[寺社建築]寺社建築の基礎と建具

白金台の瑞聖寺で寺社建築のお勉強
の続きです。

基本用語
「東京の寺社建築」の本の中で、瑞聖寺は建具(たてぐ)に関わるところ

でも、最初の辺に、建築に関わる基本的な用語を解説してくれています。
こりゃ有難い。基本用語が分かっていると理解がしやすい、ってことで
まずはごくごく基本的な用語から

柱は一本だけで屋根の重さを支える訳でなく
何本もで均等に支えるため、通す横の木材が、桁(けた)と梁(はり)
建物は長方形が多いけど長い方が桁

柱と柱の間の感覚は1間(けん)
桁の方向に4本柱があったら、長さは3間って事です。
桁行(けたゆき)3間という言い方をします。

1間は6尺、1.8mちょっと
畳の長い方。人の背丈よりちょっと長い。
1尺は30cmちょっとね
ちなみに10寸が1尺

これ無茶苦茶便利
桁行3間、梁行2間の薬師堂とか言うだけで大きさを伝えられちゃう。
今まで、でっかい山門とかを写真で伝えようとしても、写真の枠いっぱいにしかならないし
と思っていたけど、何の事はない。
柱の数を数えるだけで良かったのね

過去撮り貯めた神社仏閣の写真を見ると、一番多いのは桁行3間ですね
増上寺の三解脱門はさすがで、桁行5間

建具(たてぐ)
それでは、基本を踏まえ、建具の話に入っていきましょう。
戸や襖や障子や、それを支える枠などを総称して、建具と言います。
建具の開き方は、大きく分けると、横にスライドするのと前や後ろに開くもの
横にスライドするのが引き戸とか、単に戸
前や後ろに開くものは扉

どちらも一長一短あります。
引き戸は、ギリギリまで家具が置けるけど、半分しか開かない
扉はガバッと全部開く

扉は、法隆寺金堂や伊勢神宮では一枚板
これはなかなか厳しいので、
枠を作って、扉全体の大きさより小さい板を枠に釘で打ち付けるようになりました。
その時、釘の頭を隠すために乳金物(ちちかなもの)というのを使いました

とても良いです

実用を考えると、頑丈より軽量の方が重視されるようになり
扉の構造がより軽量化の方向で工夫されていきます。
桟唐戸(さんからど)という扉の登場です。

框(かまち)と呼ばれる大枠を作ります
中に桟(さん)と呼ばれる縦横の木を渡し
間に薄い板をはめこんで行きます。

大仏様やら禅宗様になってからの特色です。

瑞聖寺の桟唐戸

扉が軽量化されると開閉のための部品も簡単にすることができます。
藁座(わらざ)という部品を上下につけるだけで良くなりました。

黄檗宗の寺院の特徴として、半扉というのがあります。
下側半分だけの扉

その上にある白いのは、ひょっとして蔀戸(しとみど)?と思って
ひっかける金具を探したんだけど、良く分からなかった
蔀戸とは、こういうふうに上にはねあげる戸

おそらく上半分を開けておくことで
奥の本尊釈迦如来を、月台にいるみんなからも拝めるようにということ

それ以外に特徴のある戸では、両折戸というのがあります

開いた状態じゃ無かったので分からなかったけど
ひょっとしたらさっきの瑞聖寺の桟唐戸も両折戸かも

部屋の中の障子(しょうじ)や襖(ふすま)を支えるのは、下が敷居で上が鴨居です。

鴨居の上が長押(なげし)
長押は、最初、柱と柱の間を繋ぐ構造材で柱に打ち付けていましたが、
柱に穴を空けて突き貫けさせていく貫(ぬき)の登場で、より丈夫になり
長押の役割は終えました。
今は、装飾とか、ハンガーをかけるためのフックをつけるものとして、生き残っています。

床から天井までの高さは、8尺
建具の高さは、6尺すなわち1間。畳と同じ大きさに合わせます。
ということは2尺の余分が出ます。
長押のさらに上が、欄間というスペースになり
ここが装飾の見せ処です。


窓で言うと、中から外が見渡せるように工夫したものに、連子窓(れんじまど)があります

連子子(れんじし)という角材を45度回した感じで並べます。

時代が進むにつれて連子子の間が狭くなっていくのが特徴です。

窓枠は最初は、四角ですが、次第に曲線になって装飾性を帯びていきます。
瑞聖寺の丸窓はとても特徴的です。

禅宗の花頭窓は、極めてかっこいい
華頭、火頭、花灯、華灯、火灯、瓦灯、架灯など、いろんな漢字で書かれます。

また、建築の話はシリーズ的にやっていこうと思います。

[寺院]シリーズはこちら(少し下げてね)

