敷に奉公するものもいた。

決まっていない人達はどうしたか
口入れ屋と呼ばれる職業斡旋所に仕事を探してもらったり
自分で探す場合もあった

越後の場合は「越後の米つき」と言って
杵を背負って江戸の家々を回り、
注文に応じて玄米を精白するものもいた

出稼ぎ期間中で、平均一両二分ほどというから
一両10万円と換算すると15万円くらいでしょうか
しっかり貯めたお金を待つ家族の元へ届けられたことでしょう
ついつい、江戸の魅力にはまって
あんた何、今年はこんだけ?
とか言われる場合もあるかも知れませんね

江戸の冬の食事情
江戸時代、庶民も季節を感じながら食を楽しんでいました。
冬はサヨリ、キス、サワラ、ブリ、タラなどの魚や
ニラ、ネギ、クワイなど

特に鍋物は大人気。

おでんもかなり食べられていたんだけど
今とはイメージが違っていて
里芋の煮込みというのが一番近い。

冬の味覚として欠かせないのは、やっぱり大根
全国津々浦々、大根は万能
「大根一式料理秘密箱」では
物の名も所によりて変われども大根の生ぬさともあらじ
とある
地方で名前は違うかも知れないけど
大根が採れないところはないでしょう。

江戸の味覚は、三白
白米、豆腐、大根
鯛と白魚を合わせて、五白ということも
いずれも淡白な味が好まれます。

杉浦日向子先生の、一日江戸人から
大根料理を引用しましょう。

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ロベリアプリンセスブルー

花カレンダー始めました

11/22 小雪 紅葉狩りと初海苔

小雪   しょうせつ 小雪がちらつき始める頃  11月22日

そうですか、雪がねえ
二十四節気は中国のものを持ってきたから、若干早い気もしないではないですが
それにしても、冬になったんだなあ

紅葉狩り
出ましたっ、紅葉狩り
江戸中期以降に爆発的に人気になります。

もちろん、江戸時代を待たずして
紅葉狩りは、風流の代名詞ですからね

このたびは、ぬさもとりあえず手向山 もみじのにしき かみのまにまに

でも、京都と江戸じゃ、紅葉の楽しみ方がちょっと違う

京都は、嵐山に代表されるような紅葉の名所で
船を浮かべたりして、風情を楽しむ

江戸は、まあとにかく何でもかんでも行事という行事は全て取り込んじゃいますから
王子にある飛鳥山や、下谷の正燈寺、品川の海晏寺(かいあんじ)など
紅葉の名所には人々がこぞって押しかけた。


「友禅雛形」と呼ばれる小袖(着物)のデザイン本が
女性の間で評判となり、紅葉の名所をデザインした小袖を着て
紅葉狩りに出かけるのがひとつのステータスとなった。

出ましたよ、江戸検定1級の問題に。

【問】
(    ) 真赤なうその つきはじめ
これは、ある紅葉の名所を詠んだ川柳で、
紅葉を見に行くといって、近くの遊里へ行く男を揶揄したものです。
( )に入る名所とは、どこでしょう?
い)飛鳥山 ろ)海晏寺 は)滝野川 に)根津権現

さすがですね、1級
紅葉の名所を選択肢で3つ並べるとは
い)飛鳥山 ろ)海晏寺 は)滝野川 ともに紅葉の名所
それぞれの場所と、いくつかの遊里との地理が分かっていないと解けない

に)正燈寺を入れなかったのがせめてもの良心です
正燈寺は吉原に近いですから、正燈寺入っていると8割方正燈寺って回答するでしょうから

この問題を解いた時点では、海晏寺の存在も、場所も知らなかったんですが
根津権現はツツジだから、紅葉関係無いし
飛鳥山と滝野川は遊里には遠いよなあ
消去法で海晏寺
品川だったんですね
吉原に次ぐ2番目の場所

紅葉狩り婿やるまいぞやるまいぞ

って川柳もあります

新海苔
江戸は初物が大好き
初がつおの話はしましたね

この時期は初海苔

江戸の海苔と言えば浅草海苔
江戸時代が始まったばかりの時に
海苔が初めて取れたのが浅草
海苔発祥の地です。

ええっ
あんな内陸の地で、どうやって海苔が取れます?

