[歳時記]10/1 ネクタイの日。ジョン万次郎のおしゃれ

おもしろ歳時記シリーズ、10月1日も2ネタあるので1つは前倒し

10/1
明治17(1884)年10月1日、東京の小山梅吉が初の国産ネクタイを製造。
これを記念して、日本ネクタイ組合連合会は、
1971(昭和4)年にこの日を「ネクタイの日」に制定した。

ネクタイは、ローマ帝同時代に、
出征する兵士たちが妻や恋人から贈られた「フォカーレ」という布を首に巻いて、
故郷を偲んだのがルーツだという一説がある。

一般的には、17世紀後半にフランスの軍隊、ロワイヤル・クラヴァツトの兵士たちが、
おしゃれのつもりで派手な色の布を首に巻いたのが始まりだといわれている。

日本人で最初にネクタイをしたのは有名なジョン万次郎である。
土佐の漁夫の次男に生まれた彼は、
天保12(1841)年、出漁中に漂流し、米船に救われ米国で教育を受けた。

そして、嘉永4(1851)年に帰国。
このときの取調べで、所持品の中に、アメリカで購入した「白鹿襟飾」、
つまりネクタイがあった。
このことから、彼がネクタイをした日本人第1号だと考えられている。

ノーネクタイ
私はネクタイをするのが大嫌い
首の周りを締め付けられるのに耐えがたい

もともとおしゃれアイテムなんだとすると、
なんでネクタイを締めることが当然かのごとくされているのかが不思議でたまらない
締めたい人が締めるのは全く結構ですが
会社でルールとしているのは勘弁してほしい

ずいぶん前になるけど、大平でしたっけ
半袖のワイシャツ来て得意気に「クールビズです」

あの時、ああこれでネクタイを締めなくて良いと思ったんですがね

私は派遣ですので、短いときは数ヵ月ごとに現場が変わります。
IT業界って、パソコンに向かってパシャパシャやっていることが多く
お客さんに会う訳じゃない、って事があるので
ノーネクタイOKという現場も多い

でも今の現場は残念!
今日まででクールビズは終わり、明日からネクタイ着用

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[歳時記]9/29 招き猫の日。両手を上げたら?

9/29
9月29日の2つ目は招き猫の日です。
日本招猫倶楽部が福をもたらす招き猫に感謝して、
1995年に9(来る) 月29(福) 日を「招き猫の日」とした。

はじめは三重県伊勢市のギャラリーでイベントが行なわれているにすぎなかったが、
その後、伊勢神宮内宮前で巨大な招き猫を引っ張るパレード、招き猫まつり。

今では招き猫の産地である愛知県瀬戸市も加わり、両市でイベントが行なわ
れるようになっている。

右手上げは金招き、左手上げは人招き。

それでは、両手を上げたら?
もちろん、お金も人も両方招いてくれます。

ただ、ご用心。
欲張り過ぎて、「お手上げ」になりませんよう。

元々の由来はよく分かっていないのですが
江戸時代末期の絵には、招き猫を売っている様子が描かれているため
江戸時代はもう有ったと思われます。

豪徳寺
やはり東京ウォーカーとしては、招き猫と言えば豪徳寺


豪徳寺さんは、招き猫発祥の地だと言っております。

ある日、鷹狩の帰りに井伊直孝がこの地を通りかかったところ、
豪徳寺の飼い猫が手招きをした為、休憩をとることにしました。
寺の住職からお茶の接待を受けている最中、曇りはじめ雷雨になりました。
直孝は、「これは猫が招いてくれたおかげだ、なんて演技がよいのだろう」と思い、
その縁でお寺を整備し、井伊家の菩提寺としました。

そういった事もあって、世田谷線は、招き猫電車を走らせ大人気です

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[歳時記]9/29 クリーニングの日。べちゃべちゃにならないの?

おもしろ歳時記シリーズ、9/29は2つネタがあるので、1つは前倒しで今日。

9/29
9月29日は「クリーニングの日」

全国クリーニング環境衛生同業組合連合会が、
消費者にもっとクリーニングを利用してもらい、
みずからもクリーニング技術の向上をめざそうと設けた日

ご察しの通り、語呂合わせです。

クリーニングは、古くはローマ時代に行なわれていた。
職業洗濯人がクリーニングを行なっていたが、
税金が高かったため、お金持ちしか利用できなかった。

日本では、1860年代、
横浜のフランス海兵が洗濯するところを見ていた日本人によって、
西洋式の洗濯業が始められた。

同じころに、横浜に外国人が洗濯屋を開いていたという話もある。

さらに、「明治大年表」には、
1868(明治元)年に、横浜で洗濯屋をしていた与兵衛という人が、
東京に出店して西洋式洗濯業を始めたという記録が残っている。

どうやら、横浜は日本のクリーニングの先進地区だったらしい。

ドライ・クリーニング
ドライ・クリーニングは明治40年に五十嵐健治という人が、
西洋式の無水洗濯を研究し、開発したといわれている。

ドライってどういうこと?
乾いたままで、どうやって汚れを落とすのよ、
風で吹き飛ばすの?そんなのゴミだけでしょ
とずっと思っておりました。

調べると、水を使わないと言う意味で
油で洗うんですと。

油ぁ?
べちゃべちゃのぬるぬるになるやん。
大丈夫。
天ぷら油とはちょっと違う。

揮発性有機溶剤というくらいだから、すぐ乾くんでしょうね。
ほっとしました。

クリーニング屋さん
おそらく私だけの超個人的なお話ですが
クリーニング屋さんって、唯一、対面で話の出来るお店

今、スーパーを始めとして、ほとんどのお店は、店の人と話をせずに購入
煩わしくないので、それはそれで悪くはないのですが
いくらなんでもほぼ100%その類いになってしまうと寂しい気もする。