白金台の瑞聖寺で寺社建築のお勉強

東京の寺社建築という本を読みました。

神社仏閣のウォーキングをしていて、それなりに楽しみ方が分かってきた。
仏像の見分け方シリーズで仏像について大分分かるようになったし
名僧シリーズで、各宗派も分かってきた
神社シリーズも、八幡に始まり、断続的に主たる神社の歴史が分かってきている

次は、細かなアイテム
寺院で言うと、建築の細部が分かればかなり面白くなってくる
それは前から分かっているんだけど、
かなり覚えるのに時間がかかっている
何せ漢字が難しい
チャレンジしては時間が開いて、ということを繰り返している。

今回のこの本、何が良いって、例が東京に限定してくれている
浅草寺、武蔵国分寺、寛永寺、正福寺、増上寺、瑞聖寺、湯島聖堂、根津神社
瑞聖寺以外は全て行ったことあるので、
本に書いてある細かいことは分からないながらも
何とか門の、とあれば、頭の中に画像が浮かぶ

なかなか無いんですよ
例が上がるのは全国の寺社で
やっぱり多いのは京都奈良

ウォーキングで楽しむ事が目的なので
本に書いてある事を、行って確認して
うおおお、ほんまや
となりたいわけです。

今日は祝日。あいにくの雨
だいたい雨の日用に、屋内ものをとってあるんですが
今、屋内ものはごとごとく休館中
仕方ない。一ヶ所だけなら、傘さしてでも何とかなるっしょ

瑞聖寺で、寺社建築のお勉強だ

瑞聖寺
瑞聖寺は江戸で初めての黄檗宗(おうばくしゅう)の寺
黄檗宗は、隠元が江戸時代に中国から取り入れた最後の宗派

日本の寺院建築は元は全て中国から渡ってきたものだけど
長く時が経つにつれ、日本独自の特色を持つようになっていく
まず、「和様(わよう)」と言われる、もともとの日本の建築様式だった
奈良時代に大仏殿を作ったとき、どどっと中国流が導入される
これが「大仏様(だいぶつよう)」
また、徐々に日本独自らなっていき、中国は中国でまた改善が図られていく
鎌倉時代に、栄西と道元により、中国から禅宗を取り入れ
この時、また、どどっと中国流が導入される
これが「禅宗様(ぜんしゅうよう)」
その後いいとこ取りで混じり会って、「折衷様(せっちゅうよう)」

黄檗宗が入って来たときは、なんとか様と言うほどまでには全体に影響は出なかったものの
黄檗宗の寺院に限定すれば、当時の中国色が強い

■宝瓶(ほうびん)
まず、あれ何だろう、と思うのが、屋根の上。
写真を拡大してみました。

■基壇(きだん)

土を固めて盛り上げ、その上に建物を立てる

ずいぶん昔は一般的だった
床が木の板になるより前は
生活は土間の上だったと考えられ
雨の侵入や、湿気を避けるため高くしたと思われます
土の上に塼(せん)という瓦状のものを敷く

これが塼(せん)なのかは不明
今はタイルなのかな

なぜこの考え方が黄檗宗で残っているかというと
黄檗宗は立って法要を行うので、
他の宗派のように、畳や板敷の上に座ることが不要

平安時代になり、床が板敷になり
建築物の周囲に廻り縁を巡らすようになると、基壇は不要となります。
基壇の代わりに、「亀腹(かめばら)」というものを床下に設けるようになりました

■月台(つきだい)


これは、私も色々お寺を回りましたが初めてかも
礼拝する人がここに集まって中の仏像を拝む

■礎石(そせき)
柱って昔は柱の先を地面に埋め込んで立てていました。
掘っ立て柱(ほったてばしら)と言います
そうすると、地面に含まれる水分で柱が腐ってくるというデメリットがありました。
それで作られたのが礎石

瑞聖寺では基壇があり、その上に礎石があるので、とても分かりやすい

亀腹の場合は、亀腹の上に作られるので、床の下で良く見えません

続きは建て具の話に入っていきますが、
長くなるので明日ね

[寺院]シリーズはこちら(少し下げてね)

[源平]9 源頼朝、立つ

[源平]1 武士の始まり
[源平]2 八幡太郎義家ここにあり
[源平]3 どっちにつこうかプレゼント大作戦
[源平]4 保元の乱(源平編)
[源平]5 平治の乱
[源平]6 平清盛快進撃
[源平]7 平清盛。おごれるものは
[源平]8 神戸に都を?
の続きです。