そうなんです。
江戸が始まってすぐの頃は、浅草はすぐ前が海でした。
そのあとすぐに大埋め立て工事が始まり
浅草は海に面しなくなった。

でも、海苔の加工技術を持った職人さんはいっぱいいる。

良いこと考えたっ

新しい海苔の産地、品川や大森から海苔を仕入れれば良い。
最後に板海苔にする工程だけを、浅草で受け持って
はい、「浅草海苔」

品川や大森の海苔の漁民たちは
画期的な方法を産み出しました

それまでは、水中を漂う海苔をかき集めて採っているだけだったんだけど
ヒビという木の枝みたいなのを海中に立てて置けば
そこに海苔が付着し、さらに、勝手に海苔が育って増えていってくれる。

大幅に生産性が向上

品川や大森も浅草もほっくほく

品川や大森も気づいちゃいます。
自分達で加工までやっちゃえば、利益総取り

品川海苔、大森海苔の誕生だ!

でも、不思議なことに
根が控え目なのか
今までのお得意先の浅草を立てたのか
名前はそのまま、浅草海苔で販売

その後ほぼ、加工については浅草は手を引きますが
それでも名前は浅草海苔

産地かつメーカーとしての品川大森と、海苔の問屋としての浅草

まあ、みんな仲良く、が江戸っ子の良さですね

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アワコガネギク

花カレンダー始めました

11/7 立冬 玄猪の祝い

二十四節気シリーズ
冬に入っていきます

この、二十四節気シリーズ、春に初めて
夏、秋と過ぎ、もう冬なんですね

感慨深いです。
しみじみー

立冬   りっとう  暦の上で冬が始まる日   11月07日

玄猪の祝い
旧暦の10月に入って初めての、亥(い=猪)の日、
玄猪の祝いという祝い事が行われます。

元々は、農家のその年の収穫に感謝するお祝いなんだけど
農家に限らず、日本は稲の国なので
平安時代から、貴族も祝ってきた。

江戸の人は、祝い事は取り入れたくて仕方ないので
武士だろうが町民だろうが、お米に感謝し
お餅を食べる。

この日も、江戸城への登城の日で
桜田門の外にでっかい篝火がたかれ
五色の餅が配られる。

庶民が待ちに待っている日という意味では
ひょっとするとこの日が一番かも知れない。

なぜかと言うと、この日に暖房器具を出すと決まっているから
火鉢か炬燵になるんだけど
その前にどれだけ寒くてもひたすら我慢。

江戸の人ってこういう自分達で決めたルールを守るのが大好きなので
何がなんでも守る

ああ、あったかーい

農業がらみは、収穫祭として色々あるけど
十日夜(とうかんや)というのもその一つ
旧暦の10月10日に行われる
田んぼの神様が、仕事を終えて、この日山に帰る

ありがとうね。
来年もよろしくね。

お寺
この頃、それ以外にも、行事が無茶苦茶多いんですが
まずはお寺関連。

仏教の各宗派で、あるわあるわ
こじつけてこの時期に行事を持ってきます。

クイズにしてみましょうか

【問題】なぜこの時期に仏教各宗派が行事を集中させるのでしょう

若干だけスペースを空けるので
答えを手で隠しながら考えてね

























【答】神様がいないから

旧暦の10月は、神無月
神様たちがこぞって、出雲に行っちゃうので
神社では、行事が皆無です。

神のいぬ間に仏ですね

浄土宗  十夜法要 初冬最大の念仏法要。十日十夜、念仏を唱え続ける
禅宗   達磨忌  菩提達磨の忌日法要
浄土真宗 報恩講  親鸞聖人の忌日法要
日蓮宗  御命講  日蓮聖人の忌日法要

達磨さんなんて、いつ亡くなったかも分からないし
親鸞聖人なんて、本当は11月28日に亡くなっているのに
ええやん、10月にしましょ、と

商売
農業、仏教と来て、商売もこの時期は、大盛り上がり
まずは、京都の商売

誓文払い
旧暦の十月二十日に京都の商人や遊女が
四条京極にある官者殿(かんじゃでん)に参詣し、
一年の商売上の駆け引きや、客への嘘といった罪を払い、
神罰を免れるように祈った