たまたま、行っているクリーニング屋さんが
気の良いおしゃべりなおばさんだった、というだけの話なんですけどね。

引っ越し前の練馬区の時のクリーニング屋さんは特にそうで
色々話しかけて来てくれる。

出す洗濯物で、娘の成長が分かるので
娘さんずいぶん大きくなられたわね、とか
もうすぐ卒業式ね、とか

やっぱり人間って、コミュニケーションが必要な動物なんだなって気がする。

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[首相]27-3 東条英機。生きて虜囚の辱を受けず

[首相]27 東条英機。南無阿弥陀仏を20回唱えて寝ているよ
[首相]27-2 東条英機。辞表はどうしましょう。
の続きです。

陸軍次官
出世はゆっくりだったし、何度か失敗しているけど
ここへ来て、急に大出世。
この時53歳。
何と言っても、東京へ戻れる事が有難い。

陸軍で大臣に次ぐナンバーツー
ただ、大臣は大嫌いな石原莞爾に近しい板垣征四郎

石原莞爾ほどではないにしても、いまいち合わない。

統制派は、東条を担ぎ上げようとしていたので勢いづく。
東条は、ハイテンションで、演説とかをどんどんしていった。
そうなるとついつい口が滑ってしまうこともある

いかにもすぐにでもソ連と戦争するかのごときニュアンスの演説で
大問題になってしまった。

その前に、板垣大臣がソ連に強行姿勢を取ろうとして
天皇に大目玉を喰らったばかり

自分の保身のためにも、東条を切らざるを得なくなった。

東条としてもやりにくかったのでせいせいした。
一度次官になれば、統制派が盛り上ってくれるので、十分。

辞めたあとは、航空総監部
まだ、空軍というのはないから
陸軍からも海軍からも飛行機の分野に進出しようとして競争状態

ゼロ戦は海軍なので、海軍優位なんですが。

近衛文麿内閣総辞職後、平沼騏一郎内閣8ヵ月

その次の阿部信行内閣は4.5ヵ月
この時、とうとうドイツがポーランドに侵攻
第二次世界大戦が始まってしまう。

陸軍の動きを押さえねば、日本も参戦となってしまう。
天皇は、海軍の米内光政を次の首相に指名した。
米内光政は親米英派。ドイツが嫌い。
半年後の廃棄を通告されていた日米通商航海条約が失効
決定的にまずい状態
親米派だったのに結局は有効な手立てが打てず、皮肉な結果となる。

一方で近衛文麿がまた動き出す。
新体制運動を開始
国民世論をどんどん戦争へと導いていく。

盛り上がってきたところで、近衛文麿再登板
陸軍大臣は東条英機となる
外務大臣もドイツ大好きな松岡洋佑

日独伊三国同盟締結のための布陣が整った

ベルリンで条約締結。

これで日本は安泰だ。
東条は本気でそう思った。
ドイツの強大な軍事力は、対ソ政策にも優位に働き
日中戦争も終結するだろう。
アメリカも手出ししないはず。

憧れのヒトラーに対する過大評価だった。

大政翼賛会が発足
日本全体が、戦争へ戦争へと

本当にアメリカとの戦争になってしまうのだろうか
さすがに、だんだん不安になってきた東条は
佐藤賢了に、国力の分析をさせた。
佐藤はかつて、反対議員の野次を受けるなり、「黙れ」と怒鳴った人物

鉄鋼・石油の生産量をはじめ戦備の面ではことごとくアメリカに分がありますが
精神力では日本軍が上です。

そうか!良く言った。

悲しい。
何なんだろうかこの人たち。
精神論しかない
鉄と空気を比べる話。

運命的な昭和16(1941)年が明けた。
太平洋戦争開戦の年。

精神論は少しでも不安になるといたたまれなくなるから
形にしようと躍起になる

1月8日の陸軍始めには、「戦陣訓」が発表された。

軍人勅諭に基づくものとしているが、多分に精神主義的な内容であり、
美文調の文章はどことなく軍人には違和感があった。
案の定、末端の兵士に至るほど悪評だった。

ただでさえ「軍人勅諭」を丸暗記しなければならないというのに、
「戦陣訓」まで頭に叩きこまなくてはならず、
暗唱できなければ上官や古参の鉄拳を浴びる

恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、
愈々奮励して其の期待に答ふべし。
生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ

続きはシリーズの次回ね
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