源頼朝
源頼朝(よりとも)は、源義朝(よしとも)の息子
平治の乱で、義朝と共に初めて戦に参戦し、平清盛に完敗
長男義平、次男朝長はともに斬首
頼朝も当然そうなるはずだったが
まだ若い頼朝を不憫に思い、清盛の継母、池禅尼(いけのぜんに)が助命を懇願

最初頑として首を縦に振らなかった清盛も根負けし、頼朝は伊豆の蛭が小島に配流となる

ゆめゆめ、おかしな気持ちを起こして私を悲しませないで
毎日仏の道に精進しなさい

言いつけを守り、毎日読経を欠かせない

蛭が小島といっても海に浮かぶ島ではない。
川に隔てられている辺境の地なので地元でそう呼ばれていた。

罪人とはいえ、池禅尼肝煎りということもあって、人並みの生活は送れていた
仏三昧の平和な日々だった

10数年が経ち、その間清盛の栄華の時代
頼朝への警備の気持ちも薄れていく。

女性の出入りも見逃されるようになり
頼朝は女性へ意識が向く
伊東祐親(すけちか)の娘と恋に落ち、子までもうけてしまう。

伊東家は、伊東というくらいなので、伊豆近辺では名の知れた家柄
平家です。

祐親は怒り心頭
源氏の罪人などに大事な娘をやれるか

産まれてきた子供を殺してしまうという凄惨な事件が起きた。

北条政子
それから2年
頼朝、懲りておりません。
配流から20年近くが経ち、頼朝は29歳
運命の人、北条政子と出会います。

そうとも知らず、政子の父、時政は政子の縁談をまとめてくる
相手は、山木判官兼隆(やまきはんがんかねたか)
兼隆はこの地方の目代(もくだい)
目代とは、各地域の領主が、この頃になると現地に赴くことはなくなり
代理人を派遣するその代理人の事

北条家は平家なので、中央とのパイプを強くし、飛躍を図りたいところ。

政子の兄、宗時に尋ねた

最近、政子の様子はどうじゃ
とても良い縁談をまとめてきた
山木判官殿じゃ。申し分なかろう

そうですか、良い縁談だとは思いますが
政子は断りましょう。

断るだと?
何に不足があるという

想うている相手がいるようです。

誰じゃそれは

源頼朝殿にございます。

なんじゃと
源氏の罪人などに大事な娘をやれるか

当然、伊東祐親と同じ反応になりますね

すぐさま、政子を呼んだ。

山木判官兼隆殿と縁談の話がある
嫁いでくれると嬉しいがどうじゃ

はい。父上の仰せとあれば

そうか。いってくれるか

あまりにあっさりなので拍子抜けしたほど

ただ、政子は当時の女性とは比べ物にならないほどの強烈な性格。
あっさり承知したのは計画があってのこと
縁談は父が決めてきてしまっているから、ここで拒否してしまっては
父が嘘をついたことになる
父のせいではなく、娘である自分のせいにする必要がある

一旦嫁ぐ。
但し、その嫁いだ夜に脱走して頼朝の元へと走る
そうすると、とんでもなく非常識なワガママ娘が悪いことになる
ただ、それであっさり済むとも思っていない
大ごとになるだろう。
むしろそれを視野に入れている
源氏と平家の一大決戦
そのきっかけを自分が作ろうと。
時代の大きな変革を
この時点で一人の女性が計画していた。

決行
花嫁がいない!
どうしたんじゃ。何が起きたんじゃ。

織り込み済の大ごと

時政!
どういうことじゃ

申し訳ございません。
私にも何が何やら

その後何度も呼び出され
まだか、まだ政子は見つからんのか

申し訳ございません
八方手を尽くしているのですが
全く手がかりが掴めません
我が子とは言え、私もはらわたが煮えくり返っております。
かくなる上は何としても探し出し
私のこの手で八つ裂きにしてやるつもりです。

その間、政子は頼朝と連絡を取りつつも、別の場所で潜伏していた。

1月以上が過ぎ、山木判官の様子が少し変わってきた。
頼朝が絡んでいると分かったので
平家に対する謀反に等しい。
頼朝を征伐すべく、清盛に文を送る
ところが何の音沙汰もない。
政子や時政に対する怒りが、少しではあるが、清盛に対して向いてきた。

そんな折り、政子の元に手紙が届いた。

少しずつ状況が変わってきている
くれぐれも短慮せぬよう
今はただ、じっと辛抱すべし

何と、父、時政からの手紙

最初から分かっていた訳ではない。
ただ、事が起きてしまったあとで、冷静になってみた
こうなった以上、平家としての出世は見込めない。
であれば、もう一つ別の、全く逆の選択肢もあるのではないか