すんまへん。
嘘言うとりました。

面白いですね。
そないな事を公表して良いんでしょうか

罪滅ぼしの大安売りで大にぎわい。

只じゃ起き上がりません。

恵比寿講
江戸では、同じく旧暦の十月二十日に恵比寿講

大黒さんと恵比寿さんの像を座敷に移して、鯛、赤飯、鏡餅等を備える

店は早じまいして、親類や御得意様を招いて大宴会
オークションの真似事のお遊びをする
皿や小鉢を、いかにも貴重なものであるように口上を述べ
うまく演出できれば

10両
20両
いやいや100両だ!
と値が釣り上がっていく

これは、かの弘法大師が若かりし頃
猫に餌をやったという
由緒正しきしろもの
ここのしみは、たまが嘗めた跡にございます。

セールストークで遊ぶ、いかにも商売人らしい発想

幼い奉公人も、餅や菓子がたんと食べられる
わくわくの一日。

大伝馬町でべったら市が催され、大にぎわい

この日は、お祭りというだけではなく
総決算の日

一年の売上利益を計算し
来年度の計画を立てる

業績が良かった年は、それはそれは宴会も盛り上がったことでしょう
さながら、二年連続日本一のビールかけ会場のように

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10/23 霜降 神田祭

二十四節気シリーズです

霜降   そうこう  露が凍って霜が降りる頃  10月23日

そうこうって読むんですね
しもふりかと思いました。

神田祭
神田祭については一度書いていますので、そっちも見てね
江戸の娯楽と言えば、祭でしょ(神田祭)



江戸時代の神田祭は「秋祭り」だったんです。
現在の神田祭は5月中旬に行われていますが、もとは旧暦の9月15日です。

神田祭は山王祭と並ぶ天下祭
幕府のお墨付きの将軍に上覧できる二つだけの祭です。

当然その盛大さは群を抜いています。

余りに盛大になりすぎたので
神田祭は山王祭は年毎に交代でやろうということになったので
同じ季節の初夏にやっても良いんでしょうけど
それでもやっぱり、秋祭りでした。

5月へと変更になったきっかけは明治になってからです。

神田明神の江戸時代の祭神は
大己貴命(おおなむちのみこと)すなわち大黒様と、
平将門(たいらのまさかど)公。

ところが、明治になると、朝廷から見ると反逆者である平将門、
考慮せよ、とのお達し

末社(大きな神社の中にある小っちゃな社)に格下げされちゃいました。

何だとぉ
やってられっかい

神田っ子はブチギレ
祭をボイコット

引っ込みがつかなくなって、10年間も中止しちゃいました。

10年後の明治17年、ようやく鞘を納めることが出来て

よっしゃ、久しぶりにやったるで

10年分の鬱憤を吐き出すべく
過去最大級の祭の準備をしました。
山車もどでかい奴

江戸時代は、旧暦の9月15日なので、今の10月なんだけど
明治で新暦になっていますので、そのまま、9月。

いよいよ明治17年の当日。特大の台風に見舞われ、でっかい山車(だし)が倒れてけが人が続出。
名付けて「将門台風」
平将門の祟りに違いない。

結局、台風の季節は避けたいということになり、5月に変更

都市が大幅に電化していき、町に電線が張り巡らされると
山車は大幅に規模を縮小しないと通れなくなり
神輿(みこし)中心に変わっていく。

ならば、10月にさえすればとも思うけどね

ルート
山王祭の時は、そのルートを書きましたね
[小暑] 7/7 山王祭のルートを辿ろう

山王祭のルート

神田祭のルートはこうです。

やっぱり庶民の祭らしく、下町中心になりますね

御上覧所から常磐橋御門までの祭ルートは神田祭と共通になります。

常磐橋御門で、前半終了。
常磐橋御門で山車はお役御免となり
以降の後半戦は、神輿だけになるっていうのも
山王祭と一緒

ここからもう薄暗くなってきますが
本格的に下町を練り歩くので、
盛り上がりは、より加速していきます。

山王祭に比べると
下町の繁華街を行ったり来たりの、これでもかっ

神田明神に帰る頃にはすっかり日も暮れ
疲れきっちゃいますが
アドレナリン出まくりなので

でやんでい、べらぼうめ

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コスモス

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