父から連絡が来ました。
もうそろそろ大丈夫かと思うので
正式に祝言をと思うのですが。

いやまだだ

何を躊躇されているのです。

躊躇などしておらん。
見ているのだ。時代の流れを。
この事は、わしとそなたの二人の問題ではない。
必ず、必ず時が来る筈

行家
また、時が過ぎた
頼朝の叔父にあたる源行家が、山伏の格好に身を変え
密かに、頼朝を訪ねて来た

お懐かしゅうございます。

実は、宮様からの令旨を持って参った。

宮様からとな

奥に行き、それなりの格好に着替えて来た

いや、これは北条時政殿と一緒に聞いていただきたい。

秘密の会合
頼朝としても、行家のお陰で、会いにくかった時政と会う事が出来た。
政子も同席する

話は聞いておる
どうじゃな。わしも見届け人になろう
この場でまずは形だけでも祝言をあげるというのは

二人顔を見合せ、うなづいた。
「時」が来た
時政も異論なし

簡単ではあるがしめやかな儀式となった。

そして、以仁王からの令旨が披瀝される

「立つべし」

時政も異論なし

忙しくなるぞ

続きはシリーズの次回

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

角川武蔵野ミュージアムは、なんじゃこりゃ

(2021/4/25の事です)

今、色んなメディアでバンバン宣伝している角川武蔵野ミュージアム
所沢なので行かない訳にはいきません

東所沢駅から
武蔵野線の東所沢駅

いつのまにこんなにハイカラに
通路だってこんな感じ

ださいたま、のアイデンティティは捨て去ったのか。

向かう歩道に、おっと、すばらしいマンホール

この、真ん中だけ入れ換えるタイプのマンホール
急に最近あちこちで見かけるようになりました。
府中

秩父

全て、歩道上のマンホール
歩道であれば、凸凹の滑り止めはそれほど必要ではない。
カラーデザインマンホールって色あせてくるといまいちになるんだけど
中だけ入れ換えれば、また新鮮になる
結局金型作るのがとても金がかかるので
同じ金型を使えるなら中だけ頻繁に張り替えてもコストはぐんと安くなる
発想の転換ですね
賢いっ

結局武蔵野ミュージアムまで、歩道上のマンホールはずっとプリント型のマンホールでした。





従来型のカラーデザインマンホールも二つだけ

東所沢公園


その中の一角に、「チームラボ どんぐりの森の呼応する生命」なる場所
すっごく期待していたんですが、あらららなんでまた

本当ならこう

さらに夜になると


見たかったよお
何も一個ずつ被せて隠さなくても。

良く良く見ると、16:00からのようです。
昼間の銀色の方は朝からやってくれても良いのに。

武蔵野坐令和神社
その奥には武蔵野坐令和神社


この手が有ったか

神様の御用人という小説とのコラボをするんだと
角川お得意の複合メディア展開ですね

武蔵野ミュージアム
な、なんじゃこりゃ
宣伝で出ている写真や映像でイメージしていた規模を遥かに超えていた


見る角度によって大きく姿を変えるから、何度も楽しめる



そして隣の建物がまた斬新




芸術は爆発だ

武蔵野ミュージアムの中はどうなっているかな

おおっと、こんなすごいものが
ウルトラ如来でしょうか

入場券売り場へ行きましょう
図書館が600円。角川の本やコミックが時間無制限の読み放題
機関車トーマスとなかまたちが600円(だったかな)
メインのでっかい本棚をモチーフにした部屋が1200円

1200円のでお願いします。

すみません。大変混み合っておりまして、今ですと14:00からの時間帯になるのですが

えっ。今12:00ですよね
分かりました。考えてまたきます。

ビックリです。そんな展開は予想しておりませんでした。
2時間は待てないなあ
ネットからの画像だと。こんな感じ

でも、写真で見るだけなら、大きい本棚なのね、ぐらいだろうけど
その場に立つと大迫力なんだろう
建物自体がそうでしたから。

ネットから予約出来るそうなので
ある程度落ち着いた段階で
どんぐりの森も含めて再度来ることに致しましょう。

お腹すいたので食事しようと思ったんだけど
どこもかなりの待ち時間
色んなアニメにちなんだメニューがあるらしい
もとのアニメを知らないとありがたみがいまいち

結局のところアニメを中心とした若者文化がコンセプトなので
8割がた若いカップル
残り2割は子供連れです

ネットでみた近くのパン屋さんに行くことにしましょう

中でパンを食べながらゆっくりしました。